X1 または X1turbo
2024.10.11
X1とかX1turboは全然触れる機会がなかった。
高校の同級生が持っていたけど、その程度。
ただ、そのフロッピーはMZでも工夫すると読み込むことができたので、CP/M移植の参考にさせてもらったりした。
(X1版のCP/Mフロッピーをセクターダンプして、FDCの論理が違うので論理反転して読み込ませていた)
セクターをずっと送って見ていくとソースらしき物が見つかり、それを抽出してファイル化したりした。
あとは、本体を所有したこともなく、それっきりという感じ。
そのほか覚えている事は、X1Dだっけ、3インチドライブは不遇だったというユーザーの嘆き。
そして、サンハヤトのX1用のユニバーサル基板は裏返すとMZ-2000でも使えた。実際にそのようにして使った。静止画取り込み基板を作ったときがそれ。
高校の同級生が持っていたけど、その程度。
ただ、そのフロッピーはMZでも工夫すると読み込むことができたので、CP/M移植の参考にさせてもらったりした。
(X1版のCP/Mフロッピーをセクターダンプして、FDCの論理が違うので論理反転して読み込ませていた)
セクターをずっと送って見ていくとソースらしき物が見つかり、それを抽出してファイル化したりした。
あとは、本体を所有したこともなく、それっきりという感じ。
そのほか覚えている事は、X1Dだっけ、3インチドライブは不遇だったというユーザーの嘆き。
そして、サンハヤトのX1用のユニバーサル基板は裏返すとMZ-2000でも使えた。実際にそのようにして使った。静止画取り込み基板を作ったときがそれ。
JR-200
2024.10.11
JR-200、これはナショナル(現パナソニック)の製品だった。
私が生まれて初めて触ったPC
当時、サンアイ(現存せず)というディスカウント店があり、ここは色んな物が安価で売られていた。今でいうところのドンキホーテみたいな店の先駆け?
その店に置いてあったのがJR-200
おそるおそるキー入力してみた。もちろん、1文字ずつに時間がかかった。
自分の名前を入れようと思いながら、なかなか文字が見つからず、あきらめて「マントヒヒ」などと打ってみた。
いま思えば、あんなBASIC画面で何ができるかって思う人も多かっただろうな。同級生の親がそんな感じで、8万いくらもしたのに(PC-6001mkII)箱は破れてるし、何もできないし、って文句言っていた。
そんな中に楽しみを見出していけるかどうかが分かれ目だったのかもしれん。
結局、JR-200に触ったのは記憶の限りではそのときが最初で最後。
JR-100は本で存在は知っていたが、結局、実物に触れる機会もなかった。
私が生まれて初めて触ったPC
当時、サンアイ(現存せず)というディスカウント店があり、ここは色んな物が安価で売られていた。今でいうところのドンキホーテみたいな店の先駆け?
その店に置いてあったのがJR-200
おそるおそるキー入力してみた。もちろん、1文字ずつに時間がかかった。
自分の名前を入れようと思いながら、なかなか文字が見つからず、あきらめて「マントヒヒ」などと打ってみた。
いま思えば、あんなBASIC画面で何ができるかって思う人も多かっただろうな。同級生の親がそんな感じで、8万いくらもしたのに(PC-6001mkII)箱は破れてるし、何もできないし、って文句言っていた。
そんな中に楽しみを見出していけるかどうかが分かれ目だったのかもしれん。
結局、JR-200に触ったのは記憶の限りではそのときが最初で最後。
JR-100は本で存在は知っていたが、結局、実物に触れる機会もなかった。
PC-98LT
2024.10.11
PC-98LTは、知ってる人だと「ああー、あれね」
一言で言えば中途半端なPCだった。
他のPC98との互換性がない部分がある。特に画面まわり。
液晶画面はバックライトなかったけど見やすかったけどね。
確かトラ技の広告を見て、ジャンク屋で\6,000だったか\8,000だったかで売られていたのでついつい買ってしまった。
他のPC98と互換性のないPC98LTだったが、WTERMのLT版もあるのでパソコン通信に使えた。
モデムも内蔵されていた。
モデムといってもV.25bisという特殊なやつだったけど、やはりWTERMが対応していたので助かった。
但し通信速度は1200bpsでトロトロだった。
MS-DOSはROMで内蔵されており、FDDは1基だったが、ちょっとした作業には十分使えた。
テキストエディタは京都コンピュータ学院のフリーソフトのSE3を使っていた。LT版があって助かった。
あとはアセンブラとかCコンパイラはDOS汎用なので使えたし、
文章を打ったり、プログラムのソースを打ち込んだりと、便利に持ち運んで使っていた。
得意になって持ち歩いていたよなあ。
最初からFDDの調子が悪いときがあり、おかしい時はバンバン叩いてやると正常にアクセスできた。
一言で言えば中途半端なPCだった。
他のPC98との互換性がない部分がある。特に画面まわり。
液晶画面はバックライトなかったけど見やすかったけどね。
確かトラ技の広告を見て、ジャンク屋で\6,000だったか\8,000だったかで売られていたのでついつい買ってしまった。
他のPC98と互換性のないPC98LTだったが、WTERMのLT版もあるのでパソコン通信に使えた。
モデムも内蔵されていた。
モデムといってもV.25bisという特殊なやつだったけど、やはりWTERMが対応していたので助かった。
但し通信速度は1200bpsでトロトロだった。
MS-DOSはROMで内蔵されており、FDDは1基だったが、ちょっとした作業には十分使えた。
テキストエディタは京都コンピュータ学院のフリーソフトのSE3を使っていた。LT版があって助かった。
あとはアセンブラとかCコンパイラはDOS汎用なので使えたし、
文章を打ったり、プログラムのソースを打ち込んだりと、便利に持ち運んで使っていた。
得意になって持ち歩いていたよなあ。
最初からFDDの調子が悪いときがあり、おかしい時はバンバン叩いてやると正常にアクセスできた。