昔のTVゲーム
2025.07.15
昔というと我々の年代は昭和です。
自分はだいたいゲームは苦手で、反射神経というか、そういうのが全然ダメで・・・すぐ終わってしまっていました。だから面白くなくて、ゲームにあまり興味を持たなかったのかも。
たまに親に連れていかれてデパート等に行くじゃないですか。
そのデパート屋上のゲームコーナーや、ゲームセンターの機械に100円を入れて遊ぼうとしてもすぐ終わってしまって、お金がもったいないと思ったのです。親から100円もらって、投入してすぐやられて終わって、また親にお金をもらうのが申し訳ない気持ちで一杯でした。
当時の自分にとっては、100円というのは大金でした。それをただ飲み込むだけのゲーム機。あとに何も残らない、虚しいものでした。駄菓子だったら100円で色々買えるし、お腹に残るのに・・・。
ところで、
近所の子や同級生は、新しいおもちゃが出るとすぐに買ってもらえるやつがいてうらやましかったのです。
はっきり言って、いま振り返ってみるとその仲の良かった友達とのつきあいは、私がおもちゃやゲームを借りに行くのが主な目的だったと思います。
そいつが持っていたゲーム機、たとえば・・・
任天堂のレーシング112、という名前は当時は知らなかったけど、形をなんとなく覚えていて今頃になって探してみたら名前がわかった次第。
テレビゲーム15は、中学生の頃にジャンクとして手に入れたっけ。改造してマイコンをTVにつなぐのに使ってくださいという事になっていました。デジタルRGBからRF(VHF 1ch or 2ch)への変換です。自分は改造せず、そのままゲームとして遊んでいました。
ゲーム内容は単純なもので、棒と点が画面上を動くだけ。
TVゲームじゃないけどゲーム&ウォッチ、これもずいぶん流行りました。うちは絶対買ってもらえなくて、友達から借りてきて遊んでいました。
下手なのは変わりませんでしたけどね。
フリスキートム水道管。これは蛍光表示管のゲームで、画面が光るから布団に隠れて遊ぶのにはちょうど良かったです。
はっきり覚えていないが学研のポーカーゲーム。見た目は電卓みたいなやつでした。これも友達が持っていたけど、遊び方がさっぱりわからなかったし、何が面白いのかも謎のままでした。
それに、学研といったら堅苦しいお勉強の会社だと思い込んでいて、トランシーバーとかゲーム機とか売ってるのが不思議に思えました。
それとゲームロボット九だったか十五だったか、どうしてこの友達はおもちゃを次々に買ってもらえるんだろうと思っていました。
そいつは海に近いところに住んでいて、当時はゴミがよく海岸に捨てられていたのです。誰でも構わず勝手に捨てていた、いまから考えるととんでもない時代でした。
「ゆかいな歯医者さん」というおもちゃもそいつは持っていて、飽きたのでしょう、海岸に捨てられていました。電極がタッチすると変な音が鳴る仕組みで、触らないように上手に歯を裏側から押して抜くという遊び方。
ゲームロボットも、ぶっ壊れた状態(親が壊した?)で海岸に投げてありました。
トミーの、音声で命令すると動くロボットもそいつは持っていました。
その友達と、駄菓子屋の景品をどっちが先に取るかという競争をした事がありました。
なんと一等賞はムデンのトランシーバー。
甘納豆のクジを引いて、当たったら自分のものです。
私は軍資金を調達するために自宅へ一旦戻って、また駄菓子屋に戻ってきました。
すると駄菓子屋のバーサン「**君が一等賞とったよ」 ガチョーン。
その足で友達の家へ行ってみると、ああ、あのトランシーバーがあるじゃないですか。
ちくしょー、ほしかったのに。
仕方なく触らせてもらいました。ああ、オレのものになっていたはずなのに。
それから何十年もたって、メルカリでそのトランシーバーを見つけたけれど、今さら手に入れても遅いのです。あの頃にほしかった。あーあ。
自分はだいたいゲームは苦手で、反射神経というか、そういうのが全然ダメで・・・すぐ終わってしまっていました。だから面白くなくて、ゲームにあまり興味を持たなかったのかも。
たまに親に連れていかれてデパート等に行くじゃないですか。
そのデパート屋上のゲームコーナーや、ゲームセンターの機械に100円を入れて遊ぼうとしてもすぐ終わってしまって、お金がもったいないと思ったのです。親から100円もらって、投入してすぐやられて終わって、また親にお金をもらうのが申し訳ない気持ちで一杯でした。
当時の自分にとっては、100円というのは大金でした。それをただ飲み込むだけのゲーム機。あとに何も残らない、虚しいものでした。駄菓子だったら100円で色々買えるし、お腹に残るのに・・・。
ところで、
近所の子や同級生は、新しいおもちゃが出るとすぐに買ってもらえるやつがいてうらやましかったのです。
はっきり言って、いま振り返ってみるとその仲の良かった友達とのつきあいは、私がおもちゃやゲームを借りに行くのが主な目的だったと思います。
そいつが持っていたゲーム機、たとえば・・・
任天堂のレーシング112、という名前は当時は知らなかったけど、形をなんとなく覚えていて今頃になって探してみたら名前がわかった次第。
テレビゲーム15は、中学生の頃にジャンクとして手に入れたっけ。改造してマイコンをTVにつなぐのに使ってくださいという事になっていました。デジタルRGBからRF(VHF 1ch or 2ch)への変換です。自分は改造せず、そのままゲームとして遊んでいました。
ゲーム内容は単純なもので、棒と点が画面上を動くだけ。
TVゲームじゃないけどゲーム&ウォッチ、これもずいぶん流行りました。うちは絶対買ってもらえなくて、友達から借りてきて遊んでいました。
下手なのは変わりませんでしたけどね。
フリスキートム水道管。これは蛍光表示管のゲームで、画面が光るから布団に隠れて遊ぶのにはちょうど良かったです。
はっきり覚えていないが学研のポーカーゲーム。見た目は電卓みたいなやつでした。これも友達が持っていたけど、遊び方がさっぱりわからなかったし、何が面白いのかも謎のままでした。
それに、学研といったら堅苦しいお勉強の会社だと思い込んでいて、トランシーバーとかゲーム機とか売ってるのが不思議に思えました。
それとゲームロボット九だったか十五だったか、どうしてこの友達はおもちゃを次々に買ってもらえるんだろうと思っていました。
そいつは海に近いところに住んでいて、当時はゴミがよく海岸に捨てられていたのです。誰でも構わず勝手に捨てていた、いまから考えるととんでもない時代でした。
「ゆかいな歯医者さん」というおもちゃもそいつは持っていて、飽きたのでしょう、海岸に捨てられていました。電極がタッチすると変な音が鳴る仕組みで、触らないように上手に歯を裏側から押して抜くという遊び方。
ゲームロボットも、ぶっ壊れた状態(親が壊した?)で海岸に投げてありました。
トミーの、音声で命令すると動くロボットもそいつは持っていました。
その友達と、駄菓子屋の景品をどっちが先に取るかという競争をした事がありました。
なんと一等賞はムデンのトランシーバー。
甘納豆のクジを引いて、当たったら自分のものです。
私は軍資金を調達するために自宅へ一旦戻って、また駄菓子屋に戻ってきました。
すると駄菓子屋のバーサン「**君が一等賞とったよ」 ガチョーン。
その足で友達の家へ行ってみると、ああ、あのトランシーバーがあるじゃないですか。
ちくしょー、ほしかったのに。
仕方なく触らせてもらいました。ああ、オレのものになっていたはずなのに。
それから何十年もたって、メルカリでそのトランシーバーを見つけたけれど、今さら手に入れても遅いのです。あの頃にほしかった。あーあ。
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コメント一覧
amesho - 2025年07月16日 20:12
子どもの頃はなんでも試してみたくなるし、なんでも知りたがり、何でも欲しがりだったのでした。
ジュースを複数のコップに分ける時でも、1mmでも違うと大騒ぎしたりとか、いまではどうでも良い事に興奮したり喜んだり悲しんだりしていたと思います。
当時欲しくて手に入らなかった物を、いまさら手に入れても、あの頃のような感動とか喜びがありません。とても残念なことです。
大人になるってのは、なんでも手に入る代わりに、何かを失ってしまうことのようです。
ジュースを複数のコップに分ける時でも、1mmでも違うと大騒ぎしたりとか、いまではどうでも良い事に興奮したり喜んだり悲しんだりしていたと思います。
当時欲しくて手に入らなかった物を、いまさら手に入れても、あの頃のような感動とか喜びがありません。とても残念なことです。
大人になるってのは、なんでも手に入る代わりに、何かを失ってしまうことのようです。
kanitama - 2025年07月16日 17:12
子供の頃には目に映るいろいろなものが欲しくなりましたね。大人になってから手に入れる方も多いと思います。未練を残すくらいなら大人買いすることをお勧めします。以外と気持ちが冷めてしまうかもしれませんw。
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