ハンダごての温度管理とカギ
2024.11.14
これは私が使っているハンダごてのひとつだが、ご覧の通り、カギのようなものが付いている。



温度設定を調節するには、このカギがささっていなければならない。工場だと管理されているので、カギは抜いてどこかに保管されている。勝手にいじれないようになっている。

昔、ある時にどうしても温度を上げる必要があった。

カギはどこかで見覚えがあり、心当たりを探してみたら有った。しかし、その場から持ち去るわけにはいかない。

ゴミ箱から拾った空箱の厚紙を破って、鉛筆で型取りをした。その通りに切り抜いて差し込んでみたらバッチリ。

そんな大げさなものではなく、単純なフォトインタラプタになってるだけ。本体を分解して光センサをふさぐとか、他にもやりようは色々ある。オリジナルのカギの形になってなくても大丈夫だったかも。
ナマイキだ
2024.11.14
新人だった頃の記憶も薄れているが、つまらない事ばかり覚えていて・・・

自分:「設計できました」

先輩:「回路図を見せてみろ」

 「ナマイキだ」

 「74LS541や688なんか使いやがって、244を使うか、245を片方向で使え。688は、138で工夫しろ、85でも並べろ」

 「なんだこのGALの使い方は、TTLいっこでできるだろ。使ってみたかっただけなのか」(ハイそうです)

自分:「何がナマイキなのかよくわかりません。便利なICを使って何が悪いんですか。688にしておけば柔軟に設定できるじゃないですか」

(これを口に出して言い返してしまうのが当時の自分のだめなところ・・・笑)

(ずいぶん経過した後だったが、自分なりに学習して)言い返すからいつまでも怒鳴られるんだと気づいて、言われても黙って無視するか、最低限の返事しかしないようにした。
そうすると相手も手応えがないのか、おい、なんとか言ってみろよと言われた。

245を片方向で使ったら、ファンインが1増えるじゃないですかとか、生半可な知識で言い返すわけよ。

先輩方の時代には541は一般的じゃなかったのかもしれない。定番としては片方向なら244(ピンの割り付けが気に入らん)、双方向なら245

そしてもうひとつ、
最初の頃、「わからなかったら聞けよ」と言ったくせに、
聞きに行ったら「聞くな、考えろ」
(結局どっちだよ? 言う通りにしないと怒るくせに、だから聞いている)

当時の上司はオタクで、何か聞きに行くと5分で話は終わらなかったが、話が終わってみると、「結局、何だった?」というオチ。何も残らない。

そのほか、
「技術は見て盗め」という人もいたし、

結局、何なのかよくわからないままモヤモヤしていたのでありました。

5年経っても自分で全て仕事ができるようにならず(自信がもてなかった)やめてしまいました。
やはり上司や先輩方がいるとどうしても頼ってしまい、なかなか独り立ちできなかったのでした。

ところが、転職先でシャチョーから「お前に全部任せるからな」と言われ、ひとりでモーレツに奮闘しているうちに、自信がついて経験値も急上昇したのでありました。
PC98のボード製作
2024.11.14
いわゆるCバス、後ろの拡張スロットに差し込むボードを作った時の思い出

30年以上前か、
最初はわからないから、製作記事に書いてある通りに作ったが・・・

先に言うと、記事の内容は鵜呑みにしてはいけない。これは鉄則。たいてい間違っているか、何かの問題を抱えている。次の号に訂正が載ったりする。

GALライタ用の8255ボードも、あとで見返してみるとアドレスデコードが手抜きだった。それで確かFM音源と干渉していた。
当時使っていたPC-9801UV11はFM音源内蔵だったもんな。そして記事の筆者はおそらくFM音源無しの機種だったんだろう。

前にも書いたけど、PC98で使えるI/Oポートは限られているので、他との干渉を常に考えなければならない。ハードウェアリソースの管理は自分自身で行う必要があった。これは当たり前だった。

プラグアンドプレイなんてのが出てくるずっと前のこと。

いわゆるAT互換機とかDOS/Vといっていた米国パソコンでも、ISAバスの頃はアドレスだのIRQだのを自分で管理していたのである。
COMポートとかパラレルポートのアドレス、いまでもなんとなく覚えている。もう意識しなくて良い時代だけど。

ボード上のジャンパーピンを差し替えたりしてだな・・・特にIRQが不足した経験があり、パソコン通信のホストを運営していた頃で、COMポートがたくさん欲しかった。
ホストだからパラレルポートは使わない。それ用のIRQを流用しよう。
ところがボード上のジャンパーポストにはその設定がない。他のIRQは有るのに。
そしてボードに金端子は有るけど配線されてない。よし、慎重に(マスキングして、金メッキにハンダが流れないように)細い線をつないで、これでIRQ増設できたぞ、そんな感じ。

記憶がハッキリしないけど、金端子がなかったので銅箔テープを切って貼り付けて、こんなので接触は大丈夫かと思いながら試したような気もする。
抜き差しで剥がれないように、よくこすりつけて貼り付けたのは覚えている。これはこの時だったのか、別の試作の時と記憶が重なっているのか、わからない。

当時の勤務先で、誰かが「金端子1個あたりのコスト」を言い出して、それじゃ空きピンは削除しないといけないね、という事になったが、あとで欲しくなった時に困るのに気づいて、あれこれ考えず全部の端子を出しておこうという流れになったのは覚えている。

目先のコストだけ考えるとこうなる。1個あたりのコストなんて当時でも駄菓子が買えないぐらいだったか。5円チョコよりは高くて10円ガムより安い程度。

さらに、あとで追加配線しやすいように金端子のそばにスルーホールを全ピンに対して配置するようになった。(スペースの許す限り)

数十年ぶりにCバスのことを考えていて、当時のことをスッカリ忘れたなあと思った。

当時は主に仕事で色んな物を作ったはずだが、あの勢いはどこへやら。若かったせいか。
今では、どんな回路だったっけ?という感じ。やってないと忘れるもんだな。運転も忘れかけている。(ペーパードライバー5年目)

何を作ったっけ。

通信関係のボードを自作した。詳細は忘れた。用途は検査治具といって、製品を検査ラインで検査するときに、その基板とつないでテストする。
たとえば通信を試すのに、相手がいないとできないでしょう。その相手側を作ったようなもの。
RS422だったか485だったか、その時に初めて使ったっけ。シールドのツイストペア線を長く引き回したりして。

そして画像検査のボード。これは当時のFPGA(XILINX)を2段重ねにした。集積度が低い頃だから、1個じゃ足りなくて。
とある食品の破れ、穴開き、異物を検査する目的に使う。破れとか聞いた時点でアレだなと気づくだろう。
開発段階では、この手作りボードをPC98に差し込んで、PC98上のプログラムでテストした。製品の基板はPC98を組み込むわけにはいかず、超高速のマイコンをベースにした回路になった。

メカが絡んだ開発は、この時が自分は初めてだったような。メカの筐体とPC98の両方になんとなく手を置いたら微妙にビリビリしびれた。電位差があったんだな。そして、この電位差でカメラを壊してしまい、CCDを取り寄せて自分で直した。当時はカメラも手作りしていた。

ちなみにPC98と書くが面倒なので略しているだけ。NECの製品ラインナップの中でPC98という型番は中途半端で互換性がない機種が多い。私も持っていたPC-98LTとか。

他にも何か作ったっけ。確か、急ぎで試作するものがあって自分が個人で持っていたサンハヤトのCバス用ユニバーサル基板を会社に提供した事があったような。(あとで買ってもらった)

もう忘れたなあ。

当時はVMEという産業用のバスが標準的で、CPUボード、メモリボード、I/Oボードなど取り揃えていた。486を搭載したPCをVMEダブルハイトに詰め込み、売っていた時代だった。
ビデオチップはET4000だった。MS-DOSか、Windows3.1を動かしていた。

VMEのユニバーサル基板も当時サンハヤトから売られていて、確かDIN1??Eだったっけ。ダブルハイトサイズ。検査治具を作るのに使った。当時、配線は下手だった。でも自分のやり方を信じていて考えを曲げなかった。ああしろ、こうしろと周囲に言われたけど。

そしてマルチバス。これは8086系のバスという認識。やはり産業用で、スリーダイヤさん向けの半導体ごにょごにょの関係で使う事が多かった。私もいくつか設計した。いまも有るのだろうか? そういえば初めての仕事はマルチバスの基板をワイヤーラッピングで手作りしたのだった。ボンダーの制御基板だったっけ。山一のラッピングソケット。そしてサンハヤトの変換基板。
ピンを抜こうとして格闘していたら指にさしてケガした事ぐらいしか覚えてない。
そして定時になり、また明日続きをするつもりでそのまま置いて(電線の切り屑などを散らかしたまま)帰ろうとしたら、ぶちょーが「お前、片付けてから帰れよな」
そこで「明日続きをしますんで」と言い訳した自分、当然怒られた。いまではわかるけど、当時は何もわかってなかった頃。
なんか、こんな事ぐらいしか覚えてない。
PC98とGALライタの話
2024.11.13
'90年代初め頃、PALやGALなどのPLDが普及してきて(少なくとも仕事では使っていた)、将来TTLなどのロジックICは無くなるだろうと言われていた。

MMI社(当時)のデータブックを見ると、PALがTTLをやっつけている漫画が載っていたっけ。

30年以上経過したが、TTLは無くなってないけどな。品種は減ったり値段は上がったけれど。保守用としても無くなっては困る。

ロジックは集積できても、バッファ等はどうしても必要な場合が多い。

TTLより先にPALやGALが滅びてしまったようである。GALは、本家のLatticeはとっくの昔にやめたけど、ATMELは今でも製造中。かつては、AMI社、AMD社、TI社なども類似品を作っていた。

さて、その'90年代初め頃にアマチュアがGALを使おうとしたら、手頃な値段の書込機は無かった。それでなかなかアマチュアには手が出なかったのである。
書込機はメーカーが認定した物でないと公式には使えず、どうしても高価になっていた。何十万とか何百万。

そこで自作したいとなるわけだが、書込仕様は公開されてない。契約した書込機のメーカーにしか開示されていなかった。
じつは自分の当時の勤務先はそのメーカーのひとつだったのだが、棚にはファイルがたくさん並んでいて、書込方式がよく変わるだの何だのという話を担当者から聞いた事がある程度。
何か安定しない要素があるのか、改良しながらやっているのか知らないが、そんな状態だから下手に公開してしまうと、バージョン違いなどで問題が起きる可能性があったのだろう。
いまのようにネットで即時に情報が更新されるような時代ではなかった。

それでも一部の有志がチャレンジしていて、トラ技にはPALの書込機の製作記事が載った。その後、GALの書込機の製作記事とGAL用アセンブラの頒布があった。そのソフトは有償で配布されたので購入した。送金したら、フロッピーが送られてきたのである。

ソフトは準備できたが、GALライタは自作するしかない。

そこでPC-9801に8255ボードを作る必要が生じた。8255ボードからフラットケーブルを通して、GALライタの基板につながる。

実際に8255ボードと、GALライタの基板を自分で組み立ててみたが、なかなか正常に動かずに苦労した。何が悪かったのか覚えていないけど、結局使えるようにはならなかったと思う。

I/Oのアドレスも確かFM音源か何かと干渉していたんじゃなかったか。音が鳴らなくなっておかしいなあと、自作ボードを抜いたら鳴るようになった記憶。アドレスを変えて、プログラムのほうも当然変更して・・・今のような便利なPnP以前の世界だった。

そもそもPC-9801で自由に使えるI/Oアドレスは限られていた。色々工夫しながら使っていたのである。

その後もPICマイコンの初め頃に書き込み機を作ったがうまくいかなかったりして苦労しており、書き込み機なんか自作しないで既製品を買ってしまえというのが持論。そんな物に時間を使うなという意味で。
パラレルポートなんかその後PCから無くなったし。(有れば有ったで便利だったのになあ)

結局GALライタがうまく動くようになったのは、再度作り直した後か、あるいは記憶の確かなところでは「えるむ」のChaNさん作のライターを組み立てたら成功したのは覚えている。PC98につないで使った。確かプリンタポート用だったと思う。

これのおかげで「キーボード切替器」を作る事ができた。

PC98用の8255ボードは、他にもROMライターを作る為にも使おうとして当時実験をしていた。
しかしなかなかうまくいかず苦しんでいた。

結局、フラットケーブルがクセモノだ。
クロストークなど不安定となる要素が多い。たとえばアドレスのビット変化が多いタイミング(00FFhから0100hへの変化時など)でノイズが増加しておかしくなってしまう。

ケーブルが長いのも問題だから、最低限に切り詰めた。それでも改善しない。

さらに、50芯のうち半分をGNDにした。1本おきにGNDになるように、偶数だったか奇数だったか忘れたけどその列のピンを全部GNDにした。これである程度のシールドとGNDの強化にはなったのだが、まだ不安定で、最終的にはバッファを入れて解決したような気がする。

フラットケーブルをツイスト線に変えたような記憶も有る。だけど拾ってきたツイスト線のフラットケーブルは40芯しかなかった。そこでまた改造をしたかもしれないけど覚えてない。

信号の動作をゆっくりにするのも解決策のひとつ。だけど実用性は無い。

そもそもROMライタを作ろうというのが間違いで、前に書いたように完成品を買ったほうが早い。それを自作する時間をとられるな。

PC98の前にMSXでROMライタを自作して完成していた。在学中に自動車学校を挫折してしまい、就職してから通っていた自動車学校の待ち時間に、趣味の設計など好き勝手に過ごしていた。その中で設計を進めたのがそれ。

本当に原始的なやり方で、2764の1バイトごとに50mSのパルスをかけて書き込むというやつ。それしか知らなかった。1個(8KB)書くのに6分ぐらいかかったか。終わったときには2764が熱くなっていた。

会社でROMライタの経験者である先輩に色々と教わった。1msのパルスをかけるやり方とか。書き込めたように見えても放置しておくと消えてしまった事があるとか。逆差しやズレ差しはどうやって検知するか、などなど。

まあ、いずれにしても今では思い出の中だ。

今でこそGALでも何でも書き込める装置を持っているけど、あの頃は本当に不便だった。何もできなかった。

そういえば当時CPLDやFPGAは、ほぼアマチュア向けではなかった。開発用のソフトだって相当高価なもの。入門書を買って読むのが精一杯。その入門書の企画でALTERAのサンプルCPLDをもらえるというのがあって、何やかんやで3個もらったが、コンパイラも書き込み器も持ってないのに無用の長物だった。

最初はXILINXから使い始めたっけ。今のような集積度はなかった。色々と制約もあった。コンフィグROMは高価なのにワンタイムでもったいないから、EPROMが使えるエミュレータも自作した。
カメラにも老眼
2024.11.13
税金の支払いは、以前だとコンビニに納付書を持っていって現金で払っていたが、数年前からその必要はなくなった。

自宅にいながらにして、PCやスマホから手続きできるようになった。

あのややこしい番号を手入力しなくても、バーコードをカメラで読み取れば瞬間的に、かつ簡単にできる。

意外とPCのカメラでやった事なかった。貴重な機会なので試してみた、という話です。



ありゃ、ボケボケだ。接写用じゃないんだな。

そこで、ルーペを使ってみたらと思いつき、



ルーペとカメラの距離を調整してみたら、きれいに写ってその瞬間読み取り成功!

まあ、このカメラは老眼みたいなものだね。

(この2次元バーコードは実際の納付用とは違います。例として、支障のないものを掲載しました)

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