大ピンチずかん
2023.11.28
「大ピンチずかん」
最近流行している絵本のようです。
子どもが経験する様々なピンチが集められているとか。

私は、もうそんなの経験済みですよって(笑)。
どうしてこうなった、という事例だらけです。枚挙に暇がない、というやつだ。
余計な事をしてワナにはまる。もがいたら、さらに深みにはまる。やらなきゃよかった、なんで余計な事をした、という後悔しかない。

最大のピンチは海で深みにはまった事です。あのまま流されて溺れた可能性も。これは親には話してない。
海で遊んでいるうちに濡れたりするけど、大雨の日と同じで、もう全身濡れたって同じだと開き直った。
そこで着衣のまま海に浸かって、頭だけ出して歩き回って遊んでいた。
背が届く範囲なら大丈夫だろうと思っていた。
そのときの水は冷たくなく、生ぬるい感じで気持ちが良かった。
稚魚が集まって泳いでいるのを見たりして面白い。不思議な感覚だった。
ところが・・・突然、足がつかなくなった。急に深くなった所に足を踏み入れてしまった。とっさに、まずいと思って必死でバタバタして脱出を試みた。じつは泳げないのだ。
なんとか脱出して、足がつく所まで移動でき、一旦、海から上がってきた。
潮が引いてからそのあたりを見てみると、どうなっていたか良くわかった。

その次ぐらいなのは、また、水に関わる事件で。
最初住んでいた家にあった庭、植木の水撒き用にポリバケツ(大きさは、ゴミバケツとして使われているヤツを思い出してもらえれば)が置いてあって、水で満たされていた。
ある時、自分はアニメの1シーンを思い出したのか、水の中をのぞいてみたくなったらしい。
トムとジェリーだったのかはわからない。
時代的には後になるが、イメージとしては、ラピュタの街で水の中をのぞいてみるシーンがあるけど、あんなふうに見てみたかったのだろう。
そこで頭を突っ込んで水の中を見ようとしているうちに、ポリバケツの水中に落ちてしまったという。(自分はあまり覚えてない)
ひっくり返って脱出もできず、ジタバタジタバタ足を動かしていたと聞く。
幸い、発見が早くて助かったが、そのまま溺*していた可能性も。

水に関する危険な体験のせいか、結局泳げるようにならなかったし、自分は水には近づいてはいけないのだろう。

その次に思い出したのは、
なんとなく線路に置き石をしたら、それが後で問題になって翌日学校で先生からみんなに話があり、目撃者によると小学生がやったらしいが誰かわからない。通りがかりに発見した人が撤去したので事故にはならなかった。列車転覆は重罪だとかそんな怖い話でドキドキして、なんであんな事をしたんだろうとひどく後悔したりとか。

もちろん、その後、現在に至るまで二度と置き石はしていない。深く反省した。

「裁判にかけられる」と聞いて、その時の自分の脳内イメージは、なぜかレコードが再生していた。レコードをかける、という意味でしか知らなかったからだ。

本当に何も考えずに、なんとなくやってしまった事が大失敗だったというのが多かった。
その「なんとなく」がイカンのだ。
なんとなくっていうのは、たとえば歩きながら生け垣の葉っぱをなんとなくむしったり、柵の縦棒をトントントンとなぞっていったりとか。

そう、ピンチの3番目はそんな感じの出来事。
学校で空き教室の倉庫みたいになっている部屋があった。
たまたま道具を取りに入った時か、掃除だったか忘れたが、ケガが苦手な方は、この先は読まないほうが良い。




長い台があり、なんとなくその端を手でなぞりながら歩いていたら、いきなり痛みが走って流血・・・
見ると、板ガラスが積み重ねてあり、うっかりその切り口を手でなぞってしまって切れたのだ。

もう、何も考えてないというか、我ながらバカさ加減に情けなくて涙出てくらぁ、ってやつです・・・

ケガは他にも色々あったが、
工作をしていてセロハンテープの台を床に置いていたら、つまずいた拍子に膝に当たってパックリ切れてしまい、骨が見えたかどうかまで覚えてないが、縫合するようなケガだったんだろう、たぶん。

それよりも以前に、同級生が遊具で頭を怪我して縫ったという話を聞いていて、とにかく痛かった、ということらしい。縫うと痛いのか。なるほど、と覚えていた。だから、縫うようなケガを非常におそれていた。

おそらく、このパックリ開いた傷口は「縫わないといけませんね」と医者が言いそうだと予感した。
そんな事になったら大変だ。必死になり、指で傷口を押さえてくっつけようとした。なあに、しばらく押さえておけばくっつくだろう。
確かにくっついた感じだったが・・・すぐに剥がれてしまった。歩いたりして動くとダメだ。押さえながら歩こう。

その後どうしたかわからないが、とにかく絆創膏をベタベタ貼りまくったり、右足をなるべく動かさないようにしながら過ごしたら、なんとかくっついて一安心だった。
いまも傷跡が残っている。
2T-100の詳細
2023.11.27
当時、私が作ったものは小学生の頃「少年自然の家」のお泊まり会に持っていった時に盗まれてしまい、それっきりでした。

今回オークションで入手した物の基板




2T-100入手
2023.11.27
懐かしのHOMER 2T-100 (2石レフレックスラジオキット)を入手しました。
手頃な値段で有りましたので・・・





懐かしい。

いま見ると中身は単純に見えるけれど、当時は超複雑に見えた。不思議です。

当時・・・
組み立て一発じゃ鳴らなくて、どれだけ調べてもよくわからない。しまいには神頼みで、神棚に上げて拝んだりもしたが、そんなの修理してくれない。自分で努力しなさいと。

基板にシルク印刷が無いから、差し間違いも有りがちだった。実際、トランジスタの極性を間違っていたし、

(説明書の図と良く見比べながら差し込んでいったが、その照合が当時の自分には難しく思えた)

この機種を作った時だったか別の機種だったか忘れたけど、ゲルマダイオードのリードを曲げて差し込もうとしたらガラスが砕けてしまって、大いに凹んだりもした。(その後、必死になってテレビのジャンク基板から同じようなゲルマダイオードを見つけ出した)

トランジスタの極性違いは解決したから鳴るだろうと自信があったけど、直しても全然鳴らないし、おかしいなあ・・・と。

原因は結局バーアンテナの線で、表面の絶縁被膜を削ってからはんだ付けしなければならないのだが、それをしていなかった。エナメル線は昔から使っていたので知っていたはずだが、なぜか、先端部分は処理済みだろうと勝手に思っていたんだろう。

試しにマイナスドライバーだったか、カッターナイフの背で削ってからはんだ付けしたらアッサリと鳴り出したというわけ。
爪の切り方
2023.11.27
爪の切り方なんて、昔から適当にやってきたが、正しい切り方があるらしい。いまさら知った・・・

先端の白い所だけ切ればいいだろう、とかそんな感じだった。
いつ切るかのタイミングも適当で、たまに思い出して気分転換にやっているようなものだった。

爪なんて、それほど関心を寄せるような事項ではなかった。

ところが以前、足の爪が食い込んで痛くなり、外科で処置してもらった。その時に、切り方を指導された。(だけどすぐに忘れてしまった)

爪の端が巻いてきたり、食い込んだり、斜めに生えたりする事がある。

皮膚科で診てもらうのが良いらしい。

★ご参考
爪切りの正しい使い方 (貝印)
ttps://www.kai-group.com/products/tsumekiri/use/howto/
当時のプラモ
2023.11.26
小~中学生の頃は、ガンダムのプラモが流行っていたようだ。

ようだ、というのは・・・自分は興味がなかったから。
だって興味をそそられない。ガンダムのアニメも見てなかったし、そんな動かないプラモなんかアツくなれない。

赤いヤツは3倍速いとか意味わからんし、それはずいぶん後になってから意味を知った。

そんなことより、
自動車とか扇風機みたいに電気を使って実際に光ったり動いたりするものが良い。回る回る東芝、光る光る東芝、走る走る東芝。

スーパーカーの知識もほとんど無くて、いちいち車種なんか覚えきれなかったし、時速何百キロまで出るとか言うけれど一般道で出せないだろ、だったら、うちのポンコツ車と同じじゃんと思っていた。
ただ走ったり光ったりすれば、車種は何でもよかった。田舎で、そもそも選択肢があまり無かった。それ以前に予算的に厳しかったので値段で決めたりした。

扇風機のリアルなプラモには非常に萌えた。
かなりリアルで、組立式のギヤボックスの首振り機構まで付いていた。おそるべし。

しかし・・・あの水色で美しい透明な羽根、うっかり踏んで割ってしまい、非常にショックを受けたのであった。
接着剤で適当にツギハギしてなんとか修復した。

みすぼらしい。気持ち的に思いっきり下がってしまった。

そう、プラスチックの成形部品なんか壊したら、また同じプラモを買うか、メーカーから通信販売で取り寄せるしかなかった。

もう1個買う発想はなかった。田舎の商店に1個だけあったのを買っただけで、当時の自分の世界ではそこにしか無いものだった。

通販は当時の自分にとっては大事業で、封筒に宛名を書いたりするのも大変。息を詰めながら1字ずつまっすぐ書くようにしているつもりが、ひんまがったりはみだしたり、そして書き損じてしまい、何度もやり直し。

今でも役所の書類なんか記入する時は、どうかすると気が狂いそうになる。税務署から消費税の書類がドサッと来た時、なんのことやらさっぱり分からず絶望した。こんなもの、聞きに行っても絶対わからん。それなのに無慈悲に「いつ提出しますか」と催促は来るし、血迷って適当に書いて出してしまった。いいんだろう出せば。
ところがよく考えてみると不安になり、これがきっかけで税理士と契約することに。早速その件を相談したところ、私の手続きは間違っており、取り下げと改めての手続きまで行って頂いた。

まあ何が言いたいかというと書類の記入なんてのは自分の性格に合わないということよ。新コロの給付金とか補助金なんかも書類のことを考えるとうんざりして、最初から申請しようという発想はなかった。

とにかく、当時はお金がなかった。2個買うなんて無理。通販も無理。

じゃあ手作りするかって、
あんな部品を自分で手作りするなんて、とくに当時のような不器用さでは到底無理で、貴重な部品を壊したら取り返しがつかない。
3DCADや3Dプリンタがその当時に有ったらなあ、といまさら思う。

はじめて作ったプラモは水車小屋で、これは今でも有るらしい。当然モーターで回るやつを選んだ。当時よく分からなくて適当に買ったが、いま考えてもマニアックなチョイスだ。(笑)

やっぱり電気で動くものには魅力があった。

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