きゅうしょく2
2024.03.04
当時は、鯨が給食に出ていた。
いや、まるごとじゃなくて。
黒くてサイコロみたいな状態、それが数個だったか。アルミのお皿に。
たぶん竜田揚げか。
だけど、どうも苦手で食べた記憶がない。周囲の友達にあげちゃったと思う。
個人的にヒットしたのは、ちくわの磯辺揚げ。
青のりを混ぜた衣をつけて揚げただけのちくわだが、単純なのに、妙にうまくてお気に入りとなった。今も引きずっている。
単純といえば、卵料理でうまかったものがひとつあって、
アルミのカップに卵を入れて、たぶん蒸すか焼いて固めたものと思うけど、ただそれだけの料理。
底は焦げてなかったから焼いてないと思う。それで蒸したものかと思っただけ。
いまでも再現してみたくなる。だけど子どもの頃のような感動はないだろうな。
それを再現しようとして、高校生の頃によく作って食べたのは、皿に卵を割って入れる。ラップをかぶせて電子レンジにかける。
たまに「ボン」と破裂する事があるので、加熱前につまようじでつっついておくとよい。
パンの食べ方も色々工夫したが、ジャムとマーガリンを混ぜるとおいしい事を発見し、その後ずっとはまっていた。
糖分+油分=おいしい
いや、まるごとじゃなくて。
黒くてサイコロみたいな状態、それが数個だったか。アルミのお皿に。
たぶん竜田揚げか。
だけど、どうも苦手で食べた記憶がない。周囲の友達にあげちゃったと思う。
個人的にヒットしたのは、ちくわの磯辺揚げ。
青のりを混ぜた衣をつけて揚げただけのちくわだが、単純なのに、妙にうまくてお気に入りとなった。今も引きずっている。
単純といえば、卵料理でうまかったものがひとつあって、
アルミのカップに卵を入れて、たぶん蒸すか焼いて固めたものと思うけど、ただそれだけの料理。
底は焦げてなかったから焼いてないと思う。それで蒸したものかと思っただけ。
いまでも再現してみたくなる。だけど子どもの頃のような感動はないだろうな。
それを再現しようとして、高校生の頃によく作って食べたのは、皿に卵を割って入れる。ラップをかぶせて電子レンジにかける。
たまに「ボン」と破裂する事があるので、加熱前につまようじでつっついておくとよい。
パンの食べ方も色々工夫したが、ジャムとマーガリンを混ぜるとおいしい事を発見し、その後ずっとはまっていた。
糖分+油分=おいしい
きゅうしょく
2024.03.02
自分が小学生だったのは昭和50年代(前半)だが、
当時、給食には米飯がなかった。
確か、3年生ぐらいから米飯が始まったと思う。
以後パンか米飯のどちらかが付いていた。もちろん、麺類(うどん等)の時は米飯は無かったような。
いわゆるコッペパンか、または食パン2枚。そして小さな袋に入ったマーガリン。
自分は当時バターとマーガリンの区別とか全く何も考えていなかった。むしろ、同じだと思っていた。ラーマ奥様インタビューなんていうCMがあったけど、あれをバターだと思っていた。
本物のバターを見た記憶は少なく、北海道の人からおみやげでもらった缶詰のもので、美味しいけど固くて使いにくかったなという印象。
小さな袋に入ったマーガリン、冷えていると固めで使いにくいので、暖かい汁物の器の下にしばらく敷いて暖めて溶かしていた。
暖めすぎると透明に近づき、とろとろになってしまう。ほどよい所で止めなければならなかった。
そのマーガリンの袋のカドをちょっと切り落とし、細長く出るようにする。それでパンに好きな模様やら文字やら描いて遊びながら食べていた。
マーガリンは、ママレードやいちごジャムに変わる時もあった。ピーナツバターが最高にうまかった。なんでこんなおいしい物が世の中に存在するんだ!と、大興奮した。
だけど大人になってからピーナツバターを買ってきて食べても、あの頃に比べたら舌が肥えているせいか、それほどの感動は味わえない。
こういった給食用のジャム等のメーカーとして「タカベビー」が有名(タカ食品)だけど、小分けにしたものが通販で購入できる。以前まとめて買ったが、当初は懐かしいと思えたけどさすがに飽きてきた。
ところで、
病欠のクラスメイトの家には、その近くの者がパンを持って行く決まりになっていた。いま思えば、わざわざ持っていかなくても良さそうなもんだが。家にもパンはあるだろう。
それがまた、うちの近所は個人的に嫌いな女の子がいて、いつも喧嘩していた仲だったので、持っていきたくなかった(笑)
パンの話だけでも長くなりそうだが、・・・
たった一度だけ給食にラーメンが出た事があり、いまでも忘れられない。
うどんは度々有ったけど、そばは記憶に残ってない。スパゲティ(ミートソース)もあった。
チャンポンも有ったような無かったような。
バンサンスーといって中華春雨のようなもの? 冷やし中華風の物もあった。
牛乳は最初ビンで、いつ切り替わったかわからないが、途中から三角パックになった。
やっぱりビンは重いからか。
コーヒー牛乳の粉が、たまに忘れた頃についてきて嬉しかった。ヒャッハーと大喜び。ほんとに。
こういう時にビンだと混ぜやすくて良いが、その分、ビンからはみ出す事を想定しないとあふれてしまう。
最初、牛乳をそのままちょっとだけ飲んで減らす。そこでコーヒー牛乳の粉を入れる。ストローを突っ込んで良く混ぜる。
あとは至福の時を味わうのみ。
当時、給食には米飯がなかった。
確か、3年生ぐらいから米飯が始まったと思う。
以後パンか米飯のどちらかが付いていた。もちろん、麺類(うどん等)の時は米飯は無かったような。
いわゆるコッペパンか、または食パン2枚。そして小さな袋に入ったマーガリン。
自分は当時バターとマーガリンの区別とか全く何も考えていなかった。むしろ、同じだと思っていた。ラーマ奥様インタビューなんていうCMがあったけど、あれをバターだと思っていた。
本物のバターを見た記憶は少なく、北海道の人からおみやげでもらった缶詰のもので、美味しいけど固くて使いにくかったなという印象。
小さな袋に入ったマーガリン、冷えていると固めで使いにくいので、暖かい汁物の器の下にしばらく敷いて暖めて溶かしていた。
暖めすぎると透明に近づき、とろとろになってしまう。ほどよい所で止めなければならなかった。
そのマーガリンの袋のカドをちょっと切り落とし、細長く出るようにする。それでパンに好きな模様やら文字やら描いて遊びながら食べていた。
マーガリンは、ママレードやいちごジャムに変わる時もあった。ピーナツバターが最高にうまかった。なんでこんなおいしい物が世の中に存在するんだ!と、大興奮した。
だけど大人になってからピーナツバターを買ってきて食べても、あの頃に比べたら舌が肥えているせいか、それほどの感動は味わえない。
こういった給食用のジャム等のメーカーとして「タカベビー」が有名(タカ食品)だけど、小分けにしたものが通販で購入できる。以前まとめて買ったが、当初は懐かしいと思えたけどさすがに飽きてきた。
ところで、
病欠のクラスメイトの家には、その近くの者がパンを持って行く決まりになっていた。いま思えば、わざわざ持っていかなくても良さそうなもんだが。家にもパンはあるだろう。
それがまた、うちの近所は個人的に嫌いな女の子がいて、いつも喧嘩していた仲だったので、持っていきたくなかった(笑)
パンの話だけでも長くなりそうだが、・・・
たった一度だけ給食にラーメンが出た事があり、いまでも忘れられない。
うどんは度々有ったけど、そばは記憶に残ってない。スパゲティ(ミートソース)もあった。
チャンポンも有ったような無かったような。
バンサンスーといって中華春雨のようなもの? 冷やし中華風の物もあった。
牛乳は最初ビンで、いつ切り替わったかわからないが、途中から三角パックになった。
やっぱりビンは重いからか。
コーヒー牛乳の粉が、たまに忘れた頃についてきて嬉しかった。ヒャッハーと大喜び。ほんとに。
こういう時にビンだと混ぜやすくて良いが、その分、ビンからはみ出す事を想定しないとあふれてしまう。
最初、牛乳をそのままちょっとだけ飲んで減らす。そこでコーヒー牛乳の粉を入れる。ストローを突っ込んで良く混ぜる。
あとは至福の時を味わうのみ。
ポポロン(の類似品)
2024.02.29
ヒング
2024.02.26
目が覚めた夢
2024.02.22
もう忘れていいのに、学生時代に戻った夢
高校時代、落ちこぼれで苦労した。
じつは落第ギリギリだったし、超低空飛行でよく卒業できたもんだ。
たまに見るのは、その高校の玄関前で足が進まなくなる夢。
一生懸命歩こうとしているのだが、なぜか足が重くなりジワジワとしか進まない。
もたもたしているうちにキンコンカンコン鳴って遅刻。
実際は遅刻なんかしなかった。
入学初日だけは道に慣れてなくてギリギリになったのは覚えている。だが初日だけは学校側も大目に見ていた。
駅から市役所付近、島原城、商業高校、武家屋敷、住宅街を通って学校までのぼっていく通学コース。ざっと30分ぐらいかかったか。
数年前に思い出して歩いてみたこともある。
駅の外のトイレは現在のようにキレイではなく、だいたい農業高校のワルがたむろしていて、タバコを吸ったり、オイコラお前と因縁つけられたものである。
近年、高校はすべて建てかわってあの校舎も玄関も昔の姿ではない。もう忘れていいのに。
今朝は早朝に目覚めたが、学校の勉強についていけなくて嫌になり、やめようと思ったところで目が覚めた。いやな目覚めだ。
夢の中では、全教科1冊のノートにでたらめに書き込んでいてしかも空きページがない。授業中、やばい書き込むところがない、帰りにノート買いにいかなきゃな、と考えていた。
現実これは中学の頃に1冊で全部兼用するという愚行をやっていて、なぜそうしたのかわからないが、1教科1冊ではもったいないと思ったのか。何冊もあるとカバンが重くなったか。
ある時、ある先生が私のノートをいきなりみんなの前でさらして、こういうノートの使い方はいけない、といった。これを優等生のノートと比べるという事をみんなの前でやったのである。確かにノートの使い方はいけなかっただろうが、比べるなんて、あんまりひどいだろう。
これは現実の話だが、
数学の授業なんかでもサッパリわからなかった。
それじゃ問題を解いてみろ、ということでみんな取り組み始める。
自分、さっぱりわからない。全然進まない。
時間は流れて、授業終わり。
こうして、なんとなく時が過ぎていき、あとから取り戻せなくなる。
数学というものはどこかでつまずくと落ちこぼれるのである。
周囲のみんなから、数学なんて単純だろ簡単だろ、って言われる。
それを聞いてイライラしていた。
先生が黒板で説明をしていて、さあ、あとは機械的にスラスラと、ほらできた、簡単だね、なんてやっていたのを今でも覚えている。
なんかこういうのでムカムカしていた。だから全然わからんってば。
肝心の数学の内容はサッパリ覚えてない。イライラ、ムカムカした事だけいつまでも覚えている。
夢の話に戻るけど、
日直をやっていて休み時間に黒板を消していた。自分の席に戻ろうとするが自分の席がどこだかわからなくなった。夢の中というのは、わけがわからんな。
こんな板書を書き写すだけじゃ頭に入るわけないだろとかゴチャゴチャ考えていた。
今度は体育で野球をやるという話になり、じつは野球観戦だけとか、もう夢の中というのはめちゃくちゃである。
(いずれにしても運動は全然ダメなのび太君だったから、野球も水泳も嫌だー)
勉強もちっともわからん。こりゃもう破綻だとか思い詰めた。(夢の中)
たぶんこれは、Youtubeで「ただよび」をずっと耳で聞いていたせいだろうな。物理の先生がきれいで萌えるのだが、勉強の内容は正直言ってサッパリわからん。
こりゃ全然わからんと思って途中で止めたんだっけ。
この記憶があとから夢に反映されたのかもしれない。
現実の話なんだが、そろそろ高校入試。
試験問題が公表されていたので、以前ちょっと読んでみたけど、いま見てもサッパリわからん。よく、あの当時これが解けたものだと。
昔とそんなに変わらないはずだけど。
結局、受験でしか使わない知識だったのか。
中3の夏ぐらいだったか、このままじゃ高校入試も危ういというので、地元の塾を紹介されて通わされる事になった。
病気で地元に戻ってきた先生が個人で農業と兼業でやっていて、いまも変わらないが昔の納屋の2Fを改造して教室にしていた。
教室と言っても座布団を敷いて床に座る。
だが、この先生は教え方が抜群にうまかった。
英語の発音ひとつとっても、この先生から教わるとよくわかった。アクセントが一発でわかった。学校の先生は発音が悪かった。
学校の先生の発音「べり~ぐっど」
塾の先生の発音「very good」
中学卒業まで大変お世話になった。そこで縁が切れるはずだった。
ところが高校で落ちこぼれ、赤点で追試になり・・・
またお世話になって、教わるとスイスイわかった。なんということでしょう。
ちょっと最初のほうだけ教わると、あと全部わかるみたいな勢いでわかった。
ゴチャゴチャ長く書いたが、夢だか現実だかわからない文章になってしまった。
高校時代、落ちこぼれで苦労した。
じつは落第ギリギリだったし、超低空飛行でよく卒業できたもんだ。
たまに見るのは、その高校の玄関前で足が進まなくなる夢。
一生懸命歩こうとしているのだが、なぜか足が重くなりジワジワとしか進まない。
もたもたしているうちにキンコンカンコン鳴って遅刻。
実際は遅刻なんかしなかった。
入学初日だけは道に慣れてなくてギリギリになったのは覚えている。だが初日だけは学校側も大目に見ていた。
駅から市役所付近、島原城、商業高校、武家屋敷、住宅街を通って学校までのぼっていく通学コース。ざっと30分ぐらいかかったか。
数年前に思い出して歩いてみたこともある。
駅の外のトイレは現在のようにキレイではなく、だいたい農業高校のワルがたむろしていて、タバコを吸ったり、オイコラお前と因縁つけられたものである。
近年、高校はすべて建てかわってあの校舎も玄関も昔の姿ではない。もう忘れていいのに。
今朝は早朝に目覚めたが、学校の勉強についていけなくて嫌になり、やめようと思ったところで目が覚めた。いやな目覚めだ。
夢の中では、全教科1冊のノートにでたらめに書き込んでいてしかも空きページがない。授業中、やばい書き込むところがない、帰りにノート買いにいかなきゃな、と考えていた。
現実これは中学の頃に1冊で全部兼用するという愚行をやっていて、なぜそうしたのかわからないが、1教科1冊ではもったいないと思ったのか。何冊もあるとカバンが重くなったか。
ある時、ある先生が私のノートをいきなりみんなの前でさらして、こういうノートの使い方はいけない、といった。これを優等生のノートと比べるという事をみんなの前でやったのである。確かにノートの使い方はいけなかっただろうが、比べるなんて、あんまりひどいだろう。
これは現実の話だが、
数学の授業なんかでもサッパリわからなかった。
それじゃ問題を解いてみろ、ということでみんな取り組み始める。
自分、さっぱりわからない。全然進まない。
時間は流れて、授業終わり。
こうして、なんとなく時が過ぎていき、あとから取り戻せなくなる。
数学というものはどこかでつまずくと落ちこぼれるのである。
周囲のみんなから、数学なんて単純だろ簡単だろ、って言われる。
それを聞いてイライラしていた。
先生が黒板で説明をしていて、さあ、あとは機械的にスラスラと、ほらできた、簡単だね、なんてやっていたのを今でも覚えている。
なんかこういうのでムカムカしていた。だから全然わからんってば。
肝心の数学の内容はサッパリ覚えてない。イライラ、ムカムカした事だけいつまでも覚えている。
夢の話に戻るけど、
日直をやっていて休み時間に黒板を消していた。自分の席に戻ろうとするが自分の席がどこだかわからなくなった。夢の中というのは、わけがわからんな。
こんな板書を書き写すだけじゃ頭に入るわけないだろとかゴチャゴチャ考えていた。
今度は体育で野球をやるという話になり、じつは野球観戦だけとか、もう夢の中というのはめちゃくちゃである。
(いずれにしても運動は全然ダメなのび太君だったから、野球も水泳も嫌だー)
勉強もちっともわからん。こりゃもう破綻だとか思い詰めた。(夢の中)
たぶんこれは、Youtubeで「ただよび」をずっと耳で聞いていたせいだろうな。物理の先生がきれいで萌えるのだが、勉強の内容は正直言ってサッパリわからん。
こりゃ全然わからんと思って途中で止めたんだっけ。
この記憶があとから夢に反映されたのかもしれない。
現実の話なんだが、そろそろ高校入試。
試験問題が公表されていたので、以前ちょっと読んでみたけど、いま見てもサッパリわからん。よく、あの当時これが解けたものだと。
昔とそんなに変わらないはずだけど。
結局、受験でしか使わない知識だったのか。
中3の夏ぐらいだったか、このままじゃ高校入試も危ういというので、地元の塾を紹介されて通わされる事になった。
病気で地元に戻ってきた先生が個人で農業と兼業でやっていて、いまも変わらないが昔の納屋の2Fを改造して教室にしていた。
教室と言っても座布団を敷いて床に座る。
だが、この先生は教え方が抜群にうまかった。
英語の発音ひとつとっても、この先生から教わるとよくわかった。アクセントが一発でわかった。学校の先生は発音が悪かった。
学校の先生の発音「べり~ぐっど」
塾の先生の発音「very good」
中学卒業まで大変お世話になった。そこで縁が切れるはずだった。
ところが高校で落ちこぼれ、赤点で追試になり・・・
またお世話になって、教わるとスイスイわかった。なんということでしょう。
ちょっと最初のほうだけ教わると、あと全部わかるみたいな勢いでわかった。
ゴチャゴチャ長く書いたが、夢だか現実だかわからない文章になってしまった。