科学番組
2025.02.12
昭和の頃は科学番組が今より多かったように感じるけど、どうだろう。

みんなの科学、楽しい実験室
これは有名な番組ですね。

ウルトラアイ
NHKを擬人化したらこうなるという感じの山川アナウンサー。

その身体を張った実験は最高に面白かった。
面白かったわりに、さすがに昔なのでよく覚えていないが・・・
お酒を飲んでいると蚊にさされやすいか?という実験で、実際にビールを飲んで蚊にさされてみたり・・・
アメリカに出張して、現地で納豆が手作りできるかどうか試してみたり。発音が悪かったのか、納豆と言ったのに現地の人にはNATOと聞こえていたというシーンを覚えている。

当時、小学校の理科の先生から、ウルトラアイを見ろよって言われたもんだ。

その後番組は、試してガッテンだったっけ。
だんだん世俗化?してきて、単なる健康番組になったような印象だが。

子どもたちには科学に興味をもつきっかけに、大人たちには詐欺にだまされないような、そんな教育的な番組であってほしかった。
昔のゴミ処理場のおじさん
2025.02.11
昭和50年代の話。

町のゴミ処理場は人里離れた山の中にあった。

焼却炉があって、そして敷地内に粗大ごみが置いてあった。

焼却炉といっても、いわゆる清掃工場にあるような巨大なプラントじゃなくて、昔の学校にあったようなあの焼却炉をそのまま大きくしたような感じ。
ダイオキシン云々は当時誰も言ってなかった。

テレビや冷蔵庫、洗濯機など並べてあった。当時は家電リサイクル法以前なので普通に粗大ゴミで捨てていた。
このあとどうするのかは不明。ひょっとしたらどこかの業者が引き取りに来ていたのかもしれない。

その処理場の責任者だったのか、同級生の祖父がごみ収集をやっていて、職員の人数は不明だったが、おじさんが一人でやっているような感じもした。

そのおじさんがうちの祖母の店にたまたま来られた時だったか、その時にトラックに乗せてもらい、処理場まで連れて行ってもらった。

テレビでもラジカセでもなんでもある。好きなの持っていけ。帰りも送ってあげる。
まるで夢のような出来事だった。なんでもタダでもらい放題。

適当にテレビを選んで、事務所でコンセントにつないで見てみる。普通にうつる。まあ壊れたから捨てたんじゃなくて、白黒だから(時代遅れで)捨てられたんだろう。

白黒テレビを持っていれば、NHKの普通契約(白黒)で料金が安くなっただろう。当時は普通契約とカラー契約があった。

自分用には白黒テレビも悪くないと思う。最初の頃はMSXを白黒テレビにつないで使っていた。

特に小さいテレビ(車載用など)は後年まで白黒が多かったような印象がある。回路がカラーより少ないから小型化しやすかったんだろう。

短波付きのラジカセをもらってきて最高な気分。

ラジオの製作といった雑誌を読むと、ソニー等のBCLラジオを使っている人が多そうだったけど自分はとても手が届かない。ラジカセで短波が受信できるだけで十分だった。
でも、いいなあ、あこがれた。ボタンで周波数を入れるだけで受信できるなんて。
チューニングつまみを少しずつ回しながら探る必要もないんだ。

その後、町の処理場は廃止され、複数の町が合同で処理場を運営するようになったと思う。

中学生になってから、自転車であの処理場の所まで行ってみた。焼却炉の残骸があるぐらいで、あとは何も残ってない。
やっぱり夢だったのかもしれない。
水道管凍結
2025.02.08
幼い頃に一度、水道管の凍結で塩ビ管が割れたのを見たことがある。
業者が修理に来て、その様子を眺めていた記憶。
管の中から細長い氷が出てきたのを見たような。
当時住んでいたのは戦前からの古い家で、水道管などは後から外壁に沿って取り付けていたようで、しかも断熱材は巻いてなかったんじゃなかったかな。
まあ、幼い頃の記憶なのではっきりと覚えていない。

数年前の大雪の時、よその家の水道管が壊れて水がジャンジャン出ていたのを目撃した。
他人事ながら、これってどうにか止められないのかと、見ていて落ち着かなかった。
元栓を止めれば止まるのだろうけど、家の人は気づいていたのかどうか、対応方法を知っていたのかは不明。

これで水道料金がかかる分は負担しなければならないのだが、でも確かその時は特別に免除されるような話だったと思う。何十年に一度の大寒波・大雪だったからか。

これぐらいで、ほかに経験した事がない。
行動制限
2025.02.03
小学生の頃は、校則で行動範囲が制限されていた。保護者同伴でなければ町外へ出られない。

今では、なんじゃそりゃ?と思う。奇妙な決まり事だった。
屁理屈を言えばきりがないけど、町の境目に住んでいるやつがいたらどうなる?しょっちゅう違反することになる。

まあ、都心部の町と違って、地方のひとつの大きな範囲が町だった。もともと複数の村が合併したので広かった。都心部などでは川や道路を境目にして向こう側は別の町名になるってのはザラだろうけど。町といっても(地方の町と比べたら)そんなに大きくない区画。

小学生の頃、ちょっと小銭があったから鉄道で一駅、友達と隣町へ遊びに行って、プラモ等を買って帰ってきたら、そのことが問題になって担任から事情を聴かれた。
そこで冒頭の行動範囲というわけ。

小学生だから勝手に町の外へ出たらいかん、と。(小学生だから?)

小2の時、親戚の家へ、行きは親に車で送ってもらって(30分ぐらい離れた市)、一泊して帰りは親戚が駅まで送ってくれて、あとはひとりで鉄道に乗って帰ってきた。これは良かったのだろうか?(はじめての鉄道一人旅だった)

当時は携帯電話なんか無かったし、連絡手段は外出先の公衆電話から自宅へ電話するぐらいか。保護者が心配するから、あんまり遠くへ行くなということだったのかもしれない。

もう中学生になったから良いよとも言われず、なんとなく(いつのまにか)規制から開放された。

とある知人、
小さい頃から親が車で送り迎えをしてきたから、鉄道の乗り方も知らないまま大人になったやつがいて、むしろそっちのほうが問題と思う。「旅をさせる」べきだった。

そういえば、
自転車だって(小学校独自の)免許制度があり、実技試験に合格しないと乗ってはいけなかった。私は「無免許で」勝手に乗っていたけどな。

その試験は「級」が有り、低い級ほど行動範囲が制限される。自分の住んでいる地区から外へ出るなとか。最上級だと町内どこでも行ける、だったと思う。免許証もあった。

でも実際、誰がチェックするわけでもなく、友達同士で、**君はここから先は行けないんじゃないの、ぐらいは言っていたと思うが・・・微妙だった。

いま思えば不思議な決まり事。

そんなことよりも、学校の帰り道に小1の私を通せんぼしていたラーメン屋のおやじをどうにかしてほしかった。大人げないというか・・・幼い子どもに意地悪して喜ぶなんてどうかしていたと思う。(じつは同級生の親)

あのラーメン屋の前を通らないように、回り道して帰るような知恵も当時は無くて、そもそも通学路を覚えるのもやっとの頃。

うちであのラーメン屋から出前をとった時、自分だけ食べなかった。絶対あの店のラーメンは食べないと決めていた。(笑)
確定申告
2025.01.31
その昔は、確定申告書の書き方がよくわからず、解説書を買ってきて、ひとつひとつの項目を読み返しながら「わからんわからん」連発しながら苦悶して記入し、やっとの思いで提出したものでした。

数年後にわかったのだが、控除できるものを書いていなかった(知らなかった)ため、払わなくて良い所得税を払ってしまったという大失敗!
何年以内だったら過去の修正申告はできるけど、面倒臭くて放っていた。

なんで控除に国民年金や国保の金額を記入するのかもよくわかってなかったし、何の関係があるのか、その数字が全体にどのように影響するのかも知らなかった。ただ、欄を埋めるだけで精一杯。

「収支内訳書」が最大の難関で、これの記入方法が最初わからなくて行き詰まったっけ。
結局どっちを先に書くかというところでは、収支内訳書が先で、そのいくつかの項目を確定申告書にも転記する。
収支内訳書を作るには、簡易的なものでも良いので帳簿をつけないといけないんだと、ようやくわかったっけ。確か2013年頃からそう決まったような気がする。

簿記なんて、一応ビジネス系の学校を出ているので授業は受けたが、周囲は商業高校出身のやつが多くて余裕しゃくしゃく、面白くない。こっちは初めてでさっぱりわからん。最後までわからなかったし、検定は当然落ちた。

分かっている人には常識でも、そんなのは知らない。普段からちゃんとしてなかったから、1年分さかのぼってあれこれ見直す必要があり、一応は会計ソフトを試してみたのだが、数字が合ってるんだか合ってないんだか、全然わからない。

ちゃんと計算してくれているのか疑心暗鬼、それ以前に自分がミスってるのかもしれないけど、わけがわからないので結局は電卓でポチポチ計算する方式になった。

そもそもインチキをするつもりもないが、これで何か大きな間違いがあって調査が来たら余計に面倒くさいな、だからこそ正確に間違いがないようにしないといけないんだが、イマイチ自信がなかった。(税務署も面倒だろうな。わざわざ調べに来ても、手間のわりに大した追徴金も取れず時間の無駄になるだろう)

しかも例年、仕事が重なる時期。一番大変だった年は昼間現場に行き、帰ってきてからプログラムの修正をして、さらにもうひとつの設計の仕事をして、その後に確定申告の作業をしていた。

そこへ消費税の計算が加わる年があり、その計算方式は2種類あってどっちか選べと税務署から郵便が来た。

10数ページの資料は、彼らにとっては親切のつもりだろうが、読んでもサッパリわからない。日本語で書いてあるのはわかった。意味がわからない。

ここで私の脳みそはパンクした。モウダメー(煙)

さらに催促してきた。いつまでに提出しますか、って。
あせって、もう適当に書けーって書いて出した。

やっぱり正しかったのか心配になり、税理士に相談したところから契約が決まった。
私の選択が正しかったのか聞いたら間違いを指摘された。ああ、頼んでよかった。やり直しの手続きもやってもらった。

お金はそれなりにかかるけど、税理士に頼んだほうが間違いないよ。ほんと。

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