プリンタ切替器
2024.10.18
今ではLAN(有線、無線)接続が普通になってしまったプリンタ、あるいはUSB接続、昔はパラレルポートだった。セントロニクス準拠と言っていた。

学校のPC室などで複数のPCに対し、1台のプリンタを共有している場合、プリンタ切替器で切り替えて使っていた。

自分が通っていたコンピュータ学校では、長机の上にPCが2台あり、中央に1台のプリンタがあった。その台座にプリンタ切替器が組み込まれていた。

ちなみにそのプリンタ切替器は自作ぽい物で、トグルスイッチが付いていたけど、きっと内部はざるそば配線だったんだろう。

市販されていたプリンタ切替器は多接点の切り替えスイッチが使用されていた。多くの信号を一度に切り替える仕組み。

だが、印刷中だろうと関係なしに物理的に切り替えるスイッチだから、いま思えば乱暴なシロモノだった。
物理的なスイッチだと、コネクタを通電中に抜き差ししているのと同じようなもの。(USBと違って、通電中の抜き差しは推奨されていなかったし、故障の原因になる可能性もあった。現実的には通電中でもお構いなしに抜き差ししていたけどな。面倒くさいから)

印刷中に切り替えると文字が化けたりして困ったことになった。

同様に、RS-232C切替器もあった。1台のモデムに対して複数のPCとか、あるいはクロス接続とか、他のRS-232C機器との接続とか、色々ややこしい事をしていた。

いまではどちらもゴミで、たまにハードオフのジャンク箱に転がっているのを見かけることがある。
最初にパソコン通信を見た
2024.10.15
それまで雑誌によって、パソコン通信というものがあるのは知っていたけど、実際にこの目で見たのはいつだったか。

THE LINKSは高校1年のときに試した。これは専用ソフトを使ったもので、そうじゃなくて、ターミナル画面で通信する一般的なやり方のパソコン通信の話。

確か、高校2年か3年だった。学校の文化祭(工業展と言っていた)で、わざわざこの2日間のために電話線を臨時に引き込み、パソコン通信のコーナーが設置されていた。

当時それほど興味はなかったが、同級生が座っていたので、ちょろっと話を聞いたりしたぐらい。

画面を見ると、チャットをしていたようだった。

何が面白いのかよくわからなかったけど、まさか、その数年後に自分で草の根ネットを開局するとは、全く思いもしなかった。

あの頃、通信速度はどれくらいだったか覚えてないけど、たぶん300か1,200bpsだろうな。

今は速いのが当たり前だけど、文字が流れる速度はどれくらいかというと、イメージ的には油が垂れるような感じか。
トロトロー、タラタラー、ポタポタ、(わからんかも)
モデムの自作
2024.10.12
初期の頃、モデムを自作しようという動きもあった。

電話回線に接続する機器は認定を受けなければならないが、製作記事ではあくまでも「内線用」という建前になっていた。

「ラジオの製作」で丹治さんのモデム、そしてI/OにNHKのパソコン通信講座の記事があって、そこにもモデムの回路図など載っていた記憶。

当時は沖電気のモデムICがあった。

どちらの製作記事も純粋にデータの変調・復調と回線I/Fまでしかないから、ダイヤルを回すのは併設の電話機から。

ORG(オリジネートモード)、ANS(アンサーモード)という切り替えスイッチがあったのを覚えている。こういった、どうでも良い事は良く覚えていて、いま記憶だけで書いた。
発信側、着信側の切り替えスイッチである。

後のモデムではそんな切り替えは不要となった。

モデムはアイワなどから製品が出ていたと思う。当時の通信速度は確か300bpsか1200bpsだった。

音響カプラといって、黒電話の受話器がピッタリはまるようになっていた装置もあった。自分は使った記憶がない。
端末の自由化以前は電話回線に自由に機器を接続することができず、規制が厳しかった。そのため、電話線と電気的に接続しなくて済む音響カプラが登場したという経緯だったと思う。

音響カプラは、モデム全盛の頃にも持ち運び用の機種があった。公衆電話の受話器に装着して使う想定だったと思う。わりと最近、その音響カプラを使って公衆電話から通信する動画を見た。
ISDN公衆電話はモジュラージャックがあったから、モデム内蔵PCから直接つないで発信することができた。
パソコン通信ごっこのプログラム
2024.10.11
当時MZのプログラム本には、電話回線で2台のMZをモデム接続して、遠くの人と(囲碁か将棋か忘れたが)通信でゲームをするプログラムが載っていた。

自分にはそれがとても贅沢に思えた。電話代がかかるのに!
そして、もし自分だったら電話代が気になってゲームに集中できないだろうと。

市内3分10円で1時間200円なら、まあまあだけど、さらにその外側のエリアだと・・・

のちにパソコン通信をやっていた頃、チャットに夢中で1時間ぐらい平気で遊んでいたが、あっという間に数千円、そして請求書はウン万円で怒られた。(市内通話ではなく遠いところとやっていた)

学生の頃は自分で回線は引けないし、そんなお金もなかった。

そこで作ったのは妄想パソコン通信ごっこプログラム。

MSXの中に、それっぽいパソコン通信のバーチャル世界を構築した、というと大げさだが・・・

オフラインで、オンライン風のメニュー表示などが出るようにしただけ。あくまでも「ごっこ」
ホストにアクセスした時のWelcomeの表示から、各メニューなどを勝手に真似して作っただけ。

この仮想的なホストに、アンダム・ラクセスという名前まで付けた。(ランダム・アクセスを捩った)

こうして、ひとりで雰囲気だけのパソコン通信を味わっていた。
将来、モデムでどこかと接続する日が来るのかもしれない、と希望を抱きながら。

その時点では全く想像もつかなかったが、まさか数年後に草の根ネットを始めることになろうとは。
AppleII
2024.10.11
AppleII

初期のApple社を支えた製品

まずAppleIがあって、次にAppleIIがヒットした。

高校生の頃から、スティーブ・ジョブズの本などを読んでいて非常に興味をもった。とくに相棒の技術者Wozniakには興味があった。

その頃からハマっていて、ぜひAppleIIも手に入れたいと思った。

雑誌の売り買いコーナーを見ているとAppleIIコンパチボードなるものがあって、モニタやFDD、プリンタも含めて一式で売りますという事で購入を申し込んだ。

残念ながらFDDは壊れていたし、プリンタも操作を誤って焼けてしまったりした。

コンパチボードはHOGE!という名前で、いまも持っている。(だけど電源を捨ててしまったので動かしようがない)

- CafeLog -