高校の合宿(学力養成合宿編)
2025.08.11
一学期の成績が悪かった者は学力養成合宿に参加せよと。
要するに赤点をとったヤツ。(担任から指名された)
中間だったのか期末だったのかは覚えてない。中間だったかも。
また、あの合宿寮か。強制収容所みたいなものである。
しかも2泊3日!
初日は着替えを持って登校せよ、と。
一日の授業が終わったら合宿寮に集合だ。
別の科、学年のいかにもワルな先輩方もいて、非常に治安の悪い感じ。(北斗の拳のヒャッハーな連中を想像して頂ければ、だいたいそんな感じ)
実際、あれこれとちょっかいを出されたりいじめられたりして最悪。
ひとの荷物を勝手に開けていじるし、お金を盗られそうになった。
そんな中、同じ科の同級生のN田君と初めて知り合い、心細いところに仲間ができた。
彼は社会科だけズバ抜けて出来て、他の科目はサッパリという、ちょっと変わったヤツ。
あのね、工業高校だよ。
みんなで夕食を作った。(作らされた。作らないと食べるもの無いからな。当時は近所にコンビニなんて無いんだよ)
米なんか自分で炊いたことがない。その寮にはガス釜があった。
先生から教わって、米のとぎ方はこうするんだ。水の加減は、手を入れてこのくらいにするんだ。
ワルの一人から、お前それ変わった腕時計だなと言われて(当時ソーラー腕時計をしていた)、それいくらだよって、そこで末端価格2000円と答えたら、それ以後「まったん」と呼ばれるようになった。
風呂に入って、あとは自習時間ということで・・・先生方が来られて、みんなの勉強の指導に当たられた。
こんな簡単な問題もわからないのかって、わかんないから困ってるんじゃない。そもそもなにがわからないのかがわからない。
あれこれ叱られたりして、形ばかりの自習をしていたところ・・・
いきなり、「みんな外へ出ろ!学校のグラウンドに行け!!」という掛け声
歩いていたら、「走れ、走って移動しろバカヤロー!!」
グラウンドを走れ! ヨシというまで走り続けろ!! グラウンドはめちゃくちゃ広いから、半端じゃない。
延々と走り回って、ヘロヘロになったところで終わり。
そこで落ち着く暇もなく、「一人ずつ、誓いの言葉を心の底からでっかい声で叫べ!!」
えーっ。
「ファイトーッ!!」
「勉強頑張るぞー!」 (声がちいさーい!! もう一度だ!!)
とにかく、勉強ができないのは本人が悪いという前提になっていた。
今の時代なら、何につまずいているのか調べようとか、学習障害じゃないのかとか、家庭に何か原因があるのでは、といった考察もあるのだろうけれど・・・
勉強の合間にちょっと遊んでいたら、たまたまその場面だけ見られて、「遊んでいる暇はあるのか」とか、「テレビを見ているからバカになる」、「遊んでいるから勉強ができないんだ」とか責められる。
単に本人がだらけているだけ。努力が足りないんだ。とにかく努力だという時代。努力に次ぐ努力しかない。
その、何をどう努力したらいいのかを教えてもらわないとわからない。問題ひとつ解いて何か前進するのだろうかと。どうせすぐ忘れる。
ここで2泊して何が変わるだろう。(いじめられるだけ)
それに、いま思えば、あんなヒャッハーな連中と一緒くたに扱われている事も自分は不満だった。
まあとにかくヘロヘロのクタクタになって寮へ戻り、ようやく就寝時間となった。
ところが自分の布団がない。
リネン室を見ても布団は入ってない。1人分足りない。
お前は畳の上にそのまま寝ろ、と。(先生方は帰ってしまい、どうしようもない)
また朝から、朝食作りなどで一悶着あり、ああ、だるい面倒くさいと思いながら寮から学校へ。あっという間に着く。そりゃあ、だって隣だもん。
そういえば、お昼はどうなるんだろう。いつもは家から弁当を持ってきていた。朝からそんな心配をしていた。購買でパンでも買うか。
そうすると、昼休みの前に放送で呼び出しが有り、職員室の前に弁当が置いてあるから取りに来いと。(代金は後で請求するという)
そしてまた一日の授業が終わり、寮へ。
まあ、今夜一晩我慢すれば明日は「出所」だ。辛抱しよう。
さすがに2泊目は、先生に申し出たこともあって布団があった。ようやく落ち着いた。
悪い奴らからの攻撃もあったが、翌朝の朝食が済んで学校へ行くとき、着替えの荷物をまとめて出た。ようやく「出所」だと、開放された気分になった。
そしてまたお昼は弁当で、一日の授業が終わり、今度こそは家に帰れる。
ストリートビューを見ると、いまでもあの合宿寮はそのまま有る。やっぱり今も成績の悪い奴らを収容して特訓しているのだろうか。
当時は先生の言いなりになっていて、目の前しか見えてなかったから、さぼるとか逃げるとかの知恵は全く思い浮かばなかったが、
いま思えば、授業が終わってから合宿寮へ行く所で、(とぼけて)そのまま帰宅したってよかったんだ。わざわざ追ってこないだろう。
校門に先生が立って監視するとしても、出入り口は広い校内あちこちにあるから、全部は押さえられないだろう。暗くなるまで隠れて、密かに抜け出す手もある。
翌日先生に言われても、ああそうでしたスミマセン、うっかりしていました。いつもの習慣で友達と一緒に下校してしまい、家に帰ってから気づきましたって話にすれば。
でもその翌日は監視されて、間違いなく合宿寮に連れて行かれただろう。そこまで予想して、風邪引きましたといって翌日休むとか。(笑)
あんな(ヒャッハーな)悪い奴らと一緒にいるのが辛かったが、夜でもいいから逃げれば良かったんだ。当時思いつかなかった。(ホントに、いじめられている子がいたら、逃げも選択肢だからね!逃げてね)
遅い時間になると先生も帰ってしまうから、その後にこっそり抜け出す。
自分は鉄道で通学していたので、最終便が終わると帰れないが、意地でも一晩かけて歩いて帰るか。(一晩はかからないと思うが、どれだけイヤかというアピール)
もし近所だったら家に帰ったって構わないだろう。親に用事で呼ばれたので仕方なくとか言い訳して。
学校の近所に親戚の家があったので、そこでお世話になっても良かったんだろうけど。灯台下暗しとはよく言ったものです。全く思いつかず。
逃げても良かったんだろうけど、もし逃げた場合、その後に不利な扱いを受けたのは間違いない。減点とか、追試に何か条件がついたりとか。
あのヒャッハーな連中だったら、逃げたりサボったりしそうなものだが、ひょっとしたら最初に(逃げれば不利になると)釘をさされていたので誰も逃げなかったのか。今となっては確かめようがない。
要するに赤点をとったヤツ。(担任から指名された)
中間だったのか期末だったのかは覚えてない。中間だったかも。
また、あの合宿寮か。強制収容所みたいなものである。
しかも2泊3日!
初日は着替えを持って登校せよ、と。
一日の授業が終わったら合宿寮に集合だ。
別の科、学年のいかにもワルな先輩方もいて、非常に治安の悪い感じ。(北斗の拳のヒャッハーな連中を想像して頂ければ、だいたいそんな感じ)
実際、あれこれとちょっかいを出されたりいじめられたりして最悪。
ひとの荷物を勝手に開けていじるし、お金を盗られそうになった。
そんな中、同じ科の同級生のN田君と初めて知り合い、心細いところに仲間ができた。
彼は社会科だけズバ抜けて出来て、他の科目はサッパリという、ちょっと変わったヤツ。
あのね、工業高校だよ。
みんなで夕食を作った。(作らされた。作らないと食べるもの無いからな。当時は近所にコンビニなんて無いんだよ)
米なんか自分で炊いたことがない。その寮にはガス釜があった。
先生から教わって、米のとぎ方はこうするんだ。水の加減は、手を入れてこのくらいにするんだ。
ワルの一人から、お前それ変わった腕時計だなと言われて(当時ソーラー腕時計をしていた)、それいくらだよって、そこで末端価格2000円と答えたら、それ以後「まったん」と呼ばれるようになった。
風呂に入って、あとは自習時間ということで・・・先生方が来られて、みんなの勉強の指導に当たられた。
こんな簡単な問題もわからないのかって、わかんないから困ってるんじゃない。そもそもなにがわからないのかがわからない。
あれこれ叱られたりして、形ばかりの自習をしていたところ・・・
いきなり、「みんな外へ出ろ!学校のグラウンドに行け!!」という掛け声
歩いていたら、「走れ、走って移動しろバカヤロー!!」
グラウンドを走れ! ヨシというまで走り続けろ!! グラウンドはめちゃくちゃ広いから、半端じゃない。
延々と走り回って、ヘロヘロになったところで終わり。
そこで落ち着く暇もなく、「一人ずつ、誓いの言葉を心の底からでっかい声で叫べ!!」
えーっ。
「ファイトーッ!!」
「勉強頑張るぞー!」 (声がちいさーい!! もう一度だ!!)
とにかく、勉強ができないのは本人が悪いという前提になっていた。
今の時代なら、何につまずいているのか調べようとか、学習障害じゃないのかとか、家庭に何か原因があるのでは、といった考察もあるのだろうけれど・・・
勉強の合間にちょっと遊んでいたら、たまたまその場面だけ見られて、「遊んでいる暇はあるのか」とか、「テレビを見ているからバカになる」、「遊んでいるから勉強ができないんだ」とか責められる。
単に本人がだらけているだけ。努力が足りないんだ。とにかく努力だという時代。努力に次ぐ努力しかない。
その、何をどう努力したらいいのかを教えてもらわないとわからない。問題ひとつ解いて何か前進するのだろうかと。どうせすぐ忘れる。
ここで2泊して何が変わるだろう。(いじめられるだけ)
それに、いま思えば、あんなヒャッハーな連中と一緒くたに扱われている事も自分は不満だった。
まあとにかくヘロヘロのクタクタになって寮へ戻り、ようやく就寝時間となった。
ところが自分の布団がない。
リネン室を見ても布団は入ってない。1人分足りない。
お前は畳の上にそのまま寝ろ、と。(先生方は帰ってしまい、どうしようもない)
また朝から、朝食作りなどで一悶着あり、ああ、だるい面倒くさいと思いながら寮から学校へ。あっという間に着く。そりゃあ、だって隣だもん。
そういえば、お昼はどうなるんだろう。いつもは家から弁当を持ってきていた。朝からそんな心配をしていた。購買でパンでも買うか。
そうすると、昼休みの前に放送で呼び出しが有り、職員室の前に弁当が置いてあるから取りに来いと。(代金は後で請求するという)
そしてまた一日の授業が終わり、寮へ。
まあ、今夜一晩我慢すれば明日は「出所」だ。辛抱しよう。
さすがに2泊目は、先生に申し出たこともあって布団があった。ようやく落ち着いた。
悪い奴らからの攻撃もあったが、翌朝の朝食が済んで学校へ行くとき、着替えの荷物をまとめて出た。ようやく「出所」だと、開放された気分になった。
そしてまたお昼は弁当で、一日の授業が終わり、今度こそは家に帰れる。
ストリートビューを見ると、いまでもあの合宿寮はそのまま有る。やっぱり今も成績の悪い奴らを収容して特訓しているのだろうか。
当時は先生の言いなりになっていて、目の前しか見えてなかったから、さぼるとか逃げるとかの知恵は全く思い浮かばなかったが、
いま思えば、授業が終わってから合宿寮へ行く所で、(とぼけて)そのまま帰宅したってよかったんだ。わざわざ追ってこないだろう。
校門に先生が立って監視するとしても、出入り口は広い校内あちこちにあるから、全部は押さえられないだろう。暗くなるまで隠れて、密かに抜け出す手もある。
翌日先生に言われても、ああそうでしたスミマセン、うっかりしていました。いつもの習慣で友達と一緒に下校してしまい、家に帰ってから気づきましたって話にすれば。
でもその翌日は監視されて、間違いなく合宿寮に連れて行かれただろう。そこまで予想して、風邪引きましたといって翌日休むとか。(笑)
あんな(ヒャッハーな)悪い奴らと一緒にいるのが辛かったが、夜でもいいから逃げれば良かったんだ。当時思いつかなかった。(ホントに、いじめられている子がいたら、逃げも選択肢だからね!逃げてね)
遅い時間になると先生も帰ってしまうから、その後にこっそり抜け出す。
自分は鉄道で通学していたので、最終便が終わると帰れないが、意地でも一晩かけて歩いて帰るか。(一晩はかからないと思うが、どれだけイヤかというアピール)
もし近所だったら家に帰ったって構わないだろう。親に用事で呼ばれたので仕方なくとか言い訳して。
学校の近所に親戚の家があったので、そこでお世話になっても良かったんだろうけど。灯台下暗しとはよく言ったものです。全く思いつかず。
逃げても良かったんだろうけど、もし逃げた場合、その後に不利な扱いを受けたのは間違いない。減点とか、追試に何か条件がついたりとか。
あのヒャッハーな連中だったら、逃げたりサボったりしそうなものだが、ひょっとしたら最初に(逃げれば不利になると)釘をさされていたので誰も逃げなかったのか。今となっては確かめようがない。
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