ゲームと小学生の頃
2024.03.17
うちは全く理解がなく、ゲーム機の類は全く買ってもらった事がなかった。
周囲の友達は次々に何でも買ってもらっていた。自分は借りて遊ぶだけで精一杯。
ハンドルのついたカーレースのゲームとか、歯医者のような遊びができる玩具、そしてゲームロボット九とか。あとの2つはTVゲームじゃないけど。
ゲーム&ウォッチも色々。自分にとってはどれもこれも興味をそそられる物だった。

初めて自分用のゲーム機を手にしたのは親戚からもらった時だったっけ。
これを兄弟で奪い合って喧嘩していたら親父がブチ切れて、外に放り投げてしまった。幸い、壊れなかったけど。
こんなものがあるからいけないんだ、という考えだけだったろうなあ。

昔風というのかな、
電動鉛筆削りにも理解がなく、ナイフで削るのが当然の世界だった。あんな電動鉛筆削りなんか鉛筆があっという間に減ってしまう、けしからん、という。資本家の手先とでも言いたかったのか(笑)
自分はナイフで削るのは苦手で、何度もやり直しているうちに鉛筆がどんどん減っていって、かえって無駄になっていた。
電動だったらキレイに削れるのに、ナイフだとどうしても凸凹になって格好悪い。芯をとがらせるのが正義だと信じていた。
これも、どこからかもらった電動鉛筆削りがうちに入り込んできて、やむなく受け入れた感じだった。

さらに、電卓もけしからん、と。頭を使わないから馬鹿になるという(偏見)。
ある時、祖母から「以前あんたに電卓をあげたけど(親に預けたよ)」って言われたが、えっ、いつもらったっけ?と。
そういえば部屋にあった、あのオムロンのやつがそうだったのか、と後から気付いた。子どもに触らせまいとしたんだろうな。
電卓で算数の宿題をするわけでもなし、別に害はない。
こんな感覚だったから、工業高校の入学時、みんな電卓を教材として購入し、授業で使うという感覚に最初なじめなかった。学校で電卓なんか使うのかと。
電卓というかポケコンだったのだが、我々の先輩たちは関数電卓、さらに昔にさかのぼると計算尺だった。
実際、関数電卓は必須で、やたらにサイン・コサインとかルート、べき乗、10のマイナス何乗といったものが出てくるから。
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amesho - 2024年03月17日 17:54
子どもの頃は、何でも試してみたかったんだと思います。好奇心旺盛で。
なんでも初めての物だから、どんなものだろうと興味を持ち、いじってみたくてたまらない。
大人に言わせれば、そんなの試してみるまでもないでしょう、無駄なことだと。
だけど子どもは経験がないから、やってみなくちゃわからない。経験してみることが大事だった。
経験してみて新鮮な感動がありました。これは子どもの頃しか味わえない事です。大人になると、そんなの試してみるまでも・・・という大人になってしまって、もうあの頃には戻れない。

昭和の時代には単機能の物が多く、複合的な機能を持っている物は特に魅力を感じました。ラジオ+カセットでラジカセとか、なぜかカメラにラジオが付いているラジカメとか。ラジカセとテレビの合体とか。
究極はラテカピュータ(笑)
kanitama - 2024年03月17日 16:56
昭和の時代にはほしいものが満載でしたね。今ではスマホとタブレットだけでなんでもできてしまいます。寂しい限りです。なんでも手に入るとなればなんにもほしくなくなるといったところでしょう。今ではポケコンを上げて喜ぶのはおじさんばかりということでしょうか。
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