昔の島鉄
2025.11.06
昔の島鉄、
島鉄とは、島原鉄道の略です。
キハ20っていうんですか、その鉄分の多いほうはよくわからないので、詳しい方に任せますが・・・今はもう無い、あの古い車両のほうが幼い頃から馴染みがありました。
車体の塗装によって、通称・赤パンツとか三本ひげという車両がありました。
子どもの頃は、「急行」という札を付けて走っている車両がありました。
貨物列車も時々通っていました。
そのキハ20、そもそも冷房がなかったのです。天井に扇風機が回っていて、あとは窓を開けるぐらい。走っていれば風があるのでそれなりに涼しかったが・・・
学校に通っていた頃、冷房がある車両と、無い車両が混在していたような記憶があります。
乗った時に、あっ、冷房なしか・・・とガッカリした事も。
便所はボットンです。ボットンっていうのかな。穴をのぞいてみると、線路が見えている。垂れ流し。
「停車中は使用しないでください」という札。
昔、なぜだろう?と思っていました。
走りながら適度に散らしたほうが目立たないからか。
たまたま駅でベンチに座って待っている時、止まっている車両を外から見ていたら、便所らしき所からジャーッと何か線路に・・・停車中に使ってるじゃないかと。
線路をよく見ると、紙とか落ちていたり、うーん、まあ、具体的に書くのはやめておきましょう。
あの赤茶けた砂利がいかにも鉄分の多い感じがしました。
昔は線路沿いに石炭が落ちていたので拾ったりしました。蒸気機関車時代にこぼれた物でしょう。拾ってきて焚き火にくべると赤く光って燃えましたので石炭に違いありません。
ドアは自動かと見せかけて、開けるのは手動というやつでした。
観光客などあまり馴染みのない方は、駅についてもドアがあかないので戸惑っている様子を時々見かけました。
あかないというか、少し開くのですが、あとはレバーを持ってドアをスライドさせてくださいというやつ。閉まるのは自動です。車掌が確認して閉めます。
当時は知りませんでしたが、もともとは国鉄が使用していた車両だったようです。そのお下がりを譲っていただいて使っていたというわけ。
その国鉄(現JR)とのつながりを示すのは、諫早駅にある線路だと思います。よく見るとつながってるんですね。鉄分の多い方にとっては常識以前の豆知識かもしれませんが・・・昔は何も知りませんから、ひょっとしてどこかでつながってるのかな?それともつながってなくて、クレーンで吊って島鉄の線路に載せるのかな?と想像していたのでした。
よく注意して線路を見ていたら、つながっていたのです。聞いた話では昔、島鉄は国鉄の路線にも乗り入れていたようです。
キハ20はかなりボロな感じで、一度だけでしたが、ある駅でエンジントラブルが起きて動けなくなり、救援が来たことがあります。その時、自分も乗っていました。たしか学校帰りか。こんな事もあるんだなと。
しばらく待っていたら別の車両が来て、こちらに乗り換えて下さいと。
救援車って言うから、あの南島原駅(当時)に置いてある黒い「救援車」と書いたやつが来るのかなと勝手に思っていたら違ってて、普通の車両が来ました。
高校の同級生(複数)が運転士になり、もうひとりは今も続けているのではないかと思います。
昔は車掌も乗っていました。いまではワンマンで運転士さんだけです。
ワンマン運行になった直後だったか、諫早駅でお客さんがみんな降りる時にバーサンがそのままトコトコ歩き去ってしまいました。そこで切符かお金を払わないといけなかったのです。
運転士さん、その場を離れるわけにはいきません。おきゃくさーん!おきゃくさーん!と叫びますがバーサンは去ってしまいました。
私が幼い頃は郵便車が有り、駅に郵便局の人たちが待ち構えていて、郵袋を積み下ろししているのを見かけることがありました。
荷物も扱っていて、鉄道荷札というのを括り付けていたようです。荷札は店で5円で売っていました。
’90年代後半だったか、いまも見るような黄色い新しい車両に変わりました。
古い車両もしばらく走っていて、いつ変わったかはわかりませんが、南目線の廃止までは有ったはずです。その後、解体されました。
島原駅がいまの姿になる前の古い駅舎とか、その後の工事中のプレハブ駅舎とか、もう自分の記憶の中の断片です。
古い駅舎の頃、便所は離れた場所にありました。
朝からその便所を利用するのは至難の業でした。
なぜなら、便所周辺は農業高校のワルが徘徊していたからです。
当然タバコを吸っています。
目が合うと、オイコラって声をかけられたりします。怖いです。
プレハブ駅舎の時に大雨があって、確か水位が5センチぐらい、そんなのわざわざ定規ではかっていませんが、靴が水に浸かってあきらめたぐらいですから。駅の構内まで水が流れ込んでいました。そんなこともありました。
昔の諫早駅は、JRと島鉄のホームが直接行き来できて、それがじつはちょっとした問題でした。なぜなら改札を通らないからです。わざわざ改札に行く人はいません。
昔(20年以上前)たまたま回数券でJRに乗り、無人駅から乗ったので改札はありません。諫早で降りて島鉄のホームへ行った時に気づきました。あれっ、この回数券そのまま次回使えてしまう、と。期限までは。これはマズイでしょう。
そんなわけで(他にも理由があったかも)、島鉄のホーム手前に臨時で改札が設けられた事がありました。
現在の新しい駅舎では、ホーム間を直接に行き来することはできません。
島鉄とは、島原鉄道の略です。
キハ20っていうんですか、その鉄分の多いほうはよくわからないので、詳しい方に任せますが・・・今はもう無い、あの古い車両のほうが幼い頃から馴染みがありました。
車体の塗装によって、通称・赤パンツとか三本ひげという車両がありました。
子どもの頃は、「急行」という札を付けて走っている車両がありました。
貨物列車も時々通っていました。
そのキハ20、そもそも冷房がなかったのです。天井に扇風機が回っていて、あとは窓を開けるぐらい。走っていれば風があるのでそれなりに涼しかったが・・・
学校に通っていた頃、冷房がある車両と、無い車両が混在していたような記憶があります。
乗った時に、あっ、冷房なしか・・・とガッカリした事も。
便所はボットンです。ボットンっていうのかな。穴をのぞいてみると、線路が見えている。垂れ流し。
「停車中は使用しないでください」という札。
昔、なぜだろう?と思っていました。
走りながら適度に散らしたほうが目立たないからか。
たまたま駅でベンチに座って待っている時、止まっている車両を外から見ていたら、便所らしき所からジャーッと何か線路に・・・停車中に使ってるじゃないかと。
線路をよく見ると、紙とか落ちていたり、うーん、まあ、具体的に書くのはやめておきましょう。
あの赤茶けた砂利がいかにも鉄分の多い感じがしました。
昔は線路沿いに石炭が落ちていたので拾ったりしました。蒸気機関車時代にこぼれた物でしょう。拾ってきて焚き火にくべると赤く光って燃えましたので石炭に違いありません。
ドアは自動かと見せかけて、開けるのは手動というやつでした。
観光客などあまり馴染みのない方は、駅についてもドアがあかないので戸惑っている様子を時々見かけました。
あかないというか、少し開くのですが、あとはレバーを持ってドアをスライドさせてくださいというやつ。閉まるのは自動です。車掌が確認して閉めます。
当時は知りませんでしたが、もともとは国鉄が使用していた車両だったようです。そのお下がりを譲っていただいて使っていたというわけ。
その国鉄(現JR)とのつながりを示すのは、諫早駅にある線路だと思います。よく見るとつながってるんですね。鉄分の多い方にとっては常識以前の豆知識かもしれませんが・・・昔は何も知りませんから、ひょっとしてどこかでつながってるのかな?それともつながってなくて、クレーンで吊って島鉄の線路に載せるのかな?と想像していたのでした。
よく注意して線路を見ていたら、つながっていたのです。聞いた話では昔、島鉄は国鉄の路線にも乗り入れていたようです。
キハ20はかなりボロな感じで、一度だけでしたが、ある駅でエンジントラブルが起きて動けなくなり、救援が来たことがあります。その時、自分も乗っていました。たしか学校帰りか。こんな事もあるんだなと。
しばらく待っていたら別の車両が来て、こちらに乗り換えて下さいと。
救援車って言うから、あの南島原駅(当時)に置いてある黒い「救援車」と書いたやつが来るのかなと勝手に思っていたら違ってて、普通の車両が来ました。
高校の同級生(複数)が運転士になり、もうひとりは今も続けているのではないかと思います。
昔は車掌も乗っていました。いまではワンマンで運転士さんだけです。
ワンマン運行になった直後だったか、諫早駅でお客さんがみんな降りる時にバーサンがそのままトコトコ歩き去ってしまいました。そこで切符かお金を払わないといけなかったのです。
運転士さん、その場を離れるわけにはいきません。おきゃくさーん!おきゃくさーん!と叫びますがバーサンは去ってしまいました。
私が幼い頃は郵便車が有り、駅に郵便局の人たちが待ち構えていて、郵袋を積み下ろししているのを見かけることがありました。
荷物も扱っていて、鉄道荷札というのを括り付けていたようです。荷札は店で5円で売っていました。
’90年代後半だったか、いまも見るような黄色い新しい車両に変わりました。
古い車両もしばらく走っていて、いつ変わったかはわかりませんが、南目線の廃止までは有ったはずです。その後、解体されました。
島原駅がいまの姿になる前の古い駅舎とか、その後の工事中のプレハブ駅舎とか、もう自分の記憶の中の断片です。
古い駅舎の頃、便所は離れた場所にありました。
朝からその便所を利用するのは至難の業でした。
なぜなら、便所周辺は農業高校のワルが徘徊していたからです。
当然タバコを吸っています。
目が合うと、オイコラって声をかけられたりします。怖いです。
プレハブ駅舎の時に大雨があって、確か水位が5センチぐらい、そんなのわざわざ定規ではかっていませんが、靴が水に浸かってあきらめたぐらいですから。駅の構内まで水が流れ込んでいました。そんなこともありました。
昔の諫早駅は、JRと島鉄のホームが直接行き来できて、それがじつはちょっとした問題でした。なぜなら改札を通らないからです。わざわざ改札に行く人はいません。
昔(20年以上前)たまたま回数券でJRに乗り、無人駅から乗ったので改札はありません。諫早で降りて島鉄のホームへ行った時に気づきました。あれっ、この回数券そのまま次回使えてしまう、と。期限までは。これはマズイでしょう。
そんなわけで(他にも理由があったかも)、島鉄のホーム手前に臨時で改札が設けられた事がありました。
現在の新しい駅舎では、ホーム間を直接に行き来することはできません。
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2025.11.06 18:58
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