秋月電子の昔話
2024.04.12
昔と言っても私の知っている範囲の昔。
■実店舗
秋葉原の実店舗に初めて行ったのは1997年頃だったか。
最初からここを目指したのではなく、会社の用事で部品を探しに来た。(出張時)
最初は若松通商に行って、ここで聞くのも失礼だったかもしれないが、秋月の場所を遠慮なく聞いてみたりしたっけ。普通に教えてくれました。
今のようにスマホで地図とかナビとか無い時代。
メイドさん萌え萌えもなかった、と思う。
その頃は、某宗教のビラまき隊がいたし、通りは人があふれていた。
会社の仲間と3人で行動していたが、はぐれてしまって、人が多いもんだから近くにいたって全然わからん。携帯で連絡をとりながら再会した。
ここが!あの!!秋月電子!!! と大興奮したかどうか記憶にないが、ボーッとなって夢か現実か最初わからなかったような気がする。
行く前は買うものがいっぱいあるなあ!と思っていたけど、いざ店に来てみると、何を選んで良いのやら、
しかも人がギッシリで、(真夏に来た時)汗臭かったという印象。
いまの新しい店舗じゃなくて、改装前の狭い店だった頃。
あっ、そうだ、会社に抵抗をE12系列か24系列で全部揃えたくて、この機会に買おうと。
当時カーボン抵抗は通販では取り扱っていなくて、でも、実店舗には有った。
かつては抵抗やコンデンサは扱っていなかったんだよな。商品の傾向としてはICとかキット、ジャンクが多かった。
陳列棚には袋に100個入りの抵抗がたくさんあった。
平らなザルが置いてあって、系列を思い出しながらそれに放り込んでいった。
こんなにゴチャゴチャたくさん買って、レジの店員さん面倒じゃないかなと気になったりした。
当時は茶色の紙袋に書いて計算していたと思う。
■通販
●送料
妙なところに注目するが、送料は昔から600円だった。昔というのは曖昧だが、たとえば80年代の雑誌広告を見ると〒600と書いてある。
「初歩のラジオ」のページごとに1行で読者の投稿が書いてあったけど、その中に(この600円は高い)「差額を返せ」と書かれていたのを覚えている。そう、当時600円というのは(送料の感覚としては)高いほうだった。
距離や梱包の大きさにもよるが、安く送る手段もないわけではないけれど、秋月としては一律600円でおそらく送料の計算の手間を省いていたのかな、と勝手に想像します。
●取扱商品
今はほとんどなくなってしまったが、いわゆるジャンク、これが秋月の楽しみだったと思う。
色々珍しい物が売られていて、これ何だろう、何に使う物だろう、これがこの値段で、面白そう、・・・とにかく楽しみだった。そして、次々に色々買ってしまったのであった。
現代では電子機器の製造業が日本から出ていって少なくなったし、管理がうるさくなったんだろうな、工場から出る廃品はあまりないんだろうね。有っても、知らないところで勝手に出回らないようにつぶしてから捨てるという事なのだろうと思う。
自分も昔つとめていた会社で、棚卸の時に余剰在庫を捨てているのを見ていた。売れ残りの製品や、こんな新品の部品が大量に、なんてもったいない、と信じられなかった。会社にしてみれば課税されるからサッサと捨てたい物だったろう。
電線なんか束のままポンポン投げてあった。それらを見て、ちくしょうと思った。
実験で使うため(電源装置と基板をつなぐ)AWG20の赤と黒を30cmばかり分けてもらうのもいちいち書類を書いて上司に回して、ずいぶんたってから資材課から届く、というか・・・私は下っ端だったからか「取りに来い」とか内線電話で言われて、行ってみると仰々しく出庫伝票の付いたビニール袋に短い電線2本が入っている。(どうせ袋とか伝票は捨てるのに)
その帰りに、「ついでに」これを誰々さんに、係長に渡しておいて、って書類などを押し付けられたりして、お前は伝書鳩だとか言われて・・・あれこれ(非常に)面倒くさい事を思い出していた。
色々うるさいくせに結局こんな粗末にしてポンポン捨てるのかと。
まあとにかく、棚卸で捨ててあった部品を拾ってきていじって遊んだりしたが、結局持て余して捨てたりしていた。
そういえば80年代の雑誌を見ると、千石さんが「余剰在庫を買い取ります」といった広告を出していた。
もと秋月のアルバイト店員さんだった方のインタビュー(新聞記事)があり、当時はICなど買い取っていたという。
これは私がある電子部品の商社の営業マンから直接聞いた話だが、秋月は「三時からの銀行」と呼ばれているという。
銀行の窓口は三時で閉まってしまうが、会社を経営していると何らかの理由で現金が必要になる時がある。そんな時に余剰品を持ち込んで、買い取ってもらって現金に換えるというわけ。
長くなったので続きは改めて。
■実店舗
秋葉原の実店舗に初めて行ったのは1997年頃だったか。
最初からここを目指したのではなく、会社の用事で部品を探しに来た。(出張時)
最初は若松通商に行って、ここで聞くのも失礼だったかもしれないが、秋月の場所を遠慮なく聞いてみたりしたっけ。普通に教えてくれました。
今のようにスマホで地図とかナビとか無い時代。
メイドさん萌え萌えもなかった、と思う。
その頃は、某宗教のビラまき隊がいたし、通りは人があふれていた。
会社の仲間と3人で行動していたが、はぐれてしまって、人が多いもんだから近くにいたって全然わからん。携帯で連絡をとりながら再会した。
ここが!あの!!秋月電子!!! と大興奮したかどうか記憶にないが、ボーッとなって夢か現実か最初わからなかったような気がする。
行く前は買うものがいっぱいあるなあ!と思っていたけど、いざ店に来てみると、何を選んで良いのやら、
しかも人がギッシリで、(真夏に来た時)汗臭かったという印象。
いまの新しい店舗じゃなくて、改装前の狭い店だった頃。
あっ、そうだ、会社に抵抗をE12系列か24系列で全部揃えたくて、この機会に買おうと。
当時カーボン抵抗は通販では取り扱っていなくて、でも、実店舗には有った。
かつては抵抗やコンデンサは扱っていなかったんだよな。商品の傾向としてはICとかキット、ジャンクが多かった。
陳列棚には袋に100個入りの抵抗がたくさんあった。
平らなザルが置いてあって、系列を思い出しながらそれに放り込んでいった。
こんなにゴチャゴチャたくさん買って、レジの店員さん面倒じゃないかなと気になったりした。
当時は茶色の紙袋に書いて計算していたと思う。
■通販
●送料
妙なところに注目するが、送料は昔から600円だった。昔というのは曖昧だが、たとえば80年代の雑誌広告を見ると〒600と書いてある。
「初歩のラジオ」のページごとに1行で読者の投稿が書いてあったけど、その中に(この600円は高い)「差額を返せ」と書かれていたのを覚えている。そう、当時600円というのは(送料の感覚としては)高いほうだった。
距離や梱包の大きさにもよるが、安く送る手段もないわけではないけれど、秋月としては一律600円でおそらく送料の計算の手間を省いていたのかな、と勝手に想像します。
●取扱商品
今はほとんどなくなってしまったが、いわゆるジャンク、これが秋月の楽しみだったと思う。
色々珍しい物が売られていて、これ何だろう、何に使う物だろう、これがこの値段で、面白そう、・・・とにかく楽しみだった。そして、次々に色々買ってしまったのであった。
現代では電子機器の製造業が日本から出ていって少なくなったし、管理がうるさくなったんだろうな、工場から出る廃品はあまりないんだろうね。有っても、知らないところで勝手に出回らないようにつぶしてから捨てるという事なのだろうと思う。
自分も昔つとめていた会社で、棚卸の時に余剰在庫を捨てているのを見ていた。売れ残りの製品や、こんな新品の部品が大量に、なんてもったいない、と信じられなかった。会社にしてみれば課税されるからサッサと捨てたい物だったろう。
電線なんか束のままポンポン投げてあった。それらを見て、ちくしょうと思った。
実験で使うため(電源装置と基板をつなぐ)AWG20の赤と黒を30cmばかり分けてもらうのもいちいち書類を書いて上司に回して、ずいぶんたってから資材課から届く、というか・・・私は下っ端だったからか「取りに来い」とか内線電話で言われて、行ってみると仰々しく出庫伝票の付いたビニール袋に短い電線2本が入っている。(どうせ袋とか伝票は捨てるのに)
その帰りに、「ついでに」これを誰々さんに、係長に渡しておいて、って書類などを押し付けられたりして、お前は伝書鳩だとか言われて・・・あれこれ(非常に)面倒くさい事を思い出していた。
色々うるさいくせに結局こんな粗末にしてポンポン捨てるのかと。
まあとにかく、棚卸で捨ててあった部品を拾ってきていじって遊んだりしたが、結局持て余して捨てたりしていた。
そういえば80年代の雑誌を見ると、千石さんが「余剰在庫を買い取ります」といった広告を出していた。
もと秋月のアルバイト店員さんだった方のインタビュー(新聞記事)があり、当時はICなど買い取っていたという。
これは私がある電子部品の商社の営業マンから直接聞いた話だが、秋月は「三時からの銀行」と呼ばれているという。
銀行の窓口は三時で閉まってしまうが、会社を経営していると何らかの理由で現金が必要になる時がある。そんな時に余剰品を持ち込んで、買い取ってもらって現金に換えるというわけ。
長くなったので続きは改めて。