防犯カメラ
2025.11.08
街の風景を見せるとか、公開されているものはもちろん構わないのですが、

パスワードのかかってないカメラの映像が一般に公開されていて、それが問題になっているそうです。

ちょっと見てみたら、もろにどこかの事務所で、動いている人物がうつっていました。
あとはソーラー発電の監視用が多いような印象。

だいぶ前に、安いネットワークカメラを買って試してみたけど、どうも怪しげなのですぐに使うのを止めました。

ちうごく等の製品は何らかの仕掛けがありますのでセキュリティ上、好ましくありません。

日本メーカーを選ぶとしても、ちうごくから買った物のレッテルを張り替えてるだけのような物は遠慮したいと思います。でもそれは見た目ではわからないから、なんとも言えない。
AIとAIの対決
2025.11.07
近頃の詐欺電話、迷惑電話の情報を見ていると、AIが電話をかけてきている事例があるようです。

一方、
私はそんな高級なスマホは持っていないので知りませんでしたが、
着信があると自動的に電話に出てくれて、相手の話を文字起こしする機能があるそうです。
ほかにも詐欺電話対策に良さげな機能も。

よくAIっていうけど本当にAIなのかは分かりませんがね。
(AIと称しながら、従来技術でもできそうな事です。AIって書くと注目されたり商売しやすいのでしょう。ファジイなどと同じようなものです)

AIなのかどうかはさておき、いまや、AI対AIのバトルです。

昔、SFか何かで戦争は人間同士ではなくロボット同士で、というのがあったようななかったような気がします。まさにそれです。

お互いに浪費するばかりで何も生み出しませんが・・・
昔の島鉄
2025.11.06
昔の島鉄、
島鉄とは、島原鉄道の略です。

キハ20っていうんですか、その鉄分の多いほうはよくわからないので、詳しい方に任せますが・・・今はもう無い、あの古い車両のほうが幼い頃から馴染みがありました。

車体の塗装によって、通称・赤パンツとか三本ひげという車両がありました。

子どもの頃は、「急行」という札を付けて走っている車両がありました。
貨物列車も時々通っていました。

そのキハ20、そもそも冷房がなかったのです。天井に扇風機が回っていて、あとは窓を開けるぐらい。走っていれば風があるのでそれなりに涼しかったが・・・

学校に通っていた頃、冷房がある車両と、無い車両が混在していたような記憶があります。
乗った時に、あっ、冷房なしか・・・とガッカリした事も。

便所はボットンです。ボットンっていうのかな。穴をのぞいてみると、線路が見えている。垂れ流し。
「停車中は使用しないでください」という札。
昔、なぜだろう?と思っていました。

走りながら適度に散らしたほうが目立たないからか。
たまたま駅でベンチに座って待っている時、止まっている車両を外から見ていたら、便所らしき所からジャーッと何か線路に・・・停車中に使ってるじゃないかと。

線路をよく見ると、紙とか落ちていたり、うーん、まあ、具体的に書くのはやめておきましょう。

あの赤茶けた砂利がいかにも鉄分の多い感じがしました。

昔は線路沿いに石炭が落ちていたので拾ったりしました。蒸気機関車時代にこぼれた物でしょう。拾ってきて焚き火にくべると赤く光って燃えましたので石炭に違いありません。

ドアは自動かと見せかけて、開けるのは手動というやつでした。
観光客などあまり馴染みのない方は、駅についてもドアがあかないので戸惑っている様子を時々見かけました。
あかないというか、少し開くのですが、あとはレバーを持ってドアをスライドさせてくださいというやつ。閉まるのは自動です。車掌が確認して閉めます。

当時は知りませんでしたが、もともとは国鉄が使用していた車両だったようです。そのお下がりを譲っていただいて使っていたというわけ。

その国鉄(現JR)とのつながりを示すのは、諫早駅にある線路だと思います。よく見るとつながってるんですね。鉄分の多い方にとっては常識以前の豆知識かもしれませんが・・・昔は何も知りませんから、ひょっとしてどこかでつながってるのかな?それともつながってなくて、クレーンで吊って島鉄の線路に載せるのかな?と想像していたのでした。
よく注意して線路を見ていたら、つながっていたのです。聞いた話では昔、島鉄は国鉄の路線にも乗り入れていたようです。

キハ20はかなりボロな感じで、一度だけでしたが、ある駅でエンジントラブルが起きて動けなくなり、救援が来たことがあります。その時、自分も乗っていました。たしか学校帰りか。こんな事もあるんだなと。
しばらく待っていたら別の車両が来て、こちらに乗り換えて下さいと。

救援車って言うから、あの南島原駅(当時)に置いてある黒い「救援車」と書いたやつが来るのかなと勝手に思っていたら違ってて、普通の車両が来ました。

高校の同級生(複数)が運転士になり、もうひとりは今も続けているのではないかと思います。

昔は車掌も乗っていました。いまではワンマンで運転士さんだけです。

ワンマン運行になった直後だったか、諫早駅でお客さんがみんな降りる時にバーサンがそのままトコトコ歩き去ってしまいました。そこで切符かお金を払わないといけなかったのです。
運転士さん、その場を離れるわけにはいきません。おきゃくさーん!おきゃくさーん!と叫びますがバーサンは去ってしまいました。

私が幼い頃は郵便車が有り、駅に郵便局の人たちが待ち構えていて、郵袋を積み下ろししているのを見かけることがありました。

荷物も扱っていて、鉄道荷札というのを括り付けていたようです。荷札は店で5円で売っていました。

’90年代後半だったか、いまも見るような黄色い新しい車両に変わりました。

古い車両もしばらく走っていて、いつ変わったかはわかりませんが、南目線の廃止までは有ったはずです。その後、解体されました。

島原駅がいまの姿になる前の古い駅舎とか、その後の工事中のプレハブ駅舎とか、もう自分の記憶の中の断片です。

古い駅舎の頃、便所は離れた場所にありました。

朝からその便所を利用するのは至難の業でした。
なぜなら、便所周辺は農業高校のワルが徘徊していたからです。
当然タバコを吸っています。
目が合うと、オイコラって声をかけられたりします。怖いです。

プレハブ駅舎の時に大雨があって、確か水位が5センチぐらい、そんなのわざわざ定規ではかっていませんが、靴が水に浸かってあきらめたぐらいですから。駅の構内まで水が流れ込んでいました。そんなこともありました。

昔の諫早駅は、JRと島鉄のホームが直接行き来できて、それがじつはちょっとした問題でした。なぜなら改札を通らないからです。わざわざ改札に行く人はいません。
昔(20年以上前)たまたま回数券でJRに乗り、無人駅から乗ったので改札はありません。諫早で降りて島鉄のホームへ行った時に気づきました。あれっ、この回数券そのまま次回使えてしまう、と。期限までは。これはマズイでしょう。
そんなわけで(他にも理由があったかも)、島鉄のホーム手前に臨時で改札が設けられた事がありました。
現在の新しい駅舎では、ホーム間を直接に行き来することはできません。
8251と8255
2025.11.06
8251と8255は兄弟みたいなものだが、用途は違う。
大雑把にいうとシリアルとパラレル

学生の頃の話

MSXに8251のカートリッジを自作して、それでMZやポケコンと通信できたら素晴らしいと思いついた。プログラムやデータの転送ができるようになる。
MZもRS-232Cは無いから、MZ側にも8251ボードが必要となるわけだが、とりあえずポケコンなら簡単そう。
RS-232Cのレベル変換は電源(+12V,-12V)がいるから面倒くさい。当時新しかったMAX232は高価だし、TTLレベルで直結すればいいか、という具合。
結果的から書くと、この最初の試みはうまくいかなかったけど。

確か、クリスタルの周波数が合わなかったのかな。完全に忘れたけど。近くのパーツ屋に無かったか。
他のマイコンやパソコンと1,200bpsとか9,600bpsといった決まったボーレートで通信するなら、クリスタルはそれに合ったものにしなければならない。
でも、自分で作ったものなら適当なボーレートでも、お互いに一致していれば良いのだから、適当な周波数で構わない。

最初の頃は8251のレジスタ設定をサッパリ理解できなかった。

どうも難しそうだと一旦保留にして、今度は8255ならどうだろうと。
じつは使い方としてハンドシェークモードというのがあるけど、やはり当時の理解力ではサッパリで、
それなら、一番単純なI/Oポートとしての使い方によって、お互いにパラレル接続で転送できないかと。

幸い、MZ側には別の目的で作った8255ボードが載せてあった。あとはMSX側に8255カートリッジが有れば良い。配線は多いけど、手間だけの問題だろう。

パラレル転送で思い出すのはプリンタI/F

データ1バイト(8bit)で、ストローブ、ビジー信号、GNDだけ。
プリンタへ、データの準備ができたよ、という合図がストローブ。Lパルスを一瞬送る。
ビジーというのは相手側(一般にはプリンタ)がデータを受け取れない事を示す。これがHレベルならMSX側は(Lになるまで)待つ。

この考えで、MSXとMZの8255同士をつないでやれば、データ転送が簡単にできるじゃないか。

ところが当時の頭ではプログラムがややこしく、えーと、MSXがこうで、その時MZはああして・・・と考えるとごちゃごちゃして分からなかった。

そこで友人と、それぞれMSXとMZになりきって、その役割をシミュレーションした。

そっちがビジーじゃないからストローブ出したよ、データ受け取った。そっちがビジー出してくれないとこっちは次のデータを送ってしまう。一旦止めないと。
えーと、そっちがこうしたら、こっちは・・・

相手の8255の初期化が終わっていないと、制御信号が不定だからどうするのとか、色々考えるべき事があった。

受信しながらフロッピーに書き込もうとすると時間がかかるから、メモリ容量が許す限りメモリ上に展開し、全部受信が終わってからファイル保存しよう。

紆余曲折が有り、何度かプログラムを作り直してようやく安定して転送できるようになった。あまり高速に転送しようとすると、ケーブルにノイズが乗ってデータが化けるから、そこそこ遅くする必要があった。
当時の実験プログラムなどの記録は、古いノートに書き記してある。

これでMZ側はCP/Mのフロッピーをセクターダンプして送信し、MSX側ではそれを受信してメモリ上に展開し、ファイル一つ分の受信が終わったらバイナリで保存する。
こうしてCP/Mの外部コマンド等をMSX-DOS上で動かせるようになった。M80(マクロアセンブラ)、L80(リンカ)、F80(FORTRANコンパイラ)などを持ってきてMSXで使っていた。

当時は8bit単位でデータ転送(データ線は8本)したけど、配線が面倒だったら4bit単位つまり4本にして、あとはプログラムで対応してもよい。でも8bitのほうが単純である。


ふたつの8255同士を接続する時に注意すべき事がある。電源が別々になっている8255同士は直結しない方が良い。

当時はそんな注意点は想像もできず、いや、ちょっとは気になっていたかもしれないが、動けばよしでやっていた。

相手側の電源が入っていない時、こちらの8255から電圧を出していると、向こうの8255が壊れるおそれがある。

CMOS等の入力回路を見たことがあるだろうか。たとえば74HCのデータシートに載っている。入力ピンにはダイオードが電源とGNDに付いている。静電気対策のため。
もし電源OFFのときに信号線に電圧がかかると、そのダイオードを通って電源に流れる事になる。
これで2つの問題が発生する。ひとつは、その漏れ電流で本来電源OFFの回路に微妙に電圧がかかって問題を起こす。リセットが正常にかからなかったりする。
もうひとつは、この保護ダイオードは電流を流すように作られていない為、壊れる可能性が高い。

どうすれば良いかというと、電圧を送らないようにする。送信側はオープンコレクタ(オープンドレイン)のICを通して出力する。
Lかオープン(ハイインピーダンス)のどちらかしかない。

受信側にプルアップ抵抗を設けてやる。オープンコレクタで論理反転するが、送信側か受信側のどちらか(のソフト)で論理反転してやれば済む。
74LS14等のシュミットICで受信しても良い。波形整形できる。
オープンコレクタはL→Hの立ち上がりが遅い(プルアップ抵抗で浮遊容量を充電するため)ので、速く転送しようとしても立ち上がりが追いつかない。ケーブルの長さによっては転送を遅くしないとうまくいかない事がある。
送信側のICのドライブ能力次第だが、プルアップ抵抗をできるだけ小さめにしてみるとか。たとえば1KΩとか。実例としてFDD I/Fは、3.5インチの場合だと1KΩプルアップだったと思う。
二十一世紀音頭
2025.11.06
小学生の頃、なぜか運動会で「二十一世紀音頭」を踊る事になった。

いま思えば、なぜだったんだろう。
先生たちのノスタルジーか。当時すでに’80年代だった。

EXPO'70当時、我々は生まれてないから、当然リアルタイムで聞いたことがない歌。
最近('80年代)の流行歌かなあ、と勝手に思っていた。よく知らないから。

その歌詞
「これから三十一年たてば、この世は二十一世紀」
を聞いて、
いまの時点('80年代)を起点に31年後が21世紀なんだと(勝手に)思った。
・・・ということは、1980+31=2011か? と。
1980の所は正確な年を覚えてないので、だいたいで書いたけど、だいたいそのへん。

もちろん、この考えは間違い。当時は何も知らなかったからな。

間違っていたけど、31年か、ずいぶん先のことだなと当時思った。いま振り返ってみれば意外と早かったかも。

そういえば、20世紀に有ったクイズ。
21世紀は西暦何年から始まるか? 2000年か、2001年か? 正解は2001年。

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