Z80マイコン何号機
2026.01.04
高校2年で初めてワンボードマイコンを作ってから、新しく作るたびに1号機、2号機、3号機と番号をつけてきたけど、
結局どうしたっけ、何号まで作ったやらスッカリ忘れてしまったので思い出すことにします。

1号機
今も残っている。基板4枚をつなぎ合わせたワンボードマイコン。
確かサンハヤトのICB-505(ぐるり一周の電源パターンが便利だった)
16進数キーと7セグLEDでプログラム入力や操作・表示
ラジオの製作の連載記事を参考にしたもの。
製作記事では各モジュールごとに1枚ずつカードエッジ基板に組んで、バックプレーンボードに差し込んでシステムを組み上げるようになっていたが、
カードケージやバックプレーン等に使う予算が無かった為、回路を整理しつつ安価にできるように工夫した。
昔から拾い集めてきたテレビの部品(トランジスタ、抵抗、コンデンサ)を多く活用している。
ROMの書き込みは幸い学校にROMライタがあったので使わせてもらい、無事にできた。その前の夏にMZ-2000のプリンタMZ-1P07がヘッドから煙を噴いて壊れたので、その中に入っていた2764を消去して使った。

2号機
現存せず。作った後に、次の作品用として部品取りした為。
基板2枚を重ねあわせた外観だったような。写真どこかに有る。
自分で回路設計するところから始めたが、最初は難しくて動かず、何度も作り直したもの。
LEDドットマトリクスを備えて、MSX用ジョイスティックを接続可能にしていた。テトリス専用マシンにするつもりだった。
プログラム入力は、最初のブートローダをロータリDIPSWを回してアドレス・データを設定し、1バイトずつ書き込むという面倒くさいやり方。(当時ROMの書き込み手段がなかった為)
この面倒くささが致命的だったか。
確かAY-3-8910もつないで音を鳴らしてみたが、それもまた手順が面倒くさかったので、飽きてしまった。

3号機
今も残っている。
カセットテープの持ち運びのケースを利用した。
学校の卒業研究の課題として勝手に企画したもので、当時テレビで放映されていたスパイ大作戦から大いに影響を受けた。
何か持ち運んで使える秘密の機能が入っているようなものを作りたかった。当時はノートPCも珍しかった頃で、持ち運びにあこがれた。
64KBオールRAMでバッテリーバックアップ付き。プリンタポートからプログラムを流し込む仕掛けで、MSX-DOS上でアセンブルしたものを容易にダウンロードできた。
LEDドットマトリクスで文字やグラフィックの表示可能。RS-232Cと、カセットI/Fも内蔵。
電源はニッカド単2を4本直列の充電式。

最初、担任の先生から「部品代が出るよ」と言われたので、自由に部品を買い集めていた。最後あたりで先生に聞くと「領収書が必要だ」と。社会人には常識だろうけど学生はそんな事しらないし。結局、全て自己資金で製作。

そもそもビジネス系の専門学校で、銀行などの基幹システムとか勘定系システムのプログラマを養成する学校だったので、マイコンをいじる変な奴は自分ぐらいだった。
簿記の勉強もしたけど、小切手だの手形だの、本物を見たこともないからイマイチ、ピンとこなかったっけ。

その後
就職先はマイコン応用電子機器、産業用機器を設計・製造する会社
マイコンに詳しい人達は当然たくさんいたが・・・
自分の趣味を話すと、

そんな事してどうすんだよ、とか。
自己満足だろ、とか。

プログラマの人も同じような反応。

ある意味、仲間とも言える人たちに出会ったと喜んでいたところが
予想外のそんなネガティブな反応に、大いに凹んでしまって熱が冷めてしまった。
ようやく、せっかく芽が出てきたのに枯れてしまった感じ。環境が悪かった。
結局5年足らずで辞めてしまったが・・・
仕事と趣味は別だなというのはわかる。楽しみばっかりでもない。

今だったら、何を言われようが(さんざん慣れてしまって)なんとも思わないけど、当時は言われたことを真に受けていたから、もろにダメージ直撃と言うかなんというか。

その次の会社で、意外な接点がありZ80の知識が活きることになった。
誰もネガティブな事を言う人はおらず、それ面白いね、やってみようとか、そんな感じで雰囲気が良かった。
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