Propellerと6502
2025.09.05
Propeller(P8X32A)と6502(W65C02)はお互いに関連はないが、
どちらも秋月で売られていて、特に6502は在庫が約600個もある。
そんなに需要があるだろうか。誰か買うんだろうかと(他人事ながら)心配になる。

Propellerは出始めの頃、話題になってちょっと盛り上がったがそれっきり。
使い方が難しいのかなあ。最初はspinという謎のアセンブラだけだったのも不利か。
その後、フリーのC言語環境でプログラミングできるようになった。

今の時代、6502のほうがPropellerよりもマニアックな感じがする。
確かに歴史が有り、往年の名機AppleIIやコモドール等のパソコン(マイコン)にたくさん使われたけれど、自作マイコンでは8080やZ80の方が多かったと思う。昔の記事を見ても6502は少数派の印象がある。
面白いマイコンではあるけれど、ワンチップではないので周辺チップ(ROM,RAM,I/O)をバス接続してやらなければならない。

Z80はZILOGで生産中止になったのに、6502はWestern Design Centerから現行で発売されているという・・・
たぶん経営者の趣味でやっているのかも?と勝手に思っている。
昔の機械の保守用で需要があるのかもしれないけど、どこにそんな需要があるだろうか。そんなにCPUなんか壊れないと思うが・・・一般のマイコン基板などの修理経験的には周辺のロジックICとくにバッファとか、そっちのほうが壊れやすい感じ。

FM-7用のZ80カードで、Z80が壊れていたという経験はあった。30年以上前、まだ未熟だった頃。
クロックは来ているし、リセットはHレベルで、他の関係する入力ピンを見ても動く条件は揃っているのに、アドレスピンが全然動いてないからZ80が壊れていると判断したと思う。それで取り替えてみたら正常に動き出したというわけで、どうして壊れたのだろう。
ワークステーション
2025.09.05
パソコンとワークステーションって、どう違うのか。
一般のパソコンよりも高性能のパソコンをワークステーションと呼んでいたみたい。
しかしワークステーションという言葉も使わなくなって久しいと思う。(以下WSと略)

メーカーはSunとかHPで、
昔の機種のCPU(MPU)はMC68020とか68030、そしてSPARC等
OSはUnix系で、SunOSとかHP-UX

いつの間にかSun Microsystemsは無くなってしまった。(Oracleに吸収)

平成初期の頃は、回路図・基板CADをWS上で使っていた。信頼性やメモリ容量、処理能力からWSのほうが優位だったのだろう。もちろんパソコン用もあった。OrCAD等。

平成初期の頃に開発部門で使っていた、あのSunのWSは何だっけ。SPARCstation IPCだったと思う。小型だったので現場に持っていったこともある。

自分も1台だけSunのWSを所有していた事がある。知人がくれるというのでもらったが、どうしてもモニタ表示できず、わからないまま捨ててしまった。確かSPARC station5
中身を見ると、外観とM/B以外は組立PCとあまり変わらない感じだった。部品を共用化してコストダウンをはかったのかもしれない。電源やHDD、FDDやCDも同じ。
これを見て、PCとの差は?と考えたものでした。(あまり変わらない感じ)

そういえばシリコングラフィックス社のワークステーション製品もありました。当時のNHK番組「新・電子立国」で紹介されたが、今ではあの技術はすでに一般化していて珍しくもなんともないのでしょうね。すでに会社も存在しません。
ベーシックマスターレベル3
2025.09.05
以前にも書いたベーシックマスター

こんな機種(参考記事)
ttps://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/column/retrohard/1602811.html

当時の職場の先輩から、これいらないか?家まで持っていってあげるから・・・というので単純に頂いた物。本体とモニターのセット。

結局捨てたのだが、
時々思い出しては、とっておけばよかったなぁと後悔する。(置き場所がなかったけどな)

モニターはMZ-2000に使えたのに、と後から気づいて、頭の回らなすぎる自分に凹む。

そのMZ-2000だって、モニタ接続端子が無い。
いや、もともと有るんだが、別の用事でDINコネクタが欲しい時に取り外して使い、あとで戻せば良いだろと思いながらそのまま。その部分に穴があいたまま。

ベーシックマスターの内部の電源ユニットは何かに使えるかもしれないと思って、保存しておいたような気もするが、どこへ行ったのやら不明。

ところで上記の記事を見ていると、当時の「電卓ペン」や「電卓ライター」に興味をひかれた。ワクワクするじゃないですか。

そんな、電卓なんてどこでもあるでしょー、スマホのアプリで・・・ なんていう夢のない時代になったが、当時だったら絶対ほしかったな。夢があったんだよ。あの頃は。

ついでに、ほかの記事を見ると「5インチ光学ドライブは今後入手困難に?」

ははぁ、5インチのMOドライブだろ。NeXTに付いてなかったっけ。まだあんなの有ったんだ。3.5インチMOも既に無いし、どこで使っていたんだろう? ・・・と思ったら、頭の古い自分、違う!!

CDとかDVDも古いけれど、BDも終わりなのか。BDなんか一度も使ったことがないまま終わりか。

仕事で設計完了時の書類一式をCD-Rで納品してきたけど、今後は「読み込める環境がないので」と断られる可能性もあるのか!

データ納品用にUSBメモリを買うか・・・じゃなくて、世の中はクラウドとか、そんな時代なんだよと。
プリンタの電源は後から入れなさい
2025.09.04
昔々、8bitパソコン(マイコン)全盛の頃・・・

パソコン本体に、ディスプレイ(テレビ)、プリンタ、あるいは外付FDDがあって、
「電源を入れる順番」があった。

そのように説明されたり、説明書に書いてあった。

自分は、どうして?と知りたいドーシテ小僧だったので聞いてみたが、大人たちは意外と知らないみたい。電気的なショックがどうたらこうたらと言っていたのは高校の先生。
手順だけ覚えれば理由とか仕組みとか覚えなくて良いらしい。

基本的には周辺機器の電源を先に入れる。

但し、プリンタは後から入れる。

ディスプレイはブラウン管だったから、先に電源を入れて温めとけば画面表示が出るまで待つ時間が短くて良いということだろうか。

外付FDDは先に入れておかないと、フロッピーからの立ち上げが・・・あとから入れても構わないが、余計な操作が必要になる。
MZ-2000の場合は、FDDの電源を先に入れておくと、次に本体の電源を入れたらすぐに読み込みが始まった。余計な操作は不要。もしFDDを切っていたらメニューが出て止まる。そこからFDDの何番を読み込むかという操作をしなければならない。

プリンタは後が良い、というのはどういう事かというと、パソコンの電源をON/OFFする時に一時的にプリンタポートへノイズが出て、それで誤印字してしまうことがあったという話。
これはたぶん最初の頃の話だろう。

要するにSTB信号線に負論理のパルスが入ると、プリンタはデータが送られてきたと認識して印刷する。

電源ON/OFFの瞬間の一時的なノイズ、I/Oポートの不定状態の影響だろう。

よく8255からバッファを通してプリンタにつないでいたけど、8255は電源ON直後は入力状態になっており、CPUが起動して8255を初期化するまでの間は不定だ。
ポートがプルアップ・ダウンされていないと、不定になる。その時の状態で一時的に変なパルスが出て印字する。

同様のことはROMライタにも有って、自作やメーカー品でも8255を使っているものがあり、やはり初期化される前の不定な状態で誤って書き込むことがあった。
だから電源ON/OFF時はレバーソケットからROMを抜いておけと先輩方から言われていた。

プリンタやROMならリアルな危険はないが、これが工作機械やロボットだったら危険を伴う。それでインターロック等も組み込んで、誤作動を防いでいる。
WS
2025.08.21
ワークステーション(WS)

PCの性能が今よりずっと低かった頃、WSは高性能のパソコンみたいな位置づけ
OSはUnix系 (SunOS、HP-UX等)
WSのメーカーはSunとかHPなど

今となっては、レトロマイコンと言っても良さそうな気がする。当時のCPUはSPARCとかMC68020だった。

その後、PCの性能はグングン向上し、取って代わられてしまったわけです。

平成初期の頃、ZUKENの基板設計CADはSunのWS上で動いていて、他にHPのWSも有った。
聞くと、そのCADソフトは田舎では家が建つぐらいの値段だという。よくそんな高いものを買うなあ~。(ソフト代というよりサポート代かもしれない)

そんなに高いくせにパターンは自動で引いてくれない。オートルータは、さらに課金しないといけないんだと。
その後、外注でオートルータを使う機会があったけど、おそろしく時間がかかったし、製品では使えないようなパターンで(やたらに遠回りしたりとか)、お金を払う価値は無いと当時思った。
超複雑な回路を急ぎ試作したい時で、オートで線が通らないというので仕方なく8層にして、試作後に修正反映と、手動で引き直して6層に直したと思う。

そんな高価なCADソフト、
基板設計を外注に出して、それを何十回繰り返すことを考えたら元がとれるという計算かもしれない。社内でやるにしても人件費がかかるのは当然。

次の会社にいた時、ZUKENがCADを売り込みに来たけど400万だって。回路図CADだけで。セールスの方に、うちは10万のCADがあってこれで十分だよとデモまで見せてあげました。否定しているわけではありませんよ。うちはそんな高級な機能があっても使わないから400万も出せないという話。

さて、あまりにも社内が忙しすぎるから基板設計を外注に出そうとした。

外注から見積をもらっても、他社にも聞け、相見積だ、値段交渉しろ、って上司から言われる。(決着するまで設計は進まない。そのまま社内でやっていたら、その時点で部品配置まで終わっていただろう)

値段交渉は、他社はいくらぐらいでしたといえば簡単に下がる。たとえば、50万だ45万だって言っていたのが30万に下がるんだから不思議なもの。

しかし・・・値切るのは良いが、外注は思ったような設計品質で出来上がってこないものだと知った。(みんながそうだとは言えないが、その時の外注はひどかった)

ずいぶん時間がかかって出来上がってきた設計を見て、「なんだこりゃ」

まず、こちらが指示したことをやってない。たとえばフォトカプラの一次側と二次側のアイソレーションとか部品配置について、しっかり指示が書いてあるのに守ってない。

結局、社内の基板設計課が(ぶつぶつ言いながら)やり直しをしていた。

ところで平成初期の頃、LANは一般的ではなく、少なくとも当時の会社ではWS同士と一部のPCしかつながっていなかった。

そもそも一人1台のPCは無かった時代で、あとで係長以上にはノートPCが支給されたけど、我々下っ端は限られたPCをみんなで共用していた。
まだ、かなりの書類を手書きで作成していたぐらいで、使いたい時にPCが使えないから仕方がない。

なんと、あの伝説のイエローケーブルが社内に引き回されていた。この接続は難しいんだぞ、お前にできないだろうと当時の上司がマウントを・・・

LAN関連機器の設計から関わっていたが、こんなもの高価だし一部でしか使われないから一般人には関係ないよなと思っていた。その頃に作ったISDNルータ・ブリッジは120万もしたのである。

まさかその数年後、自分も家庭内LANを引き回してLinuxを動かすなんて想像もできなかった。

サーバーを設置して、ケーブルを引き回し、隣の部屋からログインしてコンパイルしたりとか、なんとも不思議な体験だった。これがWSじゃなくてPCでできるなんて。

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