ポケコン
2025.08.21
中学校の同級生がPB-100を持っていて、時々借りて遊んでいた。

増設RAMパックが欲しくて電器店に取り寄せを頼んでいたようだが、なかなか物が入ってこないのであきらめたのは覚えている。当時は生産中止ではなかったと思うけど。

いつの間にかPB-80も買っていて、これはキーボードがフラットなもので折りたたみのカバーが付いていた。
音が出るので、何となく学校帰りにピポピポ鳴らし続けてみたりとか、いま思えば意味のわからない事をしていた。

ボクシングのゲームを作れとか無茶を言われた。結局どうしたっけ。
ボタンを連打してとは言ったが、じつはキー入力なんか見てなくて、乱数で適当に衝突させて表示を変化させていただけじゃなかったっけ。

ストレスチェックとか相性占いと称して、画面に*を表示しておき、ココニユビヲオイテクダサイ
そこがセンサーになってるとか適当に言って(笑)
適当に待ち時間を設けて、表示を.......と変化させて最後に何%と表示する。これも乱数。
相性はカップルの名前を入力させ、恥ずかしいだろうから入力するところは見ないからといいながらあとで変数を表示させて、ああ、誰々が好きなんだとか見たかもしれない。

これを何度も試すヤツがいて、「さっきと違うぞ」と突っ込んできた。

「ああ、それは相手の感情なんかコロコロ変わるからそういうものだよ」と返しておいた。(笑)
なぜ3.58MHz
2025.08.18
SC-3000もMSXも、CPUクロックは3.58MHzでした。(3.579545MHz)
VDPからCPU用のクロックをもらえるから、そのような構成だったのだろうと思います。
Z80Aは4MHz品でした。

気持ち的には目一杯のクロックで動かしたいものです。
そこでクロックをいじる人もいました。
別に、VDPと同期していなければならないという事も無いようです。

メーカーは、XTALをひとつケチりたかっただけなのか、わずかなコストダウンのために。
このあたりの事情はわかりません。

ただ、昔はXTALって今と比べて高くなかったですか。わずか、じゃなかったかも。

高校生の頃にワンボードマイコンを作った時には、確かパーツ屋から450円か、それくらいで買いました。4MHzのやつを。
3.58MHzは(テレビ用で)需要が多いせいか、その当時でも少し安かった記憶です。

いま秋月などで見ると50円ぐらい・・・いや、調べてみると30円です。
50円かと思っていたら記憶が古かった。
ROMの壊れ方
2025.08.03
EPROMはフローティングゲートに電子を注入してビットごとに書き込む。
フローティングゲートは絶縁されているから、注入された電子は容易には抜けないので、長期間にわたって記憶が保持される。・・・という理屈だった。

1を書き込むのではなく、最初(消去状態)では全部1になっていて、そこに0を書き込む。
だから原理的に0は上書きできる。NOP(Z80で00H)で埋める事もできる。
メモリセルのFETのゲートに電子を注入してON状態にする。ドレインはプルアップされていて、FETはONだから0が読めるというわけ。

昔読んだ本では、その保持期間は20年程度と書いてあったようだけど、実際には1983年のMZ-2000が現在も正常に起動する。他にたくさんサンプルを確認したわけではないが・・・そんなに消えたという例は見てない。

PC-486SE2は、何年も押し入れに放り込んでいて久しぶりに引っ張り出したが、エラー表示が出て起動しなかった。ROMを調べると、特定のビットが全番地とも1になっていて、データが消えたというよりは、そのデータバスの線か素子がどこかで壊れたのかなと想像。
幸いにデータが入手できたので、新しいROMに書き込んで無事に起動OK
(勿論、電解コンデンサの交換などの手入れは行った)

PV-7はオークションで「起動しない」という物を買ってみて、まず掃除から電解コンデンサの交換まで手入れをして、通電しても確かに起動しない。
まさかROMかと思って、以前持っていたPV-7のROMとベリファイしてみるとデータが一致しない。両方を読み込んで、ダンプを左右並べて相違点を赤く表示させてみた。
良品を差し込んでみると起動OK

マスターROMがないとベリファイしようがないけど、ラベルにチェックサムが書いてあるだけでも助かる。復旧は別として、まず良否を見たい時に役立つ。
チェックサムだって完璧じゃないだろうと言われりゃそうだろうけど、有ると本当に助かるから、書いておくと良い。

古い機器のROMはできるだけバックアップしておき、壊れた時に備える。
その時、ROMの型番だけでなく、ラベルの記載内容もしっかり控えておく。

【注意】読み出す時にデバイスID(シグネチャーコード)は使わない設定にしておく。
これに対応してないROMがあって、一時的に高い電圧をかけるため非対応ROMはピカッと光って昇天してしまう。
若い頃に二度も失敗したから、ここに書いておく。(ペッカーだったらオートデバイスセレクトは使わない事。JOB SET 0 は絶対操作するな)
ROMのメーカーと型番は手動で設定して、絶対に間違わないようにする。
読み出しのみなら書き込みアルゴリズムは関係ないから、たとえば2764ならどのメーカーでも良いはず。(たまに違うやつがあるけど、ここには書ききれないから略)
液晶ゲーム等
2025.07.16
中学生の頃に見た、あれは確か任天堂の麻雀ゲーム機、液晶画面で横長の筐体で・・・私は当時も今も麻雀の遊び方を知らないので、適当にボタンを押してみただけでわけがわからないままです。

うちで唯一の液晶ゲーム機だった、ゲームボックス・ペンタ (親戚からもらった)
兄弟で奪い合っていたら、それを見ていた親父がキレまして、取り上げて外に放り投げてしまいました。庭にゴミを置いていた場所に叩きつけられて・・・さすがに壊れたかと思ったけれど無事で、なんて事するんだと思いました。

うちの親の年代にとっては、
そういったゲーム機なんかは理解の範囲を超えていたし、子どもが夢中になって勉強しないし、百害あって一利なしの代物だったことでしょう。

ゲームなんか何の役にもたたないのにお金をとるなんて悪の所業だと。当然、お金を払う価値なし、と。

花火を買ってきて楽しんでいたら、お金を燃やしているのと同じだと言い放ち、せっかくの楽しみが台無し。

電動鉛筆削りにも理解を示さず、あんなものは鉛筆をどんどん食ってしまって無駄になる。鉛筆はナイフで削るものと昔から決まっているんだと。

電卓を使うと馬鹿になるから子どもは使ってはいけない。
ある時、祖母と話していたら、祖母が私に電卓をくれた(親父に預けた)らしいことが判明しました。自分は受け取っていないのでおかしいなと思ったのです。隠していたんですねえ。


あのガチャガチャのコスモスが売っていた液晶ゲーム機
名前は何というのか忘れました。
音だけ覚えていて、ピピピッ、ピッピー、なんかUFOみたいな奴が表示されていたような、なかったような。
確か駄菓子屋の景品で、くじを全部引いても当たらないのでおかしいと思ったら、バーサンが出し惜しみしていたようでした。

自分が初めて遊んだゲーム&ウオッチは、ミッキーマウスが卵を集めるやつ。なんという名前だっけ。

近所の寿司屋の子が、ドンキーコングを持っていたのでよく借りて遊んでいました。マルチスクリーンです。
パターンが同じだから慣れてしまうとあっという間に上まで行って、すぐジャンプしてピキピキピキ・・・

同じ要領だと思って(慣れているから簡単だと)、ゲームセンターのドンキーコングをやってみたら、全然違っていてすぐに終わってしまいました。
昔のTVゲーム
2025.07.15
昔というと我々の年代は昭和です。

自分はだいたいゲームは苦手で、反射神経というか、そういうのが全然ダメで・・・すぐ終わってしまっていました。だから面白くなくて、ゲームにあまり興味を持たなかったのかも。

たまに親に連れていかれてデパート等に行くじゃないですか。
そのデパート屋上のゲームコーナーや、ゲームセンターの機械に100円を入れて遊ぼうとしてもすぐ終わってしまって、お金がもったいないと思ったのです。親から100円もらって、投入してすぐやられて終わって、また親にお金をもらうのが申し訳ない気持ちで一杯でした。

当時の自分にとっては、100円というのは大金でした。それをただ飲み込むだけのゲーム機。あとに何も残らない、虚しいものでした。駄菓子だったら100円で色々買えるし、お腹に残るのに・・・。

ところで、
近所の子や同級生は、新しいおもちゃが出るとすぐに買ってもらえるやつがいてうらやましかったのです。

はっきり言って、いま振り返ってみるとその仲の良かった友達とのつきあいは、私がおもちゃやゲームを借りに行くのが主な目的だったと思います。

そいつが持っていたゲーム機、たとえば・・・
任天堂のレーシング112、という名前は当時は知らなかったけど、形をなんとなく覚えていて今頃になって探してみたら名前がわかった次第。

テレビゲーム15は、中学生の頃にジャンクとして手に入れたっけ。改造してマイコンをTVにつなぐのに使ってくださいという事になっていました。デジタルRGBからRF(VHF 1ch or 2ch)への変換です。自分は改造せず、そのままゲームとして遊んでいました。
ゲーム内容は単純なもので、棒と点が画面上を動くだけ。

TVゲームじゃないけどゲーム&ウォッチ、これもずいぶん流行りました。うちは絶対買ってもらえなくて、友達から借りてきて遊んでいました。
下手なのは変わりませんでしたけどね。

フリスキートム水道管。これは蛍光表示管のゲームで、画面が光るから布団に隠れて遊ぶのにはちょうど良かったです。

はっきり覚えていないが学研のポーカーゲーム。見た目は電卓みたいなやつでした。これも友達が持っていたけど、遊び方がさっぱりわからなかったし、何が面白いのかも謎のままでした。
それに、学研といったら堅苦しいお勉強の会社だと思い込んでいて、トランシーバーとかゲーム機とか売ってるのが不思議に思えました。

それとゲームロボット九だったか十五だったか、どうしてこの友達はおもちゃを次々に買ってもらえるんだろうと思っていました。

そいつは海に近いところに住んでいて、当時はゴミがよく海岸に捨てられていたのです。誰でも構わず勝手に捨てていた、いまから考えるととんでもない時代でした。

「ゆかいな歯医者さん」というおもちゃもそいつは持っていて、飽きたのでしょう、海岸に捨てられていました。電極がタッチすると変な音が鳴る仕組みで、触らないように上手に歯を裏側から押して抜くという遊び方。
ゲームロボットも、ぶっ壊れた状態(親が壊した?)で海岸に投げてありました。

トミーの、音声で命令すると動くロボットもそいつは持っていました。

その友達と、駄菓子屋の景品をどっちが先に取るかという競争をした事がありました。
なんと一等賞はムデンのトランシーバー。
甘納豆のクジを引いて、当たったら自分のものです。
私は軍資金を調達するために自宅へ一旦戻って、また駄菓子屋に戻ってきました。
すると駄菓子屋のバーサン「**君が一等賞とったよ」 ガチョーン。

その足で友達の家へ行ってみると、ああ、あのトランシーバーがあるじゃないですか。
ちくしょー、ほしかったのに。

仕方なく触らせてもらいました。ああ、オレのものになっていたはずなのに。

それから何十年もたって、メルカリでそのトランシーバーを見つけたけれど、今さら手に入れても遅いのです。あの頃にほしかった。あーあ。

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