ざぶとん全部持っていきなさい
2025.10.08
幼い頃から小学生の頃まで、
ざぶとんをたくさん積み重ねた上に座ってみたくてたまらなかったのでした。
唐突になんだそりゃ?と思うでしょう。
始まりは、笑点のマネだったと思います。
しかし、うちにはそんなにたくさんの座布団はありませんでした。再現できません。
よく遊びに行っていた隣家は宴会場を備えた大きな建物で、そこには当然、座布団がたくさんありました。
夜な夜な、カラオケの歌声が近所中に響き渡っていたものでした。
あの頃は特に苦情もなく、いや、私が知らなかっただけかもしれませんがもうわかりません。
大阪しぐれを聞くと当時を思い出します。
ドライアイスの煙を吹き出す装置もあり、そういえば、あの煙に包まれる事にもあこがれていました。変な子どもでした。
さて、だだっ広い畳の間の端に、積み上げられた座布団。
その座布団に乗ろうとするが、結局バランスを崩してひっくり返ってどこか打ち付けて痛い痛いと泣くのがオチ。
頭で思い描いたように、きれいに乗れないんですね。現実は。
座布団は柔らかいから・・・
座布団を足がかりに登っていこうというのがそもそも間違いで、その時点で崩れてしまったり。
大人なら、積み上げた座布団の上に座るなんて造作もないことです。
子どもの身長は低いから、座布団を足がかりに登っていくしかない。
積み上げ座布団の隣に、台か椅子があって、そこから飛び移ったらどうか、なんて試みたこともあったようななかったような。
仮にうまく乗れたとして、自分が一瞬浮き上がり(大人に抱えてもらって)、その時にもう一枚差し込んだらどうか、なんてことも考えたようななかったような。
なんでそこまで座布団乗りに執着していたのか。
おとなになってしまうと忘れてしまいます。
その宴会場、
なんというのか知りませんが、床の間にツルツルした柱があって、
それを触ったりよじ登ろうとしてツルツルして登れないよー、なんて遊んだりするのが好きでした。
久しぶりに地元へ帰ってみると、いつの間にかあの宴会場は無くなってしまい、別の建物になっていました。
あの、やたらに広い畳の間、それを見ただけで大興奮して走り回ったものでした。
ツルツル柱も、長い廊下も・・・みんな、なくなってしまいました。
ざぶとんをたくさん積み重ねた上に座ってみたくてたまらなかったのでした。
唐突になんだそりゃ?と思うでしょう。
始まりは、笑点のマネだったと思います。
しかし、うちにはそんなにたくさんの座布団はありませんでした。再現できません。
よく遊びに行っていた隣家は宴会場を備えた大きな建物で、そこには当然、座布団がたくさんありました。
夜な夜な、カラオケの歌声が近所中に響き渡っていたものでした。
あの頃は特に苦情もなく、いや、私が知らなかっただけかもしれませんがもうわかりません。
大阪しぐれを聞くと当時を思い出します。
ドライアイスの煙を吹き出す装置もあり、そういえば、あの煙に包まれる事にもあこがれていました。変な子どもでした。
さて、だだっ広い畳の間の端に、積み上げられた座布団。
その座布団に乗ろうとするが、結局バランスを崩してひっくり返ってどこか打ち付けて痛い痛いと泣くのがオチ。
頭で思い描いたように、きれいに乗れないんですね。現実は。
座布団は柔らかいから・・・
座布団を足がかりに登っていこうというのがそもそも間違いで、その時点で崩れてしまったり。
大人なら、積み上げた座布団の上に座るなんて造作もないことです。
子どもの身長は低いから、座布団を足がかりに登っていくしかない。
積み上げ座布団の隣に、台か椅子があって、そこから飛び移ったらどうか、なんて試みたこともあったようななかったような。
仮にうまく乗れたとして、自分が一瞬浮き上がり(大人に抱えてもらって)、その時にもう一枚差し込んだらどうか、なんてことも考えたようななかったような。
なんでそこまで座布団乗りに執着していたのか。
おとなになってしまうと忘れてしまいます。
その宴会場、
なんというのか知りませんが、床の間にツルツルした柱があって、
それを触ったりよじ登ろうとしてツルツルして登れないよー、なんて遊んだりするのが好きでした。
久しぶりに地元へ帰ってみると、いつの間にかあの宴会場は無くなってしまい、別の建物になっていました。
あの、やたらに広い畳の間、それを見ただけで大興奮して走り回ったものでした。
ツルツル柱も、長い廊下も・・・みんな、なくなってしまいました。
FS-A1ST改造失敗
2025.10.08
いまの話ではなく、’90年代始めの頃の話
まだまだ未熟だった私でした。
MSXマガジンか何かの改造記事を見て、自分のFS-A1STもRAM増設しようとした。
空きパターンにDRAMをはんだ付けして、あとは抵抗をチョコチョコと。簡単だ。
そうだ、念の為にソケットを使おう。(これが悪夢の始まり)
その時に使ったソケットは、ご覧の通り(実際は18Pか20P、忘れた)
-s.jpg)
無事、改造は成功した。
起動画面に表示されたRAM容量を見て大喜び。
(実際に使うのか?)
RAMディスクとして使った。アセンブル、コンパイルが速くなった。
それ以前の学生時代からRAMディスクは重宝していて、容量が増えてありがたい。
だけど作業が終わった時点でフロッピーに書き戻すのを忘れてしまい、一気に天国から地獄の底まで落ちたこともあるけどな。
(そこで、書き戻すバッチファイルを作った。確か、ソースだけはコンパイル時に必ずフロッピーへ書き込むようにした気がする。)
ところが・・・ある日、RAM容量表示が増設前と同じになった。アレ?
勝手に変わったりする。おかしいなあ?
ははあ、ソケットの接触が悪いんだ。こんなソケットだからイカンのだろう。
接点が片側しか接触しない構造になっている。
わかっていて使ったが、こんなにダメとは思わなかった。
少なくとも、両面から接触しないとな。丸ピンだったら周囲から包むように接触するから信頼性が高い。
とりあえず、この板バネソケットを取り外して、丸ピンソケットに交換しよう。
その取り外し・・・
当時はハンダ吸い取り線とスッポンしか持ってなかったから、結果から書くと見事に失敗。パターンを壊してしまった。剥がれて切れたり、スルーホールが抜けたり。
FS-A1STの基板は特殊で、配線パターンが見えない。当時のエレクトロニクス雑誌に載っていたけど、銅ペーストといって配線パターンの上を銅でシールドしてしまい、輻射ノイズを抑える狙いが有った。
しかしそれだと修理ができない。パターンを切ったりつないだりなんてあり得ないという思想だろうな。量産基板に適用するから良いんだと。
いまでこそ回路図は出回っているが、当時は回路図なんて手に入らなかった。修理に出したら高額になるだろうな。就職したばかりでお金もない。
DRAMの配線を可能な限り追って調べた当時のメモが今も残っている。あきらめきれなかったんだろうな。
結局あきらめてしまったのでした。
ソケットの接触を改善する方法を最初に試したらどうなのか?って思うでしょうけど、その当時に思いつかなかったでしょう。何度か抜き差しをしてみたりしたかもしれない。覚えてない。
あとから色々言うけど、失ったものは取り戻せないんだからなあ。
・・・・・・
幸い、どうにかこうにか基板だけ手に入れて交換し、復活したわけです。
二度とあんなソケットは使わないと心に決めました。(某**で当時よく売られていたものでした。安かった)
まだまだ未熟だった私でした。
MSXマガジンか何かの改造記事を見て、自分のFS-A1STもRAM増設しようとした。
空きパターンにDRAMをはんだ付けして、あとは抵抗をチョコチョコと。簡単だ。
そうだ、念の為にソケットを使おう。(これが悪夢の始まり)
その時に使ったソケットは、ご覧の通り(実際は18Pか20P、忘れた)
-s.jpg)
無事、改造は成功した。
起動画面に表示されたRAM容量を見て大喜び。
(実際に使うのか?)
RAMディスクとして使った。アセンブル、コンパイルが速くなった。
それ以前の学生時代からRAMディスクは重宝していて、容量が増えてありがたい。
だけど作業が終わった時点でフロッピーに書き戻すのを忘れてしまい、一気に天国から地獄の底まで落ちたこともあるけどな。
(そこで、書き戻すバッチファイルを作った。確か、ソースだけはコンパイル時に必ずフロッピーへ書き込むようにした気がする。)
ところが・・・ある日、RAM容量表示が増設前と同じになった。アレ?
勝手に変わったりする。おかしいなあ?
ははあ、ソケットの接触が悪いんだ。こんなソケットだからイカンのだろう。
接点が片側しか接触しない構造になっている。
わかっていて使ったが、こんなにダメとは思わなかった。
少なくとも、両面から接触しないとな。丸ピンだったら周囲から包むように接触するから信頼性が高い。
とりあえず、この板バネソケットを取り外して、丸ピンソケットに交換しよう。
その取り外し・・・
当時はハンダ吸い取り線とスッポンしか持ってなかったから、結果から書くと見事に失敗。パターンを壊してしまった。剥がれて切れたり、スルーホールが抜けたり。
FS-A1STの基板は特殊で、配線パターンが見えない。当時のエレクトロニクス雑誌に載っていたけど、銅ペーストといって配線パターンの上を銅でシールドしてしまい、輻射ノイズを抑える狙いが有った。
しかしそれだと修理ができない。パターンを切ったりつないだりなんてあり得ないという思想だろうな。量産基板に適用するから良いんだと。
いまでこそ回路図は出回っているが、当時は回路図なんて手に入らなかった。修理に出したら高額になるだろうな。就職したばかりでお金もない。
DRAMの配線を可能な限り追って調べた当時のメモが今も残っている。あきらめきれなかったんだろうな。
結局あきらめてしまったのでした。
ソケットの接触を改善する方法を最初に試したらどうなのか?って思うでしょうけど、その当時に思いつかなかったでしょう。何度か抜き差しをしてみたりしたかもしれない。覚えてない。
あとから色々言うけど、失ったものは取り戻せないんだからなあ。
・・・・・・
幸い、どうにかこうにか基板だけ手に入れて交換し、復活したわけです。
二度とあんなソケットは使わないと心に決めました。(某**で当時よく売られていたものでした。安かった)
はんだ付け
2025.10.07
はんだ付けは基本中の基本ですが、自己流でやっている方が多いと感じます。
私自身、最初に工場へ配属された時に正式に習いました。
はんだ付けの話の前に・・・
以前、プラモの電気配線を接着剤(プラモ用)で付けていた奴に指摘して反撃を食らった話を書きました。小学校の課外活動の科学クラブで、プラモを作った時のことでした。
私: 「電気の配線を接着剤でつけるなんておかしいよ!」と。
昔のことで、細かいことまで覚えていませんが、
本人いわく、「ちゃんと光る、モーターも回る。なにか問題あるのか!」というわけです。
私はその場で言葉が出てこない性格?のため、うまく反論できなくて、相手から「なんか文句あるか、イチャモン付けるな」ってな具合に反撃を食らったのでした。
確か上級生だったかも。自分は上級生も関係無しに、おかしいと思ったら意見を言っていましたから、目をつけられていました。
いま思い出してみれば、接着剤で固めて配線がグラグラ動かないようにしたかったのかもしれません。そこのところを汲み取ってあげればよかったのかなと。
だけど、接着剤は電気が通らないから、接触が悪くなるから塗らないほうがいいよと。
リード線をむいて、端子に巻き付けて(からげて)いましたから、うまくやらないとゆるみやすいのです。はんだ付けしませんから、しっかりねじってやる必要がありました。
そのままはんだ付けをしたら、金具と合わさっているプラ部品が融けてしまいます。金具だけ取り外して単独ではんだ付けします。
はんだ付けを始めたのはいつだったか。小学校に入った頃ぐらいか。
但し、親父が一緒のときじゃないと危ないからハンダゴテを使ってはいけないという約束で、
それが自由になったのは四年生ぐらいだったか。
約束はキチンと守っていました。
自由に使えるようになっても、終わったら電源を確実に切るとか、後片付けは忘れずに実行していました。
あの頃に使っていたハッコーのヘクスゾール(ハンダ)のヤニの匂いが懐かしくて、もう売って無いでしょうけど、いつまでも記憶に残っています。
最初は60Wのコテを使っていて、いまも売っているハッコーのJUNIORシリーズでした。
銅むきだしのコテ先、メッキがないからすぐに黒くなります。ヤスリで磨いて使いやすい形にしていました。
ハンダゴテが使えるようになったら、拾ってきたテレビなどの基板から部品を抜いて集めるようになりました。集めて何にするわけでもないが、とにかく、部品に飢えていました。近くに売っている店などなかったですから。
はんだ付けを上手にするには、はんだ付けしようとする物を適度に温めることです。それからハンダを流す。
こて先にハンダを当てて融かすんじゃなくて、はんだ付けする端子を温めて、そこに押し当てて融かす。
こて先にハンダを当てて融かすと、玉みたいになって端子にくっつきます。結果的に、基板パターンとの接続ができてないことになります。
端子と基板パターンが同じ温度になるから、ハンダが流れてなじみます。
ずいぶん前に、そんな玉ころだらけのマイコン基板の写真を送ってきて、どうして動かないんでしょうか、という方がいらっしゃいました。よく暖めて(加熱しすぎないぐらい)基板の銅箔にハンダが流れるようにしなければなりません。
ペーストは電子工作では使ってはいけません。これは私自身も小学生の頃に大失敗したものです。腐食してダメになります。
フラックスは使って良いけど、あとで洗浄するのが望ましいです。
私自身、最初に工場へ配属された時に正式に習いました。
はんだ付けの話の前に・・・
以前、プラモの電気配線を接着剤(プラモ用)で付けていた奴に指摘して反撃を食らった話を書きました。小学校の課外活動の科学クラブで、プラモを作った時のことでした。
私: 「電気の配線を接着剤でつけるなんておかしいよ!」と。
昔のことで、細かいことまで覚えていませんが、
本人いわく、「ちゃんと光る、モーターも回る。なにか問題あるのか!」というわけです。
私はその場で言葉が出てこない性格?のため、うまく反論できなくて、相手から「なんか文句あるか、イチャモン付けるな」ってな具合に反撃を食らったのでした。
確か上級生だったかも。自分は上級生も関係無しに、おかしいと思ったら意見を言っていましたから、目をつけられていました。
いま思い出してみれば、接着剤で固めて配線がグラグラ動かないようにしたかったのかもしれません。そこのところを汲み取ってあげればよかったのかなと。
だけど、接着剤は電気が通らないから、接触が悪くなるから塗らないほうがいいよと。
リード線をむいて、端子に巻き付けて(からげて)いましたから、うまくやらないとゆるみやすいのです。はんだ付けしませんから、しっかりねじってやる必要がありました。
そのままはんだ付けをしたら、金具と合わさっているプラ部品が融けてしまいます。金具だけ取り外して単独ではんだ付けします。
はんだ付けを始めたのはいつだったか。小学校に入った頃ぐらいか。
但し、親父が一緒のときじゃないと危ないからハンダゴテを使ってはいけないという約束で、
それが自由になったのは四年生ぐらいだったか。
約束はキチンと守っていました。
自由に使えるようになっても、終わったら電源を確実に切るとか、後片付けは忘れずに実行していました。
あの頃に使っていたハッコーのヘクスゾール(ハンダ)のヤニの匂いが懐かしくて、もう売って無いでしょうけど、いつまでも記憶に残っています。
最初は60Wのコテを使っていて、いまも売っているハッコーのJUNIORシリーズでした。
銅むきだしのコテ先、メッキがないからすぐに黒くなります。ヤスリで磨いて使いやすい形にしていました。
ハンダゴテが使えるようになったら、拾ってきたテレビなどの基板から部品を抜いて集めるようになりました。集めて何にするわけでもないが、とにかく、部品に飢えていました。近くに売っている店などなかったですから。
はんだ付けを上手にするには、はんだ付けしようとする物を適度に温めることです。それからハンダを流す。
こて先にハンダを当てて融かすんじゃなくて、はんだ付けする端子を温めて、そこに押し当てて融かす。
こて先にハンダを当てて融かすと、玉みたいになって端子にくっつきます。結果的に、基板パターンとの接続ができてないことになります。
端子と基板パターンが同じ温度になるから、ハンダが流れてなじみます。
ずいぶん前に、そんな玉ころだらけのマイコン基板の写真を送ってきて、どうして動かないんでしょうか、という方がいらっしゃいました。よく暖めて(加熱しすぎないぐらい)基板の銅箔にハンダが流れるようにしなければなりません。
ペーストは電子工作では使ってはいけません。これは私自身も小学生の頃に大失敗したものです。腐食してダメになります。
フラックスは使って良いけど、あとで洗浄するのが望ましいです。
2025.10.08 08:01
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