陶芸家との出会い
2024.01.14
'90年代前半、最初の勤務先を辞めて職安に通っていた自分・・・当時、パソコン通信のホスト局も運営していた。

その中で、うまく接続ができないとか、PCやモデムの設定がわからない、といった相談にも応じており、時には訪問してサポートを行った。パソコンの修理をしたこともあった。
私は商売っ気が無くて、料金をもらった事がないどころか、そもそもその発想がなかった。(ホスト局自体、完全に自分の手出しで、アクセス側の負担は電話代のみ)

ある時、陶芸家のオジサンと出会った。自分から見れば、まったくの異業種。

正直な気持ち、どうやって茶碗を作って生活できるのかがわからなかった。

ある時、私のネット主催で
パソコン通信のオフ会と称して、キャンプみたいな行事を催したが、そこへそのオジサンが飛び込みでやってこられたのだった。

話を聞くと、
「パソコンってなんだかわからないけど、やってみればわかるだろう、と思った。50万もしたが思い切って買ってしまった。だけど使い方が全くわからない。教えてくれ。(というより助けてくれ)」
・・・とのこと。

そこから付き合いが始まったと思う。

後日電話がかかってきて、「そちらのホスト局につなごうとしているが、わからなくて困っている」

電話で手順をひとつずつ説明していたら、いきなり電話がブツブツ、ブツブツブツ、となって切れてしまった。(つまり、先方が同じ回線でモデム発信してしまった)
そこで話は終わってしまい、直後に電話をかけてもつながらず。
こんなふうに途中で切れてしまったりするので、口頭での説明は難しいだろうから手順を書いたFAXを送ったりして対応した。

その後、
なんとか接続できるようになったと思ったら、なんだかイマイチ不安定。途中で切れたりする。通信速度も出てない。もっと出るはずだが、おかしい。
結局、直接出向いて対応することになった。地元の何かの展示会に行った機会に、そのまま車に乗って家まで連れて行かれた。

そこで試してみると、やっぱりおかしい。なんだろう。

スピーカーでモニタしていると、どうやら回線にノイズが乗っているようだ。いわゆるハム音で、ブーとかビーという音が重なっていた。

なぜそうなる? 電話の配線を辿ってみた。天井裏に潜り込んだりして調べて、ノートに接続関係を書き出してみた。
モデムとFAX電話機と別の電話機も接続されていた。
電話線を取り外し、ひとつだけ回線につないだり、つなぐ順番を変えて試したりしているうちにわかってきた。つなぐ順番によってノイズが出たり出なかったりする。試行錯誤の結果、ノイズが出ないような接続順番に変えて解決した。

こんな事例は初めてだった。どんなふうにつないでも同じだろうと、それまでは思っていたが現実は違った。
パソコン通信でモデム接続中に受話器を上げると通信が切れてしまうので、その対策として秘話アダプタをホームセンターに買いに行ったり・・・

その後もPCの使い方の指導に行ったり(教えるのは苦手なので自分としては苦労の連続)、
つきあいは続いたが、

ノートに操作方法を細かくメモしていったりして、熱心に勉強されていた。

ひとつひとつの用語の意味から納得いくまで聞かれるので、説明するのが大変どころではなかった。自分自身も深く理解していないところがあったと再認識しつつ、どう言えばわかってもらえるか、頭を働かせてクタクタになった。

そのうちパソコン通信は下火となり、インターネットが普及してきた。

当時のインターネットはダイヤルアップだったが、プロバイダと契約したので接続設定をしてほしいとのこと。
それで出張して設定を行ったが、何度やってもつながらない。設定を見直したり、やり直したりを繰り返しながら、何度やってもうまくいかない。おかしい。
意地になって徹夜してしまったが、翌朝プロバイダに電話してみた。すると「こちら(プロバイダ)の設定ミスでした、申し訳ございません」

プロバイダ側の設定ミスを直してもらったら接続できるようになって一安心。

その後、ちょうどWindows95になった頃で、3.1からのバージョンアップをした。てっきり喜ばれると思ったが・・・

「元に戻してくれ、わからん」と怒られた。

「猛勉強でやっとの思いで操作を覚えたのに、全面的にガラッと変わってしまって完全にお手上げだ」 という。

これからはこれに変わりますから頑張って覚えて下さい、と説得し、ようやく納得してもらった。

それもつかの間、今度は国際電話に発信するようになっただの、ウイルス感染したので自分で駆除しようとしてファイルを消したら起動しなくなってピンチだとか、

どんなファイルを消したんですか? →Windowsのシステムファイルを消した。
ガチョーン。

なんでそういう発想になるのか、消すなよ大事なものを。
復旧のために出張して、なんとか復旧完了。

なんだかんだで、2000年頃までは良く訪問していた。その後、自分は遠くに引っ越してしまってご無沙汰になったが、年1回以上は遊びに行ったりしていた。
そんな機会に、またあれこれ聞かれたりして、帰りが夜遅くなりがちだった。
START
2024.01.01
以前から気になっていた「おかゆ」(レトルト)を食べてみた。
全くの気まぐれ。

おかゆなんて、何十年ぶりですか、という感じ。

おいしかった記憶はない。幼い頃、病気で寝込んでいる時に食べて以来じゃないか。ただでさえ病気で食欲がない時に食べたから、余計まずく感じたのかもしれない。

そばがゆを食べてみた。


うん、ほとんど味がしない。
原料には塩が入っているのに、塩気がない。

そこで、味噌汁をちょっとだけ飲む。・・・なんて味が濃いんだ! 味噌汁って。

普段、味の濃いものに慣れてしまっている。
普通の味噌汁だけど、こんなに味の濃いものは身体に悪いような気がする。刺激が強いと感じた。

とにかく、味の薄いおかゆだけ味わって食べていれば、味覚が鋭敏になりそうだ。

新年のスタートは、気まぐれにおかゆを食べてみたという話でした。
散多菩薩法要
2023.12.28
もう過ぎてしまったが、和風に言うと散多菩薩法要とその前夜祭

(要するにサンタクロース)

幼い頃は純粋だったから、その存在を信じていた。(ちょっと疑ってもいた)

赤い服着た怪しいおじさんが夜に煙突から侵入してくる。盗みじゃなく、置いていくのだから許されるのかなと。

ところが、うち(当時住んでいた戦前からの古い家)には人が入れるような煙突は無かった。

仮に、人が入れるサイズであっても、暖炉で火を燃やしているところに入れないだろうとは思った。

うちにあった煙突は、風呂用とトイレ用だった。

風呂は五右衛門風呂だった。長州風呂といったほうが正確かもしれないが五右衛門風呂のほうが通じやすい。
木の廃材や皮、燃えるゴミを燃料としていた。
その湯加減は難しい。いまのように、温度セットしておけば自動で湯をはってくれるものとはまるで違った。沸騰させようと思えばできるようなもの。
外で燃料をくべながら、煙が目にしみながら、手を突っ込んだりかき回したりして湯加減をみていた。

トイレはいわゆるボットン式で、あの深い穴が恐怖だった。子供の頃は足がすくんで、その便器の近くを歩くのが恐怖だった。落ちるんじゃないかと。
その煙突というか臭突の先端には、風でくるくる回るものが付いていた。台風のたびに吹っ飛んで、落ちたのをかぶせる事の繰り返しだったが、何回目かに壊れてしまいそれっきり放置した。

いずれにしても、直径でどれくらいだったか、せいぜい数十センチであんな太ったオジサンが入ってこれるサイズではない。
トイレの臭突なんか、汚いから入ってこないだろう。

うちは人が入れる煙突ないから散多菩薩様は来れないのかなあ、なんて疑問を親にぶつけていたかもしれない。覚えてない。

それでも、その日の夜にコソッと庭に出て、これらの煙突のあたりに立ち、夜空を眺めたのだった。
ぎょうちゅうけんさ
2023.12.23
健康診断関連で思い出した話

いまの健康診断では基本的にやってないが、寄生虫の検査
知り合いの調理師さんの話では、毎月検便をやっているらしい。

自分の場合は、小1まではその現物をちょっと採取して袋に入れ、学校へ持っていった。

親の世代だとマッチ箱に入れて学校へ持っていったという話。

小2からは方式が変わり、おなじみのセロハンテープ方式。
小さな紙が折りたたんであり、間に緑色のフィルムが挟んである。左側が1日目、右側が2日目。
その緑色のフィルムは1日目と2日目がくっつかないように挟んであった。
顕微鏡で調べる時は重ねて見るんだろうけど、衛生的な理由と、剥がしやすくする為に緑フィルムが挟んであったんだろうと思う。

最近のものは全体的にプラスチックフィルムで作られているようだが、自分たちの頃は茶封筒みたいな紙で、窓の部分だけセロハンテープ。
真似して同じようなものを作ってみたことがある。実際に使わなかったけど。


ぎょうちゅうは寝ている間に産卵するので、朝一番にお尻*にセロハンテープを当てて採取する。

終わった後、それを透かして見ながら、ふーん、こんなものかあ・・・と感心するやら興味津々

一度だけ、赤い糸くずのようなものが見えて、うーん、何か赤い服なんか着た覚えないけどなあ、と思ったがどうやらそれはぎょうちゅうだったようだ。結果、陽性が出た。

それで駆虫薬を飲まされたが、これも何種類かあって、

赤いシロップ、これは便が赤く染まるので、初めて見るとビックリする。

チョコレート、これは(リピート絶対無理な)変な味だったが、薬を飲みやすくするための工夫だったのだろう。


学校では大きなビニール袋が用意されていて、みんなその中へ入れていく。女の子は恥ずかしいのだろう、紙で包んで出していた子もいた。

中には、何を勘違いしたのか、うん*の一部がそのまま挟まっているのを見た覚えがある。


ところで、寄生虫についての勉強会があった。教頭先生が紙芝居で説明してくれたのを覚えている。

生野菜に付着、これは糞尿を畑にまいていた時代だったから。現代でも有機肥料といって人糞を使うと寄生虫の可能性もあるので、全く安心できない。

肉でも、どんな食べ物でも寄生虫が入り込む可能性はあるようだった。その前提で、良く洗うとか、じゅうぶんに加熱してから食べるとか、そういった対策をするのだ、と。

話を聞いていたら、一気に食欲が減退した。なにか入ってるんじゃないかと思いながら給食は食えないよと。

学校帰りにタニシを田んぼで拾ってきて自宅の水槽に飼っていたが、あれも寄生虫に関係するとか、うーん、大丈夫だっただろうか。
板書
2023.12.23
個人的年内最大のイベントも終わったが、あれこれ仕事は山積み。

たまたま開いたサイトで、「黒板に字をうまく書くのって・・・」という記事があり、学校の先生はどうしてあんなにうまく書けるのかという話だったかと思う。

いまはホワイトボードや電子黒板だろうな。

チョークの粉を吸うので呼吸器系に影響があるんじゃないかといっていた先生もいた。確かな事はわからない。

まあ、個人的にはチョークというものは・・・「飛んでくる物」

特に高校時代だったかなあ。授業中おしゃべりしたりしていると、席に飛んでくる。うまく狙い撃ちして投げる先生がいた。着地点の机上にチョークの跡クッキリ。

あと、居眠りしているやつの頭をペン先でチクッとつっつく先生がいた。確か国語の先生で、私は、この先生の授業時だけは絶対に居眠りするまいと決心していた。

ところが・・・うっかり一度だけ居眠りしてしまい、チクッとやられて目が覚めた思い出。

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