UFOの飛行原理
2025.08.13
「子供の科学完全読本 高度経済成長期編」より


このイラストでは何か噴射してるけど、それは違うだろうと。

証言に基づいた想像図なので、必ずしも実物を示したものではないが、噴射するあたりは既成概念にとらわれているようだ。

やっぱり反重力か何かで、何も噴射せず、フワリと浮いてビュンと飛んでいかなきゃ空飛ぶ円盤じゃない。

どんな原理で飛んでいるのか、それは地球の人類にはまだわかってない。(エリア51あたりでは既に常識だろうけどな)

でも私は思います。それは案外、簡単なことかもしれません。
あー、なーんだ、そんなことだったのか。

わかってしまえば簡単だけれど、今はわかる前の段階、わからないからわからないという、何がわからないのかわからない、そんな感じ。

案外そんなものです。
新しいことに取り組む時、本を読んでも全然わからないし、試してみてもサッパリだし、なかなか思ったような結果がでないし、それでも執着して手を変え品を変え、回り道をしたりして試しているうちにうまくいって、振り返ってみると・・・なんだそうだったのか、と。

ところで、誰も研究してないのかな?

意外と誰もやってなかったりして。
そんなの嘘っぱちだろ、誰が研究費を出す、ってなもんで。

誰もやっていなかったというわけでブルーオーシャン。

私も昔は、UFOを研究しているおじさんにお金を払っていましたが、結局何も残さず旅立ってしまいました。自分だけUF0に乗って、火星の恋人のもとへ飛んでいきました。

そのおじさんの、その装置をはかりに載せて通電すると、少しずつ重量が減っていく、と。

ただそこだけ見るとスゴイけれど、よく考えてみたまえ。ボウルを流用したそのケース。

IC回路が軽くなるんだったら、あんなボウルを取り付ける必要もなく、基板だけはかりに載せれば良かったわけで・・・ボウルをつけるのがポイントだった。

回路にはトランジスタだったりICを使ったりしていたけど、74LS04より7404のほうが軽くなりやすいって・・・要は発熱量。74LSは省電力。

そう、熱気球の実験をしているようなもの。温められた空気は軽くなる。ただそれだけ。

別の実験で、鉄の針金でコイルを巻いて通電したら、もっと軽くなったという。まさにヒーター。ICより発熱は大きい。銅より鉄は抵抗が大きい。

そこで、
「はかりじゃなくて、天秤のように左右に同じ物(同じ重量の物)を吊るして、電源は電池にして左右つりあわせておいて、片方だけスイッチONしたらどうです、軽くなれば傾くから、見た目でわかりやすくないですか」って投稿したことがある。

その投稿がおじさんのゴキゲンを損ねたのか、単なる手違いなのかは今となってはわからないが、次の会報だけ送ってこなかった。
けっこう、核心を突いたのでは、と自分で思っている。

装置をさかさまにしたらどうか、ICの基板を裏返しに取り付けても同じ結果か、というのは当時思いついたかどうかわからないけど、言ったら言ったで面倒なことになったかもしれないな。

インチキだとわかっててやっていたのかもしれない。今となってはわからない。

いや、インチキだなんて言うのは次元が低い。

私はこう考えている。宗教だったんだ。あのおじさんは教祖だった。
UFOを作るという夢を共有する仲間が教祖の下に集まって、一緒に夢をみよう、楽しもうというのが目的だったのだろう。

わかってるんだからさ、そんな露呈するような実験をしたら雰囲気ぶちこわしだろ。夢がさめちゃうだろ。

夢を見る、その意味では楽しかったと思う。それでいい。
高校の合宿(学力養成合宿編)
2025.08.11
一学期の成績が悪かった者は学力養成合宿に参加せよと。
要するに赤点をとったヤツ。(担任から指名された)

中間だったのか期末だったのかは覚えてない。中間だったかも。

また、あの合宿寮か。強制収容所みたいなものである。
しかも2泊3日!

初日は着替えを持って登校せよ、と。

一日の授業が終わったら合宿寮に集合だ。

別の科、学年のいかにもワルな先輩方もいて、非常に治安の悪い感じ。(北斗の拳のヒャッハーな連中を想像して頂ければ、だいたいそんな感じ)
実際、あれこれとちょっかいを出されたりいじめられたりして最悪。

ひとの荷物を勝手に開けていじるし、お金を盗られそうになった。

そんな中、同じ科の同級生のN田君と初めて知り合い、心細いところに仲間ができた。
彼は社会科だけズバ抜けて出来て、他の科目はサッパリという、ちょっと変わったヤツ。
あのね、工業高校だよ。

みんなで夕食を作った。(作らされた。作らないと食べるもの無いからな。当時は近所にコンビニなんて無いんだよ)

米なんか自分で炊いたことがない。その寮にはガス釜があった。
先生から教わって、米のとぎ方はこうするんだ。水の加減は、手を入れてこのくらいにするんだ。

ワルの一人から、お前それ変わった腕時計だなと言われて(当時ソーラー腕時計をしていた)、それいくらだよって、そこで末端価格2000円と答えたら、それ以後「まったん」と呼ばれるようになった。

風呂に入って、あとは自習時間ということで・・・先生方が来られて、みんなの勉強の指導に当たられた。

こんな簡単な問題もわからないのかって、わかんないから困ってるんじゃない。そもそもなにがわからないのかがわからない。

あれこれ叱られたりして、形ばかりの自習をしていたところ・・・

いきなり、「みんな外へ出ろ!学校のグラウンドに行け!!」という掛け声

歩いていたら、「走れ、走って移動しろバカヤロー!!」

グラウンドを走れ! ヨシというまで走り続けろ!! グラウンドはめちゃくちゃ広いから、半端じゃない。

延々と走り回って、ヘロヘロになったところで終わり。

そこで落ち着く暇もなく、「一人ずつ、誓いの言葉を心の底からでっかい声で叫べ!!」

えーっ。

「ファイトーッ!!」

「勉強頑張るぞー!」 (声がちいさーい!! もう一度だ!!)

とにかく、勉強ができないのは本人が悪いという前提になっていた。
今の時代なら、何につまずいているのか調べようとか、学習障害じゃないのかとか、家庭に何か原因があるのでは、といった考察もあるのだろうけれど・・・

勉強の合間にちょっと遊んでいたら、たまたまその場面だけ見られて、「遊んでいる暇はあるのか」とか、「テレビを見ているからバカになる」、「遊んでいるから勉強ができないんだ」とか責められる。

単に本人がだらけているだけ。努力が足りないんだ。とにかく努力だという時代。努力に次ぐ努力しかない。

その、何をどう努力したらいいのかを教えてもらわないとわからない。問題ひとつ解いて何か前進するのだろうかと。どうせすぐ忘れる。

ここで2泊して何が変わるだろう。(いじめられるだけ)

それに、いま思えば、あんなヒャッハーな連中と一緒くたに扱われている事も自分は不満だった。

まあとにかくヘロヘロのクタクタになって寮へ戻り、ようやく就寝時間となった。
ところが自分の布団がない。
リネン室を見ても布団は入ってない。1人分足りない。

お前は畳の上にそのまま寝ろ、と。(先生方は帰ってしまい、どうしようもない)

また朝から、朝食作りなどで一悶着あり、ああ、だるい面倒くさいと思いながら寮から学校へ。あっという間に着く。そりゃあ、だって隣だもん。

そういえば、お昼はどうなるんだろう。いつもは家から弁当を持ってきていた。朝からそんな心配をしていた。購買でパンでも買うか。

そうすると、昼休みの前に放送で呼び出しが有り、職員室の前に弁当が置いてあるから取りに来いと。(代金は後で請求するという)

そしてまた一日の授業が終わり、寮へ。
まあ、今夜一晩我慢すれば明日は「出所」だ。辛抱しよう。

さすがに2泊目は、先生に申し出たこともあって布団があった。ようやく落ち着いた。

悪い奴らからの攻撃もあったが、翌朝の朝食が済んで学校へ行くとき、着替えの荷物をまとめて出た。ようやく「出所」だと、開放された気分になった。

そしてまたお昼は弁当で、一日の授業が終わり、今度こそは家に帰れる。

ストリートビューを見ると、いまでもあの合宿寮はそのまま有る。やっぱり今も成績の悪い奴らを収容して特訓しているのだろうか。


当時は先生の言いなりになっていて、目の前しか見えてなかったから、さぼるとか逃げるとかの知恵は全く思い浮かばなかったが、
いま思えば、授業が終わってから合宿寮へ行く所で、(とぼけて)そのまま帰宅したってよかったんだ。わざわざ追ってこないだろう。
校門に先生が立って監視するとしても、出入り口は広い校内あちこちにあるから、全部は押さえられないだろう。暗くなるまで隠れて、密かに抜け出す手もある。

翌日先生に言われても、ああそうでしたスミマセン、うっかりしていました。いつもの習慣で友達と一緒に下校してしまい、家に帰ってから気づきましたって話にすれば。

でもその翌日は監視されて、間違いなく合宿寮に連れて行かれただろう。そこまで予想して、風邪引きましたといって翌日休むとか。(笑)

あんな(ヒャッハーな)悪い奴らと一緒にいるのが辛かったが、夜でもいいから逃げれば良かったんだ。当時思いつかなかった。(ホントに、いじめられている子がいたら、逃げも選択肢だからね!逃げてね)

遅い時間になると先生も帰ってしまうから、その後にこっそり抜け出す。
自分は鉄道で通学していたので、最終便が終わると帰れないが、意地でも一晩かけて歩いて帰るか。(一晩はかからないと思うが、どれだけイヤかというアピール)
もし近所だったら家に帰ったって構わないだろう。親に用事で呼ばれたので仕方なくとか言い訳して。

学校の近所に親戚の家があったので、そこでお世話になっても良かったんだろうけど。灯台下暗しとはよく言ったものです。全く思いつかず。

逃げても良かったんだろうけど、もし逃げた場合、その後に不利な扱いを受けたのは間違いない。減点とか、追試に何か条件がついたりとか。

あのヒャッハーな連中だったら、逃げたりサボったりしそうなものだが、ひょっとしたら最初に(逃げれば不利になると)釘をさされていたので誰も逃げなかったのか。今となっては確かめようがない。
高校の合宿(クラス)
2025.08.11
高校入学直後、クラスの結束を高めようとしたのか、親睦を深めようとしたのか、学校の合宿寮での合宿が開催

一泊だったかな、忘れた。

合宿寮は学校から道路を隔ててすぐ近所に有り、歩いていって部屋に落ち着いた。

まるで旅館にでも着いたような気分でリラックスしていたら、みんないなくなってる。なんだろう?
これからグラウンドで特訓があるんだと。聞いてなかったのか。(聞いてなかった)
あわてて体操着に着替えてグラウンドへ走る。
遅れてきたから先生に怒られて・・・

その後、何をしたのか覚えてないが、たぶん延々と走らされたと思う。懸垂とかもさせられたかもしれない。無茶苦茶なスパルタ。体育教師は竹刀を持っていた。

夕食は自分たちで作る、定番のカレー。

その後、先生が借りてきた映画のビデオをみんなで鑑賞。確かトップガン。自分は興味がなかったので、下を向いてポケコンをいじっていた。

それから風呂に入ったり、布団を敷いて寝る準備をしたり、お喋りしたりふざけたりという感じだったと思う。

翌朝も自分たちで朝食を作ったと思うけど、さっぱり覚えてない。

その日は平日だったか休日だったかもよく覚えてない。平日でそのまま合宿寮から登校したのかな。とにかく面倒くさいとしか思っていなかった。

そして・・・まさか、その合宿寮に再び来ることになるとは、この時は全く思いもしなかったのである。(→学力養成合宿編へ)
小学校のお泊り会
2025.08.11
小学校5年か6年の夏、学校に一泊するというイベントがありました。

校庭でキャンプファイヤーをして、ご飯を食べて、肝試しをして、あとは教室で寝るだけでした。

夕食用に米を200gだったか、持参することになっていたような。

考えてみると夜の学校なんて経験がありません。やっぱり何か出るのかなと。
Gは見かけました。

肝試しは近くのお寺で・・・墓地を歩いて抜けるんですが、火の玉を作ろうと思ってボロ布に針金に釣り竿、そして空き瓶に灯油を入れて密かに持ち込んでいました。
ところが失敗してしまい、針金が外れたりしてバレバレ。そもそも担任に許可をもらってないだろうという・・・当時は勢いと思いつきだけで行動するガキで、後先、結果も何も考えていません。
もし、ボヤでも起こしたら大変なことだったと今更ながら反省。

教室で寝るなんて、
机を全部教室の後ろへ移動させて片付け、そのまま床の上に寝るのです。タオルケット1枚を敷いて寝たような記憶です。痛いに決まっています。

避難所は経験したことがないけど、おそらくこれと同様ではないかと予想します。

同級生はラジオ内蔵の懐中電灯を持ってきていました。イヤホンで聞く方式で、スピーカーは無し。
どうやらイヤホンを忘れたようで、イヤホンジャックに耳を当てて聞こうとしていました。聞こえるわけないじゃないかと。

一夜明けて、翌朝から何をどうしたかは全然覚えておらず、そのまま家に帰ったのかな。

今でもこんなお泊まり会は開催しているんだろうか。たぶん無い。
惑星直列
2025.08.11
昭和の頃、
ノストラダムスの大予言と絡めて、惑星直列、とくにグランドクロスという配置になるので最悪だと一部騒がれていたような記憶
1999年8月! 大予言と(ほぼ)一致するじゃないかと。
ポールシフトも言われていました。

結局なにもなかったのはご承知の通り、というよりも忘れてしまった昔の話になってしまいました。

昔、江戸時代とか、ハレー彗星で大騒ぎしたのとあまり変わらないような気がします。
1910年でも大騒ぎがあったようです。空気がなくなるだの何だのと。
1986年のときは見に行ったけど、目が悪くてよくわからず、結局モヤモヤしたまま。
果たして次回は生きて見られるだろうか。

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