液晶ゲーム等
2025.07.16
中学生の頃に見た、あれは確か任天堂の麻雀ゲーム機、液晶画面で横長の筐体で・・・私は当時も今も麻雀の遊び方を知らないので、適当にボタンを押してみただけでわけがわからないままです。

うちで唯一の液晶ゲーム機だった、ゲームボックス・ペンタ (親戚からもらった)
兄弟で奪い合っていたら、それを見ていた親父がキレまして、取り上げて外に放り投げてしまいました。庭にゴミを置いていた場所に叩きつけられて・・・さすがに壊れたかと思ったけれど無事で、なんて事するんだと思いました。

うちの親の年代にとっては、
そういったゲーム機なんかは理解の範囲を超えていたし、子どもが夢中になって勉強しないし、百害あって一利なしの代物だったことでしょう。

ゲームなんか何の役にもたたないのにお金をとるなんて悪の所業だと。当然、お金を払う価値なし、と。

花火を買ってきて楽しんでいたら、お金を燃やしているのと同じだと言い放ち、せっかくの楽しみが台無し。

電動鉛筆削りにも理解を示さず、あんなものは鉛筆をどんどん食ってしまって無駄になる。鉛筆はナイフで削るものと昔から決まっているんだと。

電卓を使うと馬鹿になるから子どもは使ってはいけない。
ある時、祖母と話していたら、祖母が私に電卓をくれた(親父に預けた)らしいことが判明しました。自分は受け取っていないのでおかしいなと思ったのです。隠していたんですねえ。


あのガチャガチャのコスモスが売っていた液晶ゲーム機
名前は何というのか忘れました。
音だけ覚えていて、ピピピッ、ピッピー、なんかUFOみたいな奴が表示されていたような、なかったような。
確か駄菓子屋の景品で、くじを全部引いても当たらないのでおかしいと思ったら、バーサンが出し惜しみしていたようでした。

自分が初めて遊んだゲーム&ウオッチは、ミッキーマウスが卵を集めるやつ。なんという名前だっけ。

近所の寿司屋の子が、ドンキーコングを持っていたのでよく借りて遊んでいました。マルチスクリーンです。
パターンが同じだから慣れてしまうとあっという間に上まで行って、すぐジャンプしてピキピキピキ・・・

同じ要領だと思って(慣れているから簡単だと)、ゲームセンターのドンキーコングをやってみたら、全然違っていてすぐに終わってしまいました。
昔のTVゲーム
2025.07.15
昔というと我々の年代は昭和です。

自分はだいたいゲームは苦手で、反射神経というか、そういうのが全然ダメで・・・すぐ終わってしまっていました。だから面白くなくて、ゲームにあまり興味を持たなかったのかも。

たまに親に連れていかれてデパート等に行くじゃないですか。
そのデパート屋上のゲームコーナーや、ゲームセンターの機械に100円を入れて遊ぼうとしてもすぐ終わってしまって、お金がもったいないと思ったのです。親から100円もらって、投入してすぐやられて終わって、また親にお金をもらうのが申し訳ない気持ちで一杯でした。

当時の自分にとっては、100円というのは大金でした。それをただ飲み込むだけのゲーム機。あとに何も残らない、虚しいものでした。駄菓子だったら100円で色々買えるし、お腹に残るのに・・・。

ところで、
近所の子や同級生は、新しいおもちゃが出るとすぐに買ってもらえるやつがいてうらやましかったのです。

はっきり言って、いま振り返ってみるとその仲の良かった友達とのつきあいは、私がおもちゃやゲームを借りに行くのが主な目的だったと思います。

そいつが持っていたゲーム機、たとえば・・・
任天堂のレーシング112、という名前は当時は知らなかったけど、形をなんとなく覚えていて今頃になって探してみたら名前がわかった次第。

テレビゲーム15は、中学生の頃にジャンクとして手に入れたっけ。改造してマイコンをTVにつなぐのに使ってくださいという事になっていました。デジタルRGBからRF(VHF 1ch or 2ch)への変換です。自分は改造せず、そのままゲームとして遊んでいました。
ゲーム内容は単純なもので、棒と点が画面上を動くだけ。

TVゲームじゃないけどゲーム&ウォッチ、これもずいぶん流行りました。うちは絶対買ってもらえなくて、友達から借りてきて遊んでいました。
下手なのは変わりませんでしたけどね。

フリスキートム水道管。これは蛍光表示管のゲームで、画面が光るから布団に隠れて遊ぶのにはちょうど良かったです。

はっきり覚えていないが学研のポーカーゲーム。見た目は電卓みたいなやつでした。これも友達が持っていたけど、遊び方がさっぱりわからなかったし、何が面白いのかも謎のままでした。
それに、学研といったら堅苦しいお勉強の会社だと思い込んでいて、トランシーバーとかゲーム機とか売ってるのが不思議に思えました。

それとゲームロボット九だったか十五だったか、どうしてこの友達はおもちゃを次々に買ってもらえるんだろうと思っていました。

そいつは海に近いところに住んでいて、当時はゴミがよく海岸に捨てられていたのです。誰でも構わず勝手に捨てていた、いまから考えるととんでもない時代でした。

「ゆかいな歯医者さん」というおもちゃもそいつは持っていて、飽きたのでしょう、海岸に捨てられていました。電極がタッチすると変な音が鳴る仕組みで、触らないように上手に歯を裏側から押して抜くという遊び方。
ゲームロボットも、ぶっ壊れた状態(親が壊した?)で海岸に投げてありました。

トミーの、音声で命令すると動くロボットもそいつは持っていました。

その友達と、駄菓子屋の景品をどっちが先に取るかという競争をした事がありました。
なんと一等賞はムデンのトランシーバー。
甘納豆のクジを引いて、当たったら自分のものです。
私は軍資金を調達するために自宅へ一旦戻って、また駄菓子屋に戻ってきました。
すると駄菓子屋のバーサン「**君が一等賞とったよ」 ガチョーン。

その足で友達の家へ行ってみると、ああ、あのトランシーバーがあるじゃないですか。
ちくしょー、ほしかったのに。

仕方なく触らせてもらいました。ああ、オレのものになっていたはずなのに。

それから何十年もたって、メルカリでそのトランシーバーを見つけたけれど、今さら手に入れても遅いのです。あの頃にほしかった。あーあ。
カシオ リレー式計算機 14-A
2025.06.27
なんと当時のカタログ。
よく残っていたものです。


そういえば、
私は昔の8bit全盛時代に各社カタログを集めていたんですが、ある時期にまとめて捨ててしまいました。
MSXを中心に、富士通のFM-7とかFM-Xのタモリ、日立H1など・・・今では貴重なもの。

雑誌も場所をとるから、興味のある記事だけ切り抜いてファイリングしておいたら、捨てた部分をあとで読みたくなり、困ったもんです。

こんなふうに、断捨離すると後で面倒なことになります。

よし、とりあえず何でも保存しておこう。(おいおい)
昔のLAN
2025.06.18
これは昨夜の夢の話

なぜか学生の頃の下宿屋で、MSXによってLANを構成していた。
まだイーサネットなど一般家庭には普及していない頃

(現実には、RS-232Cを利用した簡易的なネットワークを構成していた研究室がある。CP/M手作りマイコン入門だったか、なんかそのあたりの本に書いてあった)

カセットI/Fの信号を延長してお互いを接続するというやり方で、
実際に中学生の頃、近所のMSX持ちの奴と線を引っ張って通信しようと妄想していたもの。

ただ、いつ"CSAVE"、"CLOAD"するか、そのタイミングがわからないので、連絡用のインターホン回線としても兼用できなければならない。
いまから送るよ、いいよ、という感じ。

夢の中では、何やら本格的な装置を作っていて、それで各部屋を配線していた。

(現実には、当時はRS-232Cインターフェースを作るのがやっとだった)

なんと、そのLAN経由で他のMSXが操作できるという。リモートデスクトップみたいな機能もあった。

なぜか、途中からMSXではなくWindows画面にかわっているのが夢のおかしなところ。

これじゃセキュリティもへったくれもない。自分のPCが勝手にいじられそうになって心配していた。
どうしてループの変数にIJKLMN
2025.05.22
よくプログラムの中で、ループ変数にIJKLMN、特にI,Jを良く見かけます。
これはFORTRANを経験した方ならおなじみでしょう。私の頭の中はFORTRAN77で止まっています。

じつはFORTRANでは、IJKLMNは宣言しなくても整数型変数として使えるから、手軽に使ってしまうわけです。

FORTRANからBASIC、そしてCへ・・・その中でループ変数も何となく使い続けられてきたのでしょう。

手軽に使ってしまいますが、変数名というものはその意味がわかりやすいようにするのが好ましいです。

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