味噌汁
2024.12.04
味噌汁、沸騰させがち。(いつも)
今朝の残りがあった。ガスにかけて温まるまで時間がかかるなあ、と思いながら、
毎度沸騰させてしまっているのは毎回思い出し、今度は失敗するまい、ガスの前で待っておこうと思ったりもする。
しかし待つのは苦手だから、それまでの間、他の用事を片付けておこうとする。冷蔵庫に入れておいたから温度が低くて時間がかかるだろう、と。
そのうちに集中力スイッチが入って没頭してしまったり・・・味噌汁の事なんか脳内からスッカリ消えて、
シュワー、ゴトゴトゴトという音に異変を感じ、キッチンを見に行ってみると味噌汁が沸騰中!
やっちまった。
まあ、食べられない事はない。かえって殺菌になって良かっただろう。冷ませば良いだろうと。
味噌汁沸騰防止装置なんかできないだろうか。かつての(懐かしの)風呂ブザーみたいに。
裸火の周囲だから、材料の耐熱や不燃性が難しいところだな。
今朝の残りがあった。ガスにかけて温まるまで時間がかかるなあ、と思いながら、
毎度沸騰させてしまっているのは毎回思い出し、今度は失敗するまい、ガスの前で待っておこうと思ったりもする。
しかし待つのは苦手だから、それまでの間、他の用事を片付けておこうとする。冷蔵庫に入れておいたから温度が低くて時間がかかるだろう、と。
そのうちに集中力スイッチが入って没頭してしまったり・・・味噌汁の事なんか脳内からスッカリ消えて、
シュワー、ゴトゴトゴトという音に異変を感じ、キッチンを見に行ってみると味噌汁が沸騰中!
やっちまった。
まあ、食べられない事はない。かえって殺菌になって良かっただろう。冷ませば良いだろうと。
味噌汁沸騰防止装置なんかできないだろうか。かつての(懐かしの)風呂ブザーみたいに。
裸火の周囲だから、材料の耐熱や不燃性が難しいところだな。
携帯電話
2024.12.04
一般に携帯電話が普及する以前に、電話機を持ち歩いていた事がある。1992年頃。
ある窓口で自分のカバンを開けて書類を取り出していたら、窓口の方から「なんで電話を持ち歩いているんですか」
カバンの中にある「それ」が見えたらしい。
「それ」は本当に、家にある電話機。(黒電話ではない)
まあ、仕事で使うために会社へ持っていっていただけなのだが・・・意外と会社には一般の電話機がなく(ビジネスホンしかない)、急ぎ必要なのだが、というわけで家から使っていない物を持ってきたというわけ。
当時はアナログ電話回線やISDN関連機器にも関わっていた。
ISDNとかINS64、いんすと呼んでいたが正式な呼び方なのかどうか不明。
イーサネットにしてもISDNにしても、当時の自分には何の役に立つものか全然知らなかったが、その後の普及や、自分の草の根ネットをISDN化するなんて全く思いもしなかった。
当時ISDNルータ・ブリッジという製品があって、聞くと100万円以上するという。中にはアツアツのCPU基板とISDNインターフェース基板が入っており、ファンで冷やしていた。
その放熱を改善しなければならない、という事で下っ端の私が取り組んでいたのだった。
お前これ絶対壊すなよ、100万だぞって。
そのほか、ターミナルサーバーという製品もあって、RS-232Cポートが4つまたは8つ付いていた。それと10BASE-5だったか。社内LANに外部から電話回線を経由して接続可能になるという。
ふ~ん、それで何の役に立つのって思っていた。当時は。
そもそも自分の当時の勤務先には(本格的な)社内LANは無かった。一部にあったぐらい。本物のイエローケーブルがあって、ワークステーションにつながっていたぐらいか。
それと昔のミニコンのターミナルがあちこちに配置してあり、部品の登録や在庫管理に使っていたぐらい。
PC98のLANボードを経由してワークステーションに接続し、ファイルのアップロード、ダウンロードをしたぐらい。別にフロッピーやMOでもいいんじゃね、と思ったが・・・
面倒くさいんだよ。unixは。フロッピーやMOの出し入れのたびにコマンドを実行しなければならない。mount、unmountって。うっかり忘れて、先にMOをイジェクトしてしまった事もあった。直後に気づき、こそっと戻してunmountしたが良かったのかどうか。
telnetだのrloginだの、ワークステーションの中にログインしてプログラムを実行したりできた。当時は不思議だと思った。誰かが使っているのに、さらにその中に入って操作できるなんて。
のちにパソコン通信にのめり込むが、これも同様に何人もログインしてそれぞれ操作できるし、お互いにメッセージをやりとりすることもできる。当時の自分にはその仕組がよくわからなかったが、何人も同時に使えるというところに興味を持っていた。
ある窓口で自分のカバンを開けて書類を取り出していたら、窓口の方から「なんで電話を持ち歩いているんですか」
カバンの中にある「それ」が見えたらしい。
「それ」は本当に、家にある電話機。(黒電話ではない)
まあ、仕事で使うために会社へ持っていっていただけなのだが・・・意外と会社には一般の電話機がなく(ビジネスホンしかない)、急ぎ必要なのだが、というわけで家から使っていない物を持ってきたというわけ。
当時はアナログ電話回線やISDN関連機器にも関わっていた。
ISDNとかINS64、いんすと呼んでいたが正式な呼び方なのかどうか不明。
イーサネットにしてもISDNにしても、当時の自分には何の役に立つものか全然知らなかったが、その後の普及や、自分の草の根ネットをISDN化するなんて全く思いもしなかった。
当時ISDNルータ・ブリッジという製品があって、聞くと100万円以上するという。中にはアツアツのCPU基板とISDNインターフェース基板が入っており、ファンで冷やしていた。
その放熱を改善しなければならない、という事で下っ端の私が取り組んでいたのだった。
お前これ絶対壊すなよ、100万だぞって。
そのほか、ターミナルサーバーという製品もあって、RS-232Cポートが4つまたは8つ付いていた。それと10BASE-5だったか。社内LANに外部から電話回線を経由して接続可能になるという。
ふ~ん、それで何の役に立つのって思っていた。当時は。
そもそも自分の当時の勤務先には(本格的な)社内LANは無かった。一部にあったぐらい。本物のイエローケーブルがあって、ワークステーションにつながっていたぐらいか。
それと昔のミニコンのターミナルがあちこちに配置してあり、部品の登録や在庫管理に使っていたぐらい。
PC98のLANボードを経由してワークステーションに接続し、ファイルのアップロード、ダウンロードをしたぐらい。別にフロッピーやMOでもいいんじゃね、と思ったが・・・
面倒くさいんだよ。unixは。フロッピーやMOの出し入れのたびにコマンドを実行しなければならない。mount、unmountって。うっかり忘れて、先にMOをイジェクトしてしまった事もあった。直後に気づき、こそっと戻してunmountしたが良かったのかどうか。
telnetだのrloginだの、ワークステーションの中にログインしてプログラムを実行したりできた。当時は不思議だと思った。誰かが使っているのに、さらにその中に入って操作できるなんて。
のちにパソコン通信にのめり込むが、これも同様に何人もログインしてそれぞれ操作できるし、お互いにメッセージをやりとりすることもできる。当時の自分にはその仕組がよくわからなかったが、何人も同時に使えるというところに興味を持っていた。