技術家庭科
2023.12.28
中学生の頃は特に好きな教科のひとつだった。色々作るのが面白い。
■行灯の製作
これは小さな蛍光灯を仕込んだもので、当時は照明用LEDなんか無いから10W程度の蛍光管とソケットと、グロー管とソケットと、安定器とスイッチから構成されていた。
グロー球ソケットには並列にセラミックコンデンサを接続する。ラジオ等への雑音防止用との事だった。
配線の前に木工で筐体を組み上げる必要があった。
必ず、先生の確認が済んでから通電しなさい、と言われていたにもかかわらず、いきなりコンセントにぶっ刺そうとしたやつがいて、先生から大声で怒鳴られていたっけ。
「○○○(名前)!! 学校中のヒューズをとばすつもりかバカモン!!!!」
学校中のヒューズというのはオーバーで、この教室のブレーカーだけだろと言いたかったが、それぐらい言わないと説得力がないんだろうな。
ただ、実際に先輩たちの中でショートしてしまった奴がいたのだろう。
個人的には、この10W程度の小さな蛍光管で思い出したのは雑誌の製作記事の電池で点灯させるやつで、先生にその回路を紹介した事がある。
電池で蛍光灯を点灯させる事にはその後も執着し、のちに親父の車のヒューズを飛ばしてしまったのである。(笑)
■電話機の製作
これは我々の頃には無くなった。1年上の先輩たちまで。残念。
なぜかというと、(1)認定を受けていない機器、(2)無資格での電話工事、この2点が問題だったが、黙っていればわからないといえばわからない。
発端は、その自作した電話機の故障だったようだ。それで電話局に連絡したら、この電話機が問題だと。これはどうしたんだと言えば、学校で作ったものだと。(このあたりの流れは直接じゃないので想像を含む。最終的に学校へ連絡があったようだ)
とにかく先生から、今年から電話キットは製作しない、という話。
よくまあ、電話機のキットなんか売られていたもんだなと思う。自由な時代だった。電電公社の民営化後で、実際、市販品にも未認定の電話機など意外とあったと思う。端末自由化によって市販品の電話機が増えた頃だった。
このキットは、当時の初歩のラジオの科学教材社の広告を見ると載っている。
壁掛け式のハンディテレホンだった。
■インターホン等の製作
インターホンや電子オルガンなど、好きな物を選んで作れというわけで、みんな製作に取り組んだ。
今のように基板組み立て済みとかではなく、部品を1個ずつ差し込んでハンダ付けしていく。当然のように、鳴らないとか電解コンデンサが弾けるといったトラブルが有る。
インターホンは2台だから作りがいがありそうだったが、2台間をつなぐ配線がフラットケーブルというのがダサくて気分が上がらなかったので、電子オルガンを作った。
部品点数も少なく簡単だったので、すぐにできてしまった。
こんな物を作るくせに演奏はできなかったので、適当にプープー鳴らしていたらクラスの女の子たちが、貸してというので渡したりして、教室で鳴らして遊んだ。
そのうちに、何故か音楽が自動的に鳴り出したので驚いた。何をどういう操作した?
わかんないから適当にボタンを複数押したりすると、音楽が鳴り出す事がわかった。
まさに裏技発見である。
こいつのICには電子オルゴールの機能も内蔵されているようだ。
どこをどうすればどの曲が鳴るか、その発見に熱中した。
但し、この音楽演奏をすると出力のトランジスタが熱くなる。それで隠されている機能なのかもしれなかった。
■椅子の製作
木工はそれほど萌えなかったが、でもやっぱりやってみると面白いし、実用性もあって家で使ったし、良かった。
この時に新しく知ったのは角穴をあけるキリがあるということ。
これをボール盤に取り付けて、こうすれば、ほら、四角い穴があくぞと先生の実演。
ドリルは丸穴しかあかない物とそれまで思っていたので目からウロコとはまさにこのこと。
まあ、でもある程度はカットされて加工の済んだ材料だったので、ヤスリをかけたりボルトでとめるのが主な作業だったが、
組み上がったところでニスを塗って仕上げた。
そのニスをあっさり塗っているのが当時の自分的には気に入らなくて、こってり厚塗りしてテカテカにしたかった。何度も重ねて塗って、テカテカにした。
先生に注意されたが、それでも目をぬすんでは塗り重ねた。
■エンジンの分解
教室にはエンジンがたくさん置いてあり、農機具とか発電機のエンジンだったが、これを分解する実習があった。
ところが自分たちの班は、ピストンを取り出すところまで至らなかった。分解の仕方がよくわからなかった。
どこを開けたらたどり着けるのだろうと。
手当たり次第にボルトをゆるめても、よくわからない。それよりも、戻せなくなったらどうするかって心配になり、余計に手が進まなかった。
お前こういうの得意じゃないのって同じグループの奴に言われたが、テレビなんかはたくさんバラしたがエンジンなんか開けたこともない。
手はオイルで汚れるし、なんか、パッとしない実習だった。
ただ、この当時・・・そうだ、エンジンでプロペラを回せば飛行機が作れるじゃないか!という妄想にとりつかれていた。今だったら、そんな単純なもんじゃないだろというツッコミを入れたいが・・・
飛行機の初期の頃の古い映像みたいに、走り出してバキバキと壊れて終わったみたいな感じになるだろう。
ベニヤとかで適当に機体とプロペラを作って飛ぶ気だったのか。小学生の頃の電気自動車妄想の再来のようなものだった。いずれも実際に作らなくて良かった。
ところで、これらのエンジンはどれも壊れたもので動かなかったが、1台だけ動くエンジンが置いてあり、これをみんな一人ずつ「かける」体験をした。
よし、紐を引いてエンジンをかけてみなさい。ブルン、おおっ、かかった。
この体験以来、クラスでは「エンジン」(円陣)が流行した。
球技の中などで気合をいれる時なんかに、円陣を組んで「エンジン」と掛け声をかけて、あのヒモをひっぱるアクションをする。
■栽培
もう何でもやるのが技術家庭科だった。
野菜作り。
校庭の端のほうを畑にして、みんなそれぞれの区画が割り当てられた。
土のpHをはかったり、肥やしを入れて耕したりした。
好きなものを植えて育てて収穫しろと。
自分は何だったか、茄子とセロリとトマトだったような気がする。
畝にビニールを張って保温した。
それなりに大きくなり、無事収穫できたのは覚えている。
それよりも同級生で面白いやつがいて、石を並べて丸く囲んだスペースを作り、その中で泥水をかき回していた。
なんだそりゃって聞いたら、田んぼを作りたいんだと。
それで苗はどうするんだというところで、自分が、そういえば田んぼの端のほうに余った苗が投げてあったなと思い出し、
先生の目をぬすんでフェンスを越え、近くの田んぼからそれを持ってきて、この田んぼにみんなで植えた。
稲作なんか全く何も知らない。彼の家は農家ではなかった。私も稲作については知らなかった。芋だったら作っていたが・・・
夏休みに出てきて、ポリタンクに水を入れて田んぼまで運ぶ。あの重たかったこと・・・
両手ですくえるぐらいの収穫は有った。教室で不要なプリントの折り紙で容器を作った。
家で精米して炊いて食べたと聞いたが、そこまで見届けていない。
■カレー
男子も家庭科室で料理をした。カレーを作ったと思う。
授業でカレー食って、その上、さらに給食も食ったと思うが、あまり細かい事は覚えていない。
育ち盛りの食べ盛りだったから、どっちも入っただろう。
ある同級生、昼休みに遊ぼうと思ったが姿が見えないのでどこ行ったかと思ったら、給食のあとに学校を抜け出して近所のチャンポン屋で食べてきたという。
■行灯の製作
これは小さな蛍光灯を仕込んだもので、当時は照明用LEDなんか無いから10W程度の蛍光管とソケットと、グロー管とソケットと、安定器とスイッチから構成されていた。
グロー球ソケットには並列にセラミックコンデンサを接続する。ラジオ等への雑音防止用との事だった。
配線の前に木工で筐体を組み上げる必要があった。
必ず、先生の確認が済んでから通電しなさい、と言われていたにもかかわらず、いきなりコンセントにぶっ刺そうとしたやつがいて、先生から大声で怒鳴られていたっけ。
「○○○(名前)!! 学校中のヒューズをとばすつもりかバカモン!!!!」
学校中のヒューズというのはオーバーで、この教室のブレーカーだけだろと言いたかったが、それぐらい言わないと説得力がないんだろうな。
ただ、実際に先輩たちの中でショートしてしまった奴がいたのだろう。
個人的には、この10W程度の小さな蛍光管で思い出したのは雑誌の製作記事の電池で点灯させるやつで、先生にその回路を紹介した事がある。
電池で蛍光灯を点灯させる事にはその後も執着し、のちに親父の車のヒューズを飛ばしてしまったのである。(笑)
■電話機の製作
これは我々の頃には無くなった。1年上の先輩たちまで。残念。
なぜかというと、(1)認定を受けていない機器、(2)無資格での電話工事、この2点が問題だったが、黙っていればわからないといえばわからない。
発端は、その自作した電話機の故障だったようだ。それで電話局に連絡したら、この電話機が問題だと。これはどうしたんだと言えば、学校で作ったものだと。(このあたりの流れは直接じゃないので想像を含む。最終的に学校へ連絡があったようだ)
とにかく先生から、今年から電話キットは製作しない、という話。
よくまあ、電話機のキットなんか売られていたもんだなと思う。自由な時代だった。電電公社の民営化後で、実際、市販品にも未認定の電話機など意外とあったと思う。端末自由化によって市販品の電話機が増えた頃だった。
このキットは、当時の初歩のラジオの科学教材社の広告を見ると載っている。
壁掛け式のハンディテレホンだった。
■インターホン等の製作
インターホンや電子オルガンなど、好きな物を選んで作れというわけで、みんな製作に取り組んだ。
今のように基板組み立て済みとかではなく、部品を1個ずつ差し込んでハンダ付けしていく。当然のように、鳴らないとか電解コンデンサが弾けるといったトラブルが有る。
インターホンは2台だから作りがいがありそうだったが、2台間をつなぐ配線がフラットケーブルというのがダサくて気分が上がらなかったので、電子オルガンを作った。
部品点数も少なく簡単だったので、すぐにできてしまった。
こんな物を作るくせに演奏はできなかったので、適当にプープー鳴らしていたらクラスの女の子たちが、貸してというので渡したりして、教室で鳴らして遊んだ。
そのうちに、何故か音楽が自動的に鳴り出したので驚いた。何をどういう操作した?
わかんないから適当にボタンを複数押したりすると、音楽が鳴り出す事がわかった。
まさに裏技発見である。
こいつのICには電子オルゴールの機能も内蔵されているようだ。
どこをどうすればどの曲が鳴るか、その発見に熱中した。
但し、この音楽演奏をすると出力のトランジスタが熱くなる。それで隠されている機能なのかもしれなかった。
■椅子の製作
木工はそれほど萌えなかったが、でもやっぱりやってみると面白いし、実用性もあって家で使ったし、良かった。
この時に新しく知ったのは角穴をあけるキリがあるということ。
これをボール盤に取り付けて、こうすれば、ほら、四角い穴があくぞと先生の実演。
ドリルは丸穴しかあかない物とそれまで思っていたので目からウロコとはまさにこのこと。
まあ、でもある程度はカットされて加工の済んだ材料だったので、ヤスリをかけたりボルトでとめるのが主な作業だったが、
組み上がったところでニスを塗って仕上げた。
そのニスをあっさり塗っているのが当時の自分的には気に入らなくて、こってり厚塗りしてテカテカにしたかった。何度も重ねて塗って、テカテカにした。
先生に注意されたが、それでも目をぬすんでは塗り重ねた。
■エンジンの分解
教室にはエンジンがたくさん置いてあり、農機具とか発電機のエンジンだったが、これを分解する実習があった。
ところが自分たちの班は、ピストンを取り出すところまで至らなかった。分解の仕方がよくわからなかった。
どこを開けたらたどり着けるのだろうと。
手当たり次第にボルトをゆるめても、よくわからない。それよりも、戻せなくなったらどうするかって心配になり、余計に手が進まなかった。
お前こういうの得意じゃないのって同じグループの奴に言われたが、テレビなんかはたくさんバラしたがエンジンなんか開けたこともない。
手はオイルで汚れるし、なんか、パッとしない実習だった。
ただ、この当時・・・そうだ、エンジンでプロペラを回せば飛行機が作れるじゃないか!という妄想にとりつかれていた。今だったら、そんな単純なもんじゃないだろというツッコミを入れたいが・・・
飛行機の初期の頃の古い映像みたいに、走り出してバキバキと壊れて終わったみたいな感じになるだろう。
ベニヤとかで適当に機体とプロペラを作って飛ぶ気だったのか。小学生の頃の電気自動車妄想の再来のようなものだった。いずれも実際に作らなくて良かった。
ところで、これらのエンジンはどれも壊れたもので動かなかったが、1台だけ動くエンジンが置いてあり、これをみんな一人ずつ「かける」体験をした。
よし、紐を引いてエンジンをかけてみなさい。ブルン、おおっ、かかった。
この体験以来、クラスでは「エンジン」(円陣)が流行した。
球技の中などで気合をいれる時なんかに、円陣を組んで「エンジン」と掛け声をかけて、あのヒモをひっぱるアクションをする。
■栽培
もう何でもやるのが技術家庭科だった。
野菜作り。
校庭の端のほうを畑にして、みんなそれぞれの区画が割り当てられた。
土のpHをはかったり、肥やしを入れて耕したりした。
好きなものを植えて育てて収穫しろと。
自分は何だったか、茄子とセロリとトマトだったような気がする。
畝にビニールを張って保温した。
それなりに大きくなり、無事収穫できたのは覚えている。
それよりも同級生で面白いやつがいて、石を並べて丸く囲んだスペースを作り、その中で泥水をかき回していた。
なんだそりゃって聞いたら、田んぼを作りたいんだと。
それで苗はどうするんだというところで、自分が、そういえば田んぼの端のほうに余った苗が投げてあったなと思い出し、
先生の目をぬすんでフェンスを越え、近くの田んぼからそれを持ってきて、この田んぼにみんなで植えた。
稲作なんか全く何も知らない。彼の家は農家ではなかった。私も稲作については知らなかった。芋だったら作っていたが・・・
夏休みに出てきて、ポリタンクに水を入れて田んぼまで運ぶ。あの重たかったこと・・・
両手ですくえるぐらいの収穫は有った。教室で不要なプリントの折り紙で容器を作った。
家で精米して炊いて食べたと聞いたが、そこまで見届けていない。
■カレー
男子も家庭科室で料理をした。カレーを作ったと思う。
授業でカレー食って、その上、さらに給食も食ったと思うが、あまり細かい事は覚えていない。
育ち盛りの食べ盛りだったから、どっちも入っただろう。
ある同級生、昼休みに遊ぼうと思ったが姿が見えないのでどこ行ったかと思ったら、給食のあとに学校を抜け出して近所のチャンポン屋で食べてきたという。
技術家庭科の先生
2023.12.28
先日、県内のニュースで、横断歩道を渡っていた無職の高齢者が信号無視?の車にはねられて重体、数日後に亡くなられたとのこと。
その高齢者の名前、あれっ、どこかで見たことがある。比較的珍しい名前だから、同姓同名の可能性は低い。
中学生の頃にお世話になった技術家庭科の先生じゃないか。
1,2年生まではその先生だったと思う。
覚えているのは、
ブリキ細工で「ちりとり」を作る授業があった。
ブリキ板に寸法をとって「けがき」して、金切りバサミでブリキを切り出し、曲げる道具で曲げて、カドを合わせてハンダ付けする。
タガネのような道具で、曲げたい線に当てて金槌で叩いて曲げたと思う。
ブリキのハンダ付けには、フラックスではなく塩酸を使った。
カドの合わせるところのスキマに少し塗って、ハンダゴテ(太い)で良く暖めてからハンダを流すと、ジュッと音をたててハンダが吸い込まれる。そのままにしておくと腐食が進むので塩酸を良く洗い流す。
その先生から「君は、こういうの得意だろ」と声をかけられた事を今でも覚えている。
あと、「決して逆に読むなセンターポンチ」と、みんなに言っていた。
センターポンチってのは穴あけをする位置に打って凹みをつける道具で、これを打ってからドリルを使うとズレにくいので作業しやすくなる。
名前が「こうた」というので、子供の頃は「何をこうたんだ」(買うた)と、からかわれていたとか。それで名前を覚えていた次第。
先生の御冥福をお祈り致します。
その高齢者の名前、あれっ、どこかで見たことがある。比較的珍しい名前だから、同姓同名の可能性は低い。
中学生の頃にお世話になった技術家庭科の先生じゃないか。
1,2年生まではその先生だったと思う。
覚えているのは、
ブリキ細工で「ちりとり」を作る授業があった。
ブリキ板に寸法をとって「けがき」して、金切りバサミでブリキを切り出し、曲げる道具で曲げて、カドを合わせてハンダ付けする。
タガネのような道具で、曲げたい線に当てて金槌で叩いて曲げたと思う。
ブリキのハンダ付けには、フラックスではなく塩酸を使った。
カドの合わせるところのスキマに少し塗って、ハンダゴテ(太い)で良く暖めてからハンダを流すと、ジュッと音をたててハンダが吸い込まれる。そのままにしておくと腐食が進むので塩酸を良く洗い流す。
その先生から「君は、こういうの得意だろ」と声をかけられた事を今でも覚えている。
あと、「決して逆に読むなセンターポンチ」と、みんなに言っていた。
センターポンチってのは穴あけをする位置に打って凹みをつける道具で、これを打ってからドリルを使うとズレにくいので作業しやすくなる。
名前が「こうた」というので、子供の頃は「何をこうたんだ」(買うた)と、からかわれていたとか。それで名前を覚えていた次第。
先生の御冥福をお祈り致します。
掃除機と火花送信機とコヒーラーとヘルツ
2023.12.27
小学生の頃に読んだ本に、マルコーニの時代の送信機・受信機が載っていて興味をひかれた。
タイタニックのSOS送信をしたのも、その送信機だったという。
高電圧を発生して、その火花を断続して電波として飛ばす。いま考えるとノイズばらまきだから現代では実用できないが、その簡単な仕組みを見て、再現してみたくなったわけ。その当時。
その元は「ヘルツの実験」
※参考
ttps://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h17/buturi/ji_herzt01.htm
誘導コイルで高電圧を発生、それを放電させて電波を飛ばす。
少し離れた所に置いた受信ループアンテナで、その両端を近づけておく電波受信時に火花が飛ぶ。
コヒーラーという検波器があって、ガラス管の両端に電極がつながり、中にアルミの粉が詰まっている。通常は導通しない。電波受信すると導通する。そのままだと次の受信ができないので、デコヒーラーといってコヒーラーを叩いて導通を解除させる仕組みがあった。
そのコヒーラーを自作するのがなかなかうまくできなくて、アルミの粉を集めるところで挫折したような記憶。
アルミ板をヤスリでゴリゴリやったけど、粉がなかなか集まらなくて面倒くさくなったのか。
今だったら、でんじろう先生の実験を見れば、ああすれば良かったのかと思うのだけど。アルミフォイルをちぎって丸めても良かったのかと。
針金を丸くして作ったループアンテナにイヤホンをつないで、ノイズを聞いてみたことはある。
送信機をどうするか、というところで誘導コイル、あの理科の実験で出てくるやつ・・・手に入らない。当時は思いつかなかったけれど、その代わりは色々考えられる。静電気を起こして火花をちらしてもよかった。ライターの火花を飛ばすものは当時ほとんど無かった。カチカチってなるやつ。ジッジッじゃなくて。
当時よくいじったのは、拾ってきた掃除機から外したリレー。
手元でON/OFF操作できるようにする為に、ホースの中にコードを通してあり、掃除機本体側にリレーが内蔵されていて、それでモーターをON/OFFする。
そのリレーを取り出してきて、いじって遊んでいた。AC100V用なので電池では励磁しない。だけど、電池をつないだまま鉄片を指で押さえてやると微妙にひっつく。
コイルと接点を直列につないで、微妙に押さえると接点が細かくくっついたり離れたりしてジーッと火花が出る。これを送信機にしてみた。
テレビには盛大にノイズが入るし、ラジオもガリガリ鳴るし、とんでもなく迷惑なシロモノだった・・・。
あと、触り方によっては感電する(した)。コイルに流れる電流を切った瞬間に逆起電力が発生する。それが場合によっては100ボルトを超えることもある。
ところで掃除機から外した部品は他にもあり、フィルター、これは現在とは違って使い捨てではなかった時代のもの。黒い布製の袋だった。
よく見ると、漫画家(藤子F不二雄先生or手塚治虫先生)がかぶっているベレー帽に似ているような気がした(あくまでも個人的な感想)。
当時は漫画家にもなりたいと思っていたから、それを洗って乾かして、頭にかぶってみた。うちの母から、汚いヤメレって叱られながら。
そんなのかぶったって漫画家にはなれない。
タイタニックのSOS送信をしたのも、その送信機だったという。
高電圧を発生して、その火花を断続して電波として飛ばす。いま考えるとノイズばらまきだから現代では実用できないが、その簡単な仕組みを見て、再現してみたくなったわけ。その当時。
その元は「ヘルツの実験」
※参考
ttps://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h17/buturi/ji_herzt01.htm
誘導コイルで高電圧を発生、それを放電させて電波を飛ばす。
少し離れた所に置いた受信ループアンテナで、その両端を近づけておく電波受信時に火花が飛ぶ。
コヒーラーという検波器があって、ガラス管の両端に電極がつながり、中にアルミの粉が詰まっている。通常は導通しない。電波受信すると導通する。そのままだと次の受信ができないので、デコヒーラーといってコヒーラーを叩いて導通を解除させる仕組みがあった。
そのコヒーラーを自作するのがなかなかうまくできなくて、アルミの粉を集めるところで挫折したような記憶。
アルミ板をヤスリでゴリゴリやったけど、粉がなかなか集まらなくて面倒くさくなったのか。
今だったら、でんじろう先生の実験を見れば、ああすれば良かったのかと思うのだけど。アルミフォイルをちぎって丸めても良かったのかと。
針金を丸くして作ったループアンテナにイヤホンをつないで、ノイズを聞いてみたことはある。
送信機をどうするか、というところで誘導コイル、あの理科の実験で出てくるやつ・・・手に入らない。当時は思いつかなかったけれど、その代わりは色々考えられる。静電気を起こして火花をちらしてもよかった。ライターの火花を飛ばすものは当時ほとんど無かった。カチカチってなるやつ。ジッジッじゃなくて。
当時よくいじったのは、拾ってきた掃除機から外したリレー。
手元でON/OFF操作できるようにする為に、ホースの中にコードを通してあり、掃除機本体側にリレーが内蔵されていて、それでモーターをON/OFFする。
そのリレーを取り出してきて、いじって遊んでいた。AC100V用なので電池では励磁しない。だけど、電池をつないだまま鉄片を指で押さえてやると微妙にひっつく。
コイルと接点を直列につないで、微妙に押さえると接点が細かくくっついたり離れたりしてジーッと火花が出る。これを送信機にしてみた。
テレビには盛大にノイズが入るし、ラジオもガリガリ鳴るし、とんでもなく迷惑なシロモノだった・・・。
あと、触り方によっては感電する(した)。コイルに流れる電流を切った瞬間に逆起電力が発生する。それが場合によっては100ボルトを超えることもある。
ところで掃除機から外した部品は他にもあり、フィルター、これは現在とは違って使い捨てではなかった時代のもの。黒い布製の袋だった。
よく見ると、漫画家(藤子F不二雄先生or手塚治虫先生)がかぶっているベレー帽に似ているような気がした(あくまでも個人的な感想)。
当時は漫画家にもなりたいと思っていたから、それを洗って乾かして、頭にかぶってみた。うちの母から、汚いヤメレって叱られながら。
そんなのかぶったって漫画家にはなれない。
フォーンプラグのかしめ工具
2023.12.25
ステレオヘッドホン等に良く使われているプラグ、
もともとは(手動式の)電話交換機用だったという歴史がある。

ところで、これの作り方(ケーブルのつなぎ方)は自己流の方が多いような気がする。
一番端にケーブルを固定する部分があるけど、この「かしめ」なんかは、本当にみんな自由にやっているだろう。

1.全く何もしない人(論外)
2.ペンチで適当につぶす人(正式な工具ない)
3.そして・・・これは主にメーカーだが、正式な工具で「かしめ」
確かに、メーカー製品を開けてみると、きれいにかしめられている。だから正式な工具は有るはず・・・
その正式な工具は市販されているのだろうかと、ちょろっと検索してみたけれど、違うものばかり出てくる。果たして、それは存在するのか?
そんなに使う用事もないのでわざわざ買う必要もないが・・・今回10本ぐらい作ったら終わりなので・・・
もともとは(手動式の)電話交換機用だったという歴史がある。

ところで、これの作り方(ケーブルのつなぎ方)は自己流の方が多いような気がする。
一番端にケーブルを固定する部分があるけど、この「かしめ」なんかは、本当にみんな自由にやっているだろう。

1.全く何もしない人(論外)
2.ペンチで適当につぶす人(正式な工具ない)
3.そして・・・これは主にメーカーだが、正式な工具で「かしめ」
確かに、メーカー製品を開けてみると、きれいにかしめられている。だから正式な工具は有るはず・・・
その正式な工具は市販されているのだろうかと、ちょろっと検索してみたけれど、違うものばかり出てくる。果たして、それは存在するのか?
そんなに使う用事もないのでわざわざ買う必要もないが・・・今回10本ぐらい作ったら終わりなので・・・
たのしい実験と部品
2023.11.29
古本屋を探索しながら、タイトルを見て「もしや」と思い、注文して届いたのがコレ。

(個人名が書かれているので隠してあります)


やはり目当ての物だった。但し、年代はちょっと古め。
これはかなりのレア物。なかなか市場に出てこない。一般書店で売られていなかったので出回ってない。
昭和50年代ごろから「ラジオの製作」などの雑誌に、「JEC ジャパン・エレクトロニクス・サークル」の広告が載っていた。
切手を何百円分送れば、豪華カタログなどを送りますといったもので、会員証もあった。
「太陽電池プレゼント券」に釣られて申し込んだようなもの。
古い雑誌を見た為、同封する切手の金額が足りなくて、あとで追加を送るはめに。
(雑誌は毎号買えなかったので、とりあえず手元にある雑誌を見るしかなかった)
こんな広告だった。

(1977年の「子供の科学」より)
カタログと会報と製作記事を一緒くたにしたような小冊子だった。
当時は夢中になって何度も何度も読み返した。むさぼるように。
いまと違って情報源は限られていた。雑誌ぐらいしかなかったのである。テレビでは電子工作といったマイナーな趣味はめったに取り扱われなかった。(自分の年代では)
さて、この小冊子の年代はわからない。真空管の記事が多いので古そうだなという感じ。
発行年は書かれていないが、郵便料金からの推測では昭和40年代前半ではないだろうか。計算尺の広告があるので、カシオミニが出るよりも前だろうけれど。
当時は株式会社実務機器という社名だったようだ。
JECは、後のジャパン・エレクトロニクス・サークルではなく、この当時は「実務 エレクトロ クラブ」の略だった。
会社の所在地は書いてない。私書箱の宛先しか記載がない。おそらく郵便のやりとりが多かったので私書箱を契約していたのだろうと思う。あやしい会社ではないだろう。
子供の頃、通販に対して抱いていたのは「怪しい」ということ。お金を送って品物が来ない、なんてことにならないだろうな?と疑いながら現金書留などを送ったものだ。
当時は現代のようにせっかちでタイパでコスパな時代ではなく、のんびりしたもので、品物が届くまで1週間や2週間は普通だった。
毎日のようにポストをのぞいてみるが、なかなか届かず、忘れた頃に届いたりしてビックリするので、かえって楽しみだった。
当時の通販でだまされた事はない。近年になってだまされたけどね。ニセ通販サイトに。
ところで、「太陽電池プレゼント券」どうなったかというと・・・通販で部品を買う時に同封したけど結局、太陽電池はもらってない。
商品はちゃんと届いたけど。
確か航空無線コンバータだったか、50MHzのコンバータだったか、そんなのを買って組み立てたのだけど、
たぶんあれは、説明書の見た感じから、おそらくラジオの製作などの記事のピーコさんだな。
ちゃんと組み立てたけど、動かしてみてもなんだかパッとしなくて・・・いま考えてみれば不思議じゃない。放送と違って、航空無線とか無線交信は「常に電波が出てない」から、周波数とタイミングが合わないと受信できないんだな。だから雑音しか聴こえない。
当時は全然わかってなかった。知らなかった。これさえ買えば(組み立てれば)、簡単に聞けると期待してしまっていたわけ。
ところでJECのその後、ラジオの製作やラジオライフにも広告が出ていたけど、いつまで出ていたかは記憶にないけど、21世紀になるかならないかの時には無くなったんじゃなかったかな。よく覚えて無くてスマヌ。
なんだかなあ。でも、あの頃、忘れた頃にひょっこり小さな小包がポストに入っていたのを見つけた感じ、あの小さな箱が愛おしく感じられる。毎日、学校から帰るのが楽しみだった。

(個人名が書かれているので隠してあります)


やはり目当ての物だった。但し、年代はちょっと古め。
これはかなりのレア物。なかなか市場に出てこない。一般書店で売られていなかったので出回ってない。
昭和50年代ごろから「ラジオの製作」などの雑誌に、「JEC ジャパン・エレクトロニクス・サークル」の広告が載っていた。
切手を何百円分送れば、豪華カタログなどを送りますといったもので、会員証もあった。
「太陽電池プレゼント券」に釣られて申し込んだようなもの。
古い雑誌を見た為、同封する切手の金額が足りなくて、あとで追加を送るはめに。
(雑誌は毎号買えなかったので、とりあえず手元にある雑誌を見るしかなかった)
こんな広告だった。

(1977年の「子供の科学」より)
カタログと会報と製作記事を一緒くたにしたような小冊子だった。
当時は夢中になって何度も何度も読み返した。むさぼるように。
いまと違って情報源は限られていた。雑誌ぐらいしかなかったのである。テレビでは電子工作といったマイナーな趣味はめったに取り扱われなかった。(自分の年代では)
さて、この小冊子の年代はわからない。真空管の記事が多いので古そうだなという感じ。
発行年は書かれていないが、郵便料金からの推測では昭和40年代前半ではないだろうか。計算尺の広告があるので、カシオミニが出るよりも前だろうけれど。
当時は株式会社実務機器という社名だったようだ。
JECは、後のジャパン・エレクトロニクス・サークルではなく、この当時は「実務 エレクトロ クラブ」の略だった。
会社の所在地は書いてない。私書箱の宛先しか記載がない。おそらく郵便のやりとりが多かったので私書箱を契約していたのだろうと思う。あやしい会社ではないだろう。
子供の頃、通販に対して抱いていたのは「怪しい」ということ。お金を送って品物が来ない、なんてことにならないだろうな?と疑いながら現金書留などを送ったものだ。
当時は現代のようにせっかちでタイパでコスパな時代ではなく、のんびりしたもので、品物が届くまで1週間や2週間は普通だった。
毎日のようにポストをのぞいてみるが、なかなか届かず、忘れた頃に届いたりしてビックリするので、かえって楽しみだった。
当時の通販でだまされた事はない。近年になってだまされたけどね。ニセ通販サイトに。
ところで、「太陽電池プレゼント券」どうなったかというと・・・通販で部品を買う時に同封したけど結局、太陽電池はもらってない。
商品はちゃんと届いたけど。
確か航空無線コンバータだったか、50MHzのコンバータだったか、そんなのを買って組み立てたのだけど、
たぶんあれは、説明書の見た感じから、おそらくラジオの製作などの記事のピーコさんだな。
ちゃんと組み立てたけど、動かしてみてもなんだかパッとしなくて・・・いま考えてみれば不思議じゃない。放送と違って、航空無線とか無線交信は「常に電波が出てない」から、周波数とタイミングが合わないと受信できないんだな。だから雑音しか聴こえない。
当時は全然わかってなかった。知らなかった。これさえ買えば(組み立てれば)、簡単に聞けると期待してしまっていたわけ。
ところでJECのその後、ラジオの製作やラジオライフにも広告が出ていたけど、いつまで出ていたかは記憶にないけど、21世紀になるかならないかの時には無くなったんじゃなかったかな。よく覚えて無くてスマヌ。
なんだかなあ。でも、あの頃、忘れた頃にひょっこり小さな小包がポストに入っていたのを見つけた感じ、あの小さな箱が愛おしく感じられる。毎日、学校から帰るのが楽しみだった。
2023.12.28 06:56
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