SC3K-2011を振り返る(4)
2023.08.31
SC3K実機のワイヤレス化

(1)本体を電池駆動にする。

(2)映像・音声信号を無線で飛ばす。

(3)モニタも搭載する。


まず(1)は今まで書いたように、ニッカドで動作させていた。
単3を4本しか持っていなかったから、公称電圧だと直列で4.8Vだ。だいたい5Vだからいいだろうという、そんな感じ。

次に(2)だが、ちょうど「ラジオの製作」だったか、TV用ブースターの製作記事があった。
当時は、きれいに受信できない遠くのTV局の放送を受信することに執念を燃やしていたものだ。
このアニメ見たいのに地元じゃうつらないよ!!
アンテナをその方向に向けようとしたり、ブースターを作ったり、色々あがいていた。

ちなみに私の出身地である島原半島某所は、地元局だけでなく、福岡・佐賀・熊本のテレビも受信できる好立地だった。最初は好立地だなんて気づかなかった。
修学旅行や進学などでよそへ行ってみると、いかに受信できるチャンネルが少ないかという事に気づいたわけ。
福岡ならFBS、RKB、TVQ、熊本はRKK、KKT、佐賀はSTSとか、あと、熊本のNHKもうつったと思う。なんとなく佐賀や熊本のNHKニュースを見ていたりした。島原半島は長崎市より熊本のほうが近いから、熊本のほうがきれいにうつった。

きれいにうつった、なんて地デジ時代しか知らない人には意味不明だろうな。

遠いTV局を受信すると、画像にノイズが混ざるぐらいならマシで、色がつかなくて白黒になったり、砂嵐が重なったり、同期がとれずに揺れたりしたのだ。
画面は視聴にたえなくても、音声はなんとか聞き取れるので、頑張ってそんな画面を見つめていた。
そこへブースターを付ければ、もっと改善するんじゃないかと思ったわけだ。
μPC1651という4本足のICをサトー電気に頼んで取り寄せてもらい、銅箔基板の銅箔を彫刻刀で削ってパターンを作った。
簡単な高周波回路なのでエッチングよりも削った方が手っ取り早かった。
さてテスト・・・結果的には失敗。
ブースターが難しいのは、入力と出力が結合しないようにすること。おかしいなあ、記事の通りに作ったのに、まともにうつらないじゃないって、がっかりした。
今だったらシールド板を組み込んだりするのだが、当時は記事を真似するのが精一杯だったから、ある程度いじってくたびれたら、そのブースターは放置していた。

また別の記事で、MSXパソコンのRF信号を飛ばそう、という記事を見かけて、あっ、この回路・・・あのブースターが流用できないか、というわけだ。

うまくSC3K実機に組み込んで、今度こそはうまくいった。バッチリ、TVとの接続なしで使える。

面白いもんだ。SC3K本体に何も電線をつながずに使えるなんて。
部屋中あちこち持ち歩いて、その「自由」さに感動した。
たとえれば、Wi-Fiを初めて経験した、あの時の感じかな。ノートPCに何も電線をつながず、持ち歩いて使える自由。

さらに、本当にポータブルにしたのが(3)だ。

当時の秋月でビデオカメラのビューファインダーが売られていた。
2個で立体感?なんて書いてあったと思うが、2個買う前になくなってしまった。
白黒だけど、かなり細かい表示ができる優れものだったと思う。

これをSC3Kの表面に取り付けて、起こしたり倒したりできるようにしたと思う。

のぞきこむと・・・おおっ、BASICの画面だ。フォーカスを調整したら、文字もバッチリうつっている。
これで自分だけの世界に没入することができた。
SC3K-2011を振り返る(3)
2023.08.31
あと、忘れてはいけないのは「ケース」だ。
うちの製品は、これに限らないけれど、多くはケースに組み込んでいる。
アマチュアの作品は基板むきだしの物が多い。基板を作って満足してしまっている。基板むき出しはいじくりやすいが、ホコリをかぶったり、ぶつけたり落としたりして壊しやすい。
永く使えるようにするには、やはりケースが必要だ。
CNC(フライス)またはレーザーカットでアクリル板をカットして、ケースを製作している。

そういえば電源のことを書いていなかった。
SC3K実機は、でっかいトランス式のACアダプタと、本体内部に大きいアルミのヒートシンクが組み込まれていた。そのヒートシンクに3端子レギュレータ7805が取り付けてあった。
7805は、なんといっても安い。
自分は仕事でも1,000個程度しか仕入れた事はないが、それでも単価\30よりは下がらなかった記憶がある。
大手メーカーが大量生産で仕入れるならば、もっと安いのではないかと思う。そうでなくても\30は安い。

3端子レギュレータの発熱は、要するに入力と出力電圧の差を熱に変えて放出しているわけである。入出力電圧の差に、電流をかけたワット数になる。
理屈上は無限大の放熱器をつければ大丈夫だが、無限大なんてのは現実に無いので、可能な限りのサイズとなる。
プリント基板の銅箔ベタとか、筐体内部に広いアルミ板を貼ったり、あるいは金属の筐体に直接取り付ける(絶縁が必要な場合もある)。このようにして放熱するやり方がある。

この発熱のせいで、カセットI/Fが影響を受けてロードに失敗していた。(SC3K実機の話)
最初どうしたっけ。
電源を入れた直後の冷えているうちにロードを試みたり、蓋を開けて放熱を助けたり、さらに風を送ってみたり・・・(風を送るといってもファンがないからうちわでパタパタしたような?)
どうしたっけ。7805とヒートシンクを(電線をつないで延長し)外に出してしまった事もあったと思う。

SC3K-2011では、スイッチング電源アダプタが出回っているからそれを使うことにした。これで電源まわりはスッキリした。
回路は5Vだけで動作するから、最初から5Vを入力すれば良い。

SC3K実機も単電源で動いていたが、あの頃は複数の電源を必要とするDRAMもザラにあった。SC3K実機はMB8118を使っていたので5Vオンリーでよかった。このDRAMはVRAMとして使用されていた。
MB8116だと、確か+12Vと-5Vも必要だったと思う。いま思えば不便だった。

そこで思い出したのは、BASICのカートリッジ内蔵RAMをバックアップできないか、ということ。
内蔵RAMもDRAMだった。
当時(中2)はよく理解していなかった。ただ、技術雑誌を見てみると、RAMを電池でバックアップした例があった。これを真似すりゃいいんじゃないかと。

そもそも、なんでバックアップがいるかというと、さきほど書いたようにカセットのロードに失敗した経験からか、カセットのSAVE/LOADに時間がかかるためか、
あるいは、カートリッジの接触不良で、カタッとなった瞬間に今までの作業がフッ飛んでしまったせいか。理由は忘れてしまった。

とにかく、RAMに電池をつなげば、プログラムが残るだろうと単純に考えただけ。

中2当時、DRAMとSRAMの区別もわからなかった。

実際にBASICカートリッジを開けて、中の基板の電源5Vパターンを追ってみて、それを途中でカットしてダイオードを入れてみた。
確か、一部カットしただけでは他のICもつながったままなのに気づき、また調べ直してDRAMだけ浮かすようにしたんじゃなかったっけ。
それでとにかくDRAMに電池をつないだ。単3電池を3本か4本直列で。

だけど結論から言うとバックアップはうまくできなくて、それよりも、電池でSC3Kが動作する事に気づいてしまった。
使い捨ての乾電池だと不経済だから、ニッカドを使ったけど。

こうして、ワイヤレス化への取り組みが始まった。

(ここまで、SC3K-2011ではなくてSC3K実機の話になってしまっているが・・・)
続く。
SC3K-2011を振り返る(2)
2023.08.31
オリジナルのSC3K(SC-3000を略)をそのまま復刻するのではなく、色々と工夫を加える事にした。

(1)ジョイスティック
 SEGA仕様ではなく、MSXと同じATARI仕様にした。その方が、接続できるジョイスティック、コントローラが多い。
 そういえば昔は(SC3K実機を持っていた頃は)コネクタのピンを差し替えて、SC3K用のものをMSXでも使ってみたりしたものである。

(2)シリアル通信
 外部と通信できる事は必須と考えた。デバッグにも便利だ。モニタープログラムを載せて、別のPCから操作できるようにしたい。
 そこで、USBシリアルと8251を搭載した。

(3)キーボードI/F
 これは結局、未完のまま終わった。
 当初、キーボードを専用に作るのも大変だし、と思い、PS/2キーボードが使えるようにそのコネクタと若干の回路、PICマイコンを設計に組み込んだ。
 PICはZ80のバスにつないで、そこでやりとりできるように考えた。
 だけど実際に作るところまでやりきれず、そのまま。

 代替として、結局キーボードを独自に作ってしまった。26PのBOXヘッダを出してあったので、そこにつなぐだけ。最初からそれで良かったじゃないかと・・・。

(4)MSXもどきバス
 50PのBOXヘッダをMSXのスロットと同じピン配列にして、MSXのI/Oボードなど接続できるように考慮した。MSXと完全互換まではできず、たとえばスロット信号の回路まで組み込むスペースがなかったので、一部は省略してある。

 のちに、MSX上でSC3Kのソフトを動かすボードを作ったので、反対方向?から夢が実現したとも言える。

(5)ROM、RAMソケット
 オリジナルのSC3Kには小容量のRAMが載っているけれど、今どきそんな物は無いので、6264または62256が載せられるソケットを搭載した。
 ROMソケットも搭載した。
 注意しなければいけないのは、いずれもカートリッジ側と干渉しないようにすること。どちらか一方しか使えない。
 カートリッジのROMを使うときは、基板上ソケットのROMは抜く。
 BASICカートリッジのようにROMとRAMを内蔵したものを使うときは、ソケットのROM、RAMとも抜く。・・・と言いたいところだが、DRAMリフレッシュの信号は省略(SC3K実機ではカスタムICに入っている機能)したので、メイン基板上のRAMを使う。
 カートリッジ内のROMを複製し、それをメイン基板のソケットに装着して使用していた。

(6)プリンタコネクタ
 SC3K純正のプロッタ・プリンタは丸形DINコネクタだったと思うが、独自のシリアルI/Fによってデータを送っていた。さすがに同じプリンタを入手するのは困難の為、この部分は省略しても支障ないと判断したが、何かに応用できる余地を残そうとして、10PのBOXヘッダに信号を出しておいた。

(7)カセットI/F
 むかし持っていたSC3K実機は、とっくの昔に部品取りして捨ててしまったが、いくつかの部品は取り外して保存していた。(本体そのまま保存しておけばよかったのにと後悔)
 その残していた部品のひとつがカセットI/FのHIC-1である。
 これをそのまま実装できるようにパターンを設けておいたが、結局使わず。OPアンプなどで代替回路も組み込んであり、これを使用した。

 それと、元々カセットI/Fのリレー用に出力ポートが存在するのだが、実機SC3Kでは使用されていなかった。そこで、この信号をLEDにつないでおいた。LED1個でも有れば(他に出力手段がない時の)デバッグの助けになるし。

(8)ビデオ出力、音声出力
 2011年当時はアナログテレビが無くなる時だったので、いまさらRFコンバータでTVの1chとか2chにつなぐ方式も無いだろうと。
 それでビデオ出力と音声出力をRCA端子で出してある。
 ついでに、オーディオアンプも搭載し、別の端子からスピーカーが直接駆動できるようにした。でも、これはあまり必要なかったようだ。

続く
SC3K-2011を振り返る(1)
2023.08.31
まだ社畜だった頃、夜に帰ってきてからコツコツと設計を進めた物のひとつがSC-3000の復活版、SC3K-2011だった。
2011は勿論、2011年のこと。
SC3000-2011だと長過ぎると思って、詰めてSC3K-とした。



あの頃は、当時つとめていた怪社の仕事でヘロヘロになっていた。
イルミネーションに関わる時もあり、明るいうちは見えないから、調整は夜に行うしかない。必然的に帰りが遅くなる。
回路設計も基板設計もプログラムも他にできる奴がいないから全部自分一人でやっていた。
いくら寝ても眠り足りなかったのであった。

だいたい、社長に誘われたからサラリーマンに戻っただけで、いつでも自営業に戻ってもよかった。
その会社に営業へ行った時、そこの社長にいきなり初対面から「入社しないか」と言われた。しつこく誘われ、何ヶ月か断り続けたが、「若手を育ててくれ」と口説かれて、折れてしまった。これが(あとから思えば)大失敗だった。

個人的には同じ会社に5年以上つとめた事がない。数年で飽きてしまって、これでいいのかなと考え始めてしまう。毎日こうやって通勤するのか?と考えると、ずっと続けられないなと思った。自分は。

逆に、毎日決まった生活が居心地良い人ならずっとサラリーマンが続けられるだろう。自分は無理だった。飽きっぽいんだろうな。

その会社も結局、4年と数ヶ月勤めたが、経営が傾き、その前の年あたりから人員整理が始まっていた。後からフタをあけてみれば、もともと儲かっていなかったようだ。

若い子から解雇されていった。かわいそうだった。大学を出て希望を持って社会に出てきたのに、こんな仕打ち。私は過去に会社解散で解雇された経験があったけど、若い人をそんな目にあってほしくなかった。

自分は社長から「幹部として会社に残れ」と言われたが、人が大幅に減った分、今まで以上にきつくなるのは見えていたし、育ててくれと言われた若手も既にいなくなり、ここにいてもしょうがないと思っていた。

その会社の前身から、社長と長年一緒にやってきた古参の社員の方がいて、その人も解雇となった。最初の頃に「骨をうずめるつもりで来てくれ」と誘われたらしい。ところが、この時になって「お前やめろ」だから、単にご都合次第である。社長室で二人で面談していて、怒声が聞こえてきた。5年近く一緒に仕事していて、怒っているところなんか見たこともない、あのお人柄の良い面白いおじさんがあんなに怒るなんて異常事態だ。
・・・それを目の当たりにしたから、ここにいても幸せになれないのは明らかだった。

「幹部」だなんて、偉そうに聞こえるけれど、現実は「ままごと」みたいなものだと思っていた。実際、残業代を払わない為の役職だったからな。
だから「幹部」じゃなくて「患部」だろうと、自分の解釈は。タンコブか、切れ痔みたいな存在だと。

それで、2013年の春に、さっさと辞めてしまった。(その半年前に退職を願い出ていたが破られた)

先の事などあまり考えてなかったが、辞めて早々に以前からお付き合いのあった高専の教授から電話があり、基板を急ぎ1週間で設計・製作してくれと。そういうのは(前職での経験で)得意だったから、実際に1週間で作って納品したら、その納入先の会社で認められ、次の大きな仕事につながった。さらに大規模で時間も労力も相当かかってヘロヘロになったが、まとまった収入を得ることができた。

あれから10年たった。振り返ってみると、色々な方との出会いなどがあり、ぜいたくはできないが、なんとか事業をやっていけるようにまでになった。

ぜんぜんSC3Kの話じゃないじゃないかと言われそうだが、
そうやって社畜をやりながら、「いつでも自営業に戻ってやるぞ」と、「面従腹背」で頑張っていた自分がいた。

よく、会社が解散したとか人員整理で辞めさせられてどうしようという話を聞くが、会社に飼われて「野生」を失ってはいけないと思う。

会社は理不尽だって当たり前だよ。嫌なら自分でやれ。

会社なんか踏み台にしろよ。利用されるんじゃなくて利用して、ぐらいの気持ちでやらなきゃ。
在職中に人脈を増やしたり、そうでなくても経験値を上げるチャンスだ。副業をやって、そっちが儲かるようになったら乗り換えたらいい。
スキマ時間を利用して少しずつでも継続して勉強する。たとえば語学。私も実際にやっていた。当時メタボになったのでウォーキングをしながら中国語会話を聞いていた。通勤中に車で英会話を聞いていた。

いやいや、あんた才能があるからそんな事が言えるんだろう、一般の人は無理だよって反論されそうだけど、私は才能ないよ。新人の頃、上司からよく言われたものだ。「お前はセンスがない」
それに、世の中には自分より上の人がどれだけいるのか、言い出すと、きりがない。

誰でも好きな事とかあるでしょう。熱中できる趣味とか。それだけで食っていけないだろうけど、(生活するために仕方なく)社畜をやりながら、こんちくしょうと思いながら、頑張るんだよ。
ささやかでも良いから、作った物をネットで売ってみたり、仲間を増やしたりするんだよ。そうやって活動を続けていくと、流れができてくる。

また、全然SC3Kの話じゃないなと。

オリジナルのSC3Kをそのまま復刻しても面白くないし、色々考えがあって、追加した回路もある。長くなるから、それは(2)で書くことにしよう。
SC-3000ものがたり
2021.10.26
過去に書いたかもしれませんが・・・SC-3000との出会いは、ちょっとした「間違い」からでした。中学2年の頃だったと思います。

当時購読していた「ラジオの製作」には、売買コーナーがありました。いまでは考えられない、個人情報丸出しのコーナーでした(住所、電話番号まで掲載)。

その「買います」コーナーを何となく読んでいたら、「SC-3000とソフト、付属品を4.6Kで」(\4,600)実際の細かい文面は忘れましたが、どう読んでも「売ります」としか受け取れなかったのでした。おそらく(編集部が)掲載するコーナーを間違ったのでしょう。

それで問い合わせてみたところ、やはり「売ります」という事で、私以外には問い合わせがなかったようです。それで譲ってもらえる事になりました。

SC-3000自体は、その前のウルトラクイズ(確か第8回)のじゃんけん大会に登場したのを見た程度で、現物を直接見たことがありませんでした。(SC-3000H)

見た感じキーボードだけなのに、あの中にちゃんと基板が入ってるんだろうか?と、ただ想像するだけでした。MSXの日立H1も、カタログを眺めながら、このキーボードの下に基板が入るスペースは有るんだろうか?と思っていました。スペースキーの下の妙なプラスチックは何だろうと、とにかく現物を見たことがなかったので仕方ありません。(のちにH1も物々交換で入手しました)

届いた現物を見て、うーん、これがSC-3000か、と。
本体、電源アダプタ、ジョイスティック、ソフトはBASIC LEVELIIIBと、ゲーム3本だったでしょうか。確かロードランナーと、ジッピーレースと、モナコGPだったと思います。

当時MSXのHBー101と、リコーのワープロを持っていました。そこへSC-3000が仲間入りしました。

BASICなど動かしながら適当に遊んでみました。

すると、ガタッと振動が加わると暴走するではありませんか。キー操作の振動でもおかしくなりました。こりゃ困ったものだ。また打ち込みをやり直さないと。

最初はカセットに紙を挟んで、ガタガタしないように固定してみたのです。それでもダメな時があって、端子を掃除したり色々やりましたが、最終手段として直接ハンダ付けしました(笑)。
リード線で1本1本つないで、これで悩みは解消した、と。
でも、別のソフトを試す時に不便だから、結局取り外してしまったのです。なにを考えていたのでしょう自分。

それから、カセットI/Fが不調の時がありました。これは原因を考察した結果、どうやら暖まってくるとダメだと気づいて、内部の3端子レギュレータの配線をのばして、外に出してやったら解消しました。
カセットI/FのハイブリッドICが暖まると、動作が変わってしまうんでしょうな。

しかし、3端子レギュレータのヒートシンクが外に転がっているのは、あまりにも不格好なので結局本体に戻して、その後どうしたか忘れました。キーボードの蓋をあけて、だましだまし動かしたのか、何か工夫していたような気がします。

そもそもカセットに保存する必要ないだろう、と。RAMのバッテリーバックアップだ。細かい事は知らなかったが、カセットの中のDRAMに電池をつなげば良いだろうと考えました。当時は何も知りません。ただ、これがDRAMだ、という事ぐらいはわかりました。DRAMとSRAMの違いは知らなかったはずです。

DRAMにつながる電源パターンを切り、ダイオードを入れて(このあたりは理解していた)電池をつなぎました。よし、これで電源OFFでも打ち込んだプログラムは残るはずだ。・・・・・・アレッ?
うまくいかないなあ、おかしいなあ。それだけで終わりました。
この過程でひらめいたことがあり、パターンを切り離してDRAMのみに給電したつもりが、切る場所を誤ったのか全体に給電してしまったようです。それでSC-3000が電池駆動できる事に気づきました。

念の為: バッテリーバックアップは単にSRAMへ電源供給するだけでなく、電源OFFで電圧が下がった瞬間からチップセレクトをDISABLEにして、不正に書き込まれる事を防ぐ回路が必要です。

そして、のちにわかった事ですがBASICは起動時にワークエリア等を初期化します。従って、仮にRAMが正常にバックアップできていたとしても、起動時に書き換えられてしまうので以前のプログラムはそのまま残っている状態にはならないのです。

電源の話に戻ります。
しかし乾電池の単3を4本直列で6Vはマズイだろう。ニッカドなら約5Vに出来るし、繰り返し充電して使えるから良いな。・・・という事でニッカドを付けて、電池駆動楽しいなあ、と遊んだのでした。

いやいや、まだ線がつながってるじゃないか。テレビにつなぐ線がある。なくそう。

これも「ラジオの製作」に載っていた、RF信号を増幅してアンテナから飛ばしちゃう回路を作って組み込み(もともとはブースターの製作記事だったが、うまくいかず放置していた残骸を利用)、ジャンクラジオから取ったロッドアンテナをSC-3000にくっつけて、ついにワイヤレス化に成功。

さらに、当時の秋月電子で売られていたビデオカメラのビューファインダー(超小型の白黒モニター)をくっつけてみた。これで完全にワイヤレスで使えるようになりました。このファインダーは、思ったよりも高解像度で、BASIC画面の文字なんかもきれいにうつりました。ただ白黒なのが残念で、解像度は十分ありました。

こんなふうにサンザンいじくり回した後で、飽きてしまったのと、Z80のワンボードマイコンを作りたくなったのでSC-3000をバラして部品取りしてしまったのでした。よくもまあ、Z80をはんだごて1本で取り外したもんです。マイナスドライバーを差し込んで浮かせるようにして、ハンダを多めに流してコテをスライドさせながら徐々に浮かせて取り外したのです。吸い取り線なんかお金が無くて買えませんでした。
つまようじで、とかしたハンダを飛ばしたり、穴につっこんだりしてハンダを除いたりもしたものです。

当時、部品取りでバラす時に、将来またSC-3000が欲しくなった時に同じ回路を作ればいいやと思いました。それで基板パターンを追いかけはじめたのですが、細かくて根性が続きませんでした。まさかそれから20年以上経過して、基板を作るとは想像もしませんでした。
取り外したZ80は、自作ワンボードマイコンのCPUとして現在もそのまま有ります。

MITECのカスタムICも、よくわからないけど当時保存していました。カセットI/FのハイブリッドICもです。まさか、これらも20数年後に役立つとは。

当時は、サービスマニュアルも回路図もデータシートも簡単に手に入らないものでした。まさか将来インターネットが普及して、情報を手に入れられるだけでなく、仲間とやりとりができるようになるなんて、全く思いもしなかった。

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