指をなめて紙をめくる
2025.06.30
図書館での約束事のひとつに、指をなめてページをめくらない、というのがある。
現代ではコロナ禍で特にピリピリしていた事もあり、感染症対策で特に厳しくなったのではないかと思う。

ところが・・・ある弁当屋のおばちゃん。
かなりのベテランで、混雑時の注文のさばき方も見事なもの。
私と一緒に来ていた仲間が、思わず「大将!さばけるね!!」と叫んでしまったぐらい。

すでに終わったメニューに未練のあるタクシー運転手さん、「****弁当を・・・」と注文するが、「ごめんねー、もう無いのよ」

時間がかかっているのを気づいているようで、厨房に向かって、「**弁当まだ?」と声をかけたりして、
このおばちゃんを中心に回っている。

でも欠点がひとつだけある。
袋を取る時に、指をなめてめくっている。そこだけ改めてもらえたら・・・
8時10分前
2025.06.30
テレビは見ないけど、ネット上のニュースで目についたこと。
集合は8時10分前と言われたら、何時何分に集合するか、という話

結果を見てみると、世代間ギャップのように言われているけど違うんじゃないかと個人的に思う。
「あいまいな言葉」が問題じゃないかと。

自分の経験では、たとえば当時の職場がテレビの取材を受けた。
放送はいつだろう?

「いつか」放送される、と言った人がいた。

これだって、5日なのか、Some dayなのか、はっきりしない。その場で確認すべきと(あとで)思うが、その場ではそれぞれの解釈で終わってしまう。

たしかその時は、放送を録画しておいてもらえませんかと頼まれたんだろうけど、「いつか」をいつなのかハッキリしないという意味にとらえた為、録画予約もできないな、と思っていたら・・・

明日だの昨日だのは、どの時点を起点にするか、というのもあいまいになっている。だから、たとえば荷物は明日(*月*日)配達予定ですよと明示的に書くようにしていた。

集合時間とか予約、約束の時間については、個人的には5分前と考えて実行しているけど、歩いていく時の所要時間の読み間違いや交通機関の関係で、むしろ予定より早く着いてしまい、暇を持て余している事が多い。
取捨選択、断捨離
2025.06.27
まあ、でも将来を考えると取捨選択、断捨離は避けられないと思います。

色々やりたい事があっても、現実に全部やることは不可能です。

何歳まで生きるかわかりませんが、だんだん使える時間が少なくなっているのは確かです。

やりたいなあ、と思いながらできず、ずっと長年モヤモヤしている事もあるけれど、思い切って選択と集中をしたらどうか。

たとえば真空管に関する本が何冊もあります。だけどこの先、真空管をいじる事はあるでしょうか? 過去を振り返ってみれば、ラジオを何度か作ってみた程度でした。
これらの本は売ってしまって、頭から消し去ってしまえばスッキリするでしょう。
完全に捨てませんが、結局使わないようであれば買い集めた部品も売ったほうが役に立ちそうです。

レトロマイコンに関してはこれからも取り組んでいくつもりです。
時々、懐かしい世界に戻ってみたくなるからです。タイムマシンではないが、タイムマシンのような感じです。あの頃に短時間でも戻ることができます。

同時に、新しいマイコンもいじりながら、仕事にも活かしていきたいです。

通信関係の興味も止められず、これからもライフワークとして少しずつ長い目で取り組んでいくでしょう。子どもの頃にわからなかった事も調べられるようになり、ずいぶんスッキリしてきました。

これは後でやろうと思いながらズルズル引きずっている事は、結局やれないようであれば見直しをして、必要なところにリソースを注ぎ込もうと思います。

そんなの当たり前だろう、もっと早く気づけよと言われそうですが、なかなか思い至らなかったものです。
ビタランド
2025.06.26
ビタランド?



ノビタランドですね。

「くるくるてれび」のフィルムです。

メーカーは気づかなかったのかな?
大きな組織にありがちな、誰か気づいているけど誰も言わないというやつか。
まあ大した問題じゃないから良いだろうと、おおらかな時代でした。

当時の自分も指摘したかもしれません。

どこか抜けているのび太くんでした。


本体の修理を試みている所です。

電池の金具が腐食しているので分解して磨けばとりあえず何とかなりそうです。

幸い、送り爪は折れていません。

本当は1.5Vですが短時間3Vをモーターにかけてみたら、元気よく回り始めました。さすがに古いので新しいモーターと入れ替えようと思います。
電池を2本入れるので3Vかと思われがちですが、よく見ると並列です。モーターを回す負荷に対応すべく並列にしたのでしょうね。

フィルムは長年回していないでしょうから固着が心配でした。ちょっと振ってみるとくっついているような感じはなかったので、大丈夫かもしれません。回してみないとわかりませんけれど。

子どもの頃は、何でも買ってもらえる同級生がうらやましかったものです。
くるくるてれびは勿論、ゲーム&ウォッチとか、FL管の電子ゲームとかテレビゲームとか、魅力的なおもちゃばかり。
うちは絶対ダメでしたからね。
頭が固いんです。電動鉛筆削りはケシカラン!という家でしたから。
ナイフで削れと。
電動はドンドン飲み込んでしまって無駄になるだの何だの。
言われるようにナイフで削ってみると、失敗してドンドン無駄になるし、見た目が悪くてやる気が激減。

そこで、自分の鉛筆は学校の教室に有る電動鉛筆削りで削って家に持ち帰っていました。

学校も頭が固くて、シャープペンシルけしからん!とか言っていました。鉛筆でなければならない!!と。
当たり付き弁当
2025.06.25
昔は(昭和~平成初期)、今ほど食中毒に敏感ではなかったような気もするが・・・あくまでも個人的な感想。

確かに大きな事件もあった。かいわれ大根とか。

高校の3年間は家で作った弁当を持っていって、あの頃は冷房なしでも傷んだりとか食中毒になったりとかは無かった。

いまは当時に比べれば気温が上がってるから、環境条件が厳しいかも?

就職してから、最初の職場では380円の弁当があった。
大多数の方が食べていたけど、正直言ってあまりおいしくなかったし、すぐに飽きていやになっていた。
ご飯は固まっていたし、安いから仕方ないのかと思う。
そして・・・たまに当たる。午後一番にトイレに駆け込む人がいる。「あの弁当は当たるんだ」と言い残して。

「あたり」ってクジ付きだったら楽しかっただろうけど。

いよいよ飽きて嫌になった!というと、すでに乗り換え組がいて「ほか弁にしたら良いよ」というオススメ。

でも、まあ、のり弁なんか学生時代に毎日のように食っていたから飽きるも何も通り越していた。お金がなかったから、そればっかり。あの頃は確か230~250円ぐらいだったと思う。

コンビニやスーパーの弁当も、すぐに飽きてしまうがなぜだろう。味が濃いせいか?

スーパーの弁当でも、とある店のものは一味違う。なかなか飽きない。この謎を解き明かしたい。値段も手頃だし、続けて食べてもそれほど抵抗は感じない。

自分で手作りの弁当を持っていっていた時代もあった。
簡単なもので、ご飯を炊いてタッパーに詰めて、ふりかけをかけたり梅干しを入れる程度。
おかずは冷凍食品で、小皿に入っているものをそのまま詰めれば昼頃までには解凍していて食べやすいというわけ。
あるいは前日の残り物を入れたりした。

味付けを単純にするのが飽きないコツかな?

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