草の根ネットのホストPC部屋
2024.11.23
当時は「第7サティアン」と呼ばれた事もあった。(ちょうど、あの事件で騒がれていた頃)
機材は山積み、ケーブルはぐちゃぐちゃ。そして24時間連続稼働で、機材が騒音を発していた。
自作のRS-232Cケーブルはフラットケーブルを利用したものだったので、それが部屋中に引き回されているのは「あの」ヘッドギアを連想させた。
まず電話線。外線は2本で一方はISDN。もう一方はアナログ。
ISDNはDSU/TAに入って、そこからデジタルポートはRS-232CでホストPCへ、アナログポートはモデム2台へそれぞれ接続していた。
アナログ回線は「三角電伝」に入り、FAX電話機とモデムを自動的に振り分けていた。そこからそれぞれ電話線がのびていた。
ホストはPC-486SE2で、SCSIの外付HDDは1GBのものが2台(一方はバックアップ)、そしてバックアップ用のMOドライブ。
当時は普通だと思っていたが、SCSIは機器同士を連結していくのでケーブルがかさばっていた。
拡張スロットにはSCSIボードと、RS-232Cを2ch分接続するためのMC16550IIボードがささっていた。
モニターは当然ブラウン管で、その上にキーボードを載せていた。これらはメンテナンスの時ぐらいしか使わなかった。
いま誰かログインしているかな、と見るのにも使った。誰が何をしているかモニターする事もできた。
モデムは3台以上あって、それぞれの電源アダプタとRS-232Cケーブルがのびていた。
コンセントは足りないから、テーブルタップからさらに三叉などでぐちゃぐちゃになっていた。
さらに加えて、「リンクボード」と称して3つの草の根ネット間の掲示板を自動転送するシステムを稼働させていた。
そのためにエプソンのPC-286VG(中古をもらった)とモニタ、キーボード、RS-232C自動切替器(自作)とそのためのモデム、早朝に動かす為のタイマーも設置していた。
自動切替器はプリンタポートから制御していて、特定のビットをON/OFFするとリレーが動作する。これでモデムを切り替えて兼用していた。ON/OFFのプログラムも当然自作で、あの頃はハードウェアを直接いじれる良い時代だった。
転送機能は通信ソフトのマクロで作っており、たまにおかしくなって止まったり(その都度デバッグ・調整していた)、接続先のネットが電話代未納で回線を止められていたりして、順調に動かない日もあった。
なぜか、うちの回線が「混線」状態となりノイズが入って通信できなくなった事もあった。これはなかなか再現せず、工事の方が調べに来られた時には正常で、夜になると再発したりして厄介だった。
混線はどのような状態だったかというとい、受話器を上げて聞くと発信音に混ざって話中音や他人の音声がかすかに聞こえたりした。
このノイズのせいでモデムの通信が止まったりした。
最終的には電話線の問題箇所が特定できて、高所作業車が家の前で電話線を調べているのが窓から見えた覚えがあるけど、たぶん落雷で焼けたか、絶縁の悪い箇所があったか、そんなところだろう。
工事の人がその回線でどこかへ電話をかけてテストしていたけど、何番だろう、知りたくなった。いまのように表示される機種ではない。リダイヤル機能はついていて、最後にダイヤルした番号を記憶している機種。
実際にかかると困るので、電話機をはずして電池をつなぎ、リダイヤルを押して発生するパルス音を聞いて何番にかけたのかをつきとめた。(ここには書かない)
脱線したが、以上に加えて、自分が普段使うノートPCがあった。これにもモデムをつないでいたか、切り替えていたか忘れたが、そこから外線にもホスト(RS-232C接続)にも接続できるようにしていた。
確か、ISDNのアナログポートにつないでいたから、ホストに接続する時はRS-232Cじゃなくて内線通話で良かったはず。内線の番号をダイヤルしていた。
RS-232Cポートの空きが無いから(ISDNのデジタルポート用にも使った)、DSU/TAの内線機能を使ったんだろう。これなら外線発信もできて切替は不要。
PC-486SE2で運営していたのはいつ頃までだったか忘れたが、その後はいわゆるDOS/Vマシンに引っ越して、最後までそれで運営していた。
やはりRS-232C(COM)ポートはたくさん必要だったので、マルチI/Oボードを集めてきて改造し、アドレスとIRQを設定した。
そんな中で、COMポートの配線の仕方が2種類ある事に気づいた。M/Bからはフラットケーブルで来ているじゃないですか。Dサブまで。
そのDサブのはんだ付けの仕方が、ピン番号で言うと1,2,3,4,5,6,7,8,9となっている物と、1,6,2,7,3,8,4,9,5と交互になっている物があった。
だから通信ができない、なぜだろうと最初わからなかった。
外観は同じに見えるCOMポートのケーブル、じつは中の配線は違っていたという。
まあとにかく、ごちゃごちゃの部屋だったというお話。
機材は山積み、ケーブルはぐちゃぐちゃ。そして24時間連続稼働で、機材が騒音を発していた。
自作のRS-232Cケーブルはフラットケーブルを利用したものだったので、それが部屋中に引き回されているのは「あの」ヘッドギアを連想させた。
まず電話線。外線は2本で一方はISDN。もう一方はアナログ。
ISDNはDSU/TAに入って、そこからデジタルポートはRS-232CでホストPCへ、アナログポートはモデム2台へそれぞれ接続していた。
アナログ回線は「三角電伝」に入り、FAX電話機とモデムを自動的に振り分けていた。そこからそれぞれ電話線がのびていた。
ホストはPC-486SE2で、SCSIの外付HDDは1GBのものが2台(一方はバックアップ)、そしてバックアップ用のMOドライブ。
当時は普通だと思っていたが、SCSIは機器同士を連結していくのでケーブルがかさばっていた。
拡張スロットにはSCSIボードと、RS-232Cを2ch分接続するためのMC16550IIボードがささっていた。
モニターは当然ブラウン管で、その上にキーボードを載せていた。これらはメンテナンスの時ぐらいしか使わなかった。
いま誰かログインしているかな、と見るのにも使った。誰が何をしているかモニターする事もできた。
モデムは3台以上あって、それぞれの電源アダプタとRS-232Cケーブルがのびていた。
コンセントは足りないから、テーブルタップからさらに三叉などでぐちゃぐちゃになっていた。
さらに加えて、「リンクボード」と称して3つの草の根ネット間の掲示板を自動転送するシステムを稼働させていた。
そのためにエプソンのPC-286VG(中古をもらった)とモニタ、キーボード、RS-232C自動切替器(自作)とそのためのモデム、早朝に動かす為のタイマーも設置していた。
自動切替器はプリンタポートから制御していて、特定のビットをON/OFFするとリレーが動作する。これでモデムを切り替えて兼用していた。ON/OFFのプログラムも当然自作で、あの頃はハードウェアを直接いじれる良い時代だった。
転送機能は通信ソフトのマクロで作っており、たまにおかしくなって止まったり(その都度デバッグ・調整していた)、接続先のネットが電話代未納で回線を止められていたりして、順調に動かない日もあった。
なぜか、うちの回線が「混線」状態となりノイズが入って通信できなくなった事もあった。これはなかなか再現せず、工事の方が調べに来られた時には正常で、夜になると再発したりして厄介だった。
混線はどのような状態だったかというとい、受話器を上げて聞くと発信音に混ざって話中音や他人の音声がかすかに聞こえたりした。
このノイズのせいでモデムの通信が止まったりした。
最終的には電話線の問題箇所が特定できて、高所作業車が家の前で電話線を調べているのが窓から見えた覚えがあるけど、たぶん落雷で焼けたか、絶縁の悪い箇所があったか、そんなところだろう。
工事の人がその回線でどこかへ電話をかけてテストしていたけど、何番だろう、知りたくなった。いまのように表示される機種ではない。リダイヤル機能はついていて、最後にダイヤルした番号を記憶している機種。
実際にかかると困るので、電話機をはずして電池をつなぎ、リダイヤルを押して発生するパルス音を聞いて何番にかけたのかをつきとめた。(ここには書かない)
脱線したが、以上に加えて、自分が普段使うノートPCがあった。これにもモデムをつないでいたか、切り替えていたか忘れたが、そこから外線にもホスト(RS-232C接続)にも接続できるようにしていた。
確か、ISDNのアナログポートにつないでいたから、ホストに接続する時はRS-232Cじゃなくて内線通話で良かったはず。内線の番号をダイヤルしていた。
RS-232Cポートの空きが無いから(ISDNのデジタルポート用にも使った)、DSU/TAの内線機能を使ったんだろう。これなら外線発信もできて切替は不要。
PC-486SE2で運営していたのはいつ頃までだったか忘れたが、その後はいわゆるDOS/Vマシンに引っ越して、最後までそれで運営していた。
やはりRS-232C(COM)ポートはたくさん必要だったので、マルチI/Oボードを集めてきて改造し、アドレスとIRQを設定した。
そんな中で、COMポートの配線の仕方が2種類ある事に気づいた。M/Bからはフラットケーブルで来ているじゃないですか。Dサブまで。
そのDサブのはんだ付けの仕方が、ピン番号で言うと1,2,3,4,5,6,7,8,9となっている物と、1,6,2,7,3,8,4,9,5と交互になっている物があった。
だから通信ができない、なぜだろうと最初わからなかった。
外観は同じに見えるCOMポートのケーブル、じつは中の配線は違っていたという。
まあとにかく、ごちゃごちゃの部屋だったというお話。
14,400bps
2024.11.22
'93年当時の最新モデムの通信速度は14,400bps
当時アイワのPV-AF144V5を6万も出して買ったのだが、うまくつながらなかったり途中で切れたりと問題が起きていた。高速だから通信は難しいのかなと最初思ったがじつは欠陥で、回路にミスがあった。一旦修理に出してから改善したが・・・
回路図の入手と、修理前・後の状態を比較して、どこがどうなったかを明らかにした。当時レポートとしてネット上に発表した。
続けて(ためしに)マイクロコアのMC14400FXを買ったら、これは何の問題もなく使えて、やっぱりこれだよと。
その次の世代のモデムは28,800bps、その次は33,600bpsだったと思うが、最終的には56,000bpsだったっけ。56Kと呼んでいた。しかし一般の回線では最大速度は無理。
28,800bpsが話題になり始めた頃、ちょっと興味があってソニーのSMD-280を買った。ところがこれは結果的にハズレだった。
V.FCというデファクトスタンダードを狙った通信規格だった。要するにフライングか。
規格が正式に決まったら、あとでROMを交換して対応するという話じゃなかったかと思うけど、結局そのまま使っていた。
MC14400FX以来マイクロコアが好きで、続けて同じメーカーのモデムを買い替えた。MC288XL、MC336XLだったっけ。
当時は家電各社やあまり聞いたことのないようなメーカーまでモデムに乗り出していた。アイワはオーディオかと思うけどじつは結構昔からモデムを作っていた。300とか1,200bps時代にも製品があった。
NEC、アイワ、マイクロコア(後にマイクロ総合研究所)、マイクロコム(紛らわしい)、ソニー、オムロン、パナソニック、サン電子、マイテック、ちょっと名前が出てこない・・・弱小メーカーまでモデムを売っていた。
マニアが好んだのは米国のUS ROBOTICS
どういうわけかNECだけは、他社が28,800bpsへ移行した中でもずっと14,400bpsのモデムの広告を出していた。何の雑誌だったっけ。たぶんアスキー。
組織が巨大過ぎて誰も気づかないのか、PC98が売れて余裕だったのか。そもそも保守的な会社だったのか。わからない。
いまの時代、
あえて1,200bpsといった遅い速度で通信してみるのも悪くないと思います。知らない方は是非体験を。
300bpsじゃないのかな、米国映画の「ウォーゲーム」
文字が流れる時のピロピロ、ピロロロロロ、って音が格好いいよね。
あれがいかにも通信しているって感じがして良いじゃないですか。
当時アイワのPV-AF144V5を6万も出して買ったのだが、うまくつながらなかったり途中で切れたりと問題が起きていた。高速だから通信は難しいのかなと最初思ったがじつは欠陥で、回路にミスがあった。一旦修理に出してから改善したが・・・
回路図の入手と、修理前・後の状態を比較して、どこがどうなったかを明らかにした。当時レポートとしてネット上に発表した。
続けて(ためしに)マイクロコアのMC14400FXを買ったら、これは何の問題もなく使えて、やっぱりこれだよと。
その次の世代のモデムは28,800bps、その次は33,600bpsだったと思うが、最終的には56,000bpsだったっけ。56Kと呼んでいた。しかし一般の回線では最大速度は無理。
28,800bpsが話題になり始めた頃、ちょっと興味があってソニーのSMD-280を買った。ところがこれは結果的にハズレだった。
V.FCというデファクトスタンダードを狙った通信規格だった。要するにフライングか。
規格が正式に決まったら、あとでROMを交換して対応するという話じゃなかったかと思うけど、結局そのまま使っていた。
MC14400FX以来マイクロコアが好きで、続けて同じメーカーのモデムを買い替えた。MC288XL、MC336XLだったっけ。
当時は家電各社やあまり聞いたことのないようなメーカーまでモデムに乗り出していた。アイワはオーディオかと思うけどじつは結構昔からモデムを作っていた。300とか1,200bps時代にも製品があった。
NEC、アイワ、マイクロコア(後にマイクロ総合研究所)、マイクロコム(紛らわしい)、ソニー、オムロン、パナソニック、サン電子、マイテック、ちょっと名前が出てこない・・・弱小メーカーまでモデムを売っていた。
マニアが好んだのは米国のUS ROBOTICS
どういうわけかNECだけは、他社が28,800bpsへ移行した中でもずっと14,400bpsのモデムの広告を出していた。何の雑誌だったっけ。たぶんアスキー。
組織が巨大過ぎて誰も気づかないのか、PC98が売れて余裕だったのか。そもそも保守的な会社だったのか。わからない。
いまの時代、
あえて1,200bpsといった遅い速度で通信してみるのも悪くないと思います。知らない方は是非体験を。
300bpsじゃないのかな、米国映画の「ウォーゲーム」
文字が流れる時のピロピロ、ピロロロロロ、って音が格好いいよね。
あれがいかにも通信しているって感じがして良いじゃないですか。
送出レベル
2024.11.22
マニアックな話題だが、当時は度々議論されたものだった。
「送出レベル」
これはモデムの送信信号の強さのこと。これをどの程度の加減にするか。dBmであらわす。
0dBmが最大で、一般のモデムのデフォルト値は-15dBmだった。ここから上げていく。
具体的にはSレジスタの91番に数字を設定する。
例) ATS91=**
自宅から電話局(交換機)までの距離によって、信号は減衰する。
距離といっても直線距離ではなく、電話線の長さだから、どこをどう通って(遠回り)くるかわからない。
数字をNTTから教えてもらえるのかというと、確かそんなのは無かったと思う。ADSLになってからは有ったようだ。線路情報開示なんとかってのが有った。
交換機に届く時点で信号の強さがどの程度だったら最適か、という話。その減衰した分を補う値に設定する。
この調整は工事担任者資格がないとできない事になっていた(私は資格を持っている)。
だけど勝手にやってもわからないし、設備に障害を与えてしまったりとか何もない。有資格者に設定してもらって、通信ソフトの初期化コマンドで毎回実行しているのが無資格者でも問題ないのか?と考えるとややこしい。
当時、工事に来られた方に調整をお願いできませんかと言ってみたら、なんか対応してもらえなくて自分でやってくださいと。(コマンド打ったりして面倒だからな)
まあ、当時でもその部屋を見ればどんな仕事(趣味?)の人物なのかひと目でわかったでしょうから・・・
別の部屋に配線を引き直す時、電話工事の料金が高すぎ!!と言ったら、自分でやってと電話線だけ置いて帰られました。
送出レベルの話に戻る。
あまり上げすぎてもかえって宜しくないとか、あれこれ言われていたりもした。
基本的には、減衰した分を補正すればいいんだけど、その加減が数値的にわからんもんな。
それに、相手側から来る信号はどうなるか。補正しようがないわけよ。
当時クロスバ交換機はほぼ無くなって、田舎だった私の住んでいた町も遅ればせながらデジタル交換機に切り替わった。(その通知のハガキがきた)
手動交換やクロスバは、基本的には発信者と着信者を直接つないで通話している。市外通話になると中継線やマイクロ波を通る。だから遠くなると聞き取りにくくなったりした。
デジタル交換機だと、家や事務所から来たアナログ回線が交換機に入った所でデジタル信号化される。PCMコーデックとか言うやつで、昔それで試作をした経験がある。
あとはデジタル信号で相手側の最寄りの交換機まで行き、交換機の出入り口のところでアナログ信号に戻されて、電話線を通り相手の家まで行く。
減衰したりノイズの影響を受けるのは家と交換機の間の電話線の区間。
ISDNになると、そのデジタル化の部分が家に置かれるわけだ。DSUとTA、懐かしい。
それでTAのアナログポートに高速のアナログモデムを接続すれば、少なくともこちら側は最適な回線状態になる事が期待できる。
Bチャンネル2つをまとめて使えば高速になるとか言っていたが、料金も2倍になるので微妙。一度も使わなかった。一度試したかもしれないけど。
アナログモデムの話に戻るけど、
いくら送出レベルなどをいじったところで根本的に駄目な場合もある。たとえば回線にノイズが入っている。
自分のネットの会員さんで、接続が途中で切れたり、通信速度が出ない方がおられて、困っていた。
そこで実地に調査へ出かけ、現地で原因を探って改善した。当時そこまでやっていた。しかも無償で。
判明した原因から書くと、電話線を接続する順番。
ナンノコッチャ、と思うでしょう。そんなの関係あるのか。あるんです。
自宅に引き込まれた電話線 →FAX電話機 →モデム →別の電話機 という順番だったと思うが、昔なのですっかり忘れてしまった。
この順番を入れ替えて、確かモデムを一番に持ってきたら良かった。
最初の順番では受話器を上げて聞くとハム音(ビー)が混ざっていた。これを出している原因は何かという切り分けを行い、配線の順番を入れ替えていったら解消した。
文章で書くと簡単だけど実際には天井裏に潜ったりとか、あちこち引き回したり片付けたりと大騒ぎ。人んちで何やってんだかという感じ。
その機器には何か回線に対して不平衡になるような要因があって、それでハム音が起きていたんじゃないかと今振り返ってみると思う。
もう今ではどうでもよくなったが、こんな経験は貴重だった。
「送出レベル」
これはモデムの送信信号の強さのこと。これをどの程度の加減にするか。dBmであらわす。
0dBmが最大で、一般のモデムのデフォルト値は-15dBmだった。ここから上げていく。
具体的にはSレジスタの91番に数字を設定する。
例) ATS91=**
自宅から電話局(交換機)までの距離によって、信号は減衰する。
距離といっても直線距離ではなく、電話線の長さだから、どこをどう通って(遠回り)くるかわからない。
数字をNTTから教えてもらえるのかというと、確かそんなのは無かったと思う。ADSLになってからは有ったようだ。線路情報開示なんとかってのが有った。
交換機に届く時点で信号の強さがどの程度だったら最適か、という話。その減衰した分を補う値に設定する。
この調整は工事担任者資格がないとできない事になっていた(私は資格を持っている)。
だけど勝手にやってもわからないし、設備に障害を与えてしまったりとか何もない。有資格者に設定してもらって、通信ソフトの初期化コマンドで毎回実行しているのが無資格者でも問題ないのか?と考えるとややこしい。
当時、工事に来られた方に調整をお願いできませんかと言ってみたら、なんか対応してもらえなくて自分でやってくださいと。(コマンド打ったりして面倒だからな)
まあ、当時でもその部屋を見ればどんな仕事(趣味?)の人物なのかひと目でわかったでしょうから・・・
別の部屋に配線を引き直す時、電話工事の料金が高すぎ!!と言ったら、自分でやってと電話線だけ置いて帰られました。
送出レベルの話に戻る。
あまり上げすぎてもかえって宜しくないとか、あれこれ言われていたりもした。
基本的には、減衰した分を補正すればいいんだけど、その加減が数値的にわからんもんな。
それに、相手側から来る信号はどうなるか。補正しようがないわけよ。
当時クロスバ交換機はほぼ無くなって、田舎だった私の住んでいた町も遅ればせながらデジタル交換機に切り替わった。(その通知のハガキがきた)
手動交換やクロスバは、基本的には発信者と着信者を直接つないで通話している。市外通話になると中継線やマイクロ波を通る。だから遠くなると聞き取りにくくなったりした。
デジタル交換機だと、家や事務所から来たアナログ回線が交換機に入った所でデジタル信号化される。PCMコーデックとか言うやつで、昔それで試作をした経験がある。
あとはデジタル信号で相手側の最寄りの交換機まで行き、交換機の出入り口のところでアナログ信号に戻されて、電話線を通り相手の家まで行く。
減衰したりノイズの影響を受けるのは家と交換機の間の電話線の区間。
ISDNになると、そのデジタル化の部分が家に置かれるわけだ。DSUとTA、懐かしい。
それでTAのアナログポートに高速のアナログモデムを接続すれば、少なくともこちら側は最適な回線状態になる事が期待できる。
Bチャンネル2つをまとめて使えば高速になるとか言っていたが、料金も2倍になるので微妙。一度も使わなかった。一度試したかもしれないけど。
アナログモデムの話に戻るけど、
いくら送出レベルなどをいじったところで根本的に駄目な場合もある。たとえば回線にノイズが入っている。
自分のネットの会員さんで、接続が途中で切れたり、通信速度が出ない方がおられて、困っていた。
そこで実地に調査へ出かけ、現地で原因を探って改善した。当時そこまでやっていた。しかも無償で。
判明した原因から書くと、電話線を接続する順番。
ナンノコッチャ、と思うでしょう。そんなの関係あるのか。あるんです。
自宅に引き込まれた電話線 →FAX電話機 →モデム →別の電話機 という順番だったと思うが、昔なのですっかり忘れてしまった。
この順番を入れ替えて、確かモデムを一番に持ってきたら良かった。
最初の順番では受話器を上げて聞くとハム音(ビー)が混ざっていた。これを出している原因は何かという切り分けを行い、配線の順番を入れ替えていったら解消した。
文章で書くと簡単だけど実際には天井裏に潜ったりとか、あちこち引き回したり片付けたりと大騒ぎ。人んちで何やってんだかという感じ。
その機器には何か回線に対して不平衡になるような要因があって、それでハム音が起きていたんじゃないかと今振り返ってみると思う。
もう今ではどうでもよくなったが、こんな経験は貴重だった。