新しい新幹線駅の見学会
2021.10.29
地元に新しく出来た新幹線駅の見学会が11月末頃にあるようです。
応募者多数の場合は抽選になるそうですが、一応、申込みをしました。
コロナ対策でしょう、時間帯指定で人数を分散しながらの見学会になるようです。
11/19頃に、抽選結果がわかるようです。お楽しみに・・・
応募者多数の場合は抽選になるそうですが、一応、申込みをしました。
コロナ対策でしょう、時間帯指定で人数を分散しながらの見学会になるようです。
11/19頃に、抽選結果がわかるようです。お楽しみに・・・
渡邊和也氏が逝去
2021.10.28
NECのパソコン生みの親が亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りします。
世界名作劇場
2021.10.28
懐かしのTVアニメ、世界名作劇場シリーズ。
先日までYoutubeチャンネルのアニメログで、「ペリーヌ物語」を見ていました。無事に最終回を迎えて、いい年したオッサン(私)顔の一部から汗がしたたるような感動でした(笑)
本放送は1978年なので、小学校に入る前か1年生の頃でしょう。当時は古い家に住んでいて、ナショナルの家具調テレビで見ていたはず。
幼い頭で良く理解できてなかったと思います。それでよく覚えていません。写真屋が家馬車で旅をしながら・・・程度の認識でした。それが今回、最初から通して見たら、思ったより面白いし、脚本が良く練られていて良い作品だったと感じました。
最初は、なんとなくたまたま見始めた感じでしたけど、本当にほとんど覚えてなくて、新鮮な気持ちで見ていました。
同じ頃に放送された未来少年コナンも見ていました。(これは世界名作劇場ではありません。)やっぱり、ほとんど記憶にありませんでした。後年、夏休みに再放送があったりして、気づいた頃には5話あたりで、早くからチェックしておけばよかったなと、そんな具合でした。
そして、最終回どんな感じなのか気になって、中学の頃には家にビデオがあったので、録画しようと待ち構えていたら台風で停電。
大丈夫さ、放送時間までには復旧する、と願いながら結局復旧せず。見ることができませんでした。
現代のように、レンタルは勿論の事、ネットでいつでも手軽に視聴できるようになるなんて全く想像もできなかったあの頃。
この作品に限らず、TV局に見たいアニメの再放送リクエストを出していた有志もいたのではないかと思います。実際は、なかなか希望したようにはならないものです。モヤモヤした気持ちで過ごしていたのでした。
さて世界名作劇場の話に戻りますが、年代的には「ハイジ」以降すべて見ています。やっぱり幼い頭で良く覚えてないんですけどね。ハイジのエンディングを聞くと、なんと表現したら良いか、サザエさんのエンディングを見ている時のあの気持ちに近いかな。
はあー、休日(日曜の放送なので)はもう終わりかという、あの気持。
ハイジといえば「ロッテンマイヤーさん」でしょう。みんながよく知ってる「クララが立った」は私としては2番めです。ロッテンマイヤーさんに萌えるようになれば達人の域です。
どの作品を世界名作劇場に含むかというのは解釈がいくつか有るようですが、「山ねずみロッキーチャック」も見ていました。
「母をたずねて三千里」も見ていました。唯一覚えていたのは、1話でマルコが兄にビンタを食らうシーンです。幼かった私は悪さばかりしていて、親父にビンタや尻叩きを食らわされていたので、これを見たら自分が叩かれているような気持ちで怖かったものです。
「赤毛のアン」は、マシュウの口癖がナイスですね。「そうさのう・・・」
「トム・ソーヤーの冒険」あたりから記憶に残っています。それに内容的にもなかなかおもしろかったです。ハックの木の上の家なんか真似したくなりました。インジャンが出てくる時が恐ろしかったです。
一旦これで一区切りします。
先日までYoutubeチャンネルのアニメログで、「ペリーヌ物語」を見ていました。無事に最終回を迎えて、いい年したオッサン(私)顔の一部から汗がしたたるような感動でした(笑)
本放送は1978年なので、小学校に入る前か1年生の頃でしょう。当時は古い家に住んでいて、ナショナルの家具調テレビで見ていたはず。
幼い頭で良く理解できてなかったと思います。それでよく覚えていません。写真屋が家馬車で旅をしながら・・・程度の認識でした。それが今回、最初から通して見たら、思ったより面白いし、脚本が良く練られていて良い作品だったと感じました。
最初は、なんとなくたまたま見始めた感じでしたけど、本当にほとんど覚えてなくて、新鮮な気持ちで見ていました。
同じ頃に放送された未来少年コナンも見ていました。(これは世界名作劇場ではありません。)やっぱり、ほとんど記憶にありませんでした。後年、夏休みに再放送があったりして、気づいた頃には5話あたりで、早くからチェックしておけばよかったなと、そんな具合でした。
そして、最終回どんな感じなのか気になって、中学の頃には家にビデオがあったので、録画しようと待ち構えていたら台風で停電。
大丈夫さ、放送時間までには復旧する、と願いながら結局復旧せず。見ることができませんでした。
現代のように、レンタルは勿論の事、ネットでいつでも手軽に視聴できるようになるなんて全く想像もできなかったあの頃。
この作品に限らず、TV局に見たいアニメの再放送リクエストを出していた有志もいたのではないかと思います。実際は、なかなか希望したようにはならないものです。モヤモヤした気持ちで過ごしていたのでした。
さて世界名作劇場の話に戻りますが、年代的には「ハイジ」以降すべて見ています。やっぱり幼い頭で良く覚えてないんですけどね。ハイジのエンディングを聞くと、なんと表現したら良いか、サザエさんのエンディングを見ている時のあの気持ちに近いかな。
はあー、休日(日曜の放送なので)はもう終わりかという、あの気持。
ハイジといえば「ロッテンマイヤーさん」でしょう。みんながよく知ってる「クララが立った」は私としては2番めです。ロッテンマイヤーさんに萌えるようになれば達人の域です。
どの作品を世界名作劇場に含むかというのは解釈がいくつか有るようですが、「山ねずみロッキーチャック」も見ていました。
「母をたずねて三千里」も見ていました。唯一覚えていたのは、1話でマルコが兄にビンタを食らうシーンです。幼かった私は悪さばかりしていて、親父にビンタや尻叩きを食らわされていたので、これを見たら自分が叩かれているような気持ちで怖かったものです。
「赤毛のアン」は、マシュウの口癖がナイスですね。「そうさのう・・・」
「トム・ソーヤーの冒険」あたりから記憶に残っています。それに内容的にもなかなかおもしろかったです。ハックの木の上の家なんか真似したくなりました。インジャンが出てくる時が恐ろしかったです。
一旦これで一区切りします。
キルヒホッフの法則
2021.10.28
キルヒホッフの法則・・・教科書で良く見かけるのは、電池と抵抗が直列接続された回路が3つばかり並列になっている図。
で、電流の方向が図示されているのだが、電池のプラス側に矢印が向いているのがある。
これって、やっちゃいけない事じゃないか。電池の充電じゃないか。この考えがどうしても払拭できなくて、高校1年の最初に挫折したのでした。
連立方程式?なんだっけ、忘れた(笑)
電池の記号が描かれているけど、これは起電力を表したもので・・・という事は、わかっているのだけど・・・どうしても、電池に逆流するのが意味わからなくて・・・。
それに、こんな回路は現実に無いだろうと。実験で組むぐらいだろう。そうだ、実験してみればよいのではないか。そうすれば、何かわかるだろうという感じです。
で、電流の方向が図示されているのだが、電池のプラス側に矢印が向いているのがある。
これって、やっちゃいけない事じゃないか。電池の充電じゃないか。この考えがどうしても払拭できなくて、高校1年の最初に挫折したのでした。
連立方程式?なんだっけ、忘れた(笑)
電池の記号が描かれているけど、これは起電力を表したもので・・・という事は、わかっているのだけど・・・どうしても、電池に逆流するのが意味わからなくて・・・。
それに、こんな回路は現実に無いだろうと。実験で組むぐらいだろう。そうだ、実験してみればよいのではないか。そうすれば、何かわかるだろうという感じです。
SC-3000ものがたり
2021.10.26
過去に書いたかもしれませんが・・・SC-3000との出会いは、ちょっとした「間違い」からでした。中学2年の頃だったと思います。
当時購読していた「ラジオの製作」には、売買コーナーがありました。いまでは考えられない、個人情報丸出しのコーナーでした(住所、電話番号まで掲載)。
その「買います」コーナーを何となく読んでいたら、「SC-3000とソフト、付属品を4.6Kで」(\4,600)実際の細かい文面は忘れましたが、どう読んでも「売ります」としか受け取れなかったのでした。おそらく(編集部が)掲載するコーナーを間違ったのでしょう。
それで問い合わせてみたところ、やはり「売ります」という事で、私以外には問い合わせがなかったようです。それで譲ってもらえる事になりました。
SC-3000自体は、その前のウルトラクイズ(確か第8回)のじゃんけん大会に登場したのを見た程度で、現物を直接見たことがありませんでした。(SC-3000H)
見た感じキーボードだけなのに、あの中にちゃんと基板が入ってるんだろうか?と、ただ想像するだけでした。MSXの日立H1も、カタログを眺めながら、このキーボードの下に基板が入るスペースは有るんだろうか?と思っていました。スペースキーの下の妙なプラスチックは何だろうと、とにかく現物を見たことがなかったので仕方ありません。(のちにH1も物々交換で入手しました)
届いた現物を見て、うーん、これがSC-3000か、と。
本体、電源アダプタ、ジョイスティック、ソフトはBASIC LEVELIIIBと、ゲーム3本だったでしょうか。確かロードランナーと、ジッピーレースと、モナコGPだったと思います。
当時MSXのHBー101と、リコーのワープロを持っていました。そこへSC-3000が仲間入りしました。
BASICなど動かしながら適当に遊んでみました。
すると、ガタッと振動が加わると暴走するではありませんか。キー操作の振動でもおかしくなりました。こりゃ困ったものだ。また打ち込みをやり直さないと。
最初はカセットに紙を挟んで、ガタガタしないように固定してみたのです。それでもダメな時があって、端子を掃除したり色々やりましたが、最終手段として直接ハンダ付けしました(笑)。
リード線で1本1本つないで、これで悩みは解消した、と。
でも、別のソフトを試す時に不便だから、結局取り外してしまったのです。なにを考えていたのでしょう自分。
それから、カセットI/Fが不調の時がありました。これは原因を考察した結果、どうやら暖まってくるとダメだと気づいて、内部の3端子レギュレータの配線をのばして、外に出してやったら解消しました。
カセットI/FのハイブリッドICが暖まると、動作が変わってしまうんでしょうな。
しかし、3端子レギュレータのヒートシンクが外に転がっているのは、あまりにも不格好なので結局本体に戻して、その後どうしたか忘れました。キーボードの蓋をあけて、だましだまし動かしたのか、何か工夫していたような気がします。
そもそもカセットに保存する必要ないだろう、と。RAMのバッテリーバックアップだ。細かい事は知らなかったが、カセットの中のDRAMに電池をつなげば良いだろうと考えました。当時は何も知りません。ただ、これがDRAMだ、という事ぐらいはわかりました。DRAMとSRAMの違いは知らなかったはずです。
DRAMにつながる電源パターンを切り、ダイオードを入れて(このあたりは理解していた)電池をつなぎました。よし、これで電源OFFでも打ち込んだプログラムは残るはずだ。・・・・・・アレッ?
うまくいかないなあ、おかしいなあ。それだけで終わりました。
この過程でひらめいたことがあり、パターンを切り離してDRAMのみに給電したつもりが、切る場所を誤ったのか全体に給電してしまったようです。それでSC-3000が電池駆動できる事に気づきました。
念の為: バッテリーバックアップは単にSRAMへ電源供給するだけでなく、電源OFFで電圧が下がった瞬間からチップセレクトをDISABLEにして、不正に書き込まれる事を防ぐ回路が必要です。
そして、のちにわかった事ですがBASICは起動時にワークエリア等を初期化します。従って、仮にRAMが正常にバックアップできていたとしても、起動時に書き換えられてしまうので以前のプログラムはそのまま残っている状態にはならないのです。
電源の話に戻ります。
しかし乾電池の単3を4本直列で6Vはマズイだろう。ニッカドなら約5Vに出来るし、繰り返し充電して使えるから良いな。・・・という事でニッカドを付けて、電池駆動楽しいなあ、と遊んだのでした。
いやいや、まだ線がつながってるじゃないか。テレビにつなぐ線がある。なくそう。
これも「ラジオの製作」に載っていた、RF信号を増幅してアンテナから飛ばしちゃう回路を作って組み込み(もともとはブースターの製作記事だったが、うまくいかず放置していた残骸を利用)、ジャンクラジオから取ったロッドアンテナをSC-3000にくっつけて、ついにワイヤレス化に成功。
さらに、当時の秋月電子で売られていたビデオカメラのビューファインダー(超小型の白黒モニター)をくっつけてみた。これで完全にワイヤレスで使えるようになりました。このファインダーは、思ったよりも高解像度で、BASIC画面の文字なんかもきれいにうつりました。ただ白黒なのが残念で、解像度は十分ありました。
こんなふうにサンザンいじくり回した後で、飽きてしまったのと、Z80のワンボードマイコンを作りたくなったのでSC-3000をバラして部品取りしてしまったのでした。よくもまあ、Z80をはんだごて1本で取り外したもんです。マイナスドライバーを差し込んで浮かせるようにして、ハンダを多めに流してコテをスライドさせながら徐々に浮かせて取り外したのです。吸い取り線なんかお金が無くて買えませんでした。
つまようじで、とかしたハンダを飛ばしたり、穴につっこんだりしてハンダを除いたりもしたものです。
当時、部品取りでバラす時に、将来またSC-3000が欲しくなった時に同じ回路を作ればいいやと思いました。それで基板パターンを追いかけはじめたのですが、細かくて根性が続きませんでした。まさかそれから20年以上経過して、基板を作るとは想像もしませんでした。
取り外したZ80は、自作ワンボードマイコンのCPUとして現在もそのまま有ります。
MITECのカスタムICも、よくわからないけど当時保存していました。カセットI/FのハイブリッドICもです。まさか、これらも20数年後に役立つとは。
当時は、サービスマニュアルも回路図もデータシートも簡単に手に入らないものでした。まさか将来インターネットが普及して、情報を手に入れられるだけでなく、仲間とやりとりができるようになるなんて、全く思いもしなかった。
当時購読していた「ラジオの製作」には、売買コーナーがありました。いまでは考えられない、個人情報丸出しのコーナーでした(住所、電話番号まで掲載)。
その「買います」コーナーを何となく読んでいたら、「SC-3000とソフト、付属品を4.6Kで」(\4,600)実際の細かい文面は忘れましたが、どう読んでも「売ります」としか受け取れなかったのでした。おそらく(編集部が)掲載するコーナーを間違ったのでしょう。
それで問い合わせてみたところ、やはり「売ります」という事で、私以外には問い合わせがなかったようです。それで譲ってもらえる事になりました。
SC-3000自体は、その前のウルトラクイズ(確か第8回)のじゃんけん大会に登場したのを見た程度で、現物を直接見たことがありませんでした。(SC-3000H)
見た感じキーボードだけなのに、あの中にちゃんと基板が入ってるんだろうか?と、ただ想像するだけでした。MSXの日立H1も、カタログを眺めながら、このキーボードの下に基板が入るスペースは有るんだろうか?と思っていました。スペースキーの下の妙なプラスチックは何だろうと、とにかく現物を見たことがなかったので仕方ありません。(のちにH1も物々交換で入手しました)
届いた現物を見て、うーん、これがSC-3000か、と。
本体、電源アダプタ、ジョイスティック、ソフトはBASIC LEVELIIIBと、ゲーム3本だったでしょうか。確かロードランナーと、ジッピーレースと、モナコGPだったと思います。
当時MSXのHBー101と、リコーのワープロを持っていました。そこへSC-3000が仲間入りしました。
BASICなど動かしながら適当に遊んでみました。
すると、ガタッと振動が加わると暴走するではありませんか。キー操作の振動でもおかしくなりました。こりゃ困ったものだ。また打ち込みをやり直さないと。
最初はカセットに紙を挟んで、ガタガタしないように固定してみたのです。それでもダメな時があって、端子を掃除したり色々やりましたが、最終手段として直接ハンダ付けしました(笑)。
リード線で1本1本つないで、これで悩みは解消した、と。
でも、別のソフトを試す時に不便だから、結局取り外してしまったのです。なにを考えていたのでしょう自分。
それから、カセットI/Fが不調の時がありました。これは原因を考察した結果、どうやら暖まってくるとダメだと気づいて、内部の3端子レギュレータの配線をのばして、外に出してやったら解消しました。
カセットI/FのハイブリッドICが暖まると、動作が変わってしまうんでしょうな。
しかし、3端子レギュレータのヒートシンクが外に転がっているのは、あまりにも不格好なので結局本体に戻して、その後どうしたか忘れました。キーボードの蓋をあけて、だましだまし動かしたのか、何か工夫していたような気がします。
そもそもカセットに保存する必要ないだろう、と。RAMのバッテリーバックアップだ。細かい事は知らなかったが、カセットの中のDRAMに電池をつなげば良いだろうと考えました。当時は何も知りません。ただ、これがDRAMだ、という事ぐらいはわかりました。DRAMとSRAMの違いは知らなかったはずです。
DRAMにつながる電源パターンを切り、ダイオードを入れて(このあたりは理解していた)電池をつなぎました。よし、これで電源OFFでも打ち込んだプログラムは残るはずだ。・・・・・・アレッ?
うまくいかないなあ、おかしいなあ。それだけで終わりました。
この過程でひらめいたことがあり、パターンを切り離してDRAMのみに給電したつもりが、切る場所を誤ったのか全体に給電してしまったようです。それでSC-3000が電池駆動できる事に気づきました。
念の為: バッテリーバックアップは単にSRAMへ電源供給するだけでなく、電源OFFで電圧が下がった瞬間からチップセレクトをDISABLEにして、不正に書き込まれる事を防ぐ回路が必要です。
そして、のちにわかった事ですがBASICは起動時にワークエリア等を初期化します。従って、仮にRAMが正常にバックアップできていたとしても、起動時に書き換えられてしまうので以前のプログラムはそのまま残っている状態にはならないのです。
電源の話に戻ります。
しかし乾電池の単3を4本直列で6Vはマズイだろう。ニッカドなら約5Vに出来るし、繰り返し充電して使えるから良いな。・・・という事でニッカドを付けて、電池駆動楽しいなあ、と遊んだのでした。
いやいや、まだ線がつながってるじゃないか。テレビにつなぐ線がある。なくそう。
これも「ラジオの製作」に載っていた、RF信号を増幅してアンテナから飛ばしちゃう回路を作って組み込み(もともとはブースターの製作記事だったが、うまくいかず放置していた残骸を利用)、ジャンクラジオから取ったロッドアンテナをSC-3000にくっつけて、ついにワイヤレス化に成功。
さらに、当時の秋月電子で売られていたビデオカメラのビューファインダー(超小型の白黒モニター)をくっつけてみた。これで完全にワイヤレスで使えるようになりました。このファインダーは、思ったよりも高解像度で、BASIC画面の文字なんかもきれいにうつりました。ただ白黒なのが残念で、解像度は十分ありました。
こんなふうにサンザンいじくり回した後で、飽きてしまったのと、Z80のワンボードマイコンを作りたくなったのでSC-3000をバラして部品取りしてしまったのでした。よくもまあ、Z80をはんだごて1本で取り外したもんです。マイナスドライバーを差し込んで浮かせるようにして、ハンダを多めに流してコテをスライドさせながら徐々に浮かせて取り外したのです。吸い取り線なんかお金が無くて買えませんでした。
つまようじで、とかしたハンダを飛ばしたり、穴につっこんだりしてハンダを除いたりもしたものです。
当時、部品取りでバラす時に、将来またSC-3000が欲しくなった時に同じ回路を作ればいいやと思いました。それで基板パターンを追いかけはじめたのですが、細かくて根性が続きませんでした。まさかそれから20年以上経過して、基板を作るとは想像もしませんでした。
取り外したZ80は、自作ワンボードマイコンのCPUとして現在もそのまま有ります。
MITECのカスタムICも、よくわからないけど当時保存していました。カセットI/FのハイブリッドICもです。まさか、これらも20数年後に役立つとは。
当時は、サービスマニュアルも回路図もデータシートも簡単に手に入らないものでした。まさか将来インターネットが普及して、情報を手に入れられるだけでなく、仲間とやりとりができるようになるなんて、全く思いもしなかった。