草の根ネットのはじまり
2024.11.21
'92年の夏頃だったと思う。
パソコン通信を始めたのはその頃で、とりあえずジャンク屋から買ったPC-98LTにWTERM、1200bpsの遅いモデムで遊んでいた。

後輩からPC-9801UV11を買って、モデムは最初借りていたが、頑張ってPV-AF144V5という当時の最新機種を買った。

そして自分の草の根ネットをやりたくなってきたので、同僚に声をかけて着信のテストを始めた。
最初は設定が間違っていてなかなか着信できなかった。そもそも、着信の仕組みを自分がよく理解していなかった。
モデム自体の機能で自動着信させようとしていた。自動着信させるのだから自動着信の設定にすべきだろう、と。
それは誤りで、手動着信にしなければならなかった。手動といってもその部分をホストプログラムがやってくれるわけである。RINGという文字列が来たらATAで応答するというわけ。

実験を繰り返し、なんとかうまく動くようになったので本格的にやってみよう。

自宅の(親の名義の)電話回線を使って、深夜の決まった時間帯だけ開局しようとした。深夜なら迷惑かからないだろう。(甘かった)

近隣の草の根ネットにお知らせを書き込み、アクセスを待った。

なかなかアクセスはなかったが、ようやくアクセスが来たときにはドキドキした。この興奮は忘れられない。

こうして毎週末の深夜帯だけ運営していたが、とうとう問題が起こってしまった。

時間帯を気にせずにアクセスしてくる方がいて、これが結果的に「深夜の無言電話」となり、親が激怒!

深夜の電話は良い知らせでないことが多い。緊急事態と思ってドキドキさせられる。いずれにしても寝ているのを起こされるので迷惑である。

わけのわからん事をしているバカ息子のせいだという事になり(電話代4万2千円事件もこの頃)、こりゃあ、専用で電話回線を引かないと駄目だなと考え始めた。

当時で72,000円。ほかに手数料800円だったか。最終的に2回線引くことになったが、この時点では精一杯の1回線。
当時NTTの窓口があり、そこで申込みをした。

後日、工事の方が来られたので立会をして工事完了。これでようやく自分の回線が持てた。

当初は24時間運営に不安があって、夜間の限られた時間から始めた。
タイマーで夕方6時ぐらいから電源が入り、明朝に切れるようにしていたと思う。

そのうちにメンバーから、24時間にしろよと圧力がかかり、24時間運営を始めた。

以前にも書いた話になるが、次には「遅い」「文字化けする」というクレーム。

どんだけ遅いか見てみろ!って言われて、本人の家まで拉致され、ほら、こうなるんだと。確かに遅いし、文字化けする。

なにしろホストはPC-9801UV11で、V30の10MHzだから仕方がない。RS-232Cは本体のポートのみ。文字化けが起きても不思議ではない。

そこでMC16550IIを買って組み込んでみた。これでいくらかは改善したが、遅いのは根本的な問題で、

こりゃー、高速なパソコンが必要だなと。

その週末に再び拉致され、博多まで繰り出した。

何軒か回ってみて、予算と相談しながら機種選びをした。なかなか決まらなくて、どうしたもんかと思ったら、中古屋さんでPC-486SE2を見つけた。
これなら小型で場所は取らないし、値段も手頃じゃないかと。これが二代目のホスト機となった。

次には、
「1回線じゃ物足りない」「回線を増やせ」
「モデムを高速化しろ」
「電話番号を代表扱いにしろ」
「ISDNにしろ」
といった具合で、言いたい放題言ってくる。
自分は遅いパソコンとモデムを使っているのにホスト機には最新型を装備するというメチャクチャな事をしていた。

一般的にホスト機には自分の使い古しを使うのだろうけど、うちは本気度が違った。県内最速は嘘ではなかった。

あるとき、博多で486のODPを買ってきて装備したが、同行したみんな大喜びで(高速化したと思って)家に帰ってアクセスしてきたが、大して変わらないじゃん、で終わり。

そりゃーそうよ。そんなのつける前からすでに十分速かったでしょうが。
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kanitama - 2024年11月21日 21:49
パト根通信で盛り上がっていましたね~。今となってはなんだかんだと思い出として語れるのでお金では買えない経験を得たのだと思います。今でも改良を加えながら自宅でBBSを開局されている方もおられるようです。ただしインターネット経由です。なんだか数十年前の学生時代に通っていた喫茶店がまだあったような喜びが感じられそうですね。BBS開局の期待が高まりそうです。
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