テレビ(アナログ)は電子部品の宝庫だった
2023.02.08
末期のアナログテレビは、たいてい基板1枚におさまっていたが、家具調テレビの頃は色んな部品が満載だった。

基板だって何枚もあったし、お互いをつなぐ配線も多かったから、ある程度の量の電線を取ることもできた。電子部品の宝庫といっても良かった。

トランジスタはリードが長い状態で基板に載っていたから、ハンダを融かさなくても、指でつまんで前後に揺すれば、金属疲労でリードが折れて取り外す事ができた。(当然だが部品の根本ではなく基板側でリードが折れるように力をかける。たまに失敗して台無しになった)

そうやって、ハイエナのごとくゴミ捨て場をうろついて、荒らし回っていたのが小学生の頃の自分。たぶん、獲物を狙う猛獣のような目をしていただろう(笑)

ポケットは、基板から引きちぎった部品で一杯だった。手が汚れようが、どこかに手をこすって怪我しようがお構いなし。戦利品のことしか頭になかった。

さすがに、部品を引きちぎるのは効率が悪いので、ニッパーやドライバーを持ち歩くようになった。ランドセルの中に常備していた。学校帰りに粗大ごみのテレビを見つけても、これで対応できる。

ニッパーはナットを回すのにも利用できた。刃こぼれするので通常は禁止だが、当時はお構いなしだった。限られた道具しか持ってないから仕方ない。

真空管のテレビだったら、とにかく真空管をソケットから抜いて集めて、袋などがなくてポケットに入りきれなかったら、「しんくうかんのかくしばしょ」に置いておき、あとで取りに来た。
家と家の隙間の塀のブロックの穴で、秘密の場所だった。

ただ、テレビの部品でラジオを作るのは難しい。トランジスタや抵抗、コンデンサといった汎用部品は取れるけど、バリコンとかバーアンテナはラジオ特有のもので、別に手に入れなければならない。

壊れたラジオを拾ってきて、その部品でラジオを作るよりも、そのラジオが直るようなら直したほうがマシかな。

テレビで(自分にとって)謎だったのがチューナー。ただ格好いいので、チューナー部分のシャーシをはずして、飾るというか、いじくって遊んでいた。なんかメカメカな雰囲気がよかった。

特にUHFチューナーの内部は不思議な構成で、コイルがチョロチョロッと分散しているだけで、バリコンもラジオに比べたら小さい。
適当に電池をつないで、その出力をラジオにつないだらどうなるか試した事があった。面白い事に、短波放送が受信できたのは驚きだった。

いま考えてみると、おそらく中間周波数によってダイレクトコンバージョンみたいな働きをして短波受信ができたのではないだろうかと。
当時は自由中国の声、現在の台湾国際放送。その放送が聞こえた。

あと、テレビに関連してよく拾ってきたのはUHFコンバーター。
見た目はラジオっぽい。ツマミと横行の目盛りがあった。
昔のテレビはVHFだけだった。その後、UHF放送が始まってから、VHFのテレビでもUHFが受信できるようにコンバーターができた。

ただ、使い道がなかった。仕方ないなあと思っていたら、叔父もジャンク漁りが趣味で、ラジオを拾ってきたという。ただ、チューニングのつまみが無かった。
そこでハッと気づいて、あのUHFコンバーターのつまみが合うのでは?と・・・試してみたらピッタリ。デザイン的にもピッタリ。たぶん同じメーカーか、規格品だったのだろうけど、偶然ながら面白い事もあるもんだと思った。

中学生になっても、仲間と一緒に、テレビがたくさん捨ててある場所に乗り込んでいって、欲望の赴くままに戦利品を自転車に積んで帰ってきたっけ。

とにかく現場で解体したテレビの基板を、まるでお宝のように抱えて帰宅した。すると、たいていは鬼ババが居て、ゴミを拾ってくるなとか、いつもの決まり文句を言う。
捨てるふりをして、物置の裏にでも隠しておき、あとで少しずつ家の中に持ち込む。

基板のハンダを融かし、部品を取り外し、とにかく部品集めをしていた。集めて何をするわけでもないが、近くに部品屋は無いし、通販利用はかなりの大事業(当時の自分にとっては)だったし、何しろ拾ってきたものはタダだから利用しない手はなかった。

電子部品に飢えていた。

小箱にたくさん集めたものを、時々取り出してはニヤニヤしていた。物がたくさんあるってのは何か嬉しい。

ただ、あとで気づいたのは、取り外すよりも基板の状態で保管したほうが、探しやすくないかということ。欲しい抵抗値を探すのに、箱の中のゴチャゴチャを探るより、基板を眺めたほうが早い。

こんな事を高校生か、専門学校生の頃までやっていた。専門学校の頃は、ついにはコピー機まで拾ってきて、男二人で抱えてくるのが大変だったけど、結局動かなくて捨てたっけ。
パチンコ台とかCDプレーヤー(昔の据え置き型で大きかった)も拾ってきた。

基板の組立をしている工場が当時あって、夜な夜な、その廃品置き場をあさっていた。
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