風呂ブザーは必要か
2024.10.14
昔から有る電子工作のネタ「風呂ブザー」
むかし市販品も見たことがあるけど近頃は見かけない。
ある水位に達したらブザーが鳴って知らせる。
他、設定温度からオーバーしたら音で知らせる物もあるが、今回は前者の話。
水位の検知方法は、電極を吊り下げて、希望する水位のところへ合わせておく。
金属棒を2本並べたものか、あるいは、フロートで磁石が動いて、防水ケース内部のリードスイッチを作動させる方式もある。
前者は手軽に作れるけど、金属棒の腐食が課題だった。理想的には後者のほうがよい。
私が自作したときは、電源の差込プラグをそのまま利用した。
風呂に差込プラグがぶら下がっているというのは、見た目では怖い感じもするが、自分としては当時グッドアイデアだと思っていた。
ところが実際に試してみると、一旦電極が濡れた後、きれいに水を拭き取らないといつまでも鳴り止まなくて困った。
2つの電極の間が濡れていると、そこで通電してしまうから。
基板を水濡れから守る為、電源スイッチを省略して密閉したのに、これじゃいつまでもピーピー鳴ってうるさい。
こうして、失敗に終わったのを覚えている。
かすかな記憶では、風呂の出入口の上の壁に(本体、基板を)取り付けてしばらく使っていたけど、戸を開けると湯気をかぶる為、基板の腐食が進んで駄目になったような気もする。
そもそも、風呂ブザーなんて必要か?という疑問は、当時考えなかった。
これを作ったら便利になって感謝されるものとしか思わなかった。
当時でも、お湯をはるのにだいたい何分ぐらいってのは(季節差は有るけど)毎日やっていれば覚えてしまうもので、他のことをやっていても、そろそろだなって気づいたりする。(たまに忘れるけどな)
以前使っていた風呂はガス給湯器で、お湯の蛇口と水の蛇口を適当に加減して温度調整し、水位は自分でキッチンタイマーをかけて管理していた。
前に書いたように、毎日やっていると身体で時間を覚えてしまい、そろそろだと気づく。
いま使っている風呂は、やはりガス給湯器で、温度設定と水位も設定できるが、蛇口を締めるのは自分でしなければならない。
設定した水位になるとピピピと鳴って知らせてくれるから、風呂へ行って蛇口を締める。
もっと上等な風呂だと、温度と水位を設定しておき、スタートを押せば後は勝手に給湯して自動的に止まってくれるんだろうけどな。今は、こういうのが普通なのかな。
音で知らせる物だって、ドアを締め切っていたり、動画を見ていたりすると音に気づかなかったり気づきにくい事がある。
うっかりしてあふれさせた事もあったし、そもそも給湯ONにしておらず、湯でなく水で満たされていたという失敗も。
色々あるけど、考えてみると風呂ブザーなんか無くても何とかなるよな、と。
子どもの頃は、何でも試してみたかったし、作ってみたかったから作っただけで、加えて便利になるから感謝されるものとしか思わなかったが・・・
まあ、無くても困らないな。
なんでも便利になりすぎてないか。
若干の不便があっても、ちょっとした心がけや工夫で対応するぐらいがちょうどいい。
炊飯器だって、以前使っていた機種は「何時間後」というアバウトなタイマーだったが、実際それで十分だった。
いま使っているのは「何時何分」という設定だけど、そこまで細かくする必要があるか、と思う。
100%を目指しすぎていないか。
80%ぐらいの完成度でも、あとは工夫したりする余地を残すほうが良いのかもしれない。ああしてみたら、こうしてみたら、ってのが出てくる。
むかし市販品も見たことがあるけど近頃は見かけない。
ある水位に達したらブザーが鳴って知らせる。
他、設定温度からオーバーしたら音で知らせる物もあるが、今回は前者の話。
水位の検知方法は、電極を吊り下げて、希望する水位のところへ合わせておく。
金属棒を2本並べたものか、あるいは、フロートで磁石が動いて、防水ケース内部のリードスイッチを作動させる方式もある。
前者は手軽に作れるけど、金属棒の腐食が課題だった。理想的には後者のほうがよい。
私が自作したときは、電源の差込プラグをそのまま利用した。
風呂に差込プラグがぶら下がっているというのは、見た目では怖い感じもするが、自分としては当時グッドアイデアだと思っていた。
ところが実際に試してみると、一旦電極が濡れた後、きれいに水を拭き取らないといつまでも鳴り止まなくて困った。
2つの電極の間が濡れていると、そこで通電してしまうから。
基板を水濡れから守る為、電源スイッチを省略して密閉したのに、これじゃいつまでもピーピー鳴ってうるさい。
こうして、失敗に終わったのを覚えている。
かすかな記憶では、風呂の出入口の上の壁に(本体、基板を)取り付けてしばらく使っていたけど、戸を開けると湯気をかぶる為、基板の腐食が進んで駄目になったような気もする。
そもそも、風呂ブザーなんて必要か?という疑問は、当時考えなかった。
これを作ったら便利になって感謝されるものとしか思わなかった。
当時でも、お湯をはるのにだいたい何分ぐらいってのは(季節差は有るけど)毎日やっていれば覚えてしまうもので、他のことをやっていても、そろそろだなって気づいたりする。(たまに忘れるけどな)
以前使っていた風呂はガス給湯器で、お湯の蛇口と水の蛇口を適当に加減して温度調整し、水位は自分でキッチンタイマーをかけて管理していた。
前に書いたように、毎日やっていると身体で時間を覚えてしまい、そろそろだと気づく。
いま使っている風呂は、やはりガス給湯器で、温度設定と水位も設定できるが、蛇口を締めるのは自分でしなければならない。
設定した水位になるとピピピと鳴って知らせてくれるから、風呂へ行って蛇口を締める。
もっと上等な風呂だと、温度と水位を設定しておき、スタートを押せば後は勝手に給湯して自動的に止まってくれるんだろうけどな。今は、こういうのが普通なのかな。
音で知らせる物だって、ドアを締め切っていたり、動画を見ていたりすると音に気づかなかったり気づきにくい事がある。
うっかりしてあふれさせた事もあったし、そもそも給湯ONにしておらず、湯でなく水で満たされていたという失敗も。
色々あるけど、考えてみると風呂ブザーなんか無くても何とかなるよな、と。
子どもの頃は、何でも試してみたかったし、作ってみたかったから作っただけで、加えて便利になるから感謝されるものとしか思わなかったが・・・
まあ、無くても困らないな。
なんでも便利になりすぎてないか。
若干の不便があっても、ちょっとした心がけや工夫で対応するぐらいがちょうどいい。
炊飯器だって、以前使っていた機種は「何時間後」というアバウトなタイマーだったが、実際それで十分だった。
いま使っているのは「何時何分」という設定だけど、そこまで細かくする必要があるか、と思う。
100%を目指しすぎていないか。
80%ぐらいの完成度でも、あとは工夫したりする余地を残すほうが良いのかもしれない。ああしてみたら、こうしてみたら、ってのが出てくる。
疲れる夢
2024.10.13
昨夜の夢は、
なぜかプーチンとその取り巻きから銃を向けられて、追われるところから始まった。
(寝る前にウクライナ戦争の解説動画を見たせいだな)
命からがら逃げ出して、鉄道に乗って移動したような記憶だが、
夜になって腹が減ってきて、地元で(自分の出身地の近く)行きつけ?のそば屋に行きたくなったが、
その道中、街灯がなくて真っ暗な中を歩いていった。記憶だけが頼りだ。
明るい場所が見えてきた。
なぜかパチンコ屋があり、(実際、昔はそのそば屋の隣にパチンコ屋が有った。ネオンのパの字が消えていたのでよく覚えている)
パチンコ屋の中に、そのそば屋があるという奇妙な店で、店員が真面目に働かないし、こんな店で大丈夫かと思いながら注文
とりあえず食事は出来たが、
そのあとはどういうわけかジャンク屋の祭りなのか、そこらへん一帯にガラクタの出店が並んでいるような場所へ。
(これは修理屋の今井さんの動画を見たせいだな)
(夢の中で大量にお宝ゲットして満足したら目が覚めて、何も残っていない現実でガッカリするよな)
そのあとは良く覚えていないが、すぐメモすれば良いのにと思いながらなかなかできない。
とにかく、あちこち歩き回って色んな体験をするという、疲れる夢だったというのが全体的な感想。
Youtubeで見た内容が直接あるいはアレンジして夢の中に反映されるようなので、もうちょっとそのあたりを意識して視聴するようにするか。
あと、夢は白黒だという人がいるけど、自分は基本的にカラー。ただ、少々薄暗い感じはする。昭和のあの頃を思い出しているのかもしれない。
昔のアルバムを見たら白黒写真ばっかりだから、自分が生まれる前までの世界は白黒だったと思い込んでいた。
なぜかプーチンとその取り巻きから銃を向けられて、追われるところから始まった。
(寝る前にウクライナ戦争の解説動画を見たせいだな)
命からがら逃げ出して、鉄道に乗って移動したような記憶だが、
夜になって腹が減ってきて、地元で(自分の出身地の近く)行きつけ?のそば屋に行きたくなったが、
その道中、街灯がなくて真っ暗な中を歩いていった。記憶だけが頼りだ。
明るい場所が見えてきた。
なぜかパチンコ屋があり、(実際、昔はそのそば屋の隣にパチンコ屋が有った。ネオンのパの字が消えていたのでよく覚えている)
パチンコ屋の中に、そのそば屋があるという奇妙な店で、店員が真面目に働かないし、こんな店で大丈夫かと思いながら注文
とりあえず食事は出来たが、
そのあとはどういうわけかジャンク屋の祭りなのか、そこらへん一帯にガラクタの出店が並んでいるような場所へ。
(これは修理屋の今井さんの動画を見たせいだな)
(夢の中で大量にお宝ゲットして満足したら目が覚めて、何も残っていない現実でガッカリするよな)
そのあとは良く覚えていないが、すぐメモすれば良いのにと思いながらなかなかできない。
とにかく、あちこち歩き回って色んな体験をするという、疲れる夢だったというのが全体的な感想。
Youtubeで見た内容が直接あるいはアレンジして夢の中に反映されるようなので、もうちょっとそのあたりを意識して視聴するようにするか。
あと、夢は白黒だという人がいるけど、自分は基本的にカラー。ただ、少々薄暗い感じはする。昭和のあの頃を思い出しているのかもしれない。
昔のアルバムを見たら白黒写真ばっかりだから、自分が生まれる前までの世界は白黒だったと思い込んでいた。
漫画
2024.10.13
小学校低学年の頃、ドラえもん等の影響か、漫画にも興味を持ち始めた。
漫画雑誌などに漫画の描き方といったページもあった。そこで、自分で漫画を描こうとし始めたのである。
それ以前から落書き帳に色々描くのは好きだったが、ちゃんとコマ割りして漫画らしい漫画を・・・
まずはストーリーを、というところでつまずき、それからラフに描いて、下書きをしてペンを入れて、・・・・・・ああ面倒くさそう。そんなことよりも、絵を描こうよと。
しかし、線を描いてみても、何か違う。本に載っている漫画と違う。何がどんなふうに違う?
それ以前にヘタクソだったからまずは練習すべきだったろうけど、その当時はそう思わなかった。印刷したようにキレイに描くにはどうしたら良いか?という方向へ進んだ。
そうだ、漫画家の先生たちと「同じ道具を使わないと駄目」だと思いつき、
本を見ると、黒インク、開明墨汁とか、それとカブラペン、Gペン、丸ペンといったものが紹介されていた。
なぜか家にはカブラペン(軸と、交換用のペン先がたくさん)があったので、それに墨汁をつけて描いてみたりした。
ペンにインクをいちいち付けるよりも、万年筆だったらいちいち付けなくて良いじゃないか、とも考えたかもしれない。
結果的に、やっぱり道具の問題じゃなくて・・・絵はヘタクソなまま現在に至る(笑)
根本的な部分には、面倒くさがりと、持続力の無さと、丁寧さに欠けていたと思う。字も絵もヘタクソなままだ。
小学校のテストの答案用紙の裏に、色々落書きをしていた時期があった。
表面の問題はサッサと解いてしまって(または、わからなくて飛ばして)、あとの空き時間には裏面に落書きをした。
ある時に、(担任の代わりに来られた)教頭先生が言われた。「時間が余ったら裏面に落書きをしてもいいよ!」と。
このことをしっかり覚えていて、「そうして良い」ものと思い込んでいた。
ところが後日、同じように落書きをしていたら担任の先生に見られて、「何やってんだ」「いまはそういう時間じゃないぞ!」と怒鳴られ、昭和なので当然いきなり殴られ・・・
結局、なにを信じたら良いのか、いままで乗っていた台がいきなり消失したような気持ちになったのであった。
今だったら、もう少し大目に見ろよと思うんだが。落書きも良いけど、もう一度、おもての問題と答えを見直してみてね!ぐらいは(自分が担任だったら)言うだろう。
余談だが、
「ドラえもん百科」(方倉陽二)で今も印象に残っている事
「紙とペンがあればできる商売は何か?」という問題に対する解答は、「紙とペンを売る!」
これを漫画家の先生が書いていたのだから面白い。
漫画雑誌などに漫画の描き方といったページもあった。そこで、自分で漫画を描こうとし始めたのである。
それ以前から落書き帳に色々描くのは好きだったが、ちゃんとコマ割りして漫画らしい漫画を・・・
まずはストーリーを、というところでつまずき、それからラフに描いて、下書きをしてペンを入れて、・・・・・・ああ面倒くさそう。そんなことよりも、絵を描こうよと。
しかし、線を描いてみても、何か違う。本に載っている漫画と違う。何がどんなふうに違う?
それ以前にヘタクソだったからまずは練習すべきだったろうけど、その当時はそう思わなかった。印刷したようにキレイに描くにはどうしたら良いか?という方向へ進んだ。
そうだ、漫画家の先生たちと「同じ道具を使わないと駄目」だと思いつき、
本を見ると、黒インク、開明墨汁とか、それとカブラペン、Gペン、丸ペンといったものが紹介されていた。
なぜか家にはカブラペン(軸と、交換用のペン先がたくさん)があったので、それに墨汁をつけて描いてみたりした。
ペンにインクをいちいち付けるよりも、万年筆だったらいちいち付けなくて良いじゃないか、とも考えたかもしれない。
結果的に、やっぱり道具の問題じゃなくて・・・絵はヘタクソなまま現在に至る(笑)
根本的な部分には、面倒くさがりと、持続力の無さと、丁寧さに欠けていたと思う。字も絵もヘタクソなままだ。
小学校のテストの答案用紙の裏に、色々落書きをしていた時期があった。
表面の問題はサッサと解いてしまって(または、わからなくて飛ばして)、あとの空き時間には裏面に落書きをした。
ある時に、(担任の代わりに来られた)教頭先生が言われた。「時間が余ったら裏面に落書きをしてもいいよ!」と。
このことをしっかり覚えていて、「そうして良い」ものと思い込んでいた。
ところが後日、同じように落書きをしていたら担任の先生に見られて、「何やってんだ」「いまはそういう時間じゃないぞ!」と怒鳴られ、昭和なので当然いきなり殴られ・・・
結局、なにを信じたら良いのか、いままで乗っていた台がいきなり消失したような気持ちになったのであった。
今だったら、もう少し大目に見ろよと思うんだが。落書きも良いけど、もう一度、おもての問題と答えを見直してみてね!ぐらいは(自分が担任だったら)言うだろう。
余談だが、
「ドラえもん百科」(方倉陽二)で今も印象に残っている事
「紙とペンがあればできる商売は何か?」という問題に対する解答は、「紙とペンを売る!」
これを漫画家の先生が書いていたのだから面白い。