こどもでんわ帳
2025.02.14
これは貴重なもの。



貴重といってもマニアだけか。

確か小学生か中学生の頃、町の商工祭の会場に電電公社のデモカーが来ていた。

デモカーにはいろいろな電話機が展示してあり、実際に回線を引き込んで通話できるようになっていた。

当然、電話マニアの私は片っ端からいじくり回していたずら電話をかけ始めたのだが、係員さんに止められて(当たり前)、

これをあげるから、あっちに行ってなさいという感じだったと思う。

いたずら: たとえば114にかけていた。(現在は無効) 当時114にかけると、折り返し自動的に電話がかかってきた。おばけ電話とも呼ばれていた。ベルの鳴り方が通常と違い、連続だったと思う。


この小冊子には、「ワイヤレステレホン」が載っている。まさか当時、その10年ちょっと後に携帯電話を自分が持つようになるとは夢にも思わなかった。

その当時、携帯電話は無いこともなかったが限られた人だけで、それと自動車電話ぐらいか。社長の車ぐらいしか付いていなかった。
たしか、通話可能エリアも限られていただろう。たぶん、としか言えないが都市部ぐらいだけだったのでは。
携帯だって1996年に初めて持った時、実家のところではギリギリだったからなあ。(DoCoMo)


「こんなふうになる 未来の電話」というページがあって、

・テレビ電話
・テレコントロール
・キャプテンシステム
・ワイヤレステレホン

とっくに、みんな実現しちゃってるじゃないか。

キャプテンは、とっくの昔に終わっちゃったけどな。(代わりにというわけじゃないがインターネットが普及した)

自宅の電灯などをネット経由でどこからでも操作できるようにするのは容易いことだし、テレビ電話はリモートで良く使っている。

当時の技術だと電話回線の音声帯域の中で映像を送るので性能に限界があり、たしかモノクロのコマ送りじゃなかったかな。

ワイヤレステレホンの原型は1970年の大阪万博の時で、その後、関係者の努力で今のようになった。
お寺とOA化
2025.02.14
30年以上も前の話。

まだ実家にいた頃で、幼い頃に通った保育所(お寺)の住職さんが、ワープロの使い方がわからないので来てくれと。

それで行ってみると、なんと超高級そうな機種が!!
しかも上等なコピー機、リソグラフまで。

なんかよくわかんないから、業者の都合の良い機種を買わされちゃった感じ?

お寺に似合わないような、そんなオフィス感(笑)

これを打ってくれ、と原稿を渡され、その場でパパパと打ち込んだ。印刷して見てもらうと、うん、これでいいよ、ありがとねー。


もう今では保育所は辞めちゃったようですが、子どもが少なくなった影響もあるんじゃないかと思います。

我々の頃は「お泊り会」で一晩お寺に泊まったことがありました。お墓は(敷地の中には)無かったんですけどね。

風呂は住職の家の風呂だから一般家庭と同じ。一人ずつ頭を洗ってもらって・・・なんとなく覚えている。

夜は本堂に布団を敷いて寝たが、枕元に虫が来たので(あの大嫌いな)Gかと思って先生を呼んだら、鈴虫かコオロギだったという人騒がせな出来事があった事だけは覚えています。
製本(続)
2025.02.14
中学校の卒業文集は自分たちで手作りした記憶がある。(卒業文集は3年生、そのほか各年ごとに文集を作った)

当時はコピー機は使わなくて、トーシャファクスだったか、謄写版の発展型みたいな印刷機で印刷していた。

活字は和文タイプで先生が1文字ずつ打ち込み、膨大な時間と手間を要していた。まだワープロは出始めだった。放課後、先生がひとりでガシャ、ガシャ、と打っていた姿を覚えている。

トーシャファクスは、原稿用紙を読み取り、原紙に放電で穴をあけていく仕組みだったと思う。よく覚えていないけど、ドラムに原稿を巻き付けて、1ドット(1ライン)ずつスキャンしていく。同時に原紙へ針先から放電して細かい穴が開く。原稿の黒い点が穴となる。

原紙は黒い紙を重ねてあり、その黒い紙は導電性があった。原紙を作った後は不要となる。これを理科の電位差の実験で使った覚えがある。(高校の時)
その原紙の穴からインクが通るので、印刷できるという仕組みだったと思う。

小学校2年頃までは謄写版(ガリ版)で、先生たちはインクで手を汚しながらプリントを印刷していた。
ヤスリ板に鉄筆という道具があってだな・・・あの独特の書体が、ガリ版らしくて良かった。

とにかく、こうして印刷して部数分だけ作る。

ページの順番に重ねていくが、この作業を生徒がやっていた。図書室の机上に各ページごと積み上げてあった。よし、みんな1枚ずつ取って重ねていけ。間違わないように気をつけろよ!

内容を読みたくなるよな。でも、出来上がってから読むのを楽しみにしておけ。いまは目の前の作業に集中しろ。

B4で印刷して半分に折り、重ねて一冊にしたものを製本業者に出すんじゃなかったかな。

中3の時の担任は何でもとっておくのが好きで、「資料のはらわた」と我々は呼んでいた。
こんなプリントまで綴じる必要はないだろうという物まで漏らさず入っていた。
製本
2025.02.14
個人的には何でもペーパーレス化したい(狭いから)。
設計の妄想をふくらませる時などは今でも紙に描くのが一番で、そういった紙がどんどん出てくる。最終的にはスキャナにかけてPDF化、紙はまとめて溶解処理に出す。
以前はどうしようもなくて、ひたすら積み上げていたが膨大な量があった。これを少しずつスキャンして全部片付けた。

でも、紙の本も良い。画面で読むのはどうも目が疲れる。電子書籍やデータは持ち運びが楽だったり、拡大して見たりできるという利点は有るが・・・

そこで自作本の製本という話になるが、

世の中には製本機というものがあって、これに製本したい紙を挟んで加熱すればきれいな本の出来上がり。

ガキの頃は自分の研究論文?(ロケットの設計など)なんかは、ノートをひきちぎった紙になぐり書きしてホチキス止め、背表紙は適当にガムテープを貼り付けるというワイルドな製本だったが。

製本機の仕組みは、専用カバーの背表紙にホットボンドのようなものが塗ってある。これを製本機のヒーターで融かして、紙を糊付けして固定するというもの。

その専用カバーは綴じる枚数ごとに用意されていて、ひとつで何でも使い回せるようにはなっていない。予定で何枚だからこれを買おうということになる。10枚セットで2000円前後。

製本機の応用として、トラ技をバラすのにも使える。あの背表紙は熱をかけると糊が柔らかくなって取り外しやすくなる。アイロンで加熱していた人もいるだろう。

製本機にトラ技をつっこんでしばらくたつと糊が柔らかくなる。熱くて柔らかいうちにバラしていく。
結構薄くなったとは言え、あの枚数を一度に裁断できる裁断機を持っていないから、適当な枚数ごとに分割する必要があった。
以前は背表紙を切るというか破って切り離していたが、たまに変な破れ方をして失敗することもあり、この背表紙の糊を融かして剥がすやり方が安全と思う。

製本の話に戻るが、

キンコーズ、利用した事はないけどそういったお店へデータを持ち込めば製本まで出来るようである。さすがに遠いので利用することは最初から考えなかった。近所の印刷屋でもできるところがあるかもしれない。

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