PC-9801初代
2024.10.11
これは親戚からもらったもので、その時点で不動品だった。

本体、モニタ、外付8インチFDD、8インチフロッピーなど揃っていたけど、まあ、ゴミをおしつけられたようなものか。

もっと新しい98があるのに、ということで使い道もなく、結局捨ててしまったと思う。

それにしても8インチはでかかった。冗談みたいにでかかった。

よくこんなの使っていたなあ、と思う。


高校の時、PC-9801Fは使ったことがある。文化祭に展示するゲームを作れというので、センサーの拡張基板と組み合わせてスロットマシンみたいなプログラムを作った。

そもそもスロットマシンがどういうものか詳しく知らなかったから、想像で適当に作ったら、同級生から「違う、そういうものではない」と指摘を受けた。

当時の自分がどんな認識だったかというと、レバーを引けば各リールは勝手にランダムに止まるものだと。

同級生が言うには、レバーを引いてスタートしたらボタンを押してそれぞれのリールを目押しするんだと。

なんだか難しいなあ、というところでやる気は半減。

絵柄も何もないよ。大きい数字がくるくる回るだけ。

一般の方にも公開していた文化祭だったから、その一般の方に遊び方を説明しなさいと言われて、ぎこちない説明をした。そんなの全く苦手。

そこで模造紙にマジックでヘタクソな字の駄文を書いて貼り付けておいた。
FMR-50
2024.10.11
FMR-50 富士通

これも一般向けじゃないな。

官公庁とか学校向けで、いわゆる汎用機(メインフレーム)の端末として使われる事が多かったと思う。FACOM M730があった。

実習棟にも小さめながらPC室があり、そこに汎用機とFMR-50が20台ぐらい並んでいた。その部屋だけ冷房があったので、夏は楽しみだったのである。

我々が卒業した後、あの雲仙普賢岳の噴火の頃から火山灰で窓が開けられないので全部の教室にエアコンが付いたという。

F6680エミュレータというフロッピーを入れると、汎用機の端末として動作した。

(これの偽画面プログラムを作って遊んでいた。ユーザ名、パスワード入力からコンパイル開始まで正常に動くのだが、そのあと「システム異常」とピーピー鳴って止まるといういたずら)

主にFORTRAN実習に使っていて、そのコンパイルに時間がかかること・・・これだったら、MS-DOS上でFORTRANコンパイラを使うほうが早くないか、しかも安くできなかったか、と当時でも思っていた。

まあ、汎用機を使えるようになるのが目的だったのだろう。(いまでは化石)

当時ハードディスクは珍しく、一部のPCにしか内蔵されていなかった。

それから、全てのPCがLANで接続されており、まあ汎用機とつながっている時点でそうなのだが、校内に同軸ケーブルをはりまわして通信できるようにしていた。
先輩方が、実習棟の端から端まで同軸をひっぱっている姿を目撃したことがある。
だが、一度もそれを利用したことは(自分は)ない。(PC室以外からアクセスしたことがないという意味)

いまでは当たり前なLANだが、当時は珍しかった。
MULTI 16 IV
2024.10.11
マルチ16 三菱電機

これも知らない人が多いだろうな。

高校にパソコン室が出来て、そこへ導入されたのがMULTI16 IV

マニア連中は、なんでPC98にしないんだと言っていた。なんか政治的な大人の事情でもあったんでしょう。

一応、CP/M86とMS-DOSが使えて、BASICも動いた。A1M2(エースワンマークツー)というワープロだったと思うけど文書作成もできた。

授業開始でみんなが一斉に電源を入れると、ポポポッ、ポポポポポッ、という音があちこちから鳴るので面白かった。

最初「PLEASE SET SHEET」って表示が出る。フロッピーを入れろということ。

このパソコン室には仕掛けがあって、教員の席から各PC画面の監視や、逆にメッセージを送ったりできた。
「モットマジメニヤレ」というメッセージを送られたこともある。

学校の放課後に一般向けのパソコン教室があり、70代のおばあちゃんがBASICを勉強に来ていたのを覚えている。
その教室で使っていたのも同じMULTI 16

役に立ったぞMULTI 16
PC-8001
2024.10.11
PC-8001 NEC

これも所有はしたことがなく、学校にあったので使ったぐらい。

当時(1988年頃)でもPC-8001は古かった。

マシン語の実習があり、これでI/Oポートを操作してモーターを動かしたり、リレーを制御したりしていた。

その頃、マシン語の表をカードケース(下敷き)に挟んで持ち歩き、いつでもどこでもハンドアセンブルをしていた。
マシン語を覚えてしまい、ある程度はバイナリを直接ニーモニックとして読める。
特に良く使う命令は覚えてしまい、それでパッチを当ててしまう。
ソード M5
2024.10.11
ソードのM5

これも実物を見たことがない。

小学生の頃、「子供の科学」という雑誌で紹介されていたのがM5だったと記憶している。

当時それほどパソコン(マイコン)に興味はなかったが、このあとからだんだんと興味が出てきたと思う。

そして、こんな小さい物の中によく回路とかおさまるもんだなあと思っていたような気がする。でも実物を見たことがないのでどのくらいか知らない。たぶん小さいんだろうなぐらいの感覚。

田舎だからパソコン自体が珍しかったんだよなあ。

ほかに仲間もいない。
井の中の蛙で一人でやっていたから、それほどのびなかったと思う。

打ち込みはできても、自分でゲームのプログラムを作れるまでにはならなかった。
そもそもゲームにあまり興味がないというか、苦手だった。
素早い反応とか持久力が駄目。運転も全然駄目。

それよりも、時間のかかる計算をさせて結果が出るのを待つとか、きれいなグラフィックの模様を描いたりすることに興味を持っていた。

M5の話から脱線してしまったが・・・とにかく現物を見たことがないので語れる内容はちょっぴりしかない。

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