電卓に対する偏見等
2023.03.09
私が小学生だった頃は、「電卓なんか使ったら頭が悪くなる」、「子どもに使わせたらダメ」とか、そんな事を言う大人が周囲に多かったです。

「そろばんを習わせろ、頭がよくなる」とも。(実際そうなのだろうとは思いますけれど)

周囲の大人は、年代的にも電卓よりそろばんに馴染みがあり、計算しようと手をのばせば、まずそろばんでした。

農協や郵便局の貯金窓口でも、そろばんをはじいていたものです。小学校で毎月貯金をすることになっており、毎月の貯金日になると農協の係員が2人やってきて、空き教室でみんなの通帳とお金(貯金袋に入れた)を預かって、そろばんをはじいて計算していました。

郵便局でも当時オンライン化していたようですが、それでも通帳の上下には捺印をする場所があってはんこが押されていました。**郵便局長 だったと思います。
停電時には金額がボールペンで記入されていました。

余談ですが、私は祖母から珍しい百円札をお年玉でもらい(※)、それをそのまま学校貯金に預け入れました。あとで係員さんから呼ばれて、なんだろうと思ったら、これ珍しいよ保存しておかないの?って。

※祖母はタバコ屋でした。専売公社は100円札をなぜかたくさん持っていて、それを分けてもらったとの事でした。昔のことなので詳細はわかりません。

私は銀行などの仕組みを当時よくわかっていませんでした。
おそらく銀行の金庫には、みんな一人ひとりの区切られたロッカーみたいなのがあって、そこに各自のお金が保管されるものとばかり思っていました。(それは貸金庫だろう)
だから、自分が預けた100円札もそのまま保管してくれると思って、貯金袋に入れたわけです。
結局、100円札は使ってしまって今は残っていません。

ところで祖母の店には2つ玉のそろばんが有り、そもそも使い方がわかりませんでした。でかかったので、スケボーのように乗っかって遊んで怒られただけです。

手回しの計算機は、自分の周囲では見たことがありませんでした。計算尺も。

計算尺は、工業高校で自分のずっと上の先輩方は使っていたようです。私が初めて計算尺を直接見たのは20代も半ばで、古道具屋で見つけて買いました。

そろばんは、計算機というより数字を忘れないように記憶する為の物体ではないかという認識です。(自分は)
指折り数えて計算していたら格好悪いので、珠をパチパチはじいている。パチパチやりながら、結局、自分の頭で計算しているではないか。これじゃ計算機じゃないだろうと、自分は受け入れがたいものがありました。

同級生でそろばん塾に通っていたヤツは、もはやそろばんも必要としていませんでした。手をチョロチョロ動かして計算するのです。異星人ではないでしょうか?
中学校の帰りに、仲間と歩きながら将棋をしていたのもびっくり仰天しました。なんとか歩、とかお互いに言いながら、彼らの頭の中には盤面があるのです。よく覚えていられるなあ、と感心しました。

脱線しましたけど、うちにカシオミニはなかったけれどオムロンの機種で6桁のものは有りました。蛍光表示管で、+=と-=のボタンが有ったもの。

トラックバックURL
トラックバック一覧
コメント一覧
kanitama - 2023年03月10日 21:50
そろばんが主流の時代に突然あらわれた電卓なる品物。そろばん業界は鼻で笑ったことでしょう。気づけばそろばんを見ることもなくなりました。時代の変化に伝統工芸品になりかけているような感じでしょうか。電卓と合体した時代もあった気がします。今度はそろばんが手のひらサイズの6桁で登場なんてこともありそうです。
コメント投稿

名前

URL

メッセージ

- CafeLog -