水に湯を
2024.09.18
子供の頃、新築の家には温水器が付いて、いつでも湯が使えるようになった。
顔を洗ったりするのも湯で・・・ぜいたくな。

そこで、水を溜めてからお湯を足して温度調整していたら、いきなり親が「不吉だ」と言い出してビックリ。

なんのこっちゃ。

いきなりお湯を出すと熱いから(※)、先に水を入れておいて湯を足したほうが安全だと自分なりに「合理的に」考えての行動なのに。

水に湯を足しても、湯に水を足しても、どっちでも同じだろう!!と。
ところが、前者は日常的にやってはいけないんだと。

具体的に書かないが、それは「非日常」の中で行われる事なので、普段からそれをやってはいけないんだと。

たとえば、箸で食べ物を渡したりするのも駄目とか、その類のやつ。


※たとえばシャワーでお湯を先に出したら火傷しそうになった。だから、水を先に出してお湯を増やしながら温度調整したほうが安全と考えた。

 いまでは温度調整付きの温水器や水栓が有るけど、当時はなかった。少なくとも、うちにはなかった。
 単純に湯が出る蛇口と水の出る蛇口があって、温度調整はそれぞれを加減して、チョイチョイと触りながら温度を確かめていた。
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amesho - 2024年09月18日 18:27
バチが当たるぞ! という言葉も日常的に使われていたと思います。

誰かが見ていないようでも見ている、悪いことはするな、と躾けられたものでした。

本当に純粋な子供時代でしたが、

時々、他所の家の玄関に筆でかいた紙が貼ってあるのを目にしていました。
「◯中」、今の時代は違う言葉のようですが・・・

**くんの家はおばあちゃんがなくなったばかりだから、遊びにいったらだめよ、と言われたものでした。

この暑さだと「熱中」「暑中」ですけど、とにかく、それは筆文字だし、書道のお手本にピッタリだと思ったんですね。当時の自分にとっては。

そこで学校の習字(書道)の時間に、それを書いて家に持ち帰ったところ大目玉でした。
母に見られて怒られて、そして、こんなものをお父さんに見られたら大変だから捨てなさいと。
せっかくきれいに書けたのになあ、と残念でしたが、まあ、見せなくて良かったです。
kanitama - 2024年09月18日 17:54
「不吉」という言葉からは時代を感じますね。なにかにつけ「祟りじゃ」という言葉も昭和には残っていたと思います。映画の影響もあったかもしれません。昭和には吉兆に関する事柄には敏感だったのかもしれませんね。
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