プリンタの電源は後から入れなさい
2025.09.04
昔々、8bitパソコン(マイコン)全盛の頃・・・

パソコン本体に、ディスプレイ(テレビ)、プリンタ、あるいは外付FDDがあって、
「電源を入れる順番」があった。

そのように説明されたり、説明書に書いてあった。

自分は、どうして?と知りたいドーシテ小僧だったので聞いてみたが、大人たちは意外と知らないみたい。電気的なショックがどうたらこうたらと言っていたのは高校の先生。
手順だけ覚えれば理由とか仕組みとか覚えなくて良いらしい。

基本的には周辺機器の電源を先に入れる。

但し、プリンタは後から入れる。

ディスプレイはブラウン管だったから、先に電源を入れて温めとけば画面表示が出るまで待つ時間が短くて良いということだろうか。

外付FDDは先に入れておかないと、フロッピーからの立ち上げが・・・あとから入れても構わないが、余計な操作が必要になる。
MZ-2000の場合は、FDDの電源を先に入れておくと、次に本体の電源を入れたらすぐに読み込みが始まった。余計な操作は不要。もしFDDを切っていたらメニューが出て止まる。そこからFDDの何番を読み込むかという操作をしなければならない。

プリンタは後が良い、というのはどういう事かというと、パソコンの電源をON/OFFする時に一時的にプリンタポートへノイズが出て、それで誤印字してしまうことがあったという話。
これはたぶん最初の頃の話だろう。

要するにSTB信号線に負論理のパルスが入ると、プリンタはデータが送られてきたと認識して印刷する。

電源ON/OFFの瞬間の一時的なノイズ、I/Oポートの不定状態の影響だろう。

よく8255からバッファを通してプリンタにつないでいたけど、8255は電源ON直後は入力状態になっており、CPUが起動して8255を初期化するまでの間は不定だ。
ポートがプルアップ・ダウンされていないと、不定になる。その時の状態で一時的に変なパルスが出て印字する。

同様のことはROMライタにも有って、自作やメーカー品でも8255を使っているものがあり、やはり初期化される前の不定な状態で誤って書き込むことがあった。
だから電源ON/OFF時はレバーソケットからROMを抜いておけと先輩方から言われていた。

プリンタやROMならリアルな危険はないが、これが工作機械やロボットだったら危険を伴う。それでインターロック等も組み込んで、誤作動を防いでいる。
WS
2025.08.21
ワークステーション(WS)

PCの性能が今よりずっと低かった頃、WSは高性能のパソコンみたいな位置づけ
OSはUnix系 (SunOS、HP-UX等)
WSのメーカーはSunとかHPなど

今となっては、レトロマイコンと言っても良さそうな気がする。当時のCPUはSPARCとかMC68020だった。

その後、PCの性能はグングン向上し、取って代わられてしまったわけです。

平成初期の頃、ZUKENの基板設計CADはSunのWS上で動いていて、他にHPのWSも有った。
聞くと、そのCADソフトは田舎では家が建つぐらいの値段だという。よくそんな高いものを買うなあ~。(ソフト代というよりサポート代かもしれない)

そんなに高いくせにパターンは自動で引いてくれない。オートルータは、さらに課金しないといけないんだと。
その後、外注でオートルータを使う機会があったけど、おそろしく時間がかかったし、製品では使えないようなパターンで(やたらに遠回りしたりとか)、お金を払う価値は無いと当時思った。
超複雑な回路を急ぎ試作したい時で、オートで線が通らないというので仕方なく8層にして、試作後に修正反映と、手動で引き直して6層に直したと思う。

そんな高価なCADソフト、
基板設計を外注に出して、それを何十回繰り返すことを考えたら元がとれるという計算かもしれない。社内でやるにしても人件費がかかるのは当然。

次の会社にいた時、ZUKENがCADを売り込みに来たけど400万だって。回路図CADだけで。セールスの方に、うちは10万のCADがあってこれで十分だよとデモまで見せてあげました。否定しているわけではありませんよ。うちはそんな高級な機能があっても使わないから400万も出せないという話。

さて、あまりにも社内が忙しすぎるから基板設計を外注に出そうとした。

外注から見積をもらっても、他社にも聞け、相見積だ、値段交渉しろ、って上司から言われる。(決着するまで設計は進まない。そのまま社内でやっていたら、その時点で部品配置まで終わっていただろう)

値段交渉は、他社はいくらぐらいでしたといえば簡単に下がる。たとえば、50万だ45万だって言っていたのが30万に下がるんだから不思議なもの。

しかし・・・値切るのは良いが、外注は思ったような設計品質で出来上がってこないものだと知った。(みんながそうだとは言えないが、その時の外注はひどかった)

ずいぶん時間がかかって出来上がってきた設計を見て、「なんだこりゃ」

まず、こちらが指示したことをやってない。たとえばフォトカプラの一次側と二次側のアイソレーションとか部品配置について、しっかり指示が書いてあるのに守ってない。

結局、社内の基板設計課が(ぶつぶつ言いながら)やり直しをしていた。

ところで平成初期の頃、LANは一般的ではなく、少なくとも当時の会社ではWS同士と一部のPCしかつながっていなかった。

そもそも一人1台のPCは無かった時代で、あとで係長以上にはノートPCが支給されたけど、我々下っ端は限られたPCをみんなで共用していた。
まだ、かなりの書類を手書きで作成していたぐらいで、使いたい時にPCが使えないから仕方がない。

なんと、あの伝説のイエローケーブルが社内に引き回されていた。この接続は難しいんだぞ、お前にできないだろうと当時の上司がマウントを・・・

LAN関連機器の設計から関わっていたが、こんなもの高価だし一部でしか使われないから一般人には関係ないよなと思っていた。その頃に作ったISDNルータ・ブリッジは120万もしたのである。

まさかその数年後、自分も家庭内LANを引き回してLinuxを動かすなんて想像もできなかった。

サーバーを設置して、ケーブルを引き回し、隣の部屋からログインしてコンパイルしたりとか、なんとも不思議な体験だった。これがWSじゃなくてPCでできるなんて。
ポケコン
2025.08.21
中学校の同級生がPB-100を持っていて、時々借りて遊んでいた。

増設RAMパックが欲しくて電器店に取り寄せを頼んでいたようだが、なかなか物が入ってこないのであきらめたのは覚えている。当時は生産中止ではなかったと思うけど。

いつの間にかPB-80も買っていて、これはキーボードがフラットなもので折りたたみのカバーが付いていた。
音が出るので、何となく学校帰りにピポピポ鳴らし続けてみたりとか、いま思えば意味のわからない事をしていた。

ボクシングのゲームを作れとか無茶を言われた。結局どうしたっけ。
ボタンを連打してとは言ったが、じつはキー入力なんか見てなくて、乱数で適当に衝突させて表示を変化させていただけじゃなかったっけ。

ストレスチェックとか相性占いと称して、画面に*を表示しておき、ココニユビヲオイテクダサイ
そこがセンサーになってるとか適当に言って(笑)
適当に待ち時間を設けて、表示を.......と変化させて最後に何%と表示する。これも乱数。
相性はカップルの名前を入力させ、恥ずかしいだろうから入力するところは見ないからといいながらあとで変数を表示させて、ああ、誰々が好きなんだとか見たかもしれない。

これを何度も試すヤツがいて、「さっきと違うぞ」と突っ込んできた。

「ああ、それは相手の感情なんかコロコロ変わるからそういうものだよ」と返しておいた。(笑)
なぜ3.58MHz
2025.08.18
SC-3000もMSXも、CPUクロックは3.58MHzでした。(3.579545MHz)
VDPからCPU用のクロックをもらえるから、そのような構成だったのだろうと思います。
Z80Aは4MHz品でした。

気持ち的には目一杯のクロックで動かしたいものです。
そこでクロックをいじる人もいました。
別に、VDPと同期していなければならないという事も無いようです。

メーカーは、XTALをひとつケチりたかっただけなのか、わずかなコストダウンのために。
このあたりの事情はわかりません。

ただ、昔はXTALって今と比べて高くなかったですか。わずか、じゃなかったかも。

高校生の頃にワンボードマイコンを作った時には、確かパーツ屋から450円か、それくらいで買いました。4MHzのやつを。
3.58MHzは(テレビ用で)需要が多いせいか、その当時でも少し安かった記憶です。

いま秋月などで見ると50円ぐらい・・・いや、調べてみると30円です。
50円かと思っていたら記憶が古かった。
ROMの壊れ方
2025.08.03
EPROMはフローティングゲートに電子を注入してビットごとに書き込む。
フローティングゲートは絶縁されているから、注入された電子は容易には抜けないので、長期間にわたって記憶が保持される。・・・という理屈だった。

1を書き込むのではなく、最初(消去状態)では全部1になっていて、そこに0を書き込む。
だから原理的に0は上書きできる。NOP(Z80で00H)で埋める事もできる。
メモリセルのFETのゲートに電子を注入してON状態にする。ドレインはプルアップされていて、FETはONだから0が読めるというわけ。

昔読んだ本では、その保持期間は20年程度と書いてあったようだけど、実際には1983年のMZ-2000が現在も正常に起動する。他にたくさんサンプルを確認したわけではないが・・・そんなに消えたという例は見てない。

PC-486SE2は、何年も押し入れに放り込んでいて久しぶりに引っ張り出したが、エラー表示が出て起動しなかった。ROMを調べると、特定のビットが全番地とも1になっていて、データが消えたというよりは、そのデータバスの線か素子がどこかで壊れたのかなと想像。
幸いにデータが入手できたので、新しいROMに書き込んで無事に起動OK
(勿論、電解コンデンサの交換などの手入れは行った)

PV-7はオークションで「起動しない」という物を買ってみて、まず掃除から電解コンデンサの交換まで手入れをして、通電しても確かに起動しない。
まさかROMかと思って、以前持っていたPV-7のROMとベリファイしてみるとデータが一致しない。両方を読み込んで、ダンプを左右並べて相違点を赤く表示させてみた。
良品を差し込んでみると起動OK

マスターROMがないとベリファイしようがないけど、ラベルにチェックサムが書いてあるだけでも助かる。復旧は別として、まず良否を見たい時に役立つ。
チェックサムだって完璧じゃないだろうと言われりゃそうだろうけど、有ると本当に助かるから、書いておくと良い。

古い機器のROMはできるだけバックアップしておき、壊れた時に備える。
その時、ROMの型番だけでなく、ラベルの記載内容もしっかり控えておく。

【注意】読み出す時にデバイスID(シグネチャーコード)は使わない設定にしておく。
これに対応してないROMがあって、一時的に高い電圧をかけるため非対応ROMはピカッと光って昇天してしまう。
若い頃に二度も失敗したから、ここに書いておく。(ペッカーだったらオートデバイスセレクトは使わない事。JOB SET 0 は絶対操作するな)
ROMのメーカーと型番は手動で設定して、絶対に間違わないようにする。
読み出しのみなら書き込みアルゴリズムは関係ないから、たとえば2764ならどのメーカーでも良いはず。(たまに違うやつがあるけど、ここには書ききれないから略)

- CafeLog -