謎のピコットさん
2024.03.21
忙しいのに、なぜか唐突に奇妙な事を思い出す。

ピコットさん。

その名と同時に、歌の一部を思い出して・・・

なんだっけ。
検索してみたら、ああ、昔の幼児番組で流れていた歌か、と。

せっかくだから、何か自分で作った物に名前を付ける時に使ってみようかと思う。
ポメラの記憶
2024.03.19
ポメラというのは犬じゃなくて、テキスト打ち込み用のワープロのようなもの。
10年ぐらい前に持っていたが、表面の塗装がベタベタになって最悪。
ベタベタは丁寧に落とせば良いのはわかっていたが、面倒くさくなったし、もう使わないので捨ててしまった。
悪いのはその1点のみ。ベタベタ。

良かった点は乾電池で動作する事。
小さくて持ち運びしやすい事。
日本語変換の精度は良かった。

怪社の会議の時に持っていって、発言をバシャバシャ打ち込んでいたのである。
打つのに夢中で発言には参加しにくかったが・・・どっちかしかできん。

ワープロ専用機のようなもので、プリンタが付いていないだけ。
こういう機能の割り切りが良い。
メール受信とかネット接続がついていると、脱線しがち。
余計な機能がないから本業に集中できる。

いまも後継機種があるけど電池がリチウムイオンになった。長時間使えるだろうけど、あまり身近にリチウムイオン電池を増やしたくないな。気持ちの問題だけかもしれないけど。
乾電池が使えるから良かったのに。

モバイルバッテリーも乾電池(またはエネループ)が使える物をわざわざ選んだ。リチウムイオンだと預け荷物に入れられない。機内に手荷物として持ち込む必要があって面倒。(手ぶらで乗り込みたい)
きゅうしょく3
2024.03.18
小学校の給食にトマトが出たのは覚えている。

きれいにカットしてサラダに添えてあるとか、そんなものじゃなかった。

何十年前の記憶でハッキリ覚えていないが、確か、1個まるごとゴロン。あるいは半分カットだったか。これに塩をつけて丸かじり、だったと思う。

アルミの小皿に載っていて、横に塩を添えていた。そう、当時はアルミ食器だった。

当時の自分は、こんな青臭いものは受け付けられなかった。(感覚が過敏だったかもしれない。チーズなんか味が濃くて食べきれなかった)
しかし給食というものは強制される時代だった。とにかく無心にかぶりついて飲み込むだけ。おいしいとかおいしくないとか考えたら負けである。

昔、景気の良い時代があって社員旅行はハワイ行きだった。確か夕方に福岡空港を出発したが・・・あまりに単調なので飽きていた。

確か朝食の時間という事だったが、おそらく日本時間でAM1か2ぐらいだったと思う。
機内で飲み物を配っていたので、寝ぼけた状態で適当に受け取ったらトマトジュース。うえっ、失敗した。トマトジュースだけは勘弁してくれと。我慢して飲んだけれど。

今でもサラダに載っているトマトなんかは、何がおいしいんだろうと思いながら食べているが、きっと、まずいものを食わされているんだと思う。スーパーで売っているのはそんなものなんだ、きっと。

世の中にはおいしいトマトがあるらしい。たぶん。

でもトマトソースのスパゲティなんか良く食べるけどな。なんでトマトソースはおいしいんだろう。
テレビには人が入っている説
2024.03.18
祖父が「テレビには人が入っている」と言っていたっけ。

そんなばかなと思うけれど、実際にフタを開けて中を見せても・・・そもそも冗談だか本気だかわからなかった(笑)

昔のブラウン管テレビの話で、家具調テレビは大きかったので、人が入ろうと思えば・・・(小人さんなら)

にわとりなら普通に入っていたけどな。いらなくなったテレビの中身を抜き取って、箱だけ鶏小屋として利用されることは有った。

トムとジェリーの”真ん中”だったか、「うらやましいテレビ」でテレビの中にサービスマンが入っているのは見た。

中の人の生活はどうなってるのかと。通勤してくるのかと。食事やトイレは。
それこそ、じいさんの好きな相撲なんかわざわざ力士が来て、中で取り組みをしているのだろうかと。

そのほか、「オランダ坂で巨大な火の玉がゴロンゴロン転がっているのを見た」とも言っていた。もし本当だとしたら、たぶん「球電現象」を見たのだろう。

戦時中はスリーダイヤさんで魚雷を作っていて、そこで原爆にやられた。鍛冶屋もやっていたので全くの素人ではなく機械の仕組みは知ってるはずだから、冗談だったんだろうな。

冗談だか本気だか今となっては確かめようもないが、まあ、それはそれとして。

魚雷に関連した遺構を近々たずねてみたいと思います。住吉にトンネル工場跡があって見学できるそうです。「三菱兵器住吉トンネル工場跡」
但し、外からのぞいてみるだけで入れない。年に何度か中に入れる日がある。
ゲームと小学生の頃
2024.03.17
うちは全く理解がなく、ゲーム機の類は全く買ってもらった事がなかった。
周囲の友達は次々に何でも買ってもらっていた。自分は借りて遊ぶだけで精一杯。
ハンドルのついたカーレースのゲームとか、歯医者のような遊びができる玩具、そしてゲームロボット九とか。あとの2つはTVゲームじゃないけど。
ゲーム&ウォッチも色々。自分にとってはどれもこれも興味をそそられる物だった。

初めて自分用のゲーム機を手にしたのは親戚からもらった時だったっけ。
これを兄弟で奪い合って喧嘩していたら親父がブチ切れて、外に放り投げてしまった。幸い、壊れなかったけど。
こんなものがあるからいけないんだ、という考えだけだったろうなあ。

昔風というのかな、
電動鉛筆削りにも理解がなく、ナイフで削るのが当然の世界だった。あんな電動鉛筆削りなんか鉛筆があっという間に減ってしまう、けしからん、という。資本家の手先とでも言いたかったのか(笑)
自分はナイフで削るのは苦手で、何度もやり直しているうちに鉛筆がどんどん減っていって、かえって無駄になっていた。
電動だったらキレイに削れるのに、ナイフだとどうしても凸凹になって格好悪い。芯をとがらせるのが正義だと信じていた。
これも、どこからかもらった電動鉛筆削りがうちに入り込んできて、やむなく受け入れた感じだった。

さらに、電卓もけしからん、と。頭を使わないから馬鹿になるという(偏見)。
ある時、祖母から「以前あんたに電卓をあげたけど(親に預けたよ)」って言われたが、えっ、いつもらったっけ?と。
そういえば部屋にあった、あのオムロンのやつがそうだったのか、と後から気付いた。子どもに触らせまいとしたんだろうな。
電卓で算数の宿題をするわけでもなし、別に害はない。
こんな感覚だったから、工業高校の入学時、みんな電卓を教材として購入し、授業で使うという感覚に最初なじめなかった。学校で電卓なんか使うのかと。
電卓というかポケコンだったのだが、我々の先輩たちは関数電卓、さらに昔にさかのぼると計算尺だった。
実際、関数電卓は必須で、やたらにサイン・コサインとかルート、べき乗、10のマイナス何乗といったものが出てくるから。

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