道具シリーズ(3) ハンダ
2022.05.20
初めて使ったハンダは、白光JUNIORと一緒に売られていたと思われる「ヘクスゾール」です。カバヤ等のラムネ菓子の筒、ちょっと違うな、透明の筒の中にハンダがスプリング状に巻いてあったものです。
ハンダを引っ張り出して使う物で、作業的には使いやすかったような気がします。ただ、これも他と同様で選択の余地がなかった為、そういうものだと思っていました。
やはり、なんといっても、あの「香り」は忘れられません。はんだごてで融かした時の、あの「香り」です。
「におい」ではありません。「香り」です。この点を間違わないようにしなければなりません。
あの懐かしい香り、また、嗅いでみたいものです。
ハンダを引っ張り出して使う物で、作業的には使いやすかったような気がします。ただ、これも他と同様で選択の余地がなかった為、そういうものだと思っていました。
やはり、なんといっても、あの「香り」は忘れられません。はんだごてで融かした時の、あの「香り」です。
「におい」ではありません。「香り」です。この点を間違わないようにしなければなりません。
あの懐かしい香り、また、嗅いでみたいものです。
道具シリーズ(2) 最初のはんだごて
2022.05.20
田舎で手に入るものは、ある程度限られていて、選択の自由はありませんでした。ただ、ほかの選択肢についての情報も知らないから、特に不満もなかったと思います。こういうものだと、ただそれだけでした。
最初のはんだごては、今でも売られているハッコー(白光)のJUNIORシリーズ、60Wのものでした。
こて先はメッキではなく銅がむきだし。これは本来、自分でヤスリがけをしてこて先の形を作るものなのです。
ただ、当時はメッキのこて先なんて世の中に存在するのかどうかも知るよしはありませんでした。
銅がむきだしなので、ピカピカ光っているのは新品のときだけです。一度でも通電して熱くなると酸化して真っ黒になります。
そこで、こて先にやすりをかけ、ピカピカした銅を露出させます。すかさずハンダを流してやります。これでハンダ付けの準備ができました。
これでしばらくは使えますが、また真っ黒になってハンダの「乗り」が悪くなります。そしたら、またヤスリがけとハンダを流す必要があります。
いちいち面倒といえば面倒ですが、当時は、こういうものだとしか思いませんでした。
単に黒くなるだけではなく、銅が「食われて」穴があいたり、欠けたりします。それできれいに尖るようにするためにヤスリで成形する必要がありました。
最初はコテ台もなく、クッキーか、せんべいの四角い空き缶の中にはんだごてを置いて使っていたような記憶があります。
いつ頃だったか、グラインダーの砥石の割れたやつをひろってきて、これはヤスリとして使うにはちょうど良いなあ、と。その缶の中に置いて使っていました。おもりになって、こて台としても安定していたし、砥石の上にはんだごてを置いても平気でしたね。
また、そのうちにヒーターが切れて、新しいはんだごてに買い替え、といっても同じ機種しか地元のホームセンターでは選択肢がありませんでしたが・・・同じ機種を代々使っていました。
いつ知ったのだろうか、メッキのこて先は・・・たぶん「ラジオの製作」、「初歩のラジオ」あたりの記事で、そんな物があるんだと、情報源は当時それぐらいしかありませんでしたから。
メッキを知ったのは後の事で、その前のステップとして、電子工作には60Wでは大きすぎる事を知ったのではないかと思います。それで20Wぐらいの物を買おうとしたのではなかったか。
それで買ってきたのは、こて先がメッキになっていた物だったのです。ただ、その時はメッキという認識がなく、今まで通りにヤスリをかけて使っていました。ここで大失敗していたのですね。最初は、失敗とは思いませんでした。
あとから、どうも間違ってるみたいだと・・・それもまた、電子工作の雑誌で知ったのではなかっただろうかと。メッキのこて先にヤスリをかけたらダメだよと。
うわー、とんでもない失敗をしていたのか。何度もヤスリをかけるうちに、コテ先はどんどん短くなっていく。
今度買い替える時は、やすりをかけないように注意しよう。そう誓いました。
たしか高校2年でワンボードマイコンを作った時ぐらいまでは、30Wか40Wの白光JUNIORを使っていたような気がします。よく、あんな太いコテ先でマイコンの細かい配線をつないでいたものでした。
これはワイヤーストリッパーの回があれば書きますが、通っていた工業高校に便利な道具がありました。ワイヤーストリッパーです。電線を挟んでレバーをカチャと操作するだけで簡単にむける!!
かつて、ナイフで危なかっしい皮むきをしていた自分にとっては、まさに天にも昇る気持ちでした。なんてラクチンなんだ!!!!!!!!!!
ただ、自分の物ではないので、借りて帰って試した翌日には、返却するしかありませんでした。高くて買えないなあ、でも良いなあ、あこがれました。
当時はニッパーで皮むきをするのが当たり前だと思っていました。それも最初は刃こぼれして切れないニッパーで、力技でマイコンの細かいリード線をむいていたのです。それしかないから、仕方ありません。
そのマイコンを作っている最中だったか、その後だったか、ようやく自分のお金で新しいニッパーを買ったのです。島原のホームセンターまで出かけて・・・たしか二千円近くしたのではないかと思いますが、その新品のニッパーの切れ味にも驚きました。あのワイヤーストリッパーには及ばないけれど、これはこれで効率UPにつながりました。
最初のはんだごては、今でも売られているハッコー(白光)のJUNIORシリーズ、60Wのものでした。
こて先はメッキではなく銅がむきだし。これは本来、自分でヤスリがけをしてこて先の形を作るものなのです。
ただ、当時はメッキのこて先なんて世の中に存在するのかどうかも知るよしはありませんでした。
銅がむきだしなので、ピカピカ光っているのは新品のときだけです。一度でも通電して熱くなると酸化して真っ黒になります。
そこで、こて先にやすりをかけ、ピカピカした銅を露出させます。すかさずハンダを流してやります。これでハンダ付けの準備ができました。
これでしばらくは使えますが、また真っ黒になってハンダの「乗り」が悪くなります。そしたら、またヤスリがけとハンダを流す必要があります。
いちいち面倒といえば面倒ですが、当時は、こういうものだとしか思いませんでした。
単に黒くなるだけではなく、銅が「食われて」穴があいたり、欠けたりします。それできれいに尖るようにするためにヤスリで成形する必要がありました。
最初はコテ台もなく、クッキーか、せんべいの四角い空き缶の中にはんだごてを置いて使っていたような記憶があります。
いつ頃だったか、グラインダーの砥石の割れたやつをひろってきて、これはヤスリとして使うにはちょうど良いなあ、と。その缶の中に置いて使っていました。おもりになって、こて台としても安定していたし、砥石の上にはんだごてを置いても平気でしたね。
また、そのうちにヒーターが切れて、新しいはんだごてに買い替え、といっても同じ機種しか地元のホームセンターでは選択肢がありませんでしたが・・・同じ機種を代々使っていました。
いつ知ったのだろうか、メッキのこて先は・・・たぶん「ラジオの製作」、「初歩のラジオ」あたりの記事で、そんな物があるんだと、情報源は当時それぐらいしかありませんでしたから。
メッキを知ったのは後の事で、その前のステップとして、電子工作には60Wでは大きすぎる事を知ったのではないかと思います。それで20Wぐらいの物を買おうとしたのではなかったか。
それで買ってきたのは、こて先がメッキになっていた物だったのです。ただ、その時はメッキという認識がなく、今まで通りにヤスリをかけて使っていました。ここで大失敗していたのですね。最初は、失敗とは思いませんでした。
あとから、どうも間違ってるみたいだと・・・それもまた、電子工作の雑誌で知ったのではなかっただろうかと。メッキのこて先にヤスリをかけたらダメだよと。
うわー、とんでもない失敗をしていたのか。何度もヤスリをかけるうちに、コテ先はどんどん短くなっていく。
今度買い替える時は、やすりをかけないように注意しよう。そう誓いました。
たしか高校2年でワンボードマイコンを作った時ぐらいまでは、30Wか40Wの白光JUNIORを使っていたような気がします。よく、あんな太いコテ先でマイコンの細かい配線をつないでいたものでした。
これはワイヤーストリッパーの回があれば書きますが、通っていた工業高校に便利な道具がありました。ワイヤーストリッパーです。電線を挟んでレバーをカチャと操作するだけで簡単にむける!!
かつて、ナイフで危なかっしい皮むきをしていた自分にとっては、まさに天にも昇る気持ちでした。なんてラクチンなんだ!!!!!!!!!!
ただ、自分の物ではないので、借りて帰って試した翌日には、返却するしかありませんでした。高くて買えないなあ、でも良いなあ、あこがれました。
当時はニッパーで皮むきをするのが当たり前だと思っていました。それも最初は刃こぼれして切れないニッパーで、力技でマイコンの細かいリード線をむいていたのです。それしかないから、仕方ありません。
そのマイコンを作っている最中だったか、その後だったか、ようやく自分のお金で新しいニッパーを買ったのです。島原のホームセンターまで出かけて・・・たしか二千円近くしたのではないかと思いますが、その新品のニッパーの切れ味にも驚きました。あのワイヤーストリッパーには及ばないけれど、これはこれで効率UPにつながりました。
道具シリーズ(1) 何もなかった頃
2022.05.20
続くか分かりませんが、道具シリーズと称して、電子工作の道具について書いていきたいと思います。
何もなかった頃
何もなかったといっても、全く何もなかったのではなく、最低限の道具しかなかった頃と書いた方がよかったかもしれません。
物心ついた頃には、身近な家電品などを分解していました。
木目調テレビの裏側に回り、通気穴から中をのぞきこんで、中身はどうなってるんだろうと、そんな事ばかり考えていました。
細いスリットからのぞくと見づらいし、内部は暗いから、無理やりに通気穴を広げてみたり、中に物を落としてショートさせた事もありました。そうすれば電気屋さんが来て裏蓋をあけるから、堂々と内部を観察する事ができたのです。
小学校に入るか入らないかの頃、持っていた道具は身近にあったハサミとか、マイナスドライバーが2種類ぐらいではなかったかと思います。
マイナスドライバーは、ミシンの付属品だった物でしょう。オレンジ色の持ち手が付いていました。もうひとつは細くて、出どころはわかりませんが、レコード針用にしては長かったような気がするのでレコード針用ではなかったと思います。
昭和40~50年代で、マイナスネジが多かったような気がします。プラスでもマイナスをつっこんで無理やり回していました。カドをひっかければ回せますからね。
電工ペンチと電工ナイフも有ったような気がします。電線のむき方を正式に知らないから、ナイフで危なっかしく剥いていたら、それを見ていた親戚のおじさんが(あまりにも危なっかしかったのでしょう)大きな声を上げて「あぶないよ!」って言うもんだから、こっちがびっくりして泣いてしまったことは覚えています。
それからナイフでの皮むきは止めて、ハサミで適当に挟んで皮むきをしていました。あと、歯で挟んで線をひっぱってむきました。
エナメル線は使い放題あって、それは親戚の人だったか、スピーカーについていたトランス部分を壊してそこから線をとっていたのです。ひっぱると巻線がまるごと回るので、好きなだけ引っ張り出せました。
エナメル線の塗装をむくのは、平らな所に置いて刃物でこすれば良いのだけど、良くやっていたのは歯の間に挟んで線をひっぱる事でした。むけた塗装は口の中に残るので、ペッと吐き出していました。なんと野蛮だったのでしょう。有毒物を体内に取り込んだかもしれません。
いつだったか親父が出張の前に「プラモデルをおみやげに買ってきてやろう」というので楽しみにしていたら、まあ、当時プラモデルがどういうものかもよく知らなかったのですが、実際のおみやげは「デルタックス」というもので、これは、あの有名な「メカノ」「エレクター」の類似品だったのではないかと思います。
なんと、いま調べたらデルタックスのオフィシャルサイトがあります。
デルタックスはどういう物かは、詳しくはオフィシャルサイト等で調べてみて下さい。ビス、ナットと金属プレート等の組み合わせで、自由にいろんな物が組み立てられるというおもちゃです。
この付属品として、小さなプラスドライバーと小さなスパナ(たぶんM3かM4用?)が手に入りました。
はんだごては家にあったけれど、子供だけで勝手に使ってはいけないという事で、親父がいる時だけ使えました。たしか60Wぐらいの物。
何もなかった頃
何もなかったといっても、全く何もなかったのではなく、最低限の道具しかなかった頃と書いた方がよかったかもしれません。
物心ついた頃には、身近な家電品などを分解していました。
木目調テレビの裏側に回り、通気穴から中をのぞきこんで、中身はどうなってるんだろうと、そんな事ばかり考えていました。
細いスリットからのぞくと見づらいし、内部は暗いから、無理やりに通気穴を広げてみたり、中に物を落としてショートさせた事もありました。そうすれば電気屋さんが来て裏蓋をあけるから、堂々と内部を観察する事ができたのです。
小学校に入るか入らないかの頃、持っていた道具は身近にあったハサミとか、マイナスドライバーが2種類ぐらいではなかったかと思います。
マイナスドライバーは、ミシンの付属品だった物でしょう。オレンジ色の持ち手が付いていました。もうひとつは細くて、出どころはわかりませんが、レコード針用にしては長かったような気がするのでレコード針用ではなかったと思います。
昭和40~50年代で、マイナスネジが多かったような気がします。プラスでもマイナスをつっこんで無理やり回していました。カドをひっかければ回せますからね。
電工ペンチと電工ナイフも有ったような気がします。電線のむき方を正式に知らないから、ナイフで危なっかしく剥いていたら、それを見ていた親戚のおじさんが(あまりにも危なっかしかったのでしょう)大きな声を上げて「あぶないよ!」って言うもんだから、こっちがびっくりして泣いてしまったことは覚えています。
それからナイフでの皮むきは止めて、ハサミで適当に挟んで皮むきをしていました。あと、歯で挟んで線をひっぱってむきました。
エナメル線は使い放題あって、それは親戚の人だったか、スピーカーについていたトランス部分を壊してそこから線をとっていたのです。ひっぱると巻線がまるごと回るので、好きなだけ引っ張り出せました。
エナメル線の塗装をむくのは、平らな所に置いて刃物でこすれば良いのだけど、良くやっていたのは歯の間に挟んで線をひっぱる事でした。むけた塗装は口の中に残るので、ペッと吐き出していました。なんと野蛮だったのでしょう。有毒物を体内に取り込んだかもしれません。
いつだったか親父が出張の前に「プラモデルをおみやげに買ってきてやろう」というので楽しみにしていたら、まあ、当時プラモデルがどういうものかもよく知らなかったのですが、実際のおみやげは「デルタックス」というもので、これは、あの有名な「メカノ」「エレクター」の類似品だったのではないかと思います。
なんと、いま調べたらデルタックスのオフィシャルサイトがあります。
デルタックスはどういう物かは、詳しくはオフィシャルサイト等で調べてみて下さい。ビス、ナットと金属プレート等の組み合わせで、自由にいろんな物が組み立てられるというおもちゃです。
この付属品として、小さなプラスドライバーと小さなスパナ(たぶんM3かM4用?)が手に入りました。
はんだごては家にあったけれど、子供だけで勝手に使ってはいけないという事で、親父がいる時だけ使えました。たしか60Wぐらいの物。