道具シリーズ(4) プロへの道
2022.05.20
平成初期の頃、コンピュータ学校を卒業して、ある産業機器メーカーに入社しました。
最初は工場のお手伝いをさせて頂いて、おばち・・・失礼・・・「年上の(きれいな)お姉さんたち」と一緒に、コンベアに並んで部品実装をしていました。
一番最初の仕事は、マスキング作業だったと記憶しています。マスキングって何か、それを説明します。
工場でのプリント基板のハンダ付けは、ディップ槽といって溶融したハンダのタンクに基板を降ろして一括でハンダ付けしてしまいます。引き上げた後に長いリードを切断します。それからフラックスを洗浄槽で洗い流します。
ただ、バックアップのリチウム電池とかハンダ付け端子が付いていても、ディップに入れるとハンダでショートしてしまうし、熱に弱い部品もあります。それらは「後付」という工程で、ハンダゴテによって手作業で付ける必要がありました。
圧電ブザーのリード線をハンダ付けする所に、マスキングテープを貼る作業をひたすら100枚ぐらいやったでしょうか。
当時使っていたテープは「TESA」というブランドの紙テープで、ディップに入れると焦げてしまいますけど、ある程度の時間なら耐えていたような記憶です。
今だったらカプトンテープでしょうか。あれは高かったので選択肢には無かったのでしょうね。知らなかったのかもしれません。わかりません。
テープの貼り方も教わって、金属製のスケールがあるでしょう。15cmぐらいのやつ。それでテープの端を押さえながらテープをピッと切るのです。いちいちハサミを使わずに済みます。
とにかくテープを貼った後に、ローラーでよく押さえて密着させます。そうしないと、たとえばカードエッジの金端子なんかハンダがつくと台無しです。ハンダが入り込まないようにしなければなりません。
手作業のハンダ付けで当時使っていたのは、社内ではANTEXというブランドの物でした。イギリスのメーカーだと思います。
軽くて使いやすかったです。18Wぐらいなのに、これで不便をあまり感じた事はありません。
設計部門へ配属され、先輩方の試作の手伝いなどをしました。その中でPLCCをハンダ付けする事になり、そんな物は学生時代に見たことも触ったこともなく初めてで、とにかく製造の班長にやり方を教わろうと、聞きにいったのです。
SOPだったら高校生の頃にポケコンのSRAMを増設した経験はありました。前に書いたように、あの白光のJUNIORの太いコテ先で。
それでまあ、PLCCのハンダ付けを一通り教わり、うーん、当時は若くて元気で生意気だったのでしょうね、私は、「こんなの楽勝でできますよ」みたいな、”余計な事”を言って、「お前はナマイキだ」と怒られたような記憶があります。
そして、よく、あの太いこて先で・・・まあ、慣れれば1種類でQFPでも何でも付けていました。これしか無いから何とかするしかないでしょう。斜めにしたり、先っちょだけで付けたり、工夫しだいで何とかなるものです。
こんな事を繰り返していくうちに、ハンダ付けがうまくなりました。0.5mmピッチのQFPは当時普及しはじめでしたが、それも肉眼で付けられるとかいって、やっぱりナマイキな若造でした。
数年後に社内の規定が変わり、今までのANTEXは使ってはいけない事になりました。品質管理のために温度を管理する必要がでてきました。それでANTEXは捨てろと。いままで慣れていた製造の方々は困惑したでしょう。
コテ先の温度計が配布されて、毎朝それで測定しろとか、そんな話です。
いままではこて先についた汚れやハンダを拭うのに、自己流でダンボールにこすりつけていた製造の方も、やり方を改めなければならなくなりました。これは、良いアイデアだと思うのですけどね。水濡れスポンジと違って、こて先の温度が下がりにくいから。
いまは金属たわしみたいな物にこすりつけてますけど、たしか当時は無かった。
いつ頃だったか、製造部門がめちゃくちゃ忙しくなり、他部門の社員も手があいていれば手伝いに行くようになりました。
私は設計部でハンダ付けばっかりやっていて、ナマイキだけど上手くなっていて製造の方からも認められ、残業時間帯に呼ばれて手伝いに行っていた事もありました。
最初は工場のお手伝いをさせて頂いて、おばち・・・失礼・・・「年上の(きれいな)お姉さんたち」と一緒に、コンベアに並んで部品実装をしていました。
一番最初の仕事は、マスキング作業だったと記憶しています。マスキングって何か、それを説明します。
工場でのプリント基板のハンダ付けは、ディップ槽といって溶融したハンダのタンクに基板を降ろして一括でハンダ付けしてしまいます。引き上げた後に長いリードを切断します。それからフラックスを洗浄槽で洗い流します。
ただ、バックアップのリチウム電池とかハンダ付け端子が付いていても、ディップに入れるとハンダでショートしてしまうし、熱に弱い部品もあります。それらは「後付」という工程で、ハンダゴテによって手作業で付ける必要がありました。
圧電ブザーのリード線をハンダ付けする所に、マスキングテープを貼る作業をひたすら100枚ぐらいやったでしょうか。
当時使っていたテープは「TESA」というブランドの紙テープで、ディップに入れると焦げてしまいますけど、ある程度の時間なら耐えていたような記憶です。
今だったらカプトンテープでしょうか。あれは高かったので選択肢には無かったのでしょうね。知らなかったのかもしれません。わかりません。
テープの貼り方も教わって、金属製のスケールがあるでしょう。15cmぐらいのやつ。それでテープの端を押さえながらテープをピッと切るのです。いちいちハサミを使わずに済みます。
とにかくテープを貼った後に、ローラーでよく押さえて密着させます。そうしないと、たとえばカードエッジの金端子なんかハンダがつくと台無しです。ハンダが入り込まないようにしなければなりません。
手作業のハンダ付けで当時使っていたのは、社内ではANTEXというブランドの物でした。イギリスのメーカーだと思います。
軽くて使いやすかったです。18Wぐらいなのに、これで不便をあまり感じた事はありません。
設計部門へ配属され、先輩方の試作の手伝いなどをしました。その中でPLCCをハンダ付けする事になり、そんな物は学生時代に見たことも触ったこともなく初めてで、とにかく製造の班長にやり方を教わろうと、聞きにいったのです。
SOPだったら高校生の頃にポケコンのSRAMを増設した経験はありました。前に書いたように、あの白光のJUNIORの太いコテ先で。
それでまあ、PLCCのハンダ付けを一通り教わり、うーん、当時は若くて元気で生意気だったのでしょうね、私は、「こんなの楽勝でできますよ」みたいな、”余計な事”を言って、「お前はナマイキだ」と怒られたような記憶があります。
そして、よく、あの太いこて先で・・・まあ、慣れれば1種類でQFPでも何でも付けていました。これしか無いから何とかするしかないでしょう。斜めにしたり、先っちょだけで付けたり、工夫しだいで何とかなるものです。
こんな事を繰り返していくうちに、ハンダ付けがうまくなりました。0.5mmピッチのQFPは当時普及しはじめでしたが、それも肉眼で付けられるとかいって、やっぱりナマイキな若造でした。
数年後に社内の規定が変わり、今までのANTEXは使ってはいけない事になりました。品質管理のために温度を管理する必要がでてきました。それでANTEXは捨てろと。いままで慣れていた製造の方々は困惑したでしょう。
コテ先の温度計が配布されて、毎朝それで測定しろとか、そんな話です。
いままではこて先についた汚れやハンダを拭うのに、自己流でダンボールにこすりつけていた製造の方も、やり方を改めなければならなくなりました。これは、良いアイデアだと思うのですけどね。水濡れスポンジと違って、こて先の温度が下がりにくいから。
いまは金属たわしみたいな物にこすりつけてますけど、たしか当時は無かった。
いつ頃だったか、製造部門がめちゃくちゃ忙しくなり、他部門の社員も手があいていれば手伝いに行くようになりました。
私は設計部でハンダ付けばっかりやっていて、ナマイキだけど上手くなっていて製造の方からも認められ、残業時間帯に呼ばれて手伝いに行っていた事もありました。
道具シリーズ(3) ハンダ
2022.05.20
初めて使ったハンダは、白光JUNIORと一緒に売られていたと思われる「ヘクスゾール」です。カバヤ等のラムネ菓子の筒、ちょっと違うな、透明の筒の中にハンダがスプリング状に巻いてあったものです。
ハンダを引っ張り出して使う物で、作業的には使いやすかったような気がします。ただ、これも他と同様で選択の余地がなかった為、そういうものだと思っていました。
やはり、なんといっても、あの「香り」は忘れられません。はんだごてで融かした時の、あの「香り」です。
「におい」ではありません。「香り」です。この点を間違わないようにしなければなりません。
あの懐かしい香り、また、嗅いでみたいものです。
ハンダを引っ張り出して使う物で、作業的には使いやすかったような気がします。ただ、これも他と同様で選択の余地がなかった為、そういうものだと思っていました。
やはり、なんといっても、あの「香り」は忘れられません。はんだごてで融かした時の、あの「香り」です。
「におい」ではありません。「香り」です。この点を間違わないようにしなければなりません。
あの懐かしい香り、また、嗅いでみたいものです。
道具シリーズ(2) 最初のはんだごて
2022.05.20
田舎で手に入るものは、ある程度限られていて、選択の自由はありませんでした。ただ、ほかの選択肢についての情報も知らないから、特に不満もなかったと思います。こういうものだと、ただそれだけでした。
最初のはんだごては、今でも売られているハッコー(白光)のJUNIORシリーズ、60Wのものでした。
こて先はメッキではなく銅がむきだし。これは本来、自分でヤスリがけをしてこて先の形を作るものなのです。
ただ、当時はメッキのこて先なんて世の中に存在するのかどうかも知るよしはありませんでした。
銅がむきだしなので、ピカピカ光っているのは新品のときだけです。一度でも通電して熱くなると酸化して真っ黒になります。
そこで、こて先にやすりをかけ、ピカピカした銅を露出させます。すかさずハンダを流してやります。これでハンダ付けの準備ができました。
これでしばらくは使えますが、また真っ黒になってハンダの「乗り」が悪くなります。そしたら、またヤスリがけとハンダを流す必要があります。
いちいち面倒といえば面倒ですが、当時は、こういうものだとしか思いませんでした。
単に黒くなるだけではなく、銅が「食われて」穴があいたり、欠けたりします。それできれいに尖るようにするためにヤスリで成形する必要がありました。
最初はコテ台もなく、クッキーか、せんべいの四角い空き缶の中にはんだごてを置いて使っていたような記憶があります。
いつ頃だったか、グラインダーの砥石の割れたやつをひろってきて、これはヤスリとして使うにはちょうど良いなあ、と。その缶の中に置いて使っていました。おもりになって、こて台としても安定していたし、砥石の上にはんだごてを置いても平気でしたね。
また、そのうちにヒーターが切れて、新しいはんだごてに買い替え、といっても同じ機種しか地元のホームセンターでは選択肢がありませんでしたが・・・同じ機種を代々使っていました。
いつ知ったのだろうか、メッキのこて先は・・・たぶん「ラジオの製作」、「初歩のラジオ」あたりの記事で、そんな物があるんだと、情報源は当時それぐらいしかありませんでしたから。
メッキを知ったのは後の事で、その前のステップとして、電子工作には60Wでは大きすぎる事を知ったのではないかと思います。それで20Wぐらいの物を買おうとしたのではなかったか。
それで買ってきたのは、こて先がメッキになっていた物だったのです。ただ、その時はメッキという認識がなく、今まで通りにヤスリをかけて使っていました。ここで大失敗していたのですね。最初は、失敗とは思いませんでした。
あとから、どうも間違ってるみたいだと・・・それもまた、電子工作の雑誌で知ったのではなかっただろうかと。メッキのこて先にヤスリをかけたらダメだよと。
うわー、とんでもない失敗をしていたのか。何度もヤスリをかけるうちに、コテ先はどんどん短くなっていく。
今度買い替える時は、やすりをかけないように注意しよう。そう誓いました。
たしか高校2年でワンボードマイコンを作った時ぐらいまでは、30Wか40Wの白光JUNIORを使っていたような気がします。よく、あんな太いコテ先でマイコンの細かい配線をつないでいたものでした。
これはワイヤーストリッパーの回があれば書きますが、通っていた工業高校に便利な道具がありました。ワイヤーストリッパーです。電線を挟んでレバーをカチャと操作するだけで簡単にむける!!
かつて、ナイフで危なかっしい皮むきをしていた自分にとっては、まさに天にも昇る気持ちでした。なんてラクチンなんだ!!!!!!!!!!
ただ、自分の物ではないので、借りて帰って試した翌日には、返却するしかありませんでした。高くて買えないなあ、でも良いなあ、あこがれました。
当時はニッパーで皮むきをするのが当たり前だと思っていました。それも最初は刃こぼれして切れないニッパーで、力技でマイコンの細かいリード線をむいていたのです。それしかないから、仕方ありません。
そのマイコンを作っている最中だったか、その後だったか、ようやく自分のお金で新しいニッパーを買ったのです。島原のホームセンターまで出かけて・・・たしか二千円近くしたのではないかと思いますが、その新品のニッパーの切れ味にも驚きました。あのワイヤーストリッパーには及ばないけれど、これはこれで効率UPにつながりました。
最初のはんだごては、今でも売られているハッコー(白光)のJUNIORシリーズ、60Wのものでした。
こて先はメッキではなく銅がむきだし。これは本来、自分でヤスリがけをしてこて先の形を作るものなのです。
ただ、当時はメッキのこて先なんて世の中に存在するのかどうかも知るよしはありませんでした。
銅がむきだしなので、ピカピカ光っているのは新品のときだけです。一度でも通電して熱くなると酸化して真っ黒になります。
そこで、こて先にやすりをかけ、ピカピカした銅を露出させます。すかさずハンダを流してやります。これでハンダ付けの準備ができました。
これでしばらくは使えますが、また真っ黒になってハンダの「乗り」が悪くなります。そしたら、またヤスリがけとハンダを流す必要があります。
いちいち面倒といえば面倒ですが、当時は、こういうものだとしか思いませんでした。
単に黒くなるだけではなく、銅が「食われて」穴があいたり、欠けたりします。それできれいに尖るようにするためにヤスリで成形する必要がありました。
最初はコテ台もなく、クッキーか、せんべいの四角い空き缶の中にはんだごてを置いて使っていたような記憶があります。
いつ頃だったか、グラインダーの砥石の割れたやつをひろってきて、これはヤスリとして使うにはちょうど良いなあ、と。その缶の中に置いて使っていました。おもりになって、こて台としても安定していたし、砥石の上にはんだごてを置いても平気でしたね。
また、そのうちにヒーターが切れて、新しいはんだごてに買い替え、といっても同じ機種しか地元のホームセンターでは選択肢がありませんでしたが・・・同じ機種を代々使っていました。
いつ知ったのだろうか、メッキのこて先は・・・たぶん「ラジオの製作」、「初歩のラジオ」あたりの記事で、そんな物があるんだと、情報源は当時それぐらいしかありませんでしたから。
メッキを知ったのは後の事で、その前のステップとして、電子工作には60Wでは大きすぎる事を知ったのではないかと思います。それで20Wぐらいの物を買おうとしたのではなかったか。
それで買ってきたのは、こて先がメッキになっていた物だったのです。ただ、その時はメッキという認識がなく、今まで通りにヤスリをかけて使っていました。ここで大失敗していたのですね。最初は、失敗とは思いませんでした。
あとから、どうも間違ってるみたいだと・・・それもまた、電子工作の雑誌で知ったのではなかっただろうかと。メッキのこて先にヤスリをかけたらダメだよと。
うわー、とんでもない失敗をしていたのか。何度もヤスリをかけるうちに、コテ先はどんどん短くなっていく。
今度買い替える時は、やすりをかけないように注意しよう。そう誓いました。
たしか高校2年でワンボードマイコンを作った時ぐらいまでは、30Wか40Wの白光JUNIORを使っていたような気がします。よく、あんな太いコテ先でマイコンの細かい配線をつないでいたものでした。
これはワイヤーストリッパーの回があれば書きますが、通っていた工業高校に便利な道具がありました。ワイヤーストリッパーです。電線を挟んでレバーをカチャと操作するだけで簡単にむける!!
かつて、ナイフで危なかっしい皮むきをしていた自分にとっては、まさに天にも昇る気持ちでした。なんてラクチンなんだ!!!!!!!!!!
ただ、自分の物ではないので、借りて帰って試した翌日には、返却するしかありませんでした。高くて買えないなあ、でも良いなあ、あこがれました。
当時はニッパーで皮むきをするのが当たり前だと思っていました。それも最初は刃こぼれして切れないニッパーで、力技でマイコンの細かいリード線をむいていたのです。それしかないから、仕方ありません。
そのマイコンを作っている最中だったか、その後だったか、ようやく自分のお金で新しいニッパーを買ったのです。島原のホームセンターまで出かけて・・・たしか二千円近くしたのではないかと思いますが、その新品のニッパーの切れ味にも驚きました。あのワイヤーストリッパーには及ばないけれど、これはこれで効率UPにつながりました。