無限に電話できる説
2026.02.22
赤い公衆電話は懐かしいけど、通話の一定時間ごとに10円玉が落ちる。

そうだ、落ちるんだったら、落ちなくすれば良いんじゃないかと
電話機を横倒しにしたら「落ちなくて」ずっと通話できるんじゃないかと
学生時代に思いついた。

いつもつまらない事ばかり思いついたものである。

今なら無料通話の手段はいくらでもある。
当時でもそんな長時間話す必要もないし、意味ないだろって思うけど。

当時の学校の1Fには電話コーナーがあり、そこに赤い公衆電話が置かれていた。
事務所と受付は、その隣にあった。

友人に思いつきを話したら、試してみようって事になった。
最初に10円を入れるとツーと音がして通話可能状態になる。

そこで何となく横倒しにしたら、ガシャーッって金庫の10円玉がぶちまけられてしまった。
鍵が付いているかと思ったら、付けてなかったんだね。

ものすごい音をたててそこらじゅうに10円玉を散らかしてしまい、めちゃめちゃ怒られたような、そんな記憶があります。
真似しないでね。絶対。

そして、たぶん・・・横倒しでもきちんと動作するように作られていたはず。

まあ、オークションなどで赤い公衆電話が手に入ったら、かつ、疑似交換機などで課金信号を送ることができたら、自分で試す分には自由なので確かめてみて満足したら良いでしょう。

オチの無い話でした。
公衆電話とテレホンカードと
2026.02.22
ずいぶん前から、公衆電話はあまり見かけなくなりました。コンビニの前に有ったりするけれど。有っても、いつの間にか撤去されてしまったり。

身近なところで知る限り、2か所ほど無くなってしまいました。住宅街の中の電話ボックス、そしてバスターミナルの中。

その一方で、よその市だけど、学生時代に利用した電話ボックスが現在もまだ残っているのは面白い。
下宿屋にも各部屋に電話があったけど、料金でモメたから、意地でも部屋の電話は使わないで近所の電話ボックスを利用していた。

バスターミナルのは撤去してよかったのか? バス待ちの間に時々利用者を見かけていたから、そこそこ需要があったんだろうけど・・・儲からないと言われたら、きりがないけど。
災害対策などで、ある範囲内に何台とか決まってるんじゃなかったっけ。

最後に公衆電話を使ったのは、携帯の契約を変えた時じゃなかったか。5年かもっと前。
ショップだったら通話テストもしてくれるかもしれないが、通販だったので自分でSIMを差し替えて設定しないといけない。
アンテナマークは出てるから大丈夫だろうと思っても、たまたまだったか、誰からも・・・ちっともかかってこないので大丈夫かと不安になり、公衆電話から自分のスマホにかけてみたりした。(笑)

テスト用の番号があることは当時認識しておらず、そして知人にかけてみる(逆に、かけてもらう)手もあったが、通話テストだなんて、あまりにもつまらない用事なので止めておいた。

テレホンカードも見かけなくなった。

確か1枚だけ持ってるはず。
三度目の自動車学校の時で、新入生を紹介したらこのテレホンカードと引き換えに1万円くれるとか、なにか言われたっけ。結局、紹介もできずそのまま放置で何十年、いまでは無効だろう。

初めてテレホンカードをもらったか、買ったのは中学生の頃だったか。よく覚えていない。

とにかくテレホンカードを手に入れた。そんなに使う機会もないのに。
そうだ、この表面の図柄を消して、自分で描いたらよいかも?と、イラヌ事を考えたからひどい結果に。

マイナスドライバーか、紙やすりでこすったっけ?
とにかく、印刷の図柄は容易に剥がれてきた。白い面が出てきたので、そこに太いペンしかなかったからヘタクソな絵を・・・やらないほうがマシだった。
へたな塗装で、塗らない方がよかった、そのパターンと類似。

そこで、当時何も知らないから何となく裏面も削ってしまわなかったっけ。表面だけだったのか、はっきり覚えてない。削れるのが面白くて、勢いでやっちまった。

表面だけだったかもしれないけど、余計なことをしたせいで、結果的に磁気がダメになった。公衆電話に差し込んだらそのまま戻ってきた。使えなくなった。大損(500円)。バカタレー。

自分で買ったのは高校生の時で、どこで売ってるのか知らない。当時コンビニなんかほとんどなかった。(昭和末期の地方の市)
確か、商店街を歩いていくと奥のほうに仏具屋さんが有り、そこにテレホンカード有りますって書いてあったので店に入って買った。
高校生が仏具屋さんに何の用事か。奇妙な感じもしましたが、店の方にテレホンカード下さいって話したら出してくれて、お金払って手に入れた。

でも、当時NTTの窓口はあった。距離的には仏具屋さんのほうが近かった。

ラヂヲライフなんかに当時はテレホンカードや電話関係の記事が多くて、でも自分はそんなインチキはしようと思わなかったけど。そんな記事は好奇心を刺激されるので面白かった。

あの緑色のカード式公衆電話のCPUはHD64180、つまりZ80で・・・そのROMの中身を解析するといった記事があったような記憶。
東京某所の公園で、外国人が偽造テレカを売ってるとか何とか。

まあ色々考えるもんで、往復だの2枚を合体させるのだの、やりたい放題。銀河鉄道999も真っ青の無限テレカもなかったっけ?そのうちに規制された。そりゃあ、NTTは大損でしょう。

テレカ以前は10円か100円を入れて通話していました。

10円玉を積み上げておいて、ビーッと鳴るたびに(鳴る前に)チャリン、チャリンと補充したりして。

100円は釣り銭が出ない仕組みだったから、子どもにとっては大損よ。一度だけ100円を使った事があり、もったいなかったと、いつまでもモヤモヤしていました。
まだあの頃は、110番と119番のダイヤルを回す装置が公衆電話にくっついていた。公衆電話は青いやつじゃなかったっけ。それが郵便局の前にあった電話ボックス。

祖母の店にも公衆電話が有り、その10円玉を数える手伝いをしていた。結構溜まるもので、数えるのが大変だった。これを郵便局に持っていって支払うんだって。
いくらだったか、500円か1000円ずつのかたまりを作り、紙で包んだような記憶。

店の人に言って、公衆電話の鍵を回してもらって電話をかける、なんてのは今では全く意味がわからないでしょうね。確か110と119は鍵を回してもらう必要があったのか。
110と119のボタンがある電話はそれを押せば良かったのだけど。

確か、外回りの営業の方が祖母の店に来て、祖母に鍵を回してもらって100番通話か、何かしていたのを近くで見た覚えがある。これも今では無くなったサービスでしょう。
通信への興味
2026.02.11
今のインターネットやその前のパソコン通信につながる、始まりの話

まず電話に興味を持ったんだな・・・
祖母の店の、子どもには手の届かない場所にあった、あの手回しの磁石式電話機
棚の上にあってよく見えない。
のぼって見ようとして、適当に段ボールを積んで乗ってみたら崩れて頭を打ったり。
当時は店のお客さんにも使ってもらっていたのではないかと思う。
まだ電話のない家が多かった、あの時代

とにかくダメだって、子どもには触らせないって。
禁止されると気になる。余計に興味が出てくる。見たくてたまらない。

すぐ近所の駅の自転車置き場の鉄骨の上に、枯れ草の詰まったような所があり、
鳥が巣を作っていたみたい。
それを間近で見たくて、肩車して肩車してくれって一生懸命頼んだような気がする。
とにかく、背が低かったから見たいものが自由に見られない。

肩車されて、「東京が見える」って大人に言われたのだけど、そんなの見えるわけないだろって。大人はうそばっかり言う。

親父が職場で不要になった電話機をもらってきて、それは4号A形のわかくさ色(沖電気)。
今ではレア物。当時は全くそんなことは知らない。3台あった。
内線用で使い古されて薄汚れたもの。
うち1台は線が根本で切られていた。

この2台に電池をつないで、通話できないかと試行錯誤した。並列じゃだめなんだな。直列にしたらうまくいった。
それから、線をのばしていって相手が見えないぐらいの距離にしたり、家の裏側に回ってみたりしてモシモシ話すのが楽しかった。

しかしベルが鳴らない。鳴らす仕掛けがない。ベルを鳴らしたい。
それだけが不満でずっと何十年も、オッサンになるまでその思いを抱えていた。(笑)

それだったら、磁石式電話機を2台つなげばハンドルを回して相手のベルが鳴らせる。5歳のときにそれが撤去されるタイミングで電話工事のおじさんに頂戴と言えば良かったのだろう。

その時に思いつかないし、確か保育園に行っている間に電話が入れ替えられていた。うちのばあちゃんが気を利かせて、孫がほしいって言ってるからってもらってくれればよかったんだろうけど、後の祭り。
わりと近年になって、地元の当時を知る方に聞くと、自分の店で使っていた当時の磁石式電話機をそのまま持っていた。工事の人に言ってもらったんだって。それで、もらえばよかったのかと気づいた次第。遅い。

建前上は、貸与品だったと思う。それはダイヤル黒電話も同じ。買取もできた。

親戚の家には携帯式の磁石式電話機がインターホン代わりに置いてあり、それを見たら欲しくなってきた。残念ながらもう無いって。トホホ。
いいなあ、ほしいなあ、不満は溜まっていくばかり。お金は溜まらない。

テレビのロンパールームの電話ごっこにも執着し、あの電話が欲しくてたまらない。そんなモヤモヤした幼少時代を送ったのでありました。(笑)
電話のベルを鳴らす仕掛け。そればっかり考えていました。でもヒントも何もない。専門書もないし、周囲の大人はそんなこと知らない。井の中の蛙。

中学生になりMSXを購入。(HB-101)

ちょうど近所にもMSX(HB-55)を持っている奴がいて、そいつの家と線をつないでカセットの信号をお互いに送りあったりできないかという妄想がありました。
インターホンの連絡線を兼ねて、おーい今から送るよ、いいよ、とか言って片方はCSAVEでもう片方はCLOAD

そんな回りくどい事しなくても、カセットを持っていけばいいだろって?
通信で送るから楽しいんだろうと思います。

ド田舎だったし、勝手に線を引っ張り回してもたぶん何も言われなかったでしょう。

結局それだけの長い線を買うお金も無く、相手の家(社宅)に勝手に穴をあけるわけにもいかず、頓挫してしまいました。

できたのは、FM送信機で近所の(別の)友人宅まで電波を送れたことぐらい。

カセットの信号をFMトランスミッタで送信して、それをラジカセで受信してカセットに録音するか、直接MSXに入れたらCLOADできるんだろうかって、当時試したかどうか記憶は定かではない。
たぶんうまくいかなかっただろう。

そもそも拾ってきた(ゴミ処理場のおじさんからもらった)古いラジカセしか持っておらず、そんな機材ではまともに使えなかっただろうな。

中学校の後輩と、MSXのカセットテープのソフトをダビングしたら使える・使えないという議論をしていました。彼が言うにはダビングしても動くというのです。私は実際にダビングしたがエラーが出てだめだったと実体験を言って反論しました。
これは私の機材がボロだから、速度などに問題があってエラーになっていただけでした。そんなの最初はわかりません。

インターホンは自作して、家の1Fと2Fに設置して夕食の呼び出し等ができるようにしました。
でも、電話とはちょっと違うな、というところで不満は残っていました。

当時の電電公社のちらしに載っていた親子電話に興味があり、これを設置してくれと親に頼んだりしたものでした。何するのそんなもの、いらんでしょ、お金かかるでしょ。だめって。
それはブザーで相手を呼び出す簡易的な物だったようです。

じつは同級生の家は製材所をやっていて、彼はそこのおぼっちゃん。家にはそんな親子電話どころか事務所の電話があった。見せてよって言ったけど親が厳しくて入れてもらえず。
それと同級生の親が獣医の家があって、そこにもホームテレホン。いいなあ、うちも欲しいなあ、と。

電話回線を自由にできるようになったのは大人になってから。

最初は実家の電話回線を使ってパソコン通信を始めたけど、チャット等に夢中になりすぎ、遠距離通話で電話代4万円以上となって大目玉。

自分で専用回線を引こう。そしてパソコン通信ホストを運営しようというわけで自分用の回線を引いた。
自分のネットの人気が出てきて話し中が多くなり、回線増やせのプレッシャー
もう1回線増やしたりISDNにして、最終的には外線3回線
オフ会(パソコン通信)
2026.01.10
パソコン通信、草の根ネット全盛期('90年代前半)は、時々オフ会と称する集まりを催したり、参加していました。

他県への接続は電話代も高いのに(当時)、よく夜な夜なアクセスして遊んでいたものです。あとで請求書を見てビックリ仰天しました。楽しいから、つい夢中になってしまって。

時には、遠くの会場まで遠路はるばる出かけた事もありました。
他県の駅前のホテル、その宴会場を借り切って食事と交流会なんてのもありました。

ビールを持ってあちこちのテーブルを回ったらと隣の人に言われたけど、そういうの苦手で、そもそもお酒は飲まないし。

一人ずつ自己紹介を兼ねてスピーチしてください、というので自分もマイクの前に立ちました。その時の写真が今も残っています。

普段は文字だけのやりとりだけで、顔も見たことがない、ネット上でしか知らない人なのに、実際に会ってみるという楽しみもありました。

デパートのレストランで、パフェを食べる会なんてのもありました。男ひとりでは勇気がないからみんなで一緒に食べようという企画です。

誰かの家に大勢で押しかけて、鍋を囲んで大騒ぎして帰っていくというオフ会もありました。

遠出して、パソコンショップを巡ってご飯を食べて帰って来るという会もありました。

インドカレー屋へカレーを食べに行くオフ会を催した事もありました。インド人がやっている店は当時珍しかったのです。

文字のやりとりでついついアツくなって喧嘩してしまっても、直接会って話してみるというのは良い機会でした。なんだそうだったんですか、とお互いに和解したりしたでしょう。

男女の出会いとかは全く考えておらず、少なくとも私はそうでした。
誰かに聞かれたのは、女性会員は何人ぐらいいるんですかって。個人情報は出せないので、いますよと答えた程度です。
でも、パソコン通信で知り合って一緒になった人たちは何組か知っています。オフ会の途中で、いつのまにか二人で消えてしまったんだよなー。

パソコンやモデムの設定がわからないという人のところへ教えに行ったり、セッティングしてあげたりとか、ボランティア活動のようなものでしたが、いろいろやりました。これはオフ会といっていいのかわからんけど。

いまのSNSには無いですね。多くの人と直接触れ合うってのは。いまは窮屈な時代ですから、なかなかそういうわけにもいかんでしょう。
電話回線の電圧
2026.01.05
不要になった電話機を3台もらったのは幼い頃、当時は乾電池3Vを直列につないで通話して遊んでいたけれど、ベルを鳴らしたかった。
でも、どうしたらよいかが分かりませんでした。

そこで実際の電話回線の電圧は何ボルトか、という疑問が出てきて
そんなのテスターではかれば一発・・・だけれど当時はテスターなんか持っていません。
大人なら誰か知らないか。聞きまわったり、本で調べたりしたけれど書いてない。または見つけきれなかった。
ようやく5年生か6年生になって、たまたま見つけた電電公社の小冊子に電圧が書いてあり、大発見をしたような気分でした。

標準では48V、電話線の長さにより42Vから56Vの範囲ではなかったかと思います。電話線はループで数百から数キロオームの抵抗があるからです。

これをどうやって再現しよう。そうだ、手頃な電源は9Vの電池でした。
うまい具合にプラスとマイナスを組み合わせて直列にしやすく、かけざんの9の段で電圧を上げる事ができました。

さすがに電池は当時のお小遣いではたくさん買えず、100均(※)ができるよりずっと前のことです。確か5本直列で45Vまでは試したか。
でも、つないだ瞬間にチンと鳴るだけで、連続で鳴らすことはできません。苦し紛れにコンセントに直接ブチ込んだこともありました。確かに鳴りましたけど今思えば危ないです。

今なら鳴らす回路は何パターンか思いつきますが、当時は知識も部品も無くてどうしようもありません。

磁石式の電話機だったら、ベル信号を発電するハンドルが有ったから良かったのに、と今さらそんな事を思い出しています。
通話用に電池3Vが必要なだけで、あとは相手と2本線でつなぐだけです。ハンドルを回せば相手のベルが鳴らせる。あの頃に電話局のおじさんに頼んで2台もらえば楽しかったのになと。

磁石式の場合、回線にかかる電圧は音声信号とベル信号だけなので、通話中は直流的にはゼロボルトです。
磁石式から自動式への切替の際には、一時的に両方並列にする必要がありました。
交換機を切り替えても、電話機を一軒ずつ同時に入れ替えられないので、共存する必要があったわけです。
しかし磁石式の回線に直流がかかると不都合があるので、コンデンサを直列につないでいたようです。そうすると交換機が手動式でも従来と変わらず使えて、音声もベル信号も通ります。
自動式に切り替わっても、回線に影響を与えません。

後年の話
(アナログの)電話回線に直流電圧がかかっているなら、それを電源として使えないか、ニッカドを充電できないかと言い出す奴がいました。
残念ながら電流が制限されているし、直流ループ形成状態で放置すると交換機の方から受話器外しと検知されてカットされます。
そもそも電話の基本料金を考えても、経済的にペイしません。普通にコンセントから電源をとるのが簡単です。
こういう事を言うやつに限って、実家でタダメシを食っていたりします。自分で電気も電話料金も払わないくせに、楽して稼ぐとか、ろくでもない発想ばかりします。
うちに泊まりに来た時に充電器をありったけ持ってきて、そこらじゅうのコンセントに差し込んでいた時には、口頭で注意しながらも、驚きを通り越してあきれてしまいました。

電話回線を電源として全く使えないかというと工夫次第で、ごく少ない電流で直流ループ形成と検知されない程度の弱い電流でしたら取れるでしょう。それをコンデンサにじわじわと蓄えて、何か間欠的な動作をする回路の電源として使う。
固定電話はオワコンで、メタル線は巻取りの方向ですから、今さらこんな事をしても無駄でしょう。

※当時、近所のスーパーに「100円均一」と称する移動販売が来ていた事があり、ひょっとしたら後のダイソーの創業者が各地を回っていた頃だったのかも、と勝手に想像しています。

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