プールで眼病
2025.07.28
プールで思い出すのは眼病
結膜炎だったか何だったか忘れたけど、眼科に通ったのは覚えていて、誰かから伝染ったのだろう。
目に漏斗のような器具をかぶせて、何かの液体を流し込んで目を洗うような治療を受けた記憶があって・・・
昭和のあの頃の話だから、今も同じような治療法なのか知らないけれど。
学校で水泳がある日は、着替えを持ってきたり持ち帰ったりする手間もあるし、さらに眼科へ通う用事も増えて、まったくプールってやつは面倒くさいなと思っていた。
眼科は町内でも隣町でもなく、車や鉄道で30分ぐらいかかる市にしかないから、行ったり来たりする時間もかかった。
塩素の大きな錠剤を先生がプールに投げ込んでいたのも覚えている。
パーンとプールの角に当たって砕けるやつとか有った。(水の中に入り損ねた)
それ絶対、手で触れるなよって言われたのに、おそるおそる触ってみたことがある。なんでも試してみたいお年頃だった。
溶けかかりで表面はザラザラしていた。そんなに簡単に溶けないのかと不思議だった。(その頃のTV-CMでバファリンの錠剤がコップの水に落ちながら溶けるイメージを思い出していた)
プールの中に沈んでいる錠剤を拾ってきて、しげしげと眺めたり、溶かしてみようとしたり・・・
あの消毒が効いているなら眼病にならないのではと当時思ったけど、完全じゃないんだろうな。
結膜炎だったか何だったか忘れたけど、眼科に通ったのは覚えていて、誰かから伝染ったのだろう。
目に漏斗のような器具をかぶせて、何かの液体を流し込んで目を洗うような治療を受けた記憶があって・・・
昭和のあの頃の話だから、今も同じような治療法なのか知らないけれど。
学校で水泳がある日は、着替えを持ってきたり持ち帰ったりする手間もあるし、さらに眼科へ通う用事も増えて、まったくプールってやつは面倒くさいなと思っていた。
眼科は町内でも隣町でもなく、車や鉄道で30分ぐらいかかる市にしかないから、行ったり来たりする時間もかかった。
塩素の大きな錠剤を先生がプールに投げ込んでいたのも覚えている。
パーンとプールの角に当たって砕けるやつとか有った。(水の中に入り損ねた)
それ絶対、手で触れるなよって言われたのに、おそるおそる触ってみたことがある。なんでも試してみたいお年頃だった。
溶けかかりで表面はザラザラしていた。そんなに簡単に溶けないのかと不思議だった。(その頃のTV-CMでバファリンの錠剤がコップの水に落ちながら溶けるイメージを思い出していた)
プールの中に沈んでいる錠剤を拾ってきて、しげしげと眺めたり、溶かしてみようとしたり・・・
あの消毒が効いているなら眼病にならないのではと当時思ったけど、完全じゃないんだろうな。
血圧
2025.07.28
血圧というものはそれほど神経質に気にしなくても良いのではないかと・・・なんというか、ちょっとした事でも変動する。当たり前なのだろう。気にして上がるのかも。
健康管理のため、毎朝はかって記録しているけど、まったくの正常値と思う。
それが、たとえばゴミ出しに行って戻ってはかると高めに出る。病院ではかるとやはり高めに出る。寒い日も高め。
手首ではかる血圧計だと高い数値が出たり、ついにはエラーが頻発して使い物にならなくなったが、そもそも壊れかけていたのではないかと。
仕方なく、腕に巻く血圧計に買い替え、それで普通に使えている。
健康管理のため、毎朝はかって記録しているけど、まったくの正常値と思う。
それが、たとえばゴミ出しに行って戻ってはかると高めに出る。病院ではかるとやはり高めに出る。寒い日も高め。
手首ではかる血圧計だと高い数値が出たり、ついにはエラーが頻発して使い物にならなくなったが、そもそも壊れかけていたのではないかと。
仕方なく、腕に巻く血圧計に買い替え、それで普通に使えている。
水泳の授業
2025.07.28
学校のプールの維持管理とか費用などの課題、熱中症とか、
水を出しっぱなしにしてベラボーな水道代が教員に請求というニュースもどこかで聞いたような気がする。
そこで、スイミングスクールを利用すれば学校のプール不要じゃないかとか、あれこれ言われています。
学校で水泳を教えるようになったのは、その昔の船の事故がきっかけとか書いてあるのを読みました。
個人的には結局まともに泳げるようにならなかったし、リニューアル後の高校(母校)ではプールがなくなって、もう関係ないけどホッとした気分。
やっぱり費用がかかるからプールやめたのかな。理由は知らないけど。
25m泳げったって、体力が続かんのよね。もっと手足をしっかり動かせと言われるけど動かない。もうだめ。現実の海の上では、沈む船から逃げる場面ではもう終わり。
水中モーター付けてスイーと進まないものかと、一度ぐらい試したかもしれない。全然、足しにならないけど、それなりに大きい物だったら有りだ。(スパイが潜入に使う)
水遊び自体は楽しかった思い出もある。
先生が、みんなプールの縁に沿って時計回りに歩け!といって、多くの子どもたちが何周か回ると水流が発生してうずまきのようになり、その流れに乗って、何もしなくても流されていくのが面白かった。
あとは低学年用の浅くて小さなプールが別にあって、水が温まりやすく、まるでぬるい温泉のようだと喜びながら浸かっていたこともある。
水を出しっぱなしにしてベラボーな水道代が教員に請求というニュースもどこかで聞いたような気がする。
そこで、スイミングスクールを利用すれば学校のプール不要じゃないかとか、あれこれ言われています。
学校で水泳を教えるようになったのは、その昔の船の事故がきっかけとか書いてあるのを読みました。
個人的には結局まともに泳げるようにならなかったし、リニューアル後の高校(母校)ではプールがなくなって、もう関係ないけどホッとした気分。
やっぱり費用がかかるからプールやめたのかな。理由は知らないけど。
25m泳げったって、体力が続かんのよね。もっと手足をしっかり動かせと言われるけど動かない。もうだめ。現実の海の上では、沈む船から逃げる場面ではもう終わり。
水中モーター付けてスイーと進まないものかと、一度ぐらい試したかもしれない。全然、足しにならないけど、それなりに大きい物だったら有りだ。(スパイが潜入に使う)
水遊び自体は楽しかった思い出もある。
先生が、みんなプールの縁に沿って時計回りに歩け!といって、多くの子どもたちが何周か回ると水流が発生してうずまきのようになり、その流れに乗って、何もしなくても流されていくのが面白かった。
あとは低学年用の浅くて小さなプールが別にあって、水が温まりやすく、まるでぬるい温泉のようだと喜びながら浸かっていたこともある。
カンニングを見た話
2025.07.25
ずいぶん昔のことで、
危険物取扱者試験だったと思います。
願書は今のようにネットとか便利なものじゃなく、消防署へもらいに行っていました。
消防署に用事なんてめったにありません。ある意味(マニア的に)楽しみでした。
他の試験の記憶と混ざってるかもしれないが、県の証紙を買って貼り付ける必要があり、その足で警察署に行ったような記憶もあります。どちらもマニア的には楽しみでした。
(県の証紙は、電気工事士の免状申請だったかも。電気工事士免状は県知事から発行されるから県の証紙を買う必要があったような記憶。たしか販売窓口は警察署の落とし物係か、会計係じゃなかったか)
さて、試験会場は工業高校
試験が始まりました。すると左側の2列ほど離れた席の女性が、本を机の下で広げて見ているではありませんか。
私はとっさに対応できませんでしたが、手を挙げて試験監督に知らせるべきか、結局何もできませんでした。
知らせたところで、していませんとか言いがかりだとか主張されるだろうし、その人に外で仕返しをされるかもしれません。
まわりの人も気づいているはず。そのまわりの人もグルだったりして、その本人と同調して言いがかりだとか言い出そうものなら、こちらは一人で四面楚歌。孤立無援。
どっちかというと面倒なことに巻き込まれやすい自分。
たとえば落とし物を見つけやすい。たまたま落とし物を見つけてしまった。見つけた以上、交番に届けるしかあるまい。余計な用事が増えてしまった、という具合に。
また面倒に巻き込まれるのはイヤだ。無難に済ませたほうが(何も見なかったことに)したらよかったのか。
ちなみに私は試験に落ちました。しかも一度では有りません。この試験は確か3回ほど受けたような気がします。
とにかく暗記物が苦手なのです。
危険物との距離が施設によって何メートル以上とか、酸化性固体だの液体だのとか、試験になるとスッカリ忘れています。
思い出してみると最初は高校生の時に受けたのでした。丙種じゃなかったか。その時も落ちました。
電子・電気専攻なのに、とにかく資格をとれと言って危険物取扱者の試験をみんな受けさせられたのです。
履歴書の「飾り」をできるだけ増やして就職に有利にしたかったのでしょう。
また、懲りもせず受けてみようかなと・・・もし合格・取得してもこの先、これが役に立つことはないでしょうけれど。
もし取得したとしても、10年ごとに更新(写真の書換)がある為、面倒くさくて放置になりそうな予感 (もちろん有料)
危険物取扱者試験だったと思います。
願書は今のようにネットとか便利なものじゃなく、消防署へもらいに行っていました。
消防署に用事なんてめったにありません。ある意味(マニア的に)楽しみでした。
他の試験の記憶と混ざってるかもしれないが、県の証紙を買って貼り付ける必要があり、その足で警察署に行ったような記憶もあります。どちらもマニア的には楽しみでした。
(県の証紙は、電気工事士の免状申請だったかも。電気工事士免状は県知事から発行されるから県の証紙を買う必要があったような記憶。たしか販売窓口は警察署の落とし物係か、会計係じゃなかったか)
さて、試験会場は工業高校
試験が始まりました。すると左側の2列ほど離れた席の女性が、本を机の下で広げて見ているではありませんか。
私はとっさに対応できませんでしたが、手を挙げて試験監督に知らせるべきか、結局何もできませんでした。
知らせたところで、していませんとか言いがかりだとか主張されるだろうし、その人に外で仕返しをされるかもしれません。
まわりの人も気づいているはず。そのまわりの人もグルだったりして、その本人と同調して言いがかりだとか言い出そうものなら、こちらは一人で四面楚歌。孤立無援。
どっちかというと面倒なことに巻き込まれやすい自分。
たとえば落とし物を見つけやすい。たまたま落とし物を見つけてしまった。見つけた以上、交番に届けるしかあるまい。余計な用事が増えてしまった、という具合に。
また面倒に巻き込まれるのはイヤだ。無難に済ませたほうが(何も見なかったことに)したらよかったのか。
ちなみに私は試験に落ちました。しかも一度では有りません。この試験は確か3回ほど受けたような気がします。
とにかく暗記物が苦手なのです。
危険物との距離が施設によって何メートル以上とか、酸化性固体だの液体だのとか、試験になるとスッカリ忘れています。
思い出してみると最初は高校生の時に受けたのでした。丙種じゃなかったか。その時も落ちました。
電子・電気専攻なのに、とにかく資格をとれと言って危険物取扱者の試験をみんな受けさせられたのです。
履歴書の「飾り」をできるだけ増やして就職に有利にしたかったのでしょう。
また、懲りもせず受けてみようかなと・・・もし合格・取得してもこの先、これが役に立つことはないでしょうけれど。
もし取得したとしても、10年ごとに更新(写真の書換)がある為、面倒くさくて放置になりそうな予感 (もちろん有料)
昭和と冷房
2025.07.24
子どもの頃は冷房なんて、近所のスーパーかスネ夫君の家ぐらいしかありませんでした。
スーパーに行き、その爽やかな空気をスーハースーハー吸って、幸福感を得ていました。
地元の私鉄は、高校に通学していた頃には冷房車なんてほとんどなかったと思います。扇風機が天井についていてゆっくり回っていました。
自動車だって冷房はオプションでした。当時のうちのボロ車も、あとで中古のクーラーを取り付けたものです。もっと昔は、三角窓で外気を取り入れていた時代もありました。
自宅では窓を開けて(網戸にして)外の風を通すのは基本で、夜は外に出て夕涼み、扇風機ぐらいでした。
たまに熱帯夜があるぐらい。
学校は冷房なしでした。地元の火山が噴火するようになってから、火山灰対策でようやくエアコンが付いたぐらいです。(我々が卒業した後!)
昭和の習慣が今も続いているのか、年輩の方は冷房なしで過ごすから熱中症に・・・ということなのかなと思います。
自分も同感ですが冷房は冷えすぎる。加減が難しい。
部屋に複数の人がいた場合、みんな平等な温度設定は無理。暑いという人もいれば寒いという人もいる。
外食に出かけた時、冷房の吹き出しが直接来る席は最悪です。身体が冷えて具合が悪くなる。料理も冷める。
だけど冷房なしは耐え難い。
これで身体も混乱してしまい、自律神経の乱れにつながっているのではないかと。
スーパーに行き、その爽やかな空気をスーハースーハー吸って、幸福感を得ていました。
地元の私鉄は、高校に通学していた頃には冷房車なんてほとんどなかったと思います。扇風機が天井についていてゆっくり回っていました。
自動車だって冷房はオプションでした。当時のうちのボロ車も、あとで中古のクーラーを取り付けたものです。もっと昔は、三角窓で外気を取り入れていた時代もありました。
自宅では窓を開けて(網戸にして)外の風を通すのは基本で、夜は外に出て夕涼み、扇風機ぐらいでした。
たまに熱帯夜があるぐらい。
学校は冷房なしでした。地元の火山が噴火するようになってから、火山灰対策でようやくエアコンが付いたぐらいです。(我々が卒業した後!)
昭和の習慣が今も続いているのか、年輩の方は冷房なしで過ごすから熱中症に・・・ということなのかなと思います。
自分も同感ですが冷房は冷えすぎる。加減が難しい。
部屋に複数の人がいた場合、みんな平等な温度設定は無理。暑いという人もいれば寒いという人もいる。
外食に出かけた時、冷房の吹き出しが直接来る席は最悪です。身体が冷えて具合が悪くなる。料理も冷める。
だけど冷房なしは耐え難い。
これで身体も混乱してしまい、自律神経の乱れにつながっているのではないかと。