JR-200
2024.10.11
JR-200、これはナショナル(現パナソニック)の製品だった。

私が生まれて初めて触ったPC

当時、サンアイ(現存せず)というディスカウント店があり、ここは色んな物が安価で売られていた。今でいうところのドンキホーテみたいな店の先駆け?

その店に置いてあったのがJR-200

おそるおそるキー入力してみた。もちろん、1文字ずつに時間がかかった。

自分の名前を入れようと思いながら、なかなか文字が見つからず、あきらめて「マントヒヒ」などと打ってみた。

いま思えば、あんなBASIC画面で何ができるかって思う人も多かっただろうな。同級生の親がそんな感じで、8万いくらもしたのに(PC-6001mkII)箱は破れてるし、何もできないし、って文句言っていた。

そんな中に楽しみを見出していけるかどうかが分かれ目だったのかもしれん。

結局、JR-200に触ったのは記憶の限りではそのときが最初で最後。

JR-100は本で存在は知っていたが、結局、実物に触れる機会もなかった。
PC-98LT
2024.10.11
PC-98LTは、知ってる人だと「ああー、あれね」

一言で言えば中途半端なPCだった。
他のPC98との互換性がない部分がある。特に画面まわり。

液晶画面はバックライトなかったけど見やすかったけどね。

確かトラ技の広告を見て、ジャンク屋で\6,000だったか\8,000だったかで売られていたのでついつい買ってしまった。

他のPC98と互換性のないPC98LTだったが、WTERMのLT版もあるのでパソコン通信に使えた。

モデムも内蔵されていた。
モデムといってもV.25bisという特殊なやつだったけど、やはりWTERMが対応していたので助かった。
但し通信速度は1200bpsでトロトロだった。

MS-DOSはROMで内蔵されており、FDDは1基だったが、ちょっとした作業には十分使えた。

テキストエディタは京都コンピュータ学院のフリーソフトのSE3を使っていた。LT版があって助かった。

あとはアセンブラとかCコンパイラはDOS汎用なので使えたし、

文章を打ったり、プログラムのソースを打ち込んだりと、便利に持ち運んで使っていた。

得意になって持ち歩いていたよなあ。

最初からFDDの調子が悪いときがあり、おかしい時はバンバン叩いてやると正常にアクセスできた。
PC-9801UV11
2024.10.11
PC-9801UV11は初めて自分が所有したPC98だった。

'90年代前半のこと。
小学校からの付き合いの後輩が、本体とモニタ付きでいりませんかというので、彼の社員寮までお金を持って受け取りに行った。

これでCバスの拡張ボードを自作してROMライタを作ろうとしたり、パソコン通信の初めの頃にはホスト用にも使っていた。

HDDは最初の頃、持っていなかった。あとでロジテックの240MBのやつを買った。

職場でUVとか言うとバカにされた。それV30で遅いだろとか、PC98でUのつく機種は問題が多いんだよなとか、うるさい連中だった。最初から話さなければよかった。(面倒なマニアが多かった)

さすがに遅いのは自分でもわかっていた。DOSでDIRを打って、ディレクトリが表示されてプロンプトが出るまでちょっとタイムラグがあった。

最初これで自分の草の根ネットのホストを運営していたが、会員から、とくにうるさい会員たちから「遅い」、「文字化けする」といった苦情が何度も来て、

ある日突然、その会員が来て「今から博多へ行く」といって拉致され、博多でPC-486SE2を買って帰ってきたのであった。思わぬ出費だった。

帰宅してからホストを入れ替えると、うるさい会員連中は一応の満足をしたようだが、まもなく・・・ODPを入れようとか、モデムを速いやつに変えろだの、HDD容量を増やせ、回線を増やせだの色々、あのねー、誰がお金を払うと思ってるの。

深夜早朝問わずSYSOP呼び出しで遠慮なくピッピッピと呼び出して起こされるし、もう、めちゃくちゃ。

なんか、そんな思い出のある機種でした。

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