HB-101を買った日
2024.03.04
忘れもしない中学1年の年始だった。

カタログを色々集めすぎて、結局どれにするか、かえって迷いが増していた。まあ、でもカタログを見るのは楽しかった。
たいていは女の子のモデルが写っていたが、富士通FM-7とかFM-Xはタモリだった。

日立H1はRAMが32KBで十分あるから将来的にも良いな。だけど予算が厳しいから、PV-7とか安い物にするしかないかと、だけどあのキーボードは微妙かもしれないと、悩んでいた。

別の店にH1の見本があったけど、この薄い筐体のどこに基板が入っているんだと思った。当時の自分は。中身なんかその頃は見たことがなかったし。

親に連れて行ってもらってベスト電器へ。
店に行くとPV-7の在庫は無く、たまたま有ったHB-101が良さそうだった。

ゲームソフト1本付きで\46,800

ゲームをするつもりは無く、BASICをいじりたいのでゲーム無しでと頼んだら、確か\40,300になったと思う。

当時、消費税は無かったが、物品税か何かあったような気がする。忘れた。(まだ保証書と領収証が残っているはず)

買って帰って、その日はウキウキしてどうしようもなかった。
新品のニオイもたまらん。

モニターは当時、自分用のテレビとしては拾ってきた白黒14形しかなかったのでとりあえずそれを使っていた。

キーボード操作もおぼつかなかったが、とにかく自分用のパソコン(マイコン)が手に入った事自体が嬉しくてたまらん。

部屋の電灯を消して、寝ようとしても興奮して寝付けない。起き上がってHB-101に触れてみて、ああ、夢じゃないんだとわかって、安心して寝た。

翌日から、勝手に捨てられたりしないか心配になって学校からダッシュで帰ったような気がする。

添付されていたマニュアルに載っているプログラムを打ち込んだり、ベーマガを買ってきてプログラムを打ち込んだりした。
ある程度、慣れてきたところで自分でBASICプログラムを作り始めたりした。

自分の力加減が悪かったのか、元々よくなかったのか、キーボードは1年足らずで入力困難になった。
こうなると、いちいちバシバシ力を入れる必要があり、余計に悪くなったと思う。
バラして(当時はバラすのも勇気が必要だった)、接点部分をアルコールで拭ってみたら少しは改善したのでしばらく使ったが、また悪くなることの繰り返しだった。

そのうちに、電源を入れても起動したりしなかったりと不安定になり、当時はサッパリわからなかった。
たまたま遊びに来たやつがH1の壊れた物を持ってきて、物々交換しようという事になった。

H1は、まあ直せるだろうと甘い目論見、結局直せなかったが、中を見るとICのピンが根本から切れており、おそらく液体をこぼして腐食が進んだせいで壊れたのではないかと思う。
きゅうしょく2
2024.03.04
当時は、鯨が給食に出ていた。
いや、まるごとじゃなくて。
黒くてサイコロみたいな状態、それが数個だったか。アルミのお皿に。
たぶん竜田揚げか。
だけど、どうも苦手で食べた記憶がない。周囲の友達にあげちゃったと思う。

個人的にヒットしたのは、ちくわの磯辺揚げ。
青のりを混ぜた衣をつけて揚げただけのちくわだが、単純なのに、妙にうまくてお気に入りとなった。今も引きずっている。

単純といえば、卵料理でうまかったものがひとつあって、
アルミのカップに卵を入れて、たぶん蒸すか焼いて固めたものと思うけど、ただそれだけの料理。
底は焦げてなかったから焼いてないと思う。それで蒸したものかと思っただけ。
いまでも再現してみたくなる。だけど子どもの頃のような感動はないだろうな。

それを再現しようとして、高校生の頃によく作って食べたのは、皿に卵を割って入れる。ラップをかぶせて電子レンジにかける。
たまに「ボン」と破裂する事があるので、加熱前につまようじでつっついておくとよい。

パンの食べ方も色々工夫したが、ジャムとマーガリンを混ぜるとおいしい事を発見し、その後ずっとはまっていた。
糖分+油分=おいしい
きゅうしょく
2024.03.02
自分が小学生だったのは昭和50年代(前半)だが、
当時、給食には米飯がなかった。

確か、3年生ぐらいから米飯が始まったと思う。
以後パンか米飯のどちらかが付いていた。もちろん、麺類(うどん等)の時は米飯は無かったような。

いわゆるコッペパンか、または食パン2枚。そして小さな袋に入ったマーガリン。

自分は当時バターとマーガリンの区別とか全く何も考えていなかった。むしろ、同じだと思っていた。ラーマ奥様インタビューなんていうCMがあったけど、あれをバターだと思っていた。

本物のバターを見た記憶は少なく、北海道の人からおみやげでもらった缶詰のもので、美味しいけど固くて使いにくかったなという印象。

小さな袋に入ったマーガリン、冷えていると固めで使いにくいので、暖かい汁物の器の下にしばらく敷いて暖めて溶かしていた。
暖めすぎると透明に近づき、とろとろになってしまう。ほどよい所で止めなければならなかった。

そのマーガリンの袋のカドをちょっと切り落とし、細長く出るようにする。それでパンに好きな模様やら文字やら描いて遊びながら食べていた。

マーガリンは、ママレードやいちごジャムに変わる時もあった。ピーナツバターが最高にうまかった。なんでこんなおいしい物が世の中に存在するんだ!と、大興奮した。

だけど大人になってからピーナツバターを買ってきて食べても、あの頃に比べたら舌が肥えているせいか、それほどの感動は味わえない。

こういった給食用のジャム等のメーカーとして「タカベビー」が有名(タカ食品)だけど、小分けにしたものが通販で購入できる。以前まとめて買ったが、当初は懐かしいと思えたけどさすがに飽きてきた。

ところで、
病欠のクラスメイトの家には、その近くの者がパンを持って行く決まりになっていた。いま思えば、わざわざ持っていかなくても良さそうなもんだが。家にもパンはあるだろう。

それがまた、うちの近所は個人的に嫌いな女の子がいて、いつも喧嘩していた仲だったので、持っていきたくなかった(笑)

パンの話だけでも長くなりそうだが、・・・

たった一度だけ給食にラーメンが出た事があり、いまでも忘れられない。

うどんは度々有ったけど、そばは記憶に残ってない。スパゲティ(ミートソース)もあった。
チャンポンも有ったような無かったような。
バンサンスーといって中華春雨のようなもの? 冷やし中華風の物もあった。

牛乳は最初ビンで、いつ切り替わったかわからないが、途中から三角パックになった。
やっぱりビンは重いからか。

コーヒー牛乳の粉が、たまに忘れた頃についてきて嬉しかった。ヒャッハーと大喜び。ほんとに。
こういう時にビンだと混ぜやすくて良いが、その分、ビンからはみ出す事を想定しないとあふれてしまう。
最初、牛乳をそのままちょっとだけ飲んで減らす。そこでコーヒー牛乳の粉を入れる。ストローを突っ込んで良く混ぜる。

あとは至福の時を味わうのみ。

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