きゅうしょく
2024.03.02
自分が小学生だったのは昭和50年代(前半)だが、
当時、給食には米飯がなかった。

確か、3年生ぐらいから米飯が始まったと思う。
以後パンか米飯のどちらかが付いていた。もちろん、麺類(うどん等)の時は米飯は無かったような。

いわゆるコッペパンか、または食パン2枚。そして小さな袋に入ったマーガリン。

自分は当時バターとマーガリンの区別とか全く何も考えていなかった。むしろ、同じだと思っていた。ラーマ奥様インタビューなんていうCMがあったけど、あれをバターだと思っていた。

本物のバターを見た記憶は少なく、北海道の人からおみやげでもらった缶詰のもので、美味しいけど固くて使いにくかったなという印象。

小さな袋に入ったマーガリン、冷えていると固めで使いにくいので、暖かい汁物の器の下にしばらく敷いて暖めて溶かしていた。
暖めすぎると透明に近づき、とろとろになってしまう。ほどよい所で止めなければならなかった。

そのマーガリンの袋のカドをちょっと切り落とし、細長く出るようにする。それでパンに好きな模様やら文字やら描いて遊びながら食べていた。

マーガリンは、ママレードやいちごジャムに変わる時もあった。ピーナツバターが最高にうまかった。なんでこんなおいしい物が世の中に存在するんだ!と、大興奮した。

だけど大人になってからピーナツバターを買ってきて食べても、あの頃に比べたら舌が肥えているせいか、それほどの感動は味わえない。

こういった給食用のジャム等のメーカーとして「タカベビー」が有名(タカ食品)だけど、小分けにしたものが通販で購入できる。以前まとめて買ったが、当初は懐かしいと思えたけどさすがに飽きてきた。

ところで、
病欠のクラスメイトの家には、その近くの者がパンを持って行く決まりになっていた。いま思えば、わざわざ持っていかなくても良さそうなもんだが。家にもパンはあるだろう。

それがまた、うちの近所は個人的に嫌いな女の子がいて、いつも喧嘩していた仲だったので、持っていきたくなかった(笑)

パンの話だけでも長くなりそうだが、・・・

たった一度だけ給食にラーメンが出た事があり、いまでも忘れられない。

うどんは度々有ったけど、そばは記憶に残ってない。スパゲティ(ミートソース)もあった。
チャンポンも有ったような無かったような。
バンサンスーといって中華春雨のようなもの? 冷やし中華風の物もあった。

牛乳は最初ビンで、いつ切り替わったかわからないが、途中から三角パックになった。
やっぱりビンは重いからか。

コーヒー牛乳の粉が、たまに忘れた頃についてきて嬉しかった。ヒャッハーと大喜び。ほんとに。
こういう時にビンだと混ぜやすくて良いが、その分、ビンからはみ出す事を想定しないとあふれてしまう。
最初、牛乳をそのままちょっとだけ飲んで減らす。そこでコーヒー牛乳の粉を入れる。ストローを突っ込んで良く混ぜる。

あとは至福の時を味わうのみ。
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kanitama - 2024年03月02日 18:00
思い出の給食時間に哀愁を感じますね。大人の給食という言葉もありますのでそういったお店や食品に触れるとさまざまな記憶が呼び起こされそうですね。
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