ゲーム作り
2025.01.04
自分はゲームが作れなかった。

そもそもゲームは苦手だったし、パソコン(MSX)を買ったのはプログラミングを覚えたかった為で、本体購入時のゲームソフト1本付きは断り、その分は値引きしてもらった。

反射神経が要求されるようなゲームは全然ダメ。
リアル世界でも体育の球技なんか全然ダメ。よく、みんなはボールを追いかけ続ける事ができるなあ、って不思議に思っていた。当てられるのは得意だったんだがな・・・当てられるのは。
運動もダメなら運転もダメ。臨機応変に素早く判断してパッと操作するなんてのは私に求めないで。

そんな調子だもんで、そもそもゲームのアイデアは湧いて来ないから作ろうにも作れない。

でも、作れるやつが羨ましかった。特に専門学校の同級生のF君はベーマガやMファン、Mマガに何度も投稿・掲載されていた。
在学中にも何本か作って掲載され、彼とそのゲームで対戦もしてみたが、身近にそんなすごいやつがいるのはなかなかできない体験だった。まあ、それまでの自分は井の中の蛙だったのだろう。田舎で周囲に仲間がいなかったから、刺激も受けなかった。切磋琢磨がなかった。

そしてまた、専門学校の担任の先生もI/Oに作品が掲載され、賞金をもらって1年遊んでいたというお方。商品化され、長い間I/Oの広告などに載って市販されていた。

ところでゲームと言っても色々ある。分野は広い。

インベーダーのように自分がいて敵がいて、敵が攻めてくるので攻撃してやっつける、なんてのはリアルタイムに処理しないといけないのだけど、
最初そういうプログラムの作り方を知らないから、そこでひっかかったりもした。初心者の頃。

キー入力をそこで待つような処理しか知らなかったわけよ。HIT ANY KEY とか。

基本は、
キー入力を監視して、操作があれば自機を動かし、敵を(ある規則に基づいて)動かし、あるいは攻撃をさせたりする。弾を発射したらその動きも並行して行う。
基本的な考え方は、この処理の流れを途中で止める事なく、グルグルと(できるだけ高速に)回す。この考えを、ずいぶん後になるまで知らなかった。

ベーマガのプログラムをずいぶんたくさん打ち込んだけど、細かく解析したり読み込んだり、他人の考えを理解するのが苦手で、なかなかそういう大きな流れまでは読み取れなかった。

あとは、なんといってもセンスか。一応そういうゲームは作れても、面白いゲームとなれば、センスが問われるんだと思う。センスって何だって。暑い時にパタパタするやつだろ、たぶん。
昔のカセット(MSX用など)
2025.01.03
気づいてみれば30年以上も経過していました。
昔のカセットテープ・・・

1本のカセットにいくつもプログラムをセーブしてあったりして、何が入っているやらさっぱりわかりません。一種の福袋状態です。見てみるのも楽しみかもしれません。

10分テープに片面1本ずつプログラムをセーブするようになったのは後の事で、最初からそうすれば管理が楽だったのに、思いつかなかったのでした。
1本の60分か90分テープに、ごちゃまぜに、最初から最後まで詰めてある。

カウンタの数字とタイトルをインデックスカードに書いておけばいいじゃないかというのは分かっていたが、途中でテレコが変わったので無意味になり、面倒くさくてやめた。

昔のカセットテープ(タイトルは何も書いてない)を
いま改めてテレコで聞いてみると、ああ、これはMSXだなって音でわかった。なんでわかるかって説明しようがないけど、これはMSXの音だと。
ほかにポケコンやMZ-2000、ひょっとしたらPC-6001もあったかもしれない。

MSXの場合は1200bpsでセーブしていた。2400bpsだと失敗してエラーになる事が多かった為。
2400なら時間の節約にはなっただろうけど、ずいぶん待たされた後に「Device I/O Error」ではガッカリでしょう。

PIOという雑誌にはソノシート(薄いレコード)が付属していて、各機種の投稿プログラムが入っていたけど、一度もロードに成功したことがない。当時何度も条件を変えたりしてトライしたけど結局ギブアップ。
何度も再生すると摩耗してくるのかもしれない。それと、ターンテーブルに載せる時に敷物を工夫したほうが良いとか、色々言われていた。
ペラペラしているから変形しやすく、ターンテーブルの表面の状態にも左右される可能性がある。

いろいろと手を尽くしてみたけど結局だめだった、という話。
98ノートの修理
2024.12.02
久しぶりにいじったPC98で何かが覚醒してしまって、にわかに勢いづいていたが、ここへきて98ノートの修理にひっかかって萎え萎え中。

仕事の分も含めてデスクトップを何台も直して勢いが出すぎたぐらいだったのだが。

98ノートの厄介なところはニッカドの液漏れ。これで腐食してしまう。


基板のパターンが消えて無くなったような場所もあった。

さらに電解コンデンサの液漏れ。

今の時代は積層セラミックでも当時より大容量のものがあるので、電解の代わりに試してみたらどうかと思う。



この98ノートは'90年代前半の物・・・そういえば、当時の勤務先では一人1台のPCは無かった。

作業場に数台あって、みんなで共用していた。
私なんか当時下っ端だから、誰かが使っていたら使えない。
特にワークステーションのCAD(1~2台しかなかった)を使っていると「早くしろよ」と先輩方から圧力をかけられたものだった。
みんな本当に忙しくて切羽詰まっていた時期、とうとう夕方からの出勤でCAD作業をする方まであらわれた。

とにかくPCは共用だった。

たまたま1台空いているPCを見つけて使っていたら、「それ、オレの私物」とおっしゃる先輩。なんと私物だったとは。道理で空いていたわけだ。
みんなで共有していると効率が悪いので、自分で買ってきて会社に置いているという。
「使ってていいよ」と、じつにありがたかった。

これには笑い話があって、ある日いきなり総務部にスイッチが入り、社内の備品の総点検が始まった。ひとつひとつ確認してノートに記録し、ラベルを貼っていく。

なんと、
その私物PCにも備品ラベルが貼られてしまった(笑)

持ち主は総務部に連絡して、あれは私物だからと説明していたが、置いてあるものは備品と単純に決めていたほうもどうかと思う。購入記録まで調べなかったか。でも会社にある物は普通、備品だよなあ。無理もないか。

ほかにも私物PCを持ち込んで使っていた方が数名おられて、そのうちに係長以上にはノートPCが配布された。いいなあ・・・
但し、係長と課長は白黒液晶、部長だけカラー液晶。(当時は高価だった)

私も負けじとジャンク屋から買ったPC-98LT(ローテクと呼んでいた)を持ち込んで使っていた。
それゴミだろ、互換性ないだろ、と周囲からボロクソに言われても負けなかった。
チクショウ、これが今の自分の精一杯だった。

後に、なんとか頑張ってPC-486NAS2を20万も出して買った。


今回修理していたのは、あの時代の98ノートだった。あの頃を懐かしく思い出しながらいじっていた。
PC-9861K
2024.12.02
じつは最近になって初めて現物を見ました。PC-9861K



当時、互換品を作ろうとしていたけど・・・このサイズに汎用部品だけでおさめるのは(しかもラッピング手配線)無理があったと改めて思いました。

PC-9861KにはPLD(ゲートアレイ)が使用されていて部品点数の削減ができているのでしょう。
PC-9801用RS-232Cボードを作ろうとしていた話
2024.12.01
1994年2月のファイルより。


当時、自分の草の根ネットは「回線を増やせ」圧力がかけられていた頃だったと思う。
それでRS-232C拡張ボードをなんとかしようとしていた。

どういうわけか当時は「自作」が最も安上がりであろう、と考えていて・・・(いま思えば、手間のほうがかかるだろうと)

NEC純正のPC-9861K互換品を作ろうとしていた。
PC-9861Kの回路図は無いので、仕様から回路設計をしていた。もちろん、こういうのは本職なので出来る。当時は、まだ未熟者だったけれど。

上記の写真は部品配置図だが、このあとに回路図が続き、そして実際に基板を組み立てていた。しかし製作途中で中断した。

中断した理由は複数あって、
(1)ラッピングで配線していたら配線が窮屈すぎて行き詰まった。
(2)PC-9861Kだと結局8251なので文字落ちの対策にならない。
(3)PC-9861Kだと通信速度も上げられない。高速モデムなら115,200bpsは必須だが、8251を使っている以上、不可。
(4)MC16550IIの発売を知った。買ったほうが早い。

それでMC16550IIを購入したら、これがベストだった。

次の圧力は「高速化しろ」だった。モデムの通信速度は速くても、パソコンがPC-9801UV11では処理が遅い。一気に、当時最新の486マシンへの飛躍である。

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