赤いヤツ
2024.09.29
久々にこんな物を入手





こりないねぇ、と自分で自分に言う。

赤いやつといえば男ならすぐガンダムの・・・を思い出すらしいが私はほとんど見てなくてわからない。

これは41号MR磁石式電話機で、用途としては公衆電話用らしい。
MとMRとMPの違いがあり、特にRとPは間違いやすい感じがする。RとPで中身はまるで違う。

MとMRは中身的には同一と考えられる。(コイルのラベル色が違うか)

MPは共同電話用で、もっとぎっしり中身が詰まっている。リレーなどが追加されている。

昔の文献を調べてみたことがある。

12番甲と12番乙というふうにひとつの12番を二軒の加入者で共用する方式があった。
もちろん、二軒同時には使えないし、使おうとしても使えないように対策されていた。
電話がかかってきた場合、どちらのベルを鳴らすか、一方を選べるようになっていた。
一方が通話中、もう一方の受話器をはずしても傍受できない仕組みもあった。

二軒はお互いに近い場所にある事が条件だったようだ。電気的な都合だったかと。

一方がハンドルを回して交換台を呼び出そうとしても、もう一方が通話中だと発信できない旨をネオンランプ点灯で示す。

二軒共同なんて不便極まりないとしか思えないが、どうしてこんな苦し紛れのような仕組みを考えたのだろう。苦し紛れというのは自分の主観だが。

高度経済成長期、電話は申し込んでもすぐ取り付けできないような状態が続いており、容易に電話線を増設することもできなかったのだろう。それで限られた電話線を利用する為に工夫したのか。

もちろん、あまり通話頻度の高くない加入者向けだったようだが、自分の地元の電話帳を調べてみるとひとつは商店だった。(今も存続している商店)
なにかと通話が多かったのではと思うが・・・。

なお、電話線は磁石式の時代でも2本が基本だったけど、共同電話の場合は2本に加えてアースも利用した。地面に打ち込むアースである。
なんとか天ポイントカード
2024.09.29
某(全国チェーン)カレー店のレジ精算時、いつも「なんとか天ポイントカードはお持ちですか」と聞かれる。

なんとか天の名前は、病み上がりのせいか頭が冴えず、ちょっと思い出せない。寒天だったか満天だったか、飲食店なので揚天か棒天だったかもしれない。なんだっけな。

まあとにかく、その確認に答えるのは面倒くさい。ないって答えるだけですけど。(どこで手に入るのかも知らないが、興味もない)

だけど帰り道よく考えたら、毎回それを確認しなければならない店員さんのほうが、ずっと面倒だな!お気の毒だ。当たり前といえば当たり前だが、自分の側ばかり考えていたら気づかない。

次に思ったのは、なぜ確認しているのだろうということ。

その次に思ったのは、この面倒な確認をなくせないかということ。


なぜ確認: (私の想像だが)レジ精算時にポイントカード提示を忘れていて、あとからポイント追加しろと言ってくる客がいたとか?

なくせないか:
つい、この前までシン・コロコロ対策で会話は控えようとか言っていたのに。だからといって注意書きをレジ前に書いておいても見ない人は意外と多い。

過去にスマホの何とかペイで支払った時にも、ポイントカードは持っていないかと聞かれたが、それって別々のシステムなのか?(知らない)

基本的にクレジットカードで支払っているが、カードらしき物を持っているとポイントカードと思われるので、最初からクレジットで払うと言えば良い?

棒天のクレジットで支払ったら、それで棒天のシステム内でポイントがつくので、別にポイントカードは不要だろうと思う。

先に現金を手に持って見せたらポイントカード云々は言われないかと思って、以前やってみたけど、どうだったっけ。忘れた。
聞かれるの面倒だと思って、やってみたんだよなあ。

まあ・・・なんというか、ポイントカードとか面倒くさいので無くても別に困らない。

ポイントを、おこづかいもらっているようなトクした気分になっている人がいたら間違いだと伝えたい。それは自分の払ったお金。勝手に貯金されたり無効になる、他店や他の経済圏で使えない囲い込み。
シン・コロコロ体験記
2024.09.28
いまごろになって思いがけず感染! なんとか落ち着いたのでまとめておきたいと思います。

2019年末だったか、流行し始めて騒いでいた時期から最近まで感染しなかったのに。(感染しても発症しなかった可能性もある)

基本的な対策は、以前の流行期から変わらず実施し続けていた。マスク着用、アルコール消毒、帰宅後の手洗いとうがいは必ず実施


今回の経過:

●9/24
 整形外科のリハビリ後、喉が痛くなった。(午後)
 そういえば冷房が寒かったな。身体を動かす人が多いから強めにきかせていたのかと思ったが、じつは寒気を感じていたのかもしれない。

 最初は風邪ぎみかと思った。23、24日は最低気温が急に下がり、朝から寒かった。(次のグラフは実際の気温)


夜は気温が高いから就寝中に暑くなって布団をけっとばし、あとで寒いと思っても眠気が勝って動けず、そのまま寝てしまい風邪をひくパターンもある。

 風邪の引きはじめに喉の痛みとか不快感があるのは経験的に知っており、早めに手当しておこうと思った。
 近所の医院はたまたま休み。しかも一度も行ったことがない。
 もうちょっと離れた所の耳鼻咽喉科は開いていて、過去に受診したことがあり、夕方の受付終了まで十分時間がある。
 のどだから耳鼻咽喉科でちょうど良い。
 自宅で体温をはかると平熱(36.7℃)、歩いて耳鼻咽喉科へ到着後は37.3℃
 症状は喉の痛み。
 診断は扁桃炎
 薬は(1)抗生物質・アモキシシリンカプセル250mg、(2)鎮痛消炎剤・ソランタール錠、(3)胃粘膜修復剤・レバミピド錠、以上3種類で3日分
 帰宅後、夕食を食べて薬を飲み、早めに就寝

●9/25
 7時 37.2℃ 朝食前に測定。朝食は米飯(雑穀入り)と味噌汁
 11時 38.2℃ 頭痛少し
 12時 38.5℃ 昼食前に測定、昼食はバターロール3個、ジョア
 14時 39.0℃
 15時 38.9℃
 16時 38.9℃ 頭痛
 17時 38.9℃
 18時 39.0℃ 夕食前に測定、夕食はSOYJOY、グラタン、ジョア
 19時 38.8℃
 21時 39.5℃
 22時 39.0℃
 以後、発熱で目が覚めるたびに測定し、水分補給

●9/26
 0時 39.1℃
 3時 39.3℃
 6時 38.7℃ 朝食前に測定、朝食はバターロール3個、カップスープ
 9時 38.3℃
 10時 38.0℃
 12時 38.5℃ のどのイガイガ感。昼食前に体温測定。昼食はサンドイッチ、SOYJOY、ジョア
 13時 38.6℃
 15時 38.8℃
 16時 38.7℃
 17時 38.6℃
 18時 38.2℃ 夕食前に測定、夕食は天ぷら弁当、サラダ、ジョア
 21時 38.6℃

●9/27
 1時 38.5℃
 4時 37.9℃
 7時 37.4℃ 朝食前に測定。風呂に入っても良さそうなので入浴。その後に朝食
 9時 36.6℃
 12時 36.9℃ 昼食前に測定。昼食はカップ麺、SOYJOY、ジョア
 13時 37.0℃
 15時 9/24に診察を受けた耳鼻咽喉科へ。
    40℃近い高熱が出た事と、喉の痛みが続いていると伝えた。
    新型コロナとインフルエンザの検査をすることになり、屋外で鼻に綿棒。
    結果は陽性。
    薬は(1)コタロー桔梗石膏エキス細粒、(2)解熱剤・アセトアミノフェン錠200mg
 17時 37.1℃
 18時 37.3℃
 20時 37.3℃
    のどの痛み、咳が続く

●9/28
 2時 37.3℃
 7時 36.8℃ のどの痛みが軽くなってきた感じがする。朝食は米飯と納豆と味噌汁
 9時 36.7℃

 うがいを繰り返したのがよかったのか、昨日の薬が効いたのか、のどの痛みは取れてきた。
 咳は、夜になっても時々ある。
 このまま無事に症状が消えていくことを祈るのみ。

 夜間、咳が出て目が覚めたりした。
 ただ、咳き込む時の痰の出てくる感じは明らかに減っている。

●9/29
 その後の経過ですが、今朝ぐらいまでは咳が出てあまり眠れない夜を過ごしました。
 ずっと出ていたわけではないが、ゴホゴホやっている自分に気づいて目が覚める事が一晩に数回という感じ。
 4時に目が覚めてからは再び眠れなくて、そのまま起きていました。

 咳が出るのは「排出」をしているためと思います。
 この咳も午後には落ち着き、ほとんど出なくなりました。


●9/30
 昨日PM以降は咳の回数が減り、もうこれで大丈夫かと思いました。
 夕方にカレー、特に喉への刺激もなくて美味しく頂きました。
 ところが夜に横になってから咳が出るようになり、眠った後でも深夜にゴホゴホ、
 起きてトローチを舐めて寝て、またゴホゴホで目覚め、・・・という調子。
 調べてみると、痰の絡まない咳は空咳というようです。

 「昼間は気になるほど咳は出ないが、夜間寝ている時に咳が出てよく眠れない」



--------------
体温が高かった時には何度も目が覚めて水を飲んで・・・を繰り返していた。

基本的には1日中寝ていた。

体温が通常に近づくにつれて、夜中も(途中で起きず)眠れるようになってきた。

体温が39℃や40℃になっても、普通に起き上がって歩くことはできて、トイレに行ったりしていた。さすがに屋外へ出るのは近くの自販機ぐらいまでで、それ以上は止めておいた。
自分の経験ではインフルエンザで高熱になった時、フラフラしてとても歩き回れたもんじゃなかった記憶があるけど、症状によって違うのかも?

食欲は、全く食事を受け付けない状態ではなかった。食べれば食べる事はできたが、たくさんは食べきれなかった。喉の痛みがある時は飲み込む時の痛みは勿論あって、その食べにくさもあったが、痛みが引いてからも体力的な理由か不明ながら食事は減らしたい感じ)

発熱で特に深夜、口の中に唾液がたまるので、できるだけ洗面台へ行って吐き出し、うがいを繰り返した。(飲み込むと喉が痛い)

鼻水は、過去の風邪・インフルエンザの経験では鼻水・鼻詰まりが記憶にあったが、今回は気になるほど鼻水は出なかった。少し出た程度。詰まり続けるほど鼻詰まりはひどくなかった。

感染経路を思い出してみると、普段ひとりで仕事をしているために他人との接触は少ない。スーパーでの買物は短時間(10分程度)でサッと済ませて帰っている。
最近の変化としては五十肩で整形外科に毎週通う事になり、不特定多数の人と同じ室内で過ごす機会が増えた。患者さんは多く、そういえば待合で隣に座っている人がゴホゴホ咳き込んでいた記憶も。あくまでも可能性のひとつ。

体温の記録


熱さまシートを試してみたが、高熱時は貼った瞬間だけ冷たかった。微熱まで下がると、ずっと冷たさが続く感じ。気休めにはなる。

冷凍食品を通販で買った時の保冷剤を冷凍庫に入れていたのを思い出し、枕の下に入れてみたが、カチカチに変な形で固まっており痛かったのですぐ横にどかした。

病気で寝込んだ時や熱中症の対策として、ベッドのそばにポカリを1本だけ常備していた。それが今回役に立った。
身近に食べ物や飲み物があるとすぐ口にしてしまう人には勧められないが、発熱すると身動きができなくなる時もあるので普段から備えておくと楽になる。
近所の自販機へ買いに行こうと思っても、そんな大事な時に限って売り切れだったりする。

入浴は熱が高い2日間(25,26)は止めていた。

お通じ(大きい方)は、やはり熱が高い2日間(25,26)は出なかった。通常はほぼ毎日出ていたので、止まったのは不思議だったが、たぶん身体のエネルギーを免疫に全振りしていたのかもしれない。

「うんこ製造部は一時休止とする! 消化・吸収に使うエネルギーを一時的に免疫へ振り向ける。いまは全社でウィルスに立ち向かう時である。乗り越えよう」 たぶんこんな感じだったろう。わからないけど。
発熱が落ち着いた日には普通に出てきて、以後は通常通り。

買物は、まず最初の時点で(具合が悪いと気付いた日に)先のことを考えてある程度買い込んでいたので、もっとも発熱のひどい時に助かった。
それ以前に、防災用としてある程度の飲料水、保存食を買ってあった。
ポカリを飲み切って買いに行きたくなった時、近所の自販機で買おうとしたが新札未対応というワナが。

9/26の昼間に頑張ってスーパーまで歩いてみたが、普段なにも意識せずやっている事が、こんなに体力を使ってしんどいものかと感じるぐらいだった。幸い、倒れることもなく無事生還。
(相変わらずの暑さのせいもあった)

薬は、病院で処方されたもの以外にはトローチをドラッグストアで買ってきてなめていた。のどの痛み対策で、なかなか効いた感じがしなかったけど・・・
そのほか効果はわからないが気休めとしてリポビタンを飲んでみた。栄養の足しぐらいにはなるだろうと。

今後のための対策
(1)ポカリや経口補水液を寝室に備蓄しておく。
(2)アイスノンを冷凍庫に常時入れておく。(熱が出てからあわてて冷やしても時間がかかる)
(3)解熱剤の使用については賛否あるが、さすがに40℃近くまで上がるとしんどいので、常備しておけばよかった。
なお、二度目に病院へ行った時にアセトアミノフェンをもらったが、その時点で体温は落ち着いていた為に結局使わずじまい。

次回の整形外科の予約は延期をお願いした。もちろん、正直に感染のことを話した。回復後、十分に日数が経過してから通院したい、と。
だまっていればわからないのでそのまま予定通りに行くこともできたが、自分としては、この点はきちんとしておきたかったので。
電子技術II (続続)
2024.09.27
この教科書の章 (上巻)
1.音響機器 →習ってない。
2.有線通信
3.無線通信
4.ファクシミリ →習ってない。
5.テレビジョン →習ってない。
6.レーダ →習ってない。

習っていないところも興味があったので自分で読んだりはした。
音響機器の章は筆者の趣味も入っているような気がする。
当時アナログオーディオ全盛であった。

レーダは、まさにAスコープという表示方式が「海軍レーダー徒然草」(Webサイト)に載っている電探のそれで、
いま主流になっている表示方式はPPI表示方式という。

下巻
7.電子計算機 →習ってない。
8.アセンブラとFORTRAN →別の授業枠(情報技術)でFORTRANを習ったと思う。
9.電子計算機の利用技術の基礎 →習ってない。

いま見てもそれほど傷んでないので、あまり使わなかったのがわかる。とくに下巻。

電子計算機、という呼び方に時代を感じる。(当時でも電子計算機という呼び方は古いと思った)

いまの工業高校生はどんな教科書だろうと検索して、その目次だけ見てみた。まあ内容を見ないと何とも言えないが、

昔のほうが原理に近いぶん、理解しやすい面はあったのではないか、と思う。

いまはスマホやらAIやらワケノワカラン物ばかりで、どういう仕組なのかも理解しがたい。
教科書の基礎的な勉強と、最新テクノロジーがどのように結びつくのか、ますます難しくなっていないか。
電子技術II (続)
2024.09.27
教科書は、いま読んでも理解しづらい所が多い。その道の権威者たちが執筆している為、わざわざ難しく書いてあるんだと思う。
全然頭に入ってこないというか、眠気を誘う催眠電波ゆんゆんである。

いきなり説明なしに新しい言葉や記号が出てきて、その説明がない。授業では先生が説明したかもしれない。
たとえばλという記号がいきなり出てきた。λといえば波長をあらわす。MHzなら100万単位なので、150MHzの波長は300÷150=2で2mとなる。こんな説明があったかも。


電子技術者の心がけ


(1)電子技術についての基本的事項をしっかり身につけておく。
(2)基本的事項の学習は、学校時代だけではなく、その後も続けていく。
(3)絶えず技術の研鑽を続け、積極的にアイデアを出し、取り組み、失敗を恐れない。
(4)仕事を通じ、広い領域にわたる知識を身につけるようにする。
(5)(1)~(4)のことを協力し合って高め、実践していく。

ページ左側に12個の項目が並べてあるけど、この当時は夢だった事が現在ではいくつか実現している。


電子技術の動向



製作例



有線通信(電話)の章には、電話局同士をマイクロ波でつないでいる図があるけど、現在ではすっかり引退してしまったらしい。光ファイバーでつないでしまったから。

そしてまた、固定電話いらなくね?とか、2035年までに銅線の巻取りを、なんて言ってる時代になるとは当時全く想像もできなかったろうな。

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