真空管ラジオ
2024.09.20
米でも同様だが、物が手に入りにくく(手に入らなく)なると、余計に欲しがる気持ちが高まるみたいです。
いまでは貴重品な真空管ラジオは、私がガキだった頃には掃いて捨てるぐらい有って、田舎の小さい町でしたが時々ごみ置き場で見かけていました。海岸に投げ捨てられている事もありました。いまさら欲しいとは思いません。
当時、もちろん見かけたら拾ってきていました。
でかすぎて運べない物(たとえばテレビ)は真空管だけ抜いて持ち帰っていました。一度だけ、あの重たいテレビを数人がかりで運んできて、帰宅したら親に怒鳴られた事もあった。
いまの薄型テレビと違うんです。まず筐体が鉄板ですし、ブラウン管は分厚いガラスでした。中にシャーシがあって、そこへ部品がたくさん載っていて、とにかく重いものでした。
拾ってきたラジオ、電源を入れてみても鳴らない物が多かったような記憶があります。
おっかないので、コードリールで電源ケーブルをのばして、庭の真ん中あたりに置き、遠くからコンセントに通電して爆発しないか試していた。
たいていボリュームはガリで、回すと耳障りなガリガリ、バリバリした音がしたり、音が聞こえたり聞こえなくなったりした。
ブーンというハム音がしたり。
普通に鳴るけど、妙な臭いがしてロウのようなものが下に垂れるラジオもありました。コンデンサの絶縁が悪くなって、焼けていたのでしょう。
レコードプレーヤーとラジオが一体化したものも有り、それはもともと友人が拾ってきたものなので彼の元へ帰っていきました。
親父の実家にあったネズミの巣になっていた5球スーパーとか(ナショナル)、親の知り合いからもらったラジオとか、色々あったけれど、
その頃は自分で直す実力は無く、もっぱら分解して部品を集めるだけでした。そのままきれいに保管しておけばよかったのにと思います。
なんでもとりあえず分解してしまうガキでした。
実際に真空管ラジオを作ったのは20才頃で、
それ以前に作ろうとした事は有ったけれど、必要な部品が揃わなかった。
部品取りをしていたのではなかったのか。残念ながら、肝心なトランスがなかった。とっておかなかった。
興味のある部品、外しやすい部品(ソケットに載っている物)しか外していなかった。
興味のある部品はエアバリコンとかコイルなど。それとスピーカー。
結局、丸ごと保存しておけばよかったのにと今頃思う。
中学生の頃には、真空管ラジオを作ろうと思っても必要な部品が揃わない時代でした。
世の中は半導体時代。この頃にはパーツ屋さんも真空管を捨てちゃったのでしょう。
トランスがなければトランスレスという手もあり、一応は検討していました。倍電圧整流も。
20才を過ぎてから、ちょうど当時「なんでも鑑定団」がブームになり、自分も古物に興味を持ち始めて、
地元の古美術商(昔の生活用品など何でも有り)を訪ねたりしていました。
そこで店長さんと親しくなり、真空管ラジオに興味があると話したら、物置から「こんなのは有るけど」と、
木製ケースは壊れて虫食いのひどい状態、中身は一応大丈夫そう。そんなラジオを発掘してもらった。見た目がひどいので商品にはならない。
3000円で良いというので即買ってきて、これを何とか活かしてラジオを作ろうと着手したわけです。
結局、シャーシもサビだらけで使えないから、タカチのアルミケースを加工して使う事にした。
そのためにわざわざシャーシパンチやらリーマやらニブラーも揃えて、ヤスリで手が痛くなるまでゴシゴシやったりして、とにかくシャーシ加工は手が痛くなる。アルミ相手でも大変。
電源回路から配線を始めて、確認しようと思って試しに通電した後、コンデンサを放電させてなかったから、続きの配線作業をしている時にビリッと電撃を食らった。
放電用の抵抗でも並列につないでおけばよかったけど、そこまで頭が回ってなかったというか。
とにかく完成し、それなりに良い音で鳴ったので満足。いまでは押入れに放り込まれて、どうなっていることやら。
いまでは貴重品な真空管ラジオは、私がガキだった頃には掃いて捨てるぐらい有って、田舎の小さい町でしたが時々ごみ置き場で見かけていました。海岸に投げ捨てられている事もありました。いまさら欲しいとは思いません。
当時、もちろん見かけたら拾ってきていました。
でかすぎて運べない物(たとえばテレビ)は真空管だけ抜いて持ち帰っていました。一度だけ、あの重たいテレビを数人がかりで運んできて、帰宅したら親に怒鳴られた事もあった。
いまの薄型テレビと違うんです。まず筐体が鉄板ですし、ブラウン管は分厚いガラスでした。中にシャーシがあって、そこへ部品がたくさん載っていて、とにかく重いものでした。
拾ってきたラジオ、電源を入れてみても鳴らない物が多かったような記憶があります。
おっかないので、コードリールで電源ケーブルをのばして、庭の真ん中あたりに置き、遠くからコンセントに通電して爆発しないか試していた。
たいていボリュームはガリで、回すと耳障りなガリガリ、バリバリした音がしたり、音が聞こえたり聞こえなくなったりした。
ブーンというハム音がしたり。
普通に鳴るけど、妙な臭いがしてロウのようなものが下に垂れるラジオもありました。コンデンサの絶縁が悪くなって、焼けていたのでしょう。
レコードプレーヤーとラジオが一体化したものも有り、それはもともと友人が拾ってきたものなので彼の元へ帰っていきました。
親父の実家にあったネズミの巣になっていた5球スーパーとか(ナショナル)、親の知り合いからもらったラジオとか、色々あったけれど、
その頃は自分で直す実力は無く、もっぱら分解して部品を集めるだけでした。そのままきれいに保管しておけばよかったのにと思います。
なんでもとりあえず分解してしまうガキでした。
実際に真空管ラジオを作ったのは20才頃で、
それ以前に作ろうとした事は有ったけれど、必要な部品が揃わなかった。
部品取りをしていたのではなかったのか。残念ながら、肝心なトランスがなかった。とっておかなかった。
興味のある部品、外しやすい部品(ソケットに載っている物)しか外していなかった。
興味のある部品はエアバリコンとかコイルなど。それとスピーカー。
結局、丸ごと保存しておけばよかったのにと今頃思う。
中学生の頃には、真空管ラジオを作ろうと思っても必要な部品が揃わない時代でした。
世の中は半導体時代。この頃にはパーツ屋さんも真空管を捨てちゃったのでしょう。
トランスがなければトランスレスという手もあり、一応は検討していました。倍電圧整流も。
20才を過ぎてから、ちょうど当時「なんでも鑑定団」がブームになり、自分も古物に興味を持ち始めて、
地元の古美術商(昔の生活用品など何でも有り)を訪ねたりしていました。
そこで店長さんと親しくなり、真空管ラジオに興味があると話したら、物置から「こんなのは有るけど」と、
木製ケースは壊れて虫食いのひどい状態、中身は一応大丈夫そう。そんなラジオを発掘してもらった。見た目がひどいので商品にはならない。
3000円で良いというので即買ってきて、これを何とか活かしてラジオを作ろうと着手したわけです。
結局、シャーシもサビだらけで使えないから、タカチのアルミケースを加工して使う事にした。
そのためにわざわざシャーシパンチやらリーマやらニブラーも揃えて、ヤスリで手が痛くなるまでゴシゴシやったりして、とにかくシャーシ加工は手が痛くなる。アルミ相手でも大変。
電源回路から配線を始めて、確認しようと思って試しに通電した後、コンデンサを放電させてなかったから、続きの配線作業をしている時にビリッと電撃を食らった。
放電用の抵抗でも並列につないでおけばよかったけど、そこまで頭が回ってなかったというか。
とにかく完成し、それなりに良い音で鳴ったので満足。いまでは押入れに放り込まれて、どうなっていることやら。
ドッジボール
2024.09.20
ネット上の記事で、「運動が苦手な人たちを追い詰める」 確かにそう思いました。ドッジボール。
ボールをぶつけられるのも嫌だったし・・・痛いじゃないですか。
当てるなら軽くポンと当てればいいのに(※)、すごい形相で叩きつけてきた同級生、熱が入りすぎていたのではないかと。
普段は鼻垂れ小僧で面白い奴なのに、ドッジボールでヒートアップして人格が変貌(笑)
バッシシシシシシシィィィィィィン!!
(※)だから「ころがし」が考案されたのか。
最初から外野に逃げる奴が多い。とくに女子。
自分は逃げ遅れて、内野にいなさいと言われる。
自分なんか、どんくさいからすぐにぶつけられて、ああ当てられた、いやーな気分で・・・何が楽しいんだと、いまだに忘れない。これで体育が嫌いになった子も多いだろう。
これは「素早く動ける奴」と「そうでない奴」を振り分けるためのゲームだったのかもしれない。
勉強ができる奴とできない奴とか、泳げる奴と泳げない奴とか、そんなふうに区別されてしまう。
鉄棒やかけっこも苦手だったが、とびばこなんか本当に勘弁してほしい。ケガが怖くて踏み込めなかった。
マットに横になったらそのまま寝てしまいそう。跳び箱の中に隠れるほうが面白そう。
そもそも集団行動自体が駄目で、
たとえば、みんなで「右向け右」、「左向け左」、「回れ右」
当初、自分は最初の位置である真正面(指示を出す先生と向かい合せ)が基準だと考えていた。誰もそんな事は言ってないんだが、自分はなぜかそのように思っていた。
それで、基準に対して右向けなら、時計で表現すると基準が12時で、右向けは3時だと思ったわけ。回れ右は時計回りに6時。
指示を聞くたびに、頭で考えて、えーと、基準がこっちだからあっちへ向くんだなと・・・それでワンテンポ遅れていたようだ。
しかも、みんなと違う、あさっての方向を向いたりしていた。
正解は現在の最新の位置を基準に右や左どっちへ向くかという事らしく、それがわかったのは先生から殴られた時。
そりゃあ40人近く並んでいる中で、ひとり違うことをしていると思いっきり目立ってしまう。
担任が近づいてきて、おいこらお前なにふざけてんだ、という。いや、言葉より先に手が出ていたと思う。いきなり叩かれて。
とんでもない、自分は全くふざけてない。指示通りにやっている。
先生と話していて、そこで自分の勘違いにようやく気づいた。
さあ、やり直そう。
ところが間もなく、また担任が近づいてきて注意された。回り方、とくに回れ右のやり方が変だ、と。
私は足を小刻みにチョコチョコってやりながら方向を変えていた。違うんだって。
片足を後ろへ引く。足を浮かせてクルッと回る。さっきの片足を元へ戻す。
ふ~~~ん、めんどくさー、というのが本心。
戦前、戦中の先生が多かったから、軍事教練みたいなものだったのだろうか。
さすがに藁人形を竹槍で・・・は、やってない。
ボールをぶつけられるのも嫌だったし・・・痛いじゃないですか。
当てるなら軽くポンと当てればいいのに(※)、すごい形相で叩きつけてきた同級生、熱が入りすぎていたのではないかと。
普段は鼻垂れ小僧で面白い奴なのに、ドッジボールでヒートアップして人格が変貌(笑)
バッシシシシシシシィィィィィィン!!
(※)だから「ころがし」が考案されたのか。
最初から外野に逃げる奴が多い。とくに女子。
自分は逃げ遅れて、内野にいなさいと言われる。
自分なんか、どんくさいからすぐにぶつけられて、ああ当てられた、いやーな気分で・・・何が楽しいんだと、いまだに忘れない。これで体育が嫌いになった子も多いだろう。
これは「素早く動ける奴」と「そうでない奴」を振り分けるためのゲームだったのかもしれない。
勉強ができる奴とできない奴とか、泳げる奴と泳げない奴とか、そんなふうに区別されてしまう。
鉄棒やかけっこも苦手だったが、とびばこなんか本当に勘弁してほしい。ケガが怖くて踏み込めなかった。
マットに横になったらそのまま寝てしまいそう。跳び箱の中に隠れるほうが面白そう。
そもそも集団行動自体が駄目で、
たとえば、みんなで「右向け右」、「左向け左」、「回れ右」
当初、自分は最初の位置である真正面(指示を出す先生と向かい合せ)が基準だと考えていた。誰もそんな事は言ってないんだが、自分はなぜかそのように思っていた。
それで、基準に対して右向けなら、時計で表現すると基準が12時で、右向けは3時だと思ったわけ。回れ右は時計回りに6時。
指示を聞くたびに、頭で考えて、えーと、基準がこっちだからあっちへ向くんだなと・・・それでワンテンポ遅れていたようだ。
しかも、みんなと違う、あさっての方向を向いたりしていた。
正解は現在の最新の位置を基準に右や左どっちへ向くかという事らしく、それがわかったのは先生から殴られた時。
そりゃあ40人近く並んでいる中で、ひとり違うことをしていると思いっきり目立ってしまう。
担任が近づいてきて、おいこらお前なにふざけてんだ、という。いや、言葉より先に手が出ていたと思う。いきなり叩かれて。
とんでもない、自分は全くふざけてない。指示通りにやっている。
先生と話していて、そこで自分の勘違いにようやく気づいた。
さあ、やり直そう。
ところが間もなく、また担任が近づいてきて注意された。回り方、とくに回れ右のやり方が変だ、と。
私は足を小刻みにチョコチョコってやりながら方向を変えていた。違うんだって。
片足を後ろへ引く。足を浮かせてクルッと回る。さっきの片足を元へ戻す。
ふ~~~ん、めんどくさー、というのが本心。
戦前、戦中の先生が多かったから、軍事教練みたいなものだったのだろうか。
さすがに藁人形を竹槍で・・・は、やってない。
ユニバーサル基板の配線
2024.09.20
ユニバーサル基板の配線は、みんなそれぞれ自己流と思う。
配線を表面にはわせるのか、裏面にはわせるのか。この点だけでも違う。
どっちが良いかと議論になった事もある。
きれいに整理しないと、いわゆるスパゲティや盛りそばになる。
こうなると後からの手直しや修理も大変だ。
自分は一時期、配線をポイントtoポイントで突っ張るのが好きでやっていた。これには批判があり、当時の職場だったけど、線が切れるぞとか色々。
束線にまとめるのがうまくできなかったから、そのやり方に落ち着いたまでで、そんな中でもきれいにできる方法がないか模索していた。
デジタル回路か、アナログ回路か、あるいは混在もあるだろうけど、その回路によっても配線の仕方は変わってくる。
コネクタだけの基板というのもある。スイッチとLEDだけもある。
50ピンのコネクタから、各センサーやスイッチへの2ピンや3ピン、4ピンのたくさんのコネクタにつながる配線をまとめた、いわゆる中継基板、こういうのは主に電線だけとなる。
デジタル回路、主にICばかりの回路もやはり電線が多い。これらは束線にまとめていく。
アナログの場合は部品配置を工夫することで片面でもうまくつないでいきやすい。部品のリードをうまく活用する。部品自体がジャンパー線のようなもので、他の配線をまたいでいきやすい。
電子機器組み立ての技能検定だったか、ユニバーサル基板にメッキ線で配線をパッパッと素早くつないでいく動画を見ることができる。
ターンテーブルみたいな物の上に基板を載せて、まっすぐにのばしたメッキ線をラジオペンチできれいに曲げながらパターンを作って各部品をつないでいく。
もちろんこれには事前に部品配置と配線を検討した上で行っている。
この工程を省いて、自己流で回路図からダイレクトに部品配置、配線をやるのはアマチュア的。
自分もガキの頃には面倒くさくて、紙上で検討するなんてやってられなかったが、これを一手間かけてやるかやらないかで結果が違ってくる。
とくに今ではCADがあるので、紙上で書いたり消したりする必要もなく、画面上でラクに作業できる。なんならそこでパターンも引いてしまって、その図を見ながらユニバーサル基板上でつないでいく。
プリント基板は安価に作れるが、出来上がってくるまでに時間がかかるし、今すぐに欲しい、すぐ実験したいという場合もある。そんな時には手組みが有利。
もう何台か追加してくれっていうのは手組みだと辛い。
ワイヤーラッピングというやり方もあって、実際に自分もやっていた時代があるけど、もう今の時代には合わないかな。
専用のラッピングソケットは手に入らないし、有っても高価。うちはたくさんあったけど使わないから捨ててしまった。
普通のピンヘッダの2列のやつを使うと良い。1列だと1箇所に2本つなぐことができない。ピンが長ければできるけど、普通の長さのピンに2段は(試みた事はあるけど)無理。
2列だとバス配線でも可能になる。
配線を表面にはわせるのか、裏面にはわせるのか。この点だけでも違う。
どっちが良いかと議論になった事もある。
きれいに整理しないと、いわゆるスパゲティや盛りそばになる。
こうなると後からの手直しや修理も大変だ。
自分は一時期、配線をポイントtoポイントで突っ張るのが好きでやっていた。これには批判があり、当時の職場だったけど、線が切れるぞとか色々。
束線にまとめるのがうまくできなかったから、そのやり方に落ち着いたまでで、そんな中でもきれいにできる方法がないか模索していた。
デジタル回路か、アナログ回路か、あるいは混在もあるだろうけど、その回路によっても配線の仕方は変わってくる。
コネクタだけの基板というのもある。スイッチとLEDだけもある。
50ピンのコネクタから、各センサーやスイッチへの2ピンや3ピン、4ピンのたくさんのコネクタにつながる配線をまとめた、いわゆる中継基板、こういうのは主に電線だけとなる。
デジタル回路、主にICばかりの回路もやはり電線が多い。これらは束線にまとめていく。
アナログの場合は部品配置を工夫することで片面でもうまくつないでいきやすい。部品のリードをうまく活用する。部品自体がジャンパー線のようなもので、他の配線をまたいでいきやすい。
電子機器組み立ての技能検定だったか、ユニバーサル基板にメッキ線で配線をパッパッと素早くつないでいく動画を見ることができる。
ターンテーブルみたいな物の上に基板を載せて、まっすぐにのばしたメッキ線をラジオペンチできれいに曲げながらパターンを作って各部品をつないでいく。
もちろんこれには事前に部品配置と配線を検討した上で行っている。
この工程を省いて、自己流で回路図からダイレクトに部品配置、配線をやるのはアマチュア的。
自分もガキの頃には面倒くさくて、紙上で検討するなんてやってられなかったが、これを一手間かけてやるかやらないかで結果が違ってくる。
とくに今ではCADがあるので、紙上で書いたり消したりする必要もなく、画面上でラクに作業できる。なんならそこでパターンも引いてしまって、その図を見ながらユニバーサル基板上でつないでいく。
プリント基板は安価に作れるが、出来上がってくるまでに時間がかかるし、今すぐに欲しい、すぐ実験したいという場合もある。そんな時には手組みが有利。
もう何台か追加してくれっていうのは手組みだと辛い。
ワイヤーラッピングというやり方もあって、実際に自分もやっていた時代があるけど、もう今の時代には合わないかな。
専用のラッピングソケットは手に入らないし、有っても高価。うちはたくさんあったけど使わないから捨ててしまった。
普通のピンヘッダの2列のやつを使うと良い。1列だと1箇所に2本つなぐことができない。ピンが長ければできるけど、普通の長さのピンに2段は(試みた事はあるけど)無理。
2列だとバス配線でも可能になる。