MC68000
2022.07.05
高校生の頃、ゲームセンターの機械やX68000が話題になり、MC68000への関心が高まっていた。これを2個だか3個だか積んで動かしてる「スゲエ」とか言うわけ。

こんな田舎の古本屋に、なぜかPC関係の技術書が充実していた。
その中に「MC68000ユーザーズマニュアル」を見つけた。当時はX68000どころかMZとMSXしか持ってなかったが、なんとなく将来必要になると思ったので、その本を買った。

まさか後年、もう1冊手に入れるとは思わなかっただろう。

初めてMC68000に触れたのは就職後。1992年だった。

この写真の通りの基板ではないが、こんなボードを使って初めてプログラムを作った。実際にはMC68020だったと思う。


モニタープログラムが有り、機能的にはだいたい昔のマイコンのモニタと同じ。プログラムのアップロード、ダウンロードもできた。
別のPCでアセンブルしたHEXファイルを、RS-232C経由でボードのRAM空間へ送り込んで実行していた。(最初は何も知らなくて、ROMに毎回書いたり消したり繰り返していた)

それまで知っていたCPUは主にZ80のみ。はじめてのMC68000のアセンブラは・・・自由すぎてかえって使いにくい(ぜいたくな悩み)。
どうしてもZ80の癖か、特定のレジスタを偏って使ってしまった。Z80だったらアキュムレータを中心にして転送するが、MC68000は任意に指定できた。

上司はいわゆるオタクで、何か聞きにいくと話が5分では終わらない。そのわりに、結局なんだっけ?と、わかったようなわからなかったような気分になった。聞くだけ無駄というのだけはわかった。

その上司が書いたプログラムのプリントアウトがゴミ箱に突っ込んであったので、それを拾ってきて、実際の作り方のお手本にした。手取り足取り教えてくれる人はいなかった。「見て盗め」とか本当に言われたぐらい。

これで最初の仕事は製品検査用のプログラムを作れ、と。

メモリボードのテストをするもので、最終的にはROMに焼いて検査部門へ渡す。

そのメモリのマニュアルは英文しかなく、辞書をめくりながら解読するのが非常に大変だった。よくわからないから、たぶんこうだろうと思って実際に動かしてみて、やはりそうなんだと確かめながら進めた。

特殊なメモリで、いまでは誰も知らないだろうがCAMというもの。MACアドレスを高速で検索する為に使うのだそうだ。
そのボードの設計も初めての仕事の一つだった。
日本端子
2022.07.04
端子メーカーとしては、個人的にはあまり縁がない。おそらく自動車業界がメインなのだと思う。
河野一族の会社という認識。
昔、何の仕事か忘れたが、相手側のコネクタはコレですと渡されて、それは最初正体不明だった。NTという刻印のみ。
あとでようやく日本端子の製品だとわかった、という事がある。確かコネクタに強い代理店に問い合わせて、日本端子ですと回答をもらったような気がする。

あと、住鉱テックもコネクタを製造販売していて、これも特定の業界向けなんだろうと思う。
やはり自動車関係、そして遊技機関係がメインのようだ。

日本オートマチックマシンも住鉱テックと同じ形状のコネクタを製造販売していたけど(※)、どっちがかオリジナルなのかもしれない。(不明)

PI-021-08M とか、そんな型番じゃなかったっけ。忘れた。

(※)いまWebサイトの製品情報を見たら、なかったようだ。

そして、コネクタを選ぶ時によく注意したい点のひとつはピッチ。ピン間隔のことで、ユニバーサル基板だったらインチが基本だから2.54mmになっている。
コネクタも2.54mmで作られている物が多いけど、物によっては2.50mmになっているのでご注意。
4ピンぐらいなら普通に(2.54mmピッチに)差し込めるが、ピンが増えると誤差が累積して差し込めなくなる。

そして、余計な知識だが2.50mmピッチのユニバーサル基板も有ったのだ。いまもサンハヤトが売っているかどうかは調べてない。でも昔は有って、昔と言っても20年も前ではないけど、1枚買って使ったのは覚えている。
道具シリーズ(16) 精密ドライバー
2022.05.23
精密ドライバー

幼い頃、近所の時計屋さんがあって、電池交換などを近くで見ていた事がある。

初めて手に入れたのは、たしか何かの化粧道具か何かに入っていたやつ。どう見ても精密ドライバーなのに、なんでそんなものの中に入っていたのか。爪の生え際を整えるか何かわからないがそういった目的だったらしい。
とにかくそれを失敬して、その1本だけをずいぶん長い間使っていました。

古い腕時計を片っ端からバラして、当然、元に戻せなくなってゴミ。ひどい事をしました。カメラもぶっ壊しました。とっておけばよかったのに。後の祭り。

中学ぐらいだったか、「ラジオの製作」の売り買いコーナーで、ある人から電卓を買いました。液晶が割れていて表示がまともに出てないから安くて。
それで、これを何とか使えるようにしたいという考えに取り憑かれ、カシオに送って修理依頼しようとした・・・という話は「リレー式電卓」の話の中に書いたので省略するが・・・

それを分解した時に使ったのは、カッターの刃。その先端を当てて回しました。そんなスムーズに回せるわけない。でもこれしかないから仕方ない。
こんな事を何度も繰り返したから、ねじはツンツルテンになってしまった。

何かと便利なカッターナイフ。別の話に書いたように、グリグリ回せばドリルの代用にもなりました。
道具シリーズ(15) ユニバーサル基板など
2022.05.23
ユニバーサル基板など

道具というより材料だが・・・

生まれて初めて接したのは、ラグ板でした。雑誌の製作記事で(子供の科学)。

真空管ラジオをもらってきて、その中身を見たりもしていました。あの真空管ラジオは、幼い頃に住んでいた家の床下に入れたまま、たぶん今もずっとそこにある。パーツ取りしてシャーシだけになっているんですけどね。

昔の家だったんで・・・ふすまの張替えをした時に昭和10年頃の福岡日日新聞(現在の西日本新聞)が出てきたから、昭和はじめ頃の家ではないかと思います。
地下には、いもを保管する為の貯蔵庫があって、貯蔵庫というか地下を掘っただけなんですが、そこにもみがらが積んである。悪さをすると、その真っ暗な所に閉じ込められたりしていました。戦時中は防空壕として使っていたらしい。

ラグ板がほしいと思っても、雑誌記事にあるようなキレイな物は通販で頼まないと手に入らない。拾ってきた真空管テレビやラジオから取り外した、汚い物ばかりでした。しかも2列じゃなくて1列のL型だったし。

そんなものが身近なところで売られていた東京などの人がうらやましかった。

要は部品を固定すればいいだろうという発送で、お菓子などの紙箱に穴をあけて部品を差し込み、リード線同士をハンダ付けしてみたが、いまいちうまくいかなかった。下手だったしなあ。それに当時は細かい作業が苦手で根気がなかった。

次に、何とか工夫したのが「画鋲」
身近で手に入るものといったら、近所のスーパーとか文房具を置いてあるところ。画鋲を板に差し込んで配線したらどうかと考えた次第。

板に実体配線図を描いて、要所要所に画鋲をさしこみ、部品を並べてハンダ付けする。

理屈の上ではそうだけど、あいにく手持ちの部品はジャンクから取り外したリードの短いやつばっかりだ。特にトランジスタ。
仕方なく画鋲をギリギリ近づけて配置。

そして画鋲は、温まりにくく冷めにくい。冷めるまで時間がかかる。だから融けたハンダが固まるまで時間がかかり、その間に、先につけたリード線が浮いたりした。

なんとも忙しかったわけです。1点の画鋲に3本ぐらいつけようとして、いまつけてるやつだけに熱を集中させたかった。他のやつに熱が伝わるとハンダが融けて浮いてしまう。

まるで「もぐらたたき」だよ!

まだ熱いうちに付け直そうとしても、また浮くばかり。いったん冷めるのを待ってから、またトライする。こんな具合に効率が悪かったです。

壁に掲示するタイプのラジオの展開模型を作りたいなと思ったんだっけ。

もうひとつ記憶にあるのは、同じ画鋲配線方式で・・・
自転車のブザーを作った。
たいていの自転車には、チーン、と鳴るのがついていると思うが、私は人と同じなのはイヤだったので自作した。
「みんなの科学」で紹介されていた呼び鈴ブザーの回路だったか、それをベースにして、実際に手に入ったジャンク部品で作ってみたのだけど、なんじゃらほい、それはないだろうという音がした。(笑)

ビービー、とか、ブーブー、ピーピーなら分かるんだけど、私が作ったのは「ボヨンボヨン」

なんとも奇妙なサウンドでありました。(笑)

まあとにかく出来上がったから、これからみんなで自転車に乗って出かけるから、私もこれを装備して出かけよう。
ところが、振動でガタガタなって回路がバラバラ(笑)
特に重たいトランスと電池がクセモノだったんだな。

色々言えば問題だらけだったけど、紙箱に画鋲をさして作った時点でダメだったしな。

しかし、まあ、いまその回路を再現しようとしても、あの偶然の産物は意外と難しいかもしれないね。

適当な部品をくっつけて作ったらタイムマシン付き電子レンジができちゃった、という「タイムマシン付き電子レンジ」(月刊マガジンだったか?後年、単行本を入手した)に影響を受けていた。

その後、科学教材社の通販を利用するようになって手に入れたのは・・・確か小学6年前後じゃなかっただろうか。いわゆる蛇の目基板。
いまでもサンハヤトのカタログに有るでしょう。ピッチが大きいやつ。2.54mmじゃないやつ。あれのドットが独立しているのと(1つ目)、4つつながってるのと2種類なかったっけ。
これを使い始めてラジオなんかこしらえて遊んでいた。

ベークの4mmピッチだっけ。いまサンハヤトのサイトを調べてみたけど見当たらず、もうなくなったのかな。

そのうち、2.54mmピッチの基板をどうしても使わなければならなくなった。ICを使った工作にチャレンジしたわけ。こんな細かいの大変だろうというのが最初の印象。

なんだっけな。初歩のラジオに載っていた電子サイコロかルーレットみたいなやつ。3つのLEDがチラチラ点滅して、ボタンを押すと止まってひとつのLEDだけ光る。
じつは記事では、ボタンを押すとスタートしてしばらくたつと止まるのだったけど、どこをどう間違ったのか、おかしな動きになった(笑)

こんなIC工作なんか初めてだったから、そんな奇妙な動きだって最初から動いたわけではなく、しつこく見直しをして手直しして、ようやく「とりあえず」動くようになったわけだ。
道具シリーズ(14) ドリル
2022.05.23
ドリル

自作プリント基板や、パネルに穴あけしてスイッチを取り付けたりする時にドリルを使いますね。

最初うちにあったのは(といっても幼い頃だが)ハンドドリルでした。

ああ、あれね・・・たぶん認識が違うと思う。手回しのやつです。腹で押すようにしなかったっけ。疲れるしズレるし、不便なシロモノでした。ただ、それしかないから仕方がない。

細い刃から折ってしまってなくなった記憶がある。

そんなの買えばいいじゃん、といっても隣町か、大きな市に行かないと売ってないから、そんなに気軽に買えなかった。

電動式ドリルを買ったのは、専門学校の学生の時だった。お金はそんなに無いから、安いものを探していたら、マルイだっけ、ドリルの組み立てキットがあったのでそれを思い切って購入。

ある程度使える物だったと記憶しています。見た目はプラモっぽかったんですけどね。スタンド付きだったのでプリント基板の自作には良かった。

それ以前はどうしていたかって? 「キリ」であけていました。穴径なんかいい加減で・・・まあそれほど細かい物は作ってなかったから良かったのだけど。

あと、カッターナイフの刃の先端を利用して、穴を開けたい所に先端を当て、グリグリ回すと穴があけられる。皿もみ穴みたいになるが仕方ない。

樹脂だったらはんだごてでブスッと突き刺して、あとは適当に削ったりして仕上げ。くさいし、ハンダゴテの先端が傷むような気がして、あまり好きではなかった。手軽だし、スチロール系の箱なんか、ドリルだとうっかりしてヒビが入るけど、ハンダゴテだと融かすから割れにくくてよかった。

ピンバイスでグリグリ回すとか、途方もない事をしていたような気もします。

卒業研究でLEDマトリクスの電光板を作って、LEDを768個も載せる感光基板を手作り。両面板はガラエポしかなかったから、ドリルの刃が切れなくなるのが早い。何度もホームセンターまで買いに行って、下宿の仲間と交代しながらドリルで穴あけ。さっきのマルイの電動ドリルで。

その電動ドリルはそんなに長持ちしなかったような気がします。ギヤがダメになったんだっけ。

ボール盤を買ったのは社会人5年目ぐらいだったか・・・たまたまホームセンターで\6,000と安価な物があり、これは買いだと思ってすぐに買って帰った。これは結構長い間、愛用していたけど、わりと最近まで持っていて、最後は取引先の人にあげちゃった。

手持ち式の電動ドリルは、ボール盤の前ぐらいに買ったっけ。これは今でも持っています。ただ回転が遅いので、あとで速いのを買い足しました。

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