有線放送
2025.06.16
有線放送というと、あの飲食店などでBGMを流しているアレですか・・・と言われそうです。
個人的には、有線放送電話を先に思い出します。まだまだ有りますが、全国的にずいぶん少なくなりました。
スピーカー付き電話機から定時放送が流れ、放送時間外には通話もできるというものでした。
当時は電電公社(現NTT)の電話の整備が追いつかず、特に地方や農村では有線放送電話が普及しました。
但し、1軒ずつ独立した回線ではなく、近辺の10軒か20軒程度の電話機が全部並列につながっていましたから、何番さ~んとスピーカーで呼びかけないといけません。
並列になっているので、他人の通話を聞こうと思えば聞けたのですが、のちに対策されました。本体のスピーカーから漏れて聞こえたそうです。たとえばバリスターを組み込んで、ある程度高い電圧のかかる放送時しか音が出ないようになりました。
自分が実際に有線放送電話を見たのは幼い頃で、自宅には無くて、祖父・祖母の家と店でしか見る機会がなく、たまたま行った時ぐらいだったのでほとんど記憶にありません。
昼に音楽などが流れていたのをかすかに覚えているぐらい。ラジオ放送をそのまま流していたような気がします。
いつ廃止になったのかもさだかではありません。以前ずいぶん調べたけれど、農協に関しては記録が残っていないようです。農協の統廃合の影響もあるかもしれません。
同じ回線を使うため、放送と通話は同時にできませんから、時間割で放送の時間と通話の時間が決められていました。
放送時間中でも緊急の用事で電話を使いたい時があります。
そんな時には割り込みボタンを使いました。受話器をかける所にある赤いボタンを押すと交換台に知らせる事ができました。
この赤いボタンは深く押さないと反応しない為、受話器をかけた状態ではONになりません。
仕組みは簡単で、1KΩの抵抗を回線につないでいました。これで直流ループができて交換台のランプが光って知らせる仕組み。
私の出身の町では昭和52年初めまで、電電公社の電話も手動交換だったのです。それからクロスバー交換機による自動交換に変わり、たぶんその後ぐらいに農協の有線放送電話も廃止されました。
農協の建物は残っていませんが、当時は二階に放送と交換を行う部屋があったと聞きました。一度も上がってみたことがないのは残念です。
廃止後に全部撤去されてしまったのかもしれません。
各家の電話機や電柱、電話線はずいぶん後まで残っていて、回収されなかったのか、回収もれだったのか、各自で自由に処分してくださいだったのかわからないけど、
よその家に行くと、まだ取り付けられたままになっていたりしました。
知り合いの家に頼んで、その電話機を取り外してもらってきたりしたものでした。
中には、シロホンとアンプとマイクが有り、そこから地区内へ放送できるようになっている家もありました。これと有線放送電話との関連は不明です。
小学校に行く途中の畑の中などにスピーカーが建っていて、これもずいぶん後まで残っていたりしたものですが、いま改めて見ると、町内のどこにも見当たりません。
どこにあったのかも、記憶がなくなりました。
こうして、忘れ去られて歴史の中に消えていくのでしょう。
個人的には、有線放送電話を先に思い出します。まだまだ有りますが、全国的にずいぶん少なくなりました。
スピーカー付き電話機から定時放送が流れ、放送時間外には通話もできるというものでした。
当時は電電公社(現NTT)の電話の整備が追いつかず、特に地方や農村では有線放送電話が普及しました。
但し、1軒ずつ独立した回線ではなく、近辺の10軒か20軒程度の電話機が全部並列につながっていましたから、何番さ~んとスピーカーで呼びかけないといけません。
並列になっているので、他人の通話を聞こうと思えば聞けたのですが、のちに対策されました。本体のスピーカーから漏れて聞こえたそうです。たとえばバリスターを組み込んで、ある程度高い電圧のかかる放送時しか音が出ないようになりました。
自分が実際に有線放送電話を見たのは幼い頃で、自宅には無くて、祖父・祖母の家と店でしか見る機会がなく、たまたま行った時ぐらいだったのでほとんど記憶にありません。
昼に音楽などが流れていたのをかすかに覚えているぐらい。ラジオ放送をそのまま流していたような気がします。
いつ廃止になったのかもさだかではありません。以前ずいぶん調べたけれど、農協に関しては記録が残っていないようです。農協の統廃合の影響もあるかもしれません。
同じ回線を使うため、放送と通話は同時にできませんから、時間割で放送の時間と通話の時間が決められていました。
放送時間中でも緊急の用事で電話を使いたい時があります。
そんな時には割り込みボタンを使いました。受話器をかける所にある赤いボタンを押すと交換台に知らせる事ができました。
この赤いボタンは深く押さないと反応しない為、受話器をかけた状態ではONになりません。
仕組みは簡単で、1KΩの抵抗を回線につないでいました。これで直流ループができて交換台のランプが光って知らせる仕組み。
私の出身の町では昭和52年初めまで、電電公社の電話も手動交換だったのです。それからクロスバー交換機による自動交換に変わり、たぶんその後ぐらいに農協の有線放送電話も廃止されました。
農協の建物は残っていませんが、当時は二階に放送と交換を行う部屋があったと聞きました。一度も上がってみたことがないのは残念です。
廃止後に全部撤去されてしまったのかもしれません。
各家の電話機や電柱、電話線はずいぶん後まで残っていて、回収されなかったのか、回収もれだったのか、各自で自由に処分してくださいだったのかわからないけど、
よその家に行くと、まだ取り付けられたままになっていたりしました。
知り合いの家に頼んで、その電話機を取り外してもらってきたりしたものでした。
中には、シロホンとアンプとマイクが有り、そこから地区内へ放送できるようになっている家もありました。これと有線放送電話との関連は不明です。
小学校に行く途中の畑の中などにスピーカーが建っていて、これもずいぶん後まで残っていたりしたものですが、いま改めて見ると、町内のどこにも見当たりません。
どこにあったのかも、記憶がなくなりました。
こうして、忘れ去られて歴史の中に消えていくのでしょう。
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