久しぶりにPC98(互換機も含む)をいじる
2024.11.18
PC-486SE2のHDDをCF化して、過去のデータを全部移し替えたので安心だ。バックアップも有る。

そこで、あれこれとフォルダの中をのぞいてみる。昔(1996年前後)作ったプログラムなんかが入っている。ゲームも色々。TAKALITHとか。

パソコン通信の環境がそのまま残っている。当時はKTXを使っていた。最初はWTERM、次にKTX。
草の根ネットの電話帳があったけど、それぞれ電話番号を調べてみても現在は異なる名義の会社などが使っているみたい。
唯一、BBSパセリだけ番号が今も生きている?

モデムと電話回線があれば接続できるけど・・・電話回線は今ないけどモデムは有る。つなごうと思えば何とか・・・光回線の契約で電話を追加すれば。毎月500円

自分のネットは元々このPC-486SE2で運用していたが、途中からDOS/Vマシンへ移行した。それでKTBBS本体と関連ファイルはHDD上から消してある。

またKTBBSをインストールして設定すれば、別のPCからログインして遊べるだろうな。クロスケーブルでつないで。

まじで電話回線を契約して、モデムを設置してみようか・・・誰がつないでくるか(笑)

電話料金がかかるだけでばかばかしい、って思われるだろうか。でも昔はそれだけの価値は有った。商用ネットは電話代に加えて、時間単位の課金もあった。

モデムは手に入らなくもない。当時の古いモデムは腐ってる可能性がある。いまでも新品のモデムは売られている。USBでPCに接続するもので、ずっと小さく作られている。

古いノートPCにはモデムを内蔵している機種もあった。2008年頃ぐらいまでかな?知っている範囲では。

通信カラオケでもアナログ回線のモデムを使っているところは有った。最近どうなのか知らないけど。むかし頼まれてモデムを十数台まとめて修理した事があった。

あと、気象観測か何かで現在もモデムを使っている現場が有り、故障か何か不具合があって相談を受けた事があった。当時の知識のおかげで無事解決できた。

自分の草の根ネットで、モデムを研究する部屋(掲示板)を持っていて、ATコマンドや技術的なことを議論したり資料を発表したり、設定の相談に応じたりしていた。

いまは疑似交換機(通信の実験をする為の装置)を持っているので、自分の手元で通信を実際にやってみることもできる。モデムの発信、着信も料金をかけずに試せる。

当時でも電話代の節約は課題で、オートパイロットといって自動的にダイヤルをかけて未読情報を読んで保存し、回線を切るのを使っていた人も多かった。
オフラインでレス(返信)をして、次に接続した時に自動的に書き込まれる。
通信ソフト(KTX)のマクロで組まれていたような記憶がある。

そのマクロを応用して、3つの草の根ネットをリンクさせてお互いに情報を転送する仕組みを構築していた。うちが他の2つのネットに接続して情報のやりとりしていた。電話代は全てこっち負担よ。ナンテ太っ腹だったんだ。

確か埼玉と鹿児島のネットじゃなかったか。忘れてしまいました。
惑わせる色分け
2024.11.16
NECのPC-9821
HDDの電源配線は要注意


写真では色が微妙だけど、赤と橙 (右側のコネクタ)

赤が5Vと思うじゃないですか、普通は。それは間違いで、赤:12V
橙:5V

だけど、延長ケーブル(左側のコネクタ)とは色が違うだけで5Vと12Vは正しい結線になる。

本当に大丈夫だろうな?と、実機で線を引っ張り出してテスターで当たって確認したので間違いない。

5Vと12Vを逆にしたら大変だ。
PC-9801用RS-232Cボード
2024.11.15
そういえば自作しようとしていた。当時(1992年頃)
PC-9801用RS-232Cボード

パソコン通信のホストを運営していて、PC-9801本体のRS-232Cだけじゃ1個しかないから不便。回線増やせだの色々と圧力がかかっており、そして自分が利用する時にもコンソールじゃなくてRS-232Cからつなぎたかった。

NEC純正のPC-9801-XX(忘れた) 相当品の回路を自分で想像しながら設計して、まだその頃は未熟者だったが・・・
サンハヤトのPC-9801用ユニバーサル基板にピンヘッダを立ててワイヤーラッピング
しかし配線がごちゃごちゃしすぎておさまらなくなり、失敗作となった。
もう現物は残ってないけど、作ったのは確かで・・・回路図は昔のファイルに残っていると思う。

その後、MC16550IIを購入したのは正解だった。
RS-232C切替器
2024.10.18
RS-232C切替器
プリンタ切替器と同様、忘れられた存在

例えば1台のモデムを複数台のPCで切り替えて使ったり、草の根ネットをやっていた時にはホストとの直結クロスケーブルとの切り替えも。

'90年代前半、まだ家庭内LANは無かった。まだ普及し始めたばかりの頃。通信の主力はRS-232C・・・

PC-9801全盛の頃は、Dサブ25Pが標準だった。

切替器が無いと、その都度、コネクタを抜いたり差し替えたりと面倒くさかった。

切替器との接続にもそれぞれケーブルを買い揃える(または自作する)必要があった。その際、やはりオス・メスの区別には気をつけなければならなかった。

RS-232Cだけでもストレート、クロスがある。(イーサネット10BASE-Tも初期の頃はストレートとクロスがあったのだ。今ではMDI-Xだっけ、意識せず自動的に認識してくれる。)

さらに、接続相手との関係でオスなのかメスなのか。頭が混乱しそうになる。つながり関係を紙に書き出して整理して、確認していた。

切り替えスイッチは、ボタンを押す方式の物もあったが、自分が使っていたのはロータリー式のスイッチ。

中身はどうなってるんだろう、と開けてみたら、なんとまあ、リード線を1本ずつ接続してあった。リード線の束。
自動化できる作業ではなく、当時は台湾だったと思うが、よく作るなあと感心したのであった。

さて現代はUSB切替器がある。あまり使われてないかもしれないけど。USBハブが有れば、とりあえずそれに何でもつないでしまえば切り替える必要もなく・・・

気をつけなければいけないのはHDDなどの記憶装置で、取り外しの操作をしないでいきなり切り替えると、データが壊れてしまう事がある。単純に切り替えと考えたら駄目。
プリンタバッファ
2024.10.18
プリンタバッファ
これもとっくの昔に*語となった。

MS-DOS時代は基本的にシングルタスクだったから、印刷が終わるまではPCとプリンタがお互いのやりとりに集中してしまい、PCの操作ができなかった。

バックグラウンドで印刷する方法は無いこともなかった。だけど使った記憶はない。試した事ぐらいはある。

しかもプリンタは今のように印刷が速くなかった。多かったのはドットプリンタか。今でも伝票用(カーボン複写)では使われていて、ジャージャーと音を立てて印刷しているのがそれ。

印刷が終わるまでは、喫煙者だったら一服するとか、お茶を飲んで待つか、トイレに行くか他の用事をするか、というふうに対応していた。

プロッターなんか、今の若い人にはかえって新鮮で面白い物に見えているようだが、自分の経験では遅くてイライラするだけだった。
基板パターンを2倍寸でトレーシングペーパーに出力して、図面チェックをしていたのだけど、ペンが動いて描くからその遅いこと。
同じようなプロッタでも、あとで出てきた機種は、ある一定幅をインクジェットでまとめて印刷する仕組みで、基板設計会社にいた時には使っていた。これで出力が大幅に速くなった。

さて、バッファローという会社があるけど、もともとはプリンタバッファの製造販売をしていた。バッファが由来らしい。昔のトラ技に広告があった。

実際にその製品も持っていた事があるけど、内部にDRAMがぎっしり並んでいた。もっとも、その頃にはWindowsを使うようになり、プリンタバッファの出番無しになった。

プリンタバッファの働きは、PCからプリンタへの印刷データを、記憶容量の限り引き受けてくれる。そしてPCに代わって印刷を進めてくれる。
その容量におさまるぐらいの印刷データであれば、PC側の出力は短時間で終わる。こうして、PC上での次の操作ができるようになる。
一方、プリンタバッファは記憶した出力データをプリンタとのやりとりをしながら送り出し、印刷を続行してくれる。
もちろん、キャンセルしたくなった時のためにクリアのボタンが付いていた。

今では意味不明な機械、プリンタバッファでした。

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