工業高校の現実
2023.01.05
電気関係に興味があって、趣味で電子工作とかやってるから、みんなも工業高校を選んだんだろう、と私はそのように確信していました。ところが現実は違った、という話を以前書きました。
工業高校に入れば、思いっきり趣味にハマれるという妄想が当時の私には有りました。
ところが当時は軍隊みたいなもので、刑務所だと言うヤツもいましたが、坊主頭に厳しい校則にそのほか色々・・・
勉強についていけなくて、私は落ちこぼれてしまったのです。
親から「好きな分野でしょう、どうしてできないの」と言われても、単に勉強についていけなくて落第寸前だった時もありました。
学期末ごとに成績不振者は親を学校に呼ばれて、お説教を食らいました。
夏休みに呼び出されて補習を受けたこともあります。
私は普段の行いだけは真面目だったので、あの鬼のような生徒指導の先生が(珍しく)ニコニコして、「彼は真面目で良い。非行とか悪いことをしない。だが勉強がもうちょっとできれば言う事ないんだけどな~~~ハッハッハ」と、うちの親の前でおっしゃったのは覚えています。
ところで工業高校は、女子がいませんでした。いないというか少数派。同じ科の同じ学年、80人中4人でした。自分の年代は。
機械、電子、建築の3科があり、機械だけは女子を募集していませんでした。(当時)
体力的に厳しいからという話を聞きましたけど、旋盤工など活躍している女子も世の中にいますので、必ずしも向いていないことはないと思います。
上の学年だと建築に女子が一人のクラスがありました。男に囲まれて大変だったでしょうけど、かえってみんなから優しく、大事にされていたのではないかと思います。
情報技術科が我々の後輩の年代から始まり、一気に女子が20名近く入ってきた。珍しいことでした。
とにかく我々のクラスは男ばっかり40名で(女子はもうひとつのクラスにいた)、夏なんか当時はエアコンが無いから暑苦しくてたまらない。普賢岳の噴火が始まった後にエアコンが付いた。その頃には我々は卒業した後だった。
体育祭で電子科が大敗した事で、応援団長が「みんな坊主にしろ!」(五厘と言っていた)
なんだそりゃ勝手に決めるなよと文句言いながら、結局みんな五厘にされて、教室に入ってきた先生がビックリ、
「なんだ、坊さんの学校かと思ったぞ!!」
無理もありません。一休さんみたいな奴らが40人も並んでいて、さぞかし壮観だったことでしょう。
工業高校に入れば、思いっきり趣味にハマれるという妄想が当時の私には有りました。
ところが当時は軍隊みたいなもので、刑務所だと言うヤツもいましたが、坊主頭に厳しい校則にそのほか色々・・・
勉強についていけなくて、私は落ちこぼれてしまったのです。
親から「好きな分野でしょう、どうしてできないの」と言われても、単に勉強についていけなくて落第寸前だった時もありました。
学期末ごとに成績不振者は親を学校に呼ばれて、お説教を食らいました。
夏休みに呼び出されて補習を受けたこともあります。
私は普段の行いだけは真面目だったので、あの鬼のような生徒指導の先生が(珍しく)ニコニコして、「彼は真面目で良い。非行とか悪いことをしない。だが勉強がもうちょっとできれば言う事ないんだけどな~~~ハッハッハ」と、うちの親の前でおっしゃったのは覚えています。
ところで工業高校は、女子がいませんでした。いないというか少数派。同じ科の同じ学年、80人中4人でした。自分の年代は。
機械、電子、建築の3科があり、機械だけは女子を募集していませんでした。(当時)
体力的に厳しいからという話を聞きましたけど、旋盤工など活躍している女子も世の中にいますので、必ずしも向いていないことはないと思います。
上の学年だと建築に女子が一人のクラスがありました。男に囲まれて大変だったでしょうけど、かえってみんなから優しく、大事にされていたのではないかと思います。
情報技術科が我々の後輩の年代から始まり、一気に女子が20名近く入ってきた。珍しいことでした。
とにかく我々のクラスは男ばっかり40名で(女子はもうひとつのクラスにいた)、夏なんか当時はエアコンが無いから暑苦しくてたまらない。普賢岳の噴火が始まった後にエアコンが付いた。その頃には我々は卒業した後だった。
体育祭で電子科が大敗した事で、応援団長が「みんな坊主にしろ!」(五厘と言っていた)
なんだそりゃ勝手に決めるなよと文句言いながら、結局みんな五厘にされて、教室に入ってきた先生がビックリ、
「なんだ、坊さんの学校かと思ったぞ!!」
無理もありません。一休さんみたいな奴らが40人も並んでいて、さぞかし壮観だったことでしょう。
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