100%充電
2025.08.24
リチウムイオン電池は100%充電状態を維持すると寿命を縮めると言われます。(一方、カーバッテリーのような鉛蓄電池は100%のほうが長持ちします。あまり動かさない車のバッテリーは充電不足で寿命が短くなります。経験あり)
スマホなど、どうしても100%になるまで充電したくなる気持ちがあります。出先で残量不足になって困るといけないし。道に迷ってナビを使っていると、ぐんぐん減ってきます。
自分で様子を見ながら充電を止めないと、ついほったらかしで気がつけば100%になります。
電池自体の寿命の話(放電時間の寿命じゃなくて)
80%充電を見かけ上100%と表示するような仕組みにしたらどうかと思いつきました。
まあ、それで電池が長持ちしたら商売に不利だからメーカーはしないでしょうね。
飲食店のオーダー用タブレットが普及してきて、今ではどこでもあります。
そのタブレットは常時、充電器が接続されていて充電100%表示になっています。
とりはずして操作する事もありますが、充電台に置いたままでも操作できます。
これで常時100%放置で大丈夫なのだろうかと。過充電にならないように制御されているとは思いますが・・・電池の寿命は縮むでしょう。
むしろ、内蔵バッテリーは無しにして電源アダプタのみで動くようにしたら、電池寿命を気にしたり、電池が燃える可能性はなくなるのかなと。
スマホなど、どうしても100%になるまで充電したくなる気持ちがあります。出先で残量不足になって困るといけないし。道に迷ってナビを使っていると、ぐんぐん減ってきます。
自分で様子を見ながら充電を止めないと、ついほったらかしで気がつけば100%になります。
電池自体の寿命の話(放電時間の寿命じゃなくて)
80%充電を見かけ上100%と表示するような仕組みにしたらどうかと思いつきました。
まあ、それで電池が長持ちしたら商売に不利だからメーカーはしないでしょうね。
飲食店のオーダー用タブレットが普及してきて、今ではどこでもあります。
そのタブレットは常時、充電器が接続されていて充電100%表示になっています。
とりはずして操作する事もありますが、充電台に置いたままでも操作できます。
これで常時100%放置で大丈夫なのだろうかと。過充電にならないように制御されているとは思いますが・・・電池の寿命は縮むでしょう。
むしろ、内蔵バッテリーは無しにして電源アダプタのみで動くようにしたら、電池寿命を気にしたり、電池が燃える可能性はなくなるのかなと。
基板設計
2025.08.22
20年以上前に出向した先(プリント基板メーカー)で、そこの部長か課長から聞いた話だと、さらにその昔は基板設計で相当稼げたという話
家が建ったとか何とか・・・いまとなっては昔の夢の世界でしょう。
AIで今後どうなるかわからないけど、熟練者が手でパターンを引いたほうが品質も良いです。
回路といっても色々ある。アナログでも低周波に高周波、デジタルでも周波数が高くなったりインピーダンスマッチング等は高周波の世界。
細心の注意を払って引くもの、つながってさえいれば良いレベルのものもあります。
基板なんかケースにおさまってしまえば外から見えません。だけど、見えなくてもきちんとした仕事をするのが当然だと、その会社の専務さんから最後に教わったものです。
平成初期の頃までは、あのサンハヤトの感光基板キットみたいに、フィルム紙にレタリングを貼ったりしてパターンを設計していました。自分も最初の頃やったけど、間もなく時代の流れでCADに置き換わりました。
その後は過去の設計品の改良などで、手貼りフィルムを出してきて直しているのを見かけたぐらい。
プリント基板メーカーには巨大なカメラが有り、それでフィルムを撮影して製版していたそうです。いまも残っている所があるかもしれません。
サンハヤトのキットも近頃はプリンタ印刷でフィルムを作りますが・・・
手貼りで設計していた頃は倍寸で描いた原稿を、カメラで撮影して縮小しました。最初から原寸だとなかなか細かい線が描けません。ピン間1本とか2本など細かいのは原寸では厳しいでしょう。
方眼紙にパターンのラフスケッチのような下書きをして、それから赤と青の色鉛筆で表・裏を色分けしながらパターンを描いていくのだったと思います。
回路図はコピーしたものに、配線が済んだ所から1本ずつ塗りつぶしていきます。
その上にマイラーシートと呼んでいた、トレーシングペーパーではないけどビニールのようなシート、半透明のシートです。
これをさっきの方眼紙の下書きに重ねて、スルーホール部分に◯のシールを貼り付けていきました。
ファミコンのカセットみたいなカードエッジ端子は、ちゃんと最初からそのパターンのシールが有るんですね。
電解メッキをかけるので、そのための線もくっついていたような気がします。忘れました。
IC形状も各種シールが有りました。
配線の通りにレタリングを貼り込んで、塗りつぶしの部分はどうやったっけ。もう何十年もたって忘却の彼方です。
ドリル穴の指定も別に図面を作って添付していたような気がします。ひとつひとつ座標を拾い出していたのか、もうわかりません。
基板をひとつ作るだけでイニシャル費込みで何十万もしていた時代でした。正確には覚えていないし、大きさなどによっても違うのでわかりませんが、20万ぐらいしていたはずです。設計は含まず、基板製造のみの金額です。
家が建ったとか何とか・・・いまとなっては昔の夢の世界でしょう。
AIで今後どうなるかわからないけど、熟練者が手でパターンを引いたほうが品質も良いです。
回路といっても色々ある。アナログでも低周波に高周波、デジタルでも周波数が高くなったりインピーダンスマッチング等は高周波の世界。
細心の注意を払って引くもの、つながってさえいれば良いレベルのものもあります。
基板なんかケースにおさまってしまえば外から見えません。だけど、見えなくてもきちんとした仕事をするのが当然だと、その会社の専務さんから最後に教わったものです。
平成初期の頃までは、あのサンハヤトの感光基板キットみたいに、フィルム紙にレタリングを貼ったりしてパターンを設計していました。自分も最初の頃やったけど、間もなく時代の流れでCADに置き換わりました。
その後は過去の設計品の改良などで、手貼りフィルムを出してきて直しているのを見かけたぐらい。
プリント基板メーカーには巨大なカメラが有り、それでフィルムを撮影して製版していたそうです。いまも残っている所があるかもしれません。
サンハヤトのキットも近頃はプリンタ印刷でフィルムを作りますが・・・
手貼りで設計していた頃は倍寸で描いた原稿を、カメラで撮影して縮小しました。最初から原寸だとなかなか細かい線が描けません。ピン間1本とか2本など細かいのは原寸では厳しいでしょう。
方眼紙にパターンのラフスケッチのような下書きをして、それから赤と青の色鉛筆で表・裏を色分けしながらパターンを描いていくのだったと思います。
回路図はコピーしたものに、配線が済んだ所から1本ずつ塗りつぶしていきます。
その上にマイラーシートと呼んでいた、トレーシングペーパーではないけどビニールのようなシート、半透明のシートです。
これをさっきの方眼紙の下書きに重ねて、スルーホール部分に◯のシールを貼り付けていきました。
ファミコンのカセットみたいなカードエッジ端子は、ちゃんと最初からそのパターンのシールが有るんですね。
電解メッキをかけるので、そのための線もくっついていたような気がします。忘れました。
IC形状も各種シールが有りました。
配線の通りにレタリングを貼り込んで、塗りつぶしの部分はどうやったっけ。もう何十年もたって忘却の彼方です。
ドリル穴の指定も別に図面を作って添付していたような気がします。ひとつひとつ座標を拾い出していたのか、もうわかりません。
基板をひとつ作るだけでイニシャル費込みで何十万もしていた時代でした。正確には覚えていないし、大きさなどによっても違うのでわかりませんが、20万ぐらいしていたはずです。設計は含まず、基板製造のみの金額です。
OSがタダ
2025.08.21
ちょうどWindows95前夜ぐらいか、その後だったか。
たまたま本屋に立ち寄ったら、無償OS付きの本があって、まさかOSがタダなんて?半信半疑で買って帰ってきた。まったく信じられなかった。
すっかりM$商法の毒に漬かってしまっていたのだろう。
それはLinuxといって、Slackwareというディストリビューション。
フロッピーとCDが挟み込んであったような記憶。
早速試してみた。インストール方法でよく分からない所もあったが、本を見ながらひとつずつ進んで、起動するようになった。
もともとUnixのWSを使っていたので、コマンドには慣れていた。
この上でWebサーバやメールサーバを動かすには?
Webサーバは動かす所までが大変だったが一応できて、メールサーバは結局やってないと思う。
ダイヤルアップで外部からログインする事が、当時一番興味があった事。
一番難しかったというか、なかなかできなかったのは画面設定。
当時はブラウン管モニタで、その設定が適切でないと画面がウニョーンと歪んだり、ずれたりした。最悪は壊れることもあるという脅しまであった。実際、キュイーンとか変な音がしたりして怖かった。
ビデオカードに対応したドライバも揃っていなかった頃で、苦労した。
結局、当時何台かインストールしていたPCのうち1台だけはテキスト表示のみであきらめた。
その後、色んなディストリビューションが現れ、どんどん進化して簡単になり、USBメモリひとつでも起動して動かしたりできるようになった。画面の設定も無し。
たまたま本屋に立ち寄ったら、無償OS付きの本があって、まさかOSがタダなんて?半信半疑で買って帰ってきた。まったく信じられなかった。
すっかりM$商法の毒に漬かってしまっていたのだろう。
それはLinuxといって、Slackwareというディストリビューション。
フロッピーとCDが挟み込んであったような記憶。
早速試してみた。インストール方法でよく分からない所もあったが、本を見ながらひとつずつ進んで、起動するようになった。
もともとUnixのWSを使っていたので、コマンドには慣れていた。
この上でWebサーバやメールサーバを動かすには?
Webサーバは動かす所までが大変だったが一応できて、メールサーバは結局やってないと思う。
ダイヤルアップで外部からログインする事が、当時一番興味があった事。
一番難しかったというか、なかなかできなかったのは画面設定。
当時はブラウン管モニタで、その設定が適切でないと画面がウニョーンと歪んだり、ずれたりした。最悪は壊れることもあるという脅しまであった。実際、キュイーンとか変な音がしたりして怖かった。
ビデオカードに対応したドライバも揃っていなかった頃で、苦労した。
結局、当時何台かインストールしていたPCのうち1台だけはテキスト表示のみであきらめた。
その後、色んなディストリビューションが現れ、どんどん進化して簡単になり、USBメモリひとつでも起動して動かしたりできるようになった。画面の設定も無し。
(海外の)治安
2025.08.21
ハワイと台湾ぐらいしか行ったことがなく、他は不明
ハワイでは通りを歩いていたら声をかけられた。ニッポンジンデスカー?
危ない、日本語がわからないふりをして回避。
別の国だけに、日本と同じ感覚ではダメだ。
人通りの多い場所なのに、そんなのは全く気にせずカップルがキスしていたりとか、やっぱりアメリカは違うなーという発見。
日本人だったら、そんなのは人前ですることじゃないからな。
さっき声をかけてきたヤツに、もしついていったら注射を打たれて意識が飛び、金品を奪われて山の中に放置されるか、あるいは生きて帰れるかもわからないのだ。(そのように現地のTVで観光客向けに注意喚起が流れていた)
日本のドラマや時代劇が吹き替えられたり内容がアレンジされて放送されており、それはそれで面白かった。ABARENBO SHOGUN II とか。特撮の戦隊モノは、ずいぶん手が加えられていたような印象。あちらの国の大人の事情があるのだろう。
さて、台湾の場合は一番に物乞い、二番にスリ。
物乞いはあちこちにいた。駅の待合で座っていれば近づいてくる。手を出して、金か食べ物をよこせというジェスチャー。
淡水駅周辺でも見かけたし、台南駅でも、そのほかの場所でも。
油断一秒とはよく言ったもので、とにかく動き続けていないと、じっとしていると近づいてくる。隙をみせてはいけない。
駅前の階段に座っていたらタクシーの運転手さんが近づいてきて、貸し切りタクシーの観光案内の名刺を渡されたり、とにかく何かしらの干渉は有る。
スリは台北駅の地下街だったか、未遂に終わったけど、あれはおそらくスリの仕業。
ちょうど地下鉄に乗ろうと思って乗り場へ移動中だった。
ふと、誰かにぶつかったか触られたような感じがしたので立ち止まって見ると、足元に紙幣が落ちていた。自分の財布が抜かれて、中身が出たみたい。
財布にはチェーンを付けていたから持っていかれず、紙幣が散らばっただけ。
私がすぐ気付いたから逃げたんだろう。
それ以来、滞在中は相当に気をつけていたけど、とにかく隙を見せないこと。荷物を一時的に置くのだって危ない。まず盗まれると思って、手を離すな。目を離すな。
指輪に見せかけた刃物があるとか、リュックを刃物で切り裂いて中身を抜くなんて話も聞いた事があるけど、とにかくなんでもありだと思って覚悟していたほうがよい。
いまストリートビューで市街地の家を見ても、二階以上には鉄格子がはまっているでしょう?あれは泥棒がよじ登ってくるから、鉄格子を付けているんです。日本ではなかなか見かけません。日本でも付けておけば防犯強化につながりそうですけど、なかなか見た目が・・・
ハワイでは通りを歩いていたら声をかけられた。ニッポンジンデスカー?
危ない、日本語がわからないふりをして回避。
別の国だけに、日本と同じ感覚ではダメだ。
人通りの多い場所なのに、そんなのは全く気にせずカップルがキスしていたりとか、やっぱりアメリカは違うなーという発見。
日本人だったら、そんなのは人前ですることじゃないからな。
さっき声をかけてきたヤツに、もしついていったら注射を打たれて意識が飛び、金品を奪われて山の中に放置されるか、あるいは生きて帰れるかもわからないのだ。(そのように現地のTVで観光客向けに注意喚起が流れていた)
日本のドラマや時代劇が吹き替えられたり内容がアレンジされて放送されており、それはそれで面白かった。ABARENBO SHOGUN II とか。特撮の戦隊モノは、ずいぶん手が加えられていたような印象。あちらの国の大人の事情があるのだろう。
さて、台湾の場合は一番に物乞い、二番にスリ。
物乞いはあちこちにいた。駅の待合で座っていれば近づいてくる。手を出して、金か食べ物をよこせというジェスチャー。
淡水駅周辺でも見かけたし、台南駅でも、そのほかの場所でも。
油断一秒とはよく言ったもので、とにかく動き続けていないと、じっとしていると近づいてくる。隙をみせてはいけない。
駅前の階段に座っていたらタクシーの運転手さんが近づいてきて、貸し切りタクシーの観光案内の名刺を渡されたり、とにかく何かしらの干渉は有る。
スリは台北駅の地下街だったか、未遂に終わったけど、あれはおそらくスリの仕業。
ちょうど地下鉄に乗ろうと思って乗り場へ移動中だった。
ふと、誰かにぶつかったか触られたような感じがしたので立ち止まって見ると、足元に紙幣が落ちていた。自分の財布が抜かれて、中身が出たみたい。
財布にはチェーンを付けていたから持っていかれず、紙幣が散らばっただけ。
私がすぐ気付いたから逃げたんだろう。
それ以来、滞在中は相当に気をつけていたけど、とにかく隙を見せないこと。荷物を一時的に置くのだって危ない。まず盗まれると思って、手を離すな。目を離すな。
指輪に見せかけた刃物があるとか、リュックを刃物で切り裂いて中身を抜くなんて話も聞いた事があるけど、とにかくなんでもありだと思って覚悟していたほうがよい。
いまストリートビューで市街地の家を見ても、二階以上には鉄格子がはまっているでしょう?あれは泥棒がよじ登ってくるから、鉄格子を付けているんです。日本ではなかなか見かけません。日本でも付けておけば防犯強化につながりそうですけど、なかなか見た目が・・・
郵便番号簿、電話番号簿
2025.08.21
いまは郵便番号を調べるなんて大した手間ではありません。ネットでチョイチョイと調べられます。
しかし、それ以前はどうだったか思い出してみる・・・
宛先住所に郵便番号も書いてあれば良いけれど、わからない場合は「郵便番号簿」で調べていました。紙の冊子です。
郵便番号を書かなくても一応届くけど、処理が遅くなる可能性、そして「郵便番号はハツキリと」というスタンプが押されてから相手に届きました。
ハツキリと。
どうして、こんな変なことばっかり覚えているのでしょう。肝心の学校の勉強はサツパリと。
郵便番号簿は、郵便局の窓口に頼むともらえたと思うけど、いつだったかもらいに行ったら無いって断られた記憶しかない。
その前は、たまたま家にあったのを使ったりとか。
だいたいよく使っていたのは年賀状シーズンぐらい?
郵便番号だって最初は5桁で、後に現在の7桁になったわけです。その利点もあって、宛先の住所の一部を省略できるようになった。特定の企業・役所専用の郵便番号もある。
子どもの頃にNHKの番組で、おたよりの送り先の案内で「〒150 東京都渋谷区神南 NHK」という宛先を見ていました。
番地を書かなくて大丈夫かと子供心に気になっていました。まさかあのNHKを知らないなんて無いでしょうし、たぶん、そこらへん一帯NHKの敷地だろうから番地なんか不要です。
いまの「郵便番号簿」は郵便局のサイトから検索するか、ダウンロードするだけかな。紙の冊子があるのかどうかは知らない。
ところで似た名前で「電話番号簿」というものがありました。
電話帳ですな。
郵便局もNTTも先祖は逓信省だから、~~簿という名前にしたのかなと思います。郵便局が電信・電話を扱っていた時代もありました。
電話番号簿 →電話帳 →タウンページ、ハローページ というふうに変わってきたものという記憶です。
高校生の頃、市内の図書館に全国の電話帳が置いてありました。暇だったから有名人の名前が載っているかと探してみたら意外と載っていて、いたずら電話は大丈夫だろうかと(他人事ながら)心配でした。
しかし、それ以前はどうだったか思い出してみる・・・
宛先住所に郵便番号も書いてあれば良いけれど、わからない場合は「郵便番号簿」で調べていました。紙の冊子です。
郵便番号を書かなくても一応届くけど、処理が遅くなる可能性、そして「郵便番号はハツキリと」というスタンプが押されてから相手に届きました。
ハツキリと。
どうして、こんな変なことばっかり覚えているのでしょう。肝心の学校の勉強はサツパリと。
郵便番号簿は、郵便局の窓口に頼むともらえたと思うけど、いつだったかもらいに行ったら無いって断られた記憶しかない。
その前は、たまたま家にあったのを使ったりとか。
だいたいよく使っていたのは年賀状シーズンぐらい?
郵便番号だって最初は5桁で、後に現在の7桁になったわけです。その利点もあって、宛先の住所の一部を省略できるようになった。特定の企業・役所専用の郵便番号もある。
子どもの頃にNHKの番組で、おたよりの送り先の案内で「〒150 東京都渋谷区神南 NHK」という宛先を見ていました。
番地を書かなくて大丈夫かと子供心に気になっていました。まさかあのNHKを知らないなんて無いでしょうし、たぶん、そこらへん一帯NHKの敷地だろうから番地なんか不要です。
いまの「郵便番号簿」は郵便局のサイトから検索するか、ダウンロードするだけかな。紙の冊子があるのかどうかは知らない。
ところで似た名前で「電話番号簿」というものがありました。
電話帳ですな。
郵便局もNTTも先祖は逓信省だから、~~簿という名前にしたのかなと思います。郵便局が電信・電話を扱っていた時代もありました。
電話番号簿 →電話帳 →タウンページ、ハローページ というふうに変わってきたものという記憶です。
高校生の頃、市内の図書館に全国の電話帳が置いてありました。暇だったから有名人の名前が載っているかと探してみたら意外と載っていて、いたずら電話は大丈夫だろうかと(他人事ながら)心配でした。