トイレの200W
2023.01.14
2アマを取っても、当面は「トイレの200W」でしょう。ペーパードライバーみたいなものです。一応、現状で取れるところまで取りました、というところです。

この勢いで、続けて1アマも?
しかし試験会場は他県だし、遠距離の移動、前日からの宿泊など試験以外の部分でも大変です。いまのところ、そのパワーはありません。

それよりも、別に取りたい資格があるので、そちらを検討中。(アマチュアに対して、こちらはプロ免許)


集合住宅では2アマの資格をフルに活かす事はできないだろうと思います。
この資格では、アマチュアに許された全ての周波数が使えます。出力は、周波数によりますが200Wまで(周波数によっては50Wまで、詳細は調べて下さい)
こんな場所で100Wも200Wも出したら、電波障害でご近所に迷惑をかけそうです。50Wでもわかりません。せいぜい10Wまででしょう。

あと、移動する局と移動しない局は免許が別々になりますので注意。無線機の共用はできません。局免許2枚で、さらに電波利用料も倍になることを頭に入れておかなければなりません。
移動する局は50Wまでです。これを超えると移動しない局となります。ですから2アマだからといって(たとえば)100W機を買って申請すると、移動しない局として開設する事になります。今までの移動する局と、移動しない局の2つ!

局免許が別々になる事については、不満の声が上がっています。先日、Youtubeの宮甚商店にも動画が上がっていました。包括免許の実現とか、色々課題はあります。

現状、無線機を買ったり撤去したりするたびに局免許の変更手続きとか面倒です。アメリカのようにその点は自由にやっていいようにならないかという意見があります。

昔、私がはじめて開局した時は、買った無線機の周波数のみ正直に申請しました(もちろん現在も)。
ところが諸先輩方から言われたのは、ばかやろう、使える周波数は全部申請しとけよって・・・
持ってないのに申請するんですかと言ったら、たびたび申請するのは面倒だ、お前の家まで電監(当時)が調べに来るわけないだろ、万一来たらオールバンド機を貸してやるよと。
それが良いことのようには思えなかったので正直に申請しています。従って144/430MHzのみです。

しかし、実機がなくても調べれば技適番号は分かるので、持っていなくても申請はできてしまいます。なにかモヤッとした感じがします。本当に持っているか調べに来たところで、明日には(友達に返して)無くなってるかもしれません。微妙ですね。
2級の修了試験
2023.01.11
先日、判定試験に合格し、修了試験を受ける資格を得ました。早速予約しまして、今週末に受験します。体調不良などがなければ、良い結果になるでしょう。
5Wと100W
2023.01.09
出力の違いを一般の方にわかりやすく伝えるには?と、なんとなく考えました。

5W →ナツメ球。部屋の電灯のスイッチをカチカチひっぱって、小さな電球が光る。

100W →トイレには勿体ない明るさの電球。まぶしい、あの明るさ。


ところで小出力で交信するのをQRPと言いますが、個人的には1W未満がQRPなのだと長年思い込んでいました。それは誤りで、5WでもQRPなのだそうです。つまりハンディ機もQRPなのだと。

思いこんでいた原因は、昔の送信機の製作記事ばかり見ていたからかもしれません。0.1Wとか、0.5Wとか・・・
判定試験
2023.01.06
先日、判定試験の許可が出ました。いつでもオンラインで受験できます。
数日間、復習をよく繰り返してから挑みます。

これで合格すれば、次はCBT方式での修了試験を受けられるようになります。
修了試験に合格すれば、免許取得できます。
平成5年頃
2023.01.05
あの当時は一番盛り上がった、ピークだったと思う。最盛期。

無線には縁がないと思っていた人からも、教えてくれとか試験の参考書貸してとか言われた。マイナーな趣味だと個人的に勝手に思っていたのに。これだけ一般に浸透しているのかと思った。

会社のお姉さんたちも車に無線機を積んだりして、通勤途中に会社の仲間と喋ったりとか。

当時、私は1回目の自動車学校に挫折して、会社就職後、2回目の自動車学校に(無銭だからローンで)しぶしぶ通っていた。仮免も卒業検定も何度も繰り返し、そのたびに欠勤したのでますます無銭に拍車がかかり、なんとか半年かかってギリギリ卒業。
その送迎バスを運転されていた教官からも、無線に興味があるから色々教えて欲しいという話。参考書を差し上げました。

こんなふうに、周囲のみんなが無線をやっていたり新たに始めようという時代でした。

それが平成7~8年頃になると、PHSとか携帯が入手しやすくなり、そちらに移行していく方が増えていったと思います。

私はどちらかというと平成5年の段階で、パソコン通信に強い興味を持っていて、自らホスト局の運営をしていたぐらい。ずいぶんお金をつぎ込み、やっぱり無銭になりました。
平成10年頃にはパソコン通信は下火となり、インターネットへ移行していきました。ホスト局の電源を落としたのも、その頃だったと思います。

電源を落とした後も、回線を解約せずにそのままにしておいたら、たまに着信音が聞こえる事がありました。ISDNターミナルアダプタのリレーがカチカチ鳴ったりして。
わざわざ接続して来られた方には申し訳ない気持ちがありました。

なんだか違う話になりました。結局、無銭というのが共通点だったと思います。

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