モデムの自作
2024.10.12
初期の頃、モデムを自作しようという動きもあった。

電話回線に接続する機器は認定を受けなければならないが、製作記事ではあくまでも「内線用」という建前になっていた。

「ラジオの製作」で丹治さんのモデム、そしてI/OにNHKのパソコン通信講座の記事があって、そこにもモデムの回路図など載っていた記憶。

当時は沖電気のモデムICがあった。

どちらの製作記事も純粋にデータの変調・復調と回線I/Fまでしかないから、ダイヤルを回すのは併設の電話機から。

ORG(オリジネートモード)、ANS(アンサーモード)という切り替えスイッチがあったのを覚えている。こういった、どうでも良い事は良く覚えていて、いま記憶だけで書いた。
発信側、着信側の切り替えスイッチである。

後のモデムではそんな切り替えは不要となった。

モデムはアイワなどから製品が出ていたと思う。当時の通信速度は確か300bpsか1200bpsだった。

音響カプラといって、黒電話の受話器がピッタリはまるようになっていた装置もあった。自分は使った記憶がない。
端末の自由化以前は電話回線に自由に機器を接続することができず、規制が厳しかった。そのため、電話線と電気的に接続しなくて済む音響カプラが登場したという経緯だったと思う。

音響カプラは、モデム全盛の頃にも持ち運び用の機種があった。公衆電話の受話器に装着して使う想定だったと思う。わりと最近、その音響カプラを使って公衆電話から通信する動画を見た。
ISDN公衆電話はモジュラージャックがあったから、モデム内蔵PCから直接つないで発信することができた。
パソコン通信ごっこのプログラム
2024.10.11
当時MZのプログラム本には、電話回線で2台のMZをモデム接続して、遠くの人と(囲碁か将棋か忘れたが)通信でゲームをするプログラムが載っていた。

自分にはそれがとても贅沢に思えた。電話代がかかるのに!
そして、もし自分だったら電話代が気になってゲームに集中できないだろうと。

市内3分10円で1時間200円なら、まあまあだけど、さらにその外側のエリアだと・・・

のちにパソコン通信をやっていた頃、チャットに夢中で1時間ぐらい平気で遊んでいたが、あっという間に数千円、そして請求書はウン万円で怒られた。(市内通話ではなく遠いところとやっていた)

学生の頃は自分で回線は引けないし、そんなお金もなかった。

そこで作ったのは妄想パソコン通信ごっこプログラム。

MSXの中に、それっぽいパソコン通信のバーチャル世界を構築した、というと大げさだが・・・

オフラインで、オンライン風のメニュー表示などが出るようにしただけ。あくまでも「ごっこ」
ホストにアクセスした時のWelcomeの表示から、各メニューなどを勝手に真似して作っただけ。

この仮想的なホストに、アンダム・ラクセスという名前まで付けた。(ランダム・アクセスを捩った)

こうして、ひとりで雰囲気だけのパソコン通信を味わっていた。
将来、モデムでどこかと接続する日が来るのかもしれない、と希望を抱きながら。

その時点では全く想像もつかなかったが、まさか数年後に草の根ネットを始めることになろうとは。
パソコン通信のはじまり
2024.10.11
高校生の頃、同級生からパソコン通信のカートリッジをもらった。
THE LINKS (日本テレネット) だったと思う。
いらない、あげる、って。

これをMSXにさして、電話回線につなぐんだって。

じつはこれが初めてのパソコン通信だった。
草の根ネットじゃなくて商用ネットで、汎用のターミナルソフトではなく、このカートリッジではTHE LINKSしかつながらなかったが・・・

細かいことは忘れたが、接続中にホワンホワン鳴りながらロゴマークが回らなかったっけ。

しかし、電話代がベラボーにかかった。長崎から東京まで、そりゃあ高い。現在と違って、当時は距離に応じた課金になっていた。遠くに接続するほど10円で通話できる時間は極めて短くなる。

しかも通信速度は相当遅い。

地方は不利だと改めて感じた。

でも、お金を払わないで使っていた。本当は会員登録して、銀行振込の自動引落の手続きが必要だったみたいでそういう書類も同封されていた。

ある程度の金額までは使えて、それ以上は制限がかかったのか忘れたが・・・

それ以前に電話代がベラボーにかかるし、とても払えない。親から怒られるのは間違いなし。イヤになって早々に使うのをやめてしまった。

そのカートリッジも、通信に使わないのなら意味がなくて捨ててしまった。中を見たら8251が入っていたような記憶があり、いまなら汎用のシリアル通信、モデムカートリッジに変身させることもできたのかなと思う。

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