MZ-2000の話(はじまり)
2024.09.24
高校2年の時だったか、大阪の親戚からもらった。

親戚の会社で使っていた物で、その会社のMZ-2000の後継はエプソンの98互換機。

確か年末に本体+外付FDD(MZ-1F07)+プリンタ(MZ-1P07)+フロッピー多数+説明書がうちに届いた。漢字ROMボードも内蔵。

ヘビースモーカーが使っていた為、全体にヤニ臭く、汚れていて、MZの上面には焦げ跡があった。

動作は正常で、フロッピーを備えたPCは自分としては初めて所有した。シャープの機種はポケコンしか使った事がなかった。

その頃の印象では、MZ-2000(2200)はあまり人気がない感じ? どっちかというと2500か。
MZ-700ユーザの方がアツいと思う。

自分はそれまでMSXとSC-3000Hを使っていた。それと、リコーのワープロも使っていた。

このMZ-2000、高校卒業して進学先の下宿まで持っていって、そして卒業後に実家へ持ち帰ってきて現在に至るまでずっと持っている。まだ動くのはすごい。すごいかすごくないかの基準はあいまいだが。

下宿に置いていた時の最大のピンチは、水をかぶってしまったこと。平成3年の台風19号だ。
新しいけどボロい建物で、台風が極端に強かったせいもあるけど、窓のスキマから雨水が吹き込んで室内の窓に近いところは水びたし。

強烈な風で何でもかんでも飛んできていた。ガラスが割れるんじゃないかと心配だった。
看板どころか、外の様子を見ていたら近くの建物の屋根そのものが丸ごと吹っ飛ぶのをこの目で見た。台風が過ぎて落ち着いてから外出してみると、信号機の電柱が倒れたり、初めてみるようなひどい状況だった。

学校から帰ったらびちゃびちゃになっていてビックリ。台風が接近するからと急ぎで帰ったんだな、確か。

とにかくコンセントからプラグを抜いて、本体を傾けてみるとザバーと水が出てきた。こりゃまずい。とにかく排水して、可能な限り拭いて、フタをあけたまま置いて乾かしていた。

MZ-2000はクルマのボンネットみたいに開くから(色々いじるのに)便利なのだ。しょちゅういじるからネジは(運搬時以外)外したままにしていた。

数日そのままにして、それから中を点検してみたら大丈夫そうだったのでおそるおそる電源を入れたら正常に動作。ほっとした。
今頃気づく、トイレ
2024.09.24
うちは最初からウォシュレットが備え付けだったのだが、それよりも

便器とそのユニットとのスキマ、掃除をしたいけどどうやって外そうか?
以前からなんとなく考えていた。
ボルトで止めてあるものとばかり思い込んで、ああ面倒くさそう、下から手を入れて回すのか。そこで思考停止。

いま使っている機種の説明書は無い。型番からネットで入手できないかと探しても駄目。なぜか無い。

昨日ネットで検索したところ、他メーカーは側面に押す所がある。そこを押しながら本体を手前にスライドすると容易にはずれるという。
へえ、高級機種は良くできてるな、と勝手に解釈。

今朝思い出し、よく見ると右側面に押す所がある。まさかと思って押しながら本体を手前に・・・あっ、容易にはずれた。

別に高級機種など関係なく、これが普通かもしれなかった。

とにかく、これで掃除ができました。
うーん、なんか回りくどかったかもしれないけど、だいたいいつもこんな感じ。
ジャックの樹脂と接触不良
2024.09.20
昔使っていた防犯カメラの機械があって、

防犯カメラにうつっている映像に「動き」があると自動的に一定時間録画してくれるというもの。
録画はSDメモリカードへ。

そのジャックの接触が悪く、映像がうつったり消えたり、勝手にチラチラとノイズが入って録画が働くという問題があって、
現役当時はその都度抜き差ししたり拭いたりしていたが、いまいち改善しなかった。だましだましという感じ。

今日それを、長い間使っていなくてしまい込んでいたので捨てようとして引っ張り出した。

プラグを抜こうとしたら変な感触があった。抜いてみるとご覧の通り、錆びている。





どうもジャック側の樹脂から何か謎の液体?が滲み出してきて悪さをしているようである。
基板に緑青が付いていた。

捨てる前なのでバラしたが、すっかり忘れていたのに、ようやく謎が解けたというわけで。

これと似た現象は、昔のパソコンでも樹脂部品のコネクタから何かザラザラしたものが吹き出しているような、そんなのは有った。なんだろうな、長年経過すると成分が出てきたり水分と反応したりとか有るのだろうか。

電線の塩ビからベタベタした液体が出るのは有る。可塑剤が原因のようでした。昔のMSXでキーボード外付けのやつ、そのケーブルから緑色の液体がにじんできて、コネクタにしみこんで接触不良!というのを実際に見ました。
真空管ラジオ
2024.09.20
米でも同様だが、物が手に入りにくく(手に入らなく)なると、余計に欲しがる気持ちが高まるみたいです。

いまでは貴重品な真空管ラジオは、私がガキだった頃には掃いて捨てるぐらい有って、田舎の小さい町でしたが時々ごみ置き場で見かけていました。海岸に投げ捨てられている事もありました。いまさら欲しいとは思いません。

当時、もちろん見かけたら拾ってきていました。

でかすぎて運べない物(たとえばテレビ)は真空管だけ抜いて持ち帰っていました。一度だけ、あの重たいテレビを数人がかりで運んできて、帰宅したら親に怒鳴られた事もあった。

いまの薄型テレビと違うんです。まず筐体が鉄板ですし、ブラウン管は分厚いガラスでした。中にシャーシがあって、そこへ部品がたくさん載っていて、とにかく重いものでした。

拾ってきたラジオ、電源を入れてみても鳴らない物が多かったような記憶があります。

おっかないので、コードリールで電源ケーブルをのばして、庭の真ん中あたりに置き、遠くからコンセントに通電して爆発しないか試していた。

たいていボリュームはガリで、回すと耳障りなガリガリ、バリバリした音がしたり、音が聞こえたり聞こえなくなったりした。

ブーンというハム音がしたり。

普通に鳴るけど、妙な臭いがしてロウのようなものが下に垂れるラジオもありました。コンデンサの絶縁が悪くなって、焼けていたのでしょう。

レコードプレーヤーとラジオが一体化したものも有り、それはもともと友人が拾ってきたものなので彼の元へ帰っていきました。

親父の実家にあったネズミの巣になっていた5球スーパーとか(ナショナル)、親の知り合いからもらったラジオとか、色々あったけれど、

その頃は自分で直す実力は無く、もっぱら分解して部品を集めるだけでした。そのままきれいに保管しておけばよかったのにと思います。

なんでもとりあえず分解してしまうガキでした。

実際に真空管ラジオを作ったのは20才頃で、

それ以前に作ろうとした事は有ったけれど、必要な部品が揃わなかった。
部品取りをしていたのではなかったのか。残念ながら、肝心なトランスがなかった。とっておかなかった。

興味のある部品、外しやすい部品(ソケットに載っている物)しか外していなかった。
興味のある部品はエアバリコンとかコイルなど。それとスピーカー。

結局、丸ごと保存しておけばよかったのにと今頃思う。

中学生の頃には、真空管ラジオを作ろうと思っても必要な部品が揃わない時代でした。
世の中は半導体時代。この頃にはパーツ屋さんも真空管を捨てちゃったのでしょう。

トランスがなければトランスレスという手もあり、一応は検討していました。倍電圧整流も。

20才を過ぎてから、ちょうど当時「なんでも鑑定団」がブームになり、自分も古物に興味を持ち始めて、
地元の古美術商(昔の生活用品など何でも有り)を訪ねたりしていました。

そこで店長さんと親しくなり、真空管ラジオに興味があると話したら、物置から「こんなのは有るけど」と、
木製ケースは壊れて虫食いのひどい状態、中身は一応大丈夫そう。そんなラジオを発掘してもらった。見た目がひどいので商品にはならない。
3000円で良いというので即買ってきて、これを何とか活かしてラジオを作ろうと着手したわけです。

結局、シャーシもサビだらけで使えないから、タカチのアルミケースを加工して使う事にした。
そのためにわざわざシャーシパンチやらリーマやらニブラーも揃えて、ヤスリで手が痛くなるまでゴシゴシやったりして、とにかくシャーシ加工は手が痛くなる。アルミ相手でも大変。

電源回路から配線を始めて、確認しようと思って試しに通電した後、コンデンサを放電させてなかったから、続きの配線作業をしている時にビリッと電撃を食らった。

放電用の抵抗でも並列につないでおけばよかったけど、そこまで頭が回ってなかったというか。

とにかく完成し、それなりに良い音で鳴ったので満足。いまでは押入れに放り込まれて、どうなっていることやら。
ドッジボール
2024.09.20
ネット上の記事で、「運動が苦手な人たちを追い詰める」 確かにそう思いました。ドッジボール。

ボールをぶつけられるのも嫌だったし・・・痛いじゃないですか。

当てるなら軽くポンと当てればいいのに(※)、すごい形相で叩きつけてきた同級生、熱が入りすぎていたのではないかと。
普段は鼻垂れ小僧で面白い奴なのに、ドッジボールでヒートアップして人格が変貌(笑)

バッシシシシシシシィィィィィィン!!

(※)だから「ころがし」が考案されたのか。

最初から外野に逃げる奴が多い。とくに女子。
自分は逃げ遅れて、内野にいなさいと言われる。

自分なんか、どんくさいからすぐにぶつけられて、ああ当てられた、いやーな気分で・・・何が楽しいんだと、いまだに忘れない。これで体育が嫌いになった子も多いだろう。

これは「素早く動ける奴」と「そうでない奴」を振り分けるためのゲームだったのかもしれない。
勉強ができる奴とできない奴とか、泳げる奴と泳げない奴とか、そんなふうに区別されてしまう。


鉄棒やかけっこも苦手だったが、とびばこなんか本当に勘弁してほしい。ケガが怖くて踏み込めなかった。
マットに横になったらそのまま寝てしまいそう。跳び箱の中に隠れるほうが面白そう。


そもそも集団行動自体が駄目で、
たとえば、みんなで「右向け右」、「左向け左」、「回れ右」

当初、自分は最初の位置である真正面(指示を出す先生と向かい合せ)が基準だと考えていた。誰もそんな事は言ってないんだが、自分はなぜかそのように思っていた。

それで、基準に対して右向けなら、時計で表現すると基準が12時で、右向けは3時だと思ったわけ。回れ右は時計回りに6時。

指示を聞くたびに、頭で考えて、えーと、基準がこっちだからあっちへ向くんだなと・・・それでワンテンポ遅れていたようだ。

しかも、みんなと違う、あさっての方向を向いたりしていた。

正解は現在の最新の位置を基準に右や左どっちへ向くかという事らしく、それがわかったのは先生から殴られた時。

そりゃあ40人近く並んでいる中で、ひとり違うことをしていると思いっきり目立ってしまう。

担任が近づいてきて、おいこらお前なにふざけてんだ、という。いや、言葉より先に手が出ていたと思う。いきなり叩かれて。
とんでもない、自分は全くふざけてない。指示通りにやっている。
先生と話していて、そこで自分の勘違いにようやく気づいた。

さあ、やり直そう。

ところが間もなく、また担任が近づいてきて注意された。回り方、とくに回れ右のやり方が変だ、と。

私は足を小刻みにチョコチョコってやりながら方向を変えていた。違うんだって。
片足を後ろへ引く。足を浮かせてクルッと回る。さっきの片足を元へ戻す。
ふ~~~ん、めんどくさー、というのが本心。

戦前、戦中の先生が多かったから、軍事教練みたいなものだったのだろうか。

さすがに藁人形を竹槍で・・・は、やってない。

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