プロッタプリンタ FS-P200
2026.02.11
1987年に買ったMSX用のプロッタプリンタFS-P200 (松下)
すでに手元にない。

あとで分かったのは、
オリジナルはエプソン、そしてカシオも同じ機種を売っていたことです。

インクカートリッジに「EPSON」という刻印があるのは当時でも気づいていて、
まさかそんな関係とは知らないから、何十年もたってから点と点がつながった。

なんといってもカラープリンタというのが素晴らしい。

用紙は114mm幅の普通紙ロール、
切らしてしまったら取り寄せになるので、ノートやチラシの紙をその幅に切って使っていた。

インクジェットではなくインクドット方式と書いてあり、1本のピンが出入りして紙にインクのドットを打っていく方式でした。それが各色ごとに有りました。

当時、印刷したものが古いノートに貼り付けてあったので、いくつか載せます。











画面コピーと称するカートリッジが付属していて、これを買う前に勘違いしており、ビデオキャプチャーだと思いこんでいました。
(ビデオから)アニメの画面をプリントして遊べるなと思ったら、あっ、なんだ違うのか。MSXの画面だけか。

この画面1枚だけでプリントに確か10分以上かかったような気がする。

スイッチ切換で、32KBの増設RAMとしても使えました。

プロッタのコマンドは忘れてしまいました。A500,-500というのは確か絶対座標じゃないかなと。
マイナスはロールの送り方向がYのマイナスじゃなかったかな。

CHR$(19)でプロッタモードになる。たぶん。同じく(17)でプリンタモード。
A500,-500は描画の基準点を指定したような気がする。そこを中心に描いていく。
最大の描画サイズを想定して、基準点を決めないとズレたり欠けてしまう。(ではなかったかな)

さすがプロッタで、線を描いていくときにはビュンビュン動いていました。得意分野でしょう。あの動きが面白いのです。音も、音階のように聞こえたりしました。

マニュアルを手元に残しておけば良かった!

後にプロッタは廃れてしまいました。レーザープリンタが普及したし・・・。
でもペンが動いて文字を描いたりする仕掛けを作った人がいて、かえって新鮮で面白く見えるんでしょうね。うけているようです。

測量事務所が火事になり、製図用の機械が水をかぶってしまって修理を頼まれた事がありました。
図面に文字を入れる装置で、キーボードから打ち込んだ通りにペンが動いて文字を描きます。
我々はCAD以前の世代で、製図用のきれいな手書き文字をサンザン練習させられたものでした。
「バリナキコト」とか、数字とか。
打ち込むだけで機械が書いてくれる。なんて素晴らしいんだ。
もちろん修理できました。
水をかぶってサビており、その部分が固着していて動かなくなっていたので、清掃したり注油したりして復活。


昔は図面を描くのもプロッタが主流だったように思います。学校の建築科でもX-Yプロッタが活躍していました。
就職してから、基板図面の印刷にやはり大型プロッタ。ペン描きなのでものすごく時間がかかりました。一生懸命動いているのはわかるけれど。
こっちは、早く図面をチェックして基板を発注しろって言われてる身でしたから。

後にインクジェットになり、ある一定幅を一気にプリントする仕組みになりました。確かに印刷されたものはプロッタのそれですが、時間は大幅に短縮されました。
MSXで円周率
2026.02.11
中学生の頃に興味があったのは円周率の計算

きっかけは、テレビのスペシャル番組か何かで、ピラミッドの秘密に迫る話。ピラミッドの寸法か何かで円周率が出てきた。
へえ、そんな秘密が隠されていたんだと強い印象があった。
たまたまその数字かもしれないけどな。懐疑的な意見もある。当時はそんなことは知らない。ただテレビだけが情報源だった。

そしてもうひとつ、
これもタイトルは覚えていないけど、あるドラマで「担任の先生は、円周率を小数点以下100桁まで求めさせるし」というセリフ
そこで生徒が電卓をいじっているシーンがチラッと映ったから、電卓で求められるもんだと思い込んだわけ。

なーんにも知らないから、
電卓を適当にいじりながら求めた式、191.63714/60.999997=で円周率が求まるという説を主張していた。(笑)
小数点以下7桁までしか合ってないし、単純に割り算では求められない事も知らなかった。

そこで、当時使っていた学習教材のなんでも質問箱に問い合わせてみた。当時は疑問が生じても調べる手段が限られていた。
あまり学校の勉強とは関係なかったが、ちゃんと回答をもらった。
円を多角形に分割していって円周の長さを求める。
当時はサッパリ分からなかった。
もっと直接的な答えがほしかった。アルゴリズムとか。
いまでは、多角形をどんどん細かくしていけば円に近づいて、その長さが求まるという理解はできるが・・・

円周率を求めるには、なんとかの公式といって何種類もあり、arctanだの、微積分のわからない記号がついているような式があった。これらもサッパリわからなかった。中学校では無理だろうけど、高校になってもついていけなかった。

結局プログラムにどんなふうに展開したら良いのかもわからず、サンプルプログラムを読んでみて考えたりしていた。

多くの桁を扱うには、配列を使うということをそこで初めて学んだ。たとえば2桁ずつに区切ってひとつの配列とする。2桁ごとに計算して、桁上りの処理をする。
つまり、RAM空き容量によって計算可能な桁は制限があり、MSXのしかもRAM16KBの機種ではせいぜい何桁だったか、その上さらに計算時間もかかった。BASICではなおさら。

ライプニッツの公式とやらが一番簡単そうで、とりあえずそれでプログラムを作って試したが、この公式は収束が非常に遅いので実用的ではない。一晩放っておいて、そこで止めてしまった。

数学どころか算数もサッパリわからないけど、興味だけは有って、どうしようもない気持ちだった。

高校生になると図書館に学校帰りに寄れるようになった。いままでは本屋も無い町に住んでいて、情報に飢えていた。
学校の図書室、市の図書館、そして古本屋もある。なんて素晴らしい知の宝庫だ。

高校の汎用機(メインフレーム)に円周率の計算プログラムを入れて走らせてみたが、新しい機種のくせに時間がかかった。そもそもコンパイルからして遅い。計算途中の進行状況を表示するように作らなかったので、どこまで進んでいるのかわからない。無限ループかもしれない。結果がどうだったかは覚えてない。

ただ、割り算を小数点以下無限に計算して印刷するプログラムを試していたら、プリンタ用紙を数十枚使ってしまい、管理している先生に怒られた記憶はある。
当時の定番は1÷59999=だった。

MSXでの円周率計算は、雑誌に載っていたプログラムを打ち込んで試したところで興味が終わったような気がする。寝る前にスタートしておいて、朝起きたら結果が出ているかなという感じ。
通信への興味
2026.02.11
今のインターネットやその前のパソコン通信につながる、始まりの話

まず電話に興味を持ったんだな・・・
祖母の店の、子どもには手の届かない場所にあった、あの手回しの磁石式電話機
棚の上にあってよく見えない。
のぼって見ようとして、適当に段ボールを積んで乗ってみたら崩れて頭を打ったり。
当時は店のお客さんにも使ってもらっていたのではないかと思う。
まだ電話のない家が多かった、あの時代

とにかくダメだって、子どもには触らせないって。
禁止されると気になる。余計に興味が出てくる。見たくてたまらない。

すぐ近所の駅の自転車置き場の鉄骨の上に、枯れ草の詰まったような所があり、
鳥が巣を作っていたみたい。
それを間近で見たくて、肩車して肩車してくれって一生懸命頼んだような気がする。
とにかく、背が低かったから見たいものが自由に見られない。

肩車されて、「東京が見える」って大人に言われたのだけど、そんなの見えるわけないだろって。大人はうそばっかり言う。

親父が職場で不要になった電話機をもらってきて、それは4号A形のわかくさ色(沖電気)。
今ではレア物。当時は全くそんなことは知らない。3台あった。
内線用で使い古されて薄汚れたもの。
うち1台は線が根本で切られていた。

この2台に電池をつないで、通話できないかと試行錯誤した。並列じゃだめなんだな。直列にしたらうまくいった。
それから、線をのばしていって相手が見えないぐらいの距離にしたり、家の裏側に回ってみたりしてモシモシ話すのが楽しかった。

しかしベルが鳴らない。鳴らす仕掛けがない。ベルを鳴らしたい。
それだけが不満でずっと何十年も、オッサンになるまでその思いを抱えていた。(笑)

それだったら、磁石式電話機を2台つなげばハンドルを回して相手のベルが鳴らせる。5歳のときにそれが撤去されるタイミングで電話工事のおじさんに頂戴と言えば良かったのだろう。

その時に思いつかないし、確か保育園に行っている間に電話が入れ替えられていた。うちのばあちゃんが気を利かせて、孫がほしいって言ってるからってもらってくれればよかったんだろうけど、後の祭り。
わりと近年になって、地元の当時を知る方に聞くと、自分の店で使っていた当時の磁石式電話機をそのまま持っていた。工事の人に言ってもらったんだって。それで、もらえばよかったのかと気づいた次第。遅い。

建前上は、貸与品だったと思う。それはダイヤル黒電話も同じ。買取もできた。

親戚の家には携帯式の磁石式電話機がインターホン代わりに置いてあり、それを見たら欲しくなってきた。残念ながらもう無いって。トホホ。
いいなあ、ほしいなあ、不満は溜まっていくばかり。お金は溜まらない。

テレビのロンパールームの電話ごっこにも執着し、あの電話が欲しくてたまらない。そんなモヤモヤした幼少時代を送ったのでありました。(笑)
電話のベルを鳴らす仕掛け。そればっかり考えていました。でもヒントも何もない。専門書もないし、周囲の大人はそんなこと知らない。井の中の蛙。

中学生になりMSXを購入。(HB-101)

ちょうど近所にもMSX(HB-55)を持っている奴がいて、そいつの家と線をつないでカセットの信号をお互いに送りあったりできないかという妄想がありました。
インターホンの連絡線を兼ねて、おーい今から送るよ、いいよ、とか言って片方はCSAVEでもう片方はCLOAD

そんな回りくどい事しなくても、カセットを持っていけばいいだろって?
通信で送るから楽しいんだろうと思います。

ド田舎だったし、勝手に線を引っ張り回してもたぶん何も言われなかったでしょう。

結局それだけの長い線を買うお金も無く、相手の家(社宅)に勝手に穴をあけるわけにもいかず、頓挫してしまいました。

できたのは、FM送信機で近所の(別の)友人宅まで電波を送れたことぐらい。

カセットの信号をFMトランスミッタで送信して、それをラジカセで受信してカセットに録音するか、直接MSXに入れたらCLOADできるんだろうかって、当時試したかどうか記憶は定かではない。
たぶんうまくいかなかっただろう。

そもそも拾ってきた(ゴミ処理場のおじさんからもらった)古いラジカセしか持っておらず、そんな機材ではまともに使えなかっただろうな。

中学校の後輩と、MSXのカセットテープのソフトをダビングしたら使える・使えないという議論をしていました。彼が言うにはダビングしても動くというのです。私は実際にダビングしたがエラーが出てだめだったと実体験を言って反論しました。
これは私の機材がボロだから、速度などに問題があってエラーになっていただけでした。そんなの最初はわかりません。

インターホンは自作して、家の1Fと2Fに設置して夕食の呼び出し等ができるようにしました。
でも、電話とはちょっと違うな、というところで不満は残っていました。

当時の電電公社のちらしに載っていた親子電話に興味があり、これを設置してくれと親に頼んだりしたものでした。何するのそんなもの、いらんでしょ、お金かかるでしょ。だめって。
それはブザーで相手を呼び出す簡易的な物だったようです。

じつは同級生の家は製材所をやっていて、彼はそこのおぼっちゃん。家にはそんな親子電話どころか事務所の電話があった。見せてよって言ったけど親が厳しくて入れてもらえず。
それと同級生の親が獣医の家があって、そこにもホームテレホン。いいなあ、うちも欲しいなあ、と。

電話回線を自由にできるようになったのは大人になってから。

最初は実家の電話回線を使ってパソコン通信を始めたけど、チャット等に夢中になりすぎ、遠距離通話で電話代4万円以上となって大目玉。

自分で専用回線を引こう。そしてパソコン通信ホストを運営しようというわけで自分用の回線を引いた。
自分のネットの人気が出てきて話し中が多くなり、回線増やせのプレッシャー
もう1回線増やしたりISDNにして、最終的には外線3回線

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